子瑜さんは仲謀さんと本当に真摯に向き合う努力をしました。※
翌日、子瑜は衣を正し、宮城に赴く。
そして、今だ開戦か降伏かを決めかねることの出来ない文官、武将の並ぶ前に、膝まづき拝礼をする。
目の前の主は、呑気に……そしてやる気の無さそうな顔で、そっぽを向いている。
『会議はつまらない』、『纏まりのない舌戦の応酬にうんざりしている』と言いたげに溜め息をつく主の姿を見つめる。
普段は、横で一応はたしなめ、宥め、癇癪を起こす我儘な仲謀に構うだけだったが、真正面に立つと理解する。
……こんな君主に、弟の亮の頭を下げさせた、自分……。
こんな愚かに育ってしまった君主……。
腹が立つ!!
いや、怒り狂うと言って良い。
拝礼もするのも嫌だ!!
立ち上がり、口を開く。
「貴方はいつまで、こんなことを続けられるのですか?」
「何?ろ……諸葛子瑜。礼儀作法は必要だと散々俺に言ってたのに……立ち上がって、主を見下すのか?」
「主?今の貴方のどこが、この江東の主なのです?のらりくらりと遊び呆けて、事の重大さを理解出来ない、ただの愚か者だ!!」
普段外面は温厚で、誠実で、大人しく、真面目と評される子瑜が説教をする。
「あれだけ尚香さまが、必死に訴えていましたよね?やる気がないなら、当主の座を降りろと。私は当初、尚香さまが言った意味を理解することは出来ませんでした。このままで良い……そう楽観視していました。私の弟の諸葛孔明は役に立つと……駒のように思ってさえいました。自分の弟だからやれ!!やれなければ、ただの愚か者だ!!と思っていました。でも、あの子は愚かじゃなかった!!愚かなのは私で、ここにいる家臣たちで、貴方だ!!」
「な、何だと!?」
周囲がざわめく中、子瑜は主を示す。
「この態度で、貴方は来る客人に応対していたのですね?ずるっと肘掛けにのし掛かり、その整っていない髪に、冠も横を向いていて、衣は襟元が乱れ、だらしない!!そして、態度も横柄だ!!臣下ではあるけれど、相対する私は年上であり、貴方の学問の師でもある。そんな態度で対応されて、気分は非常に悪いことが解りませんか!?それに普通、客人に相対する場合は、それなりに衣を正し、話を聞きいるべきであって、今のように大あくびなどするな!!この昏主!!」
初めて聞く怒号に、仲謀も周囲も絶句する。
「真面目に真剣に話をする人間に対する態度か、それが!!こっちは貴方に真剣に、主として恥ずかしくないようにとあれこれ教えましたよね?私は、元々弟がかなり出来が良いので、すぐ理解出来る……同じ年位だ、この国の主だからと、思っていました。でも、弟とあなたは違う!!違いすぎる!!」
子瑜は、主を見据える。
「弟は混乱しています。必死で努力していた、自分の主でもない貴方……いや、この国を守る為に、色々な情報を集め、いつきてもおかしくない曹孟徳と対する策を懸命に練っていました。それなのに、貴方は腰をあげる気もない、何時まで経っても変わらない……尚香さまが、貴方を当主である資格はないと言われた。私も同意見だ!!貴方は当主じゃない!!その立場に固執し、立場を餌に放蕩し、部下を侮辱する!!そんな者に拝礼!?いい加減にしろ!!努力一つしない、国の事を思いやれない、民の不安を払拭出来ない。戦場がどこになるのか、どれ程の兵が戦うのか、どんな戦術を繰り広げるのか、部下に問いかける。そして考えて見る……それすら出来ない‼こんな愚者に、この国に、弟を差し出すものか!!そのまま偽りの平穏に浸りきっているなら、勝手にしろ!!見苦しい死に様を、曹孟徳にさらすが良い!!」
そして周囲を見回す。
未だに訓練施設に戻らず、ハラハラとする大都督周公瑾を見る。
「まだ、目が覚めませんか?公瑾どの……こんな愚かな義弟を甘やかすのですか?兄なら、弟の成長を見守り過ちを叱咤すべきです。私は弟を厳しく育て、誉めたことはありませんでした。可愛がると言うより、この私の弟だから出来て当然と傲慢に見下していました。弟は平凡です。その平凡は、私以上に賢く、甘興霸どのとも頭に怪我をしていても殴りあい、棒を振り回し、凌公績どのともやり合い、程徳操どのと怒鳴りあい、最後に黄公覆さまがこれ以上はと、気絶させるまで暴れる体力があり、陸伯言どのや呂子明どのに戦術を説明する。手先が器用で、管弦や詩歌、家事全般に刺繍など全て平均です。でも、本人は平凡だと信じきっていても、それは天才以上の平凡……努力のあとです!!この昏主は、国の事を考えることすら出来ない、平凡以下だ!!」
子瑜は叫ぶ。
「大事なのは、何です!?こんな愚かなままの君主に着いたまま、滅ぶことですか!!なら無様に降伏し、曹孟徳に媚びることだ!!貴方のその嘘臭い笑顔なら、誰もが喜び出迎えるでしょうね!!そして、皆さんも降伏するなり、逃げるなりするが良い!!では!!私は、尚香さまに真摯に謝罪と忠誠を誓い、戦場に出向くことに致します!!」
くるっと後ろを向いた、子瑜の周囲には衛兵たちの矛が突きつけられていた。
ふっと微笑む。
「この程度の諫言で、これとは……本気でクズだ!!」
「捕らえよ!!多少傷ついても良い!!この反逆者を……!?」
わめき散らしていた仲謀が硬直する。
何かが、頭部に突きつけられている……!?
「五月蝿いですよ!?甘ったれるのも、いい加減にして戴けませんか?こっちは、病人で……人前に出るのも
だらだらと脂汗が出て、その上震えるんですよ、手が……良いんですか?これ、『諸葛連弩』の最新型……性能的にも機動的にも最高品質ですが?」
青ざめてはいるものの、『諸葛連弩』を構えた孔明が、どういう訳か夜着のまま、髪を振り乱し仲謀の頭部に射程を合わせている。
ちなみに、危険物……天災の魯子敬には子明が、公瑾には尚香がそれぞれ同様の連弩を突きつけている。
「兄上から離れろ……お前たち。でなければ……この愚かな主の頭部を箭の的とする。一言言うが……私は平凡な男だが、夏侯元譲将軍、夏侯妙才将軍、曹子廉将軍と一騎討ちをしたし、うちの軍の関雲長将軍の両腕を捻り折った……この愚かな主の首もねじってやろうか!?」
「お、おい……誰か助けろ!!瑜兄上…!!」
「兄上?何時まで兄上、兄上いってんだ!!いい加減にしろよ!!」
孔明は仲謀の腹を蹴り飛ばすと、そのまま近づき、仰向けに倒れるその胸に突きつける。
「おい……お前は誰だ!!言ってみろ!!」
「そ、孫仲謀だ!!」
「はっ‼虚勢張っても……無駄だ!!ぼけ!!」
逃げようとした仲謀の腹を踏みつけると、連弩ごと腕を振り回した。
ゴンっとすさまじい音が響き、吹っ飛んだのは傷だらけの武将。
「あぁ、この主の護衛の周幼平どのでしたっけ?傷がご自慢の。こんな主を守っても、意味ないじゃないですか?どこが名誉の傷だ!!傷ってのは、誉められるもんじゃねぇ!!誰もが傷付かない……それが当たり前じゃねぇか!?」
「何を!?」
吹っ飛ばされたが、身を庇ったか、すぐ起き上がった幼平の前で、孔明は上半身をさらけ出す。
周囲……特に踏みつけられている仲謀は、目を見開き絶句する。
切り傷、刺し傷だけではない、火傷に杖か何かで殴られ、破裂したようなもの……全身傷のない場所はない程、滅茶苦茶に傷が傷を呼ぶように、次々と付いている。
「知ってるか!?お前ら……弱い子供時代から、大人にいたぶられる苦しみを……‼戦場をさ迷う、未来の見えない不安を……そうして、逃げ惑い出会った、同様な目に合ってきた妻とようやく幸せになれると思い、子供たちと平凡で良い、子供たちにだけは……私たちのように戦いに巻き込みたくないと願っていたのに……!!」
嘆く……嘆き叫ぶ。
「てめえらは、戦を高尚な何かと勘違いしてないか!?違うだろ!!戦は大地を人々を苦しめ、荒ませる。平和を……子供たちには平穏な時を暮らして欲しいと、どうして願えない!!未だに決断出来ないのは、未来を考えられない、自分のことしか考えるつもりがないからだ!!そんな者に将来、子供たちが今のような偽りの平穏ではなく、真の平穏を与えることなんて、出来やしない!!そんな男に兄を渡すつもりはない!!諸葛子瑜は、私の一番尊敬する兄で、一番私を見込んでくれる存在。お前にやってたまるか!!」
仲謀を蹴り飛ばし、言い放つ。
「てめえら……子供たちに、この国に、民に……本気で安らぎを、平和を考えられないなら……この国の文官や武官を名乗るんじゃねぇ!!直ちに辞めろ!!……不安がっている人々を安心させ、戦を最小限にして、国を富ませるのが役割だと言うのに……それすら解らず、この愚かな主のお遊びに追随し続けるなら、国を出ていけ!!こんなのに、国を守られる筈はねぇし、守られる側も不安だろうよ!!」
はっと吐き捨てる。
「ここまで言っても通じねえなら、滅べ!!猿。お前は『江東の覇者』じゃねえ……お前のその尊称は本当の兄貴のもので、猿芝居も出来ないお前が名乗るもんじゃねぇ!!……と言う訳だ!!お前たちの未来はない!!」
言い切った孔明が、近づいたのは兄の子瑜。
「兄上……帰ろう……。兄上は私たちの兄上です。誰にもやらない!!絶対にやらない!!だから、一緒に帰ろう?」
震える手を差し出す弟を見上げ、
「ありがとう……亮。お前は私の自慢の弟だよ。お前がいてくれて……兄と呼んでくれて……幸せだ。この幸せを、子供たちに残さないと……いけないね。その為にも私も戦うよ!!私たち諸葛家はどこよりも結束の固い、兄弟だ。力を合わせたら何だって出来るだろう!!」
「はい、兄上。その通りです!!」
子瑜は弟のはだけた衣を正し、ガサガサに荒れた手を握りしめ、振り返る。
「では、再見。敵になっても、私たちには敵わない皆さん」
言い切った子瑜は、弟と去る。
そして、尚香が、
「では、早々に出ていきなさい!!兄上…いえ、孫仲謀!!貴方は当主ではない!!孫家の誇りを失った者にその名を名乗る資格はない!!とっとと尻尾を巻いて逃げるが良い!!」
憐れむように兄を見下ろした尚香は子明と頷くと、
「では、再見と言っても、二度とお会いしたくもないですが」
と、言い捨てて出ていったのだった。




