士元さんと叔常さんは素直な気持ちを告げることができました。※
続いて紅瑩は、士元と叔常こと球琳の屋敷に向かう。
昨日、季常の屋敷で浴びるように飲んだ士元は、そのまま仕事に向かっていた。
が、叔常は起き上がることも出来ず、牀に横たわったまま寝込んでいた。
「大丈夫?球琳」
「……あ、姉上……も、申し訳ありません……お迎えも出来ず……」
「良いのよ。それよりも大丈夫なの?つわりが酷いのね?休んでいなさいな。少しやつれていてよ?」
頭を撫でる。
「ですが……姉上方は……」
「つわりが軽い人と重い人がいるものよ。私や晶瑩と、玉音は軽かったけれど、琉璃は重かったらしいわ。亮が、心配してあれこれしていたのよ。朝御飯は、少し少し食べるようにさせたとか、今まで大丈夫だった匂いが駄目になったとかで、色々考えていたらしいのよ。だから、後で士元どのにも言っておくから、均や玉音に相談してみるといいわ。あの子たちも色々と手助けしたそうよ」
「そう、なんですか……?」
「そうよ。それに、琉璃は何度か流産しかかったそうだから……」
紅瑩の言葉に、叔常は夫から聞いた話を思い出す。
「……そうだったんですね。では、私も頑張らないと……」
「無理は駄目よ。落ち着くまでは休んでおくことよ。貴女、初産なんだから……それについでに士元さんにも父親としての自覚を持つように言い聞かせないとね」
「無理ですよ、姉上。絶対、役に立ちません!!」
断言する叔常に、紅瑩は首をすくめ、
「琉璃と子供たち以外眼中にない、世話好きと言うよりも、盲目なまでに愛情を注ぎ続ける亮より、ましかもしれないわよ?あの亮は、仕事はやらないって、絶対琉璃が大丈夫か完全に安心出来るまで、仕事放棄したらしいし」
目を見開く叔常に、弟の物真似をして、
「『仕事?そんなものより琉璃の方が大事に決まっているでしょう!!何で琉璃を置いて、私が仕事に行かなきゃいけないんです!?仕事に来い?なら琉璃が大丈夫になるまで、待って下さい!!じゃないと、ぶっ潰しますよ!?』とかいって脅したらしいわ。で、元直さんにこんこんと説教されて、元直さんや均か玉音に、益徳どのやその奥方がいる時だけは仕事に出てたそうよ」
「はぁ……う~ん……そこまで傍でいられると、困りますね!!孔明どのでも。それに士元にも……そこまで過保護にされると、鬱陶しいかと……」
「鬱陶しくて悪かったな!!」
姿を見せる士元に、叔常は、
「鬱陶しいだろう!!」
「……ふん、勝手にしろ。孔明、孔明言ってろ、馬鹿」
プイッとそっぽを向き、出ていった夫の背に、
「……?姉上?どうしたんでしょう?士元が大人しいのは不気味ですよね?」
「……はぁ……」
紅瑩は溜め息を吐く。
小さい頃から病弱な兄弟に囲まれ、丈夫だった上に頭が切れ賢かった叔常は、父親に期待され育った。
それは、女性としてのたしなみだけでなく、兄弟と同様に、『孫子』をはじめとする学問を習い、武術全般をこなし馬を操る。
兄弟はハッキリ言って軍略は不得手で内政に強いが、叔常は軍略だけでなく内政についても詳しく学んでいた。
馬に乗れない兄たちの代わりに領地に赴き、田畑の様子を聞き、どんなものが収穫出来るのか、どうやって育つのか、物流についても、街のことも学んできた……のだが、不得手な部分はある。
特に、苦手なのは次兄の嫁である紅瑩は問題外だが、叔常の数少ない女の子の幼馴染みや屋敷の侍女たちがきゃぁきゃぁと騒いでいた『恋愛』と言うものと、『結婚生活』と言うもの……。
全くそういった分野を教えてこなかった家族……紅瑩も含む……が、心底後悔したのは、普段女性には優しく、手を貸したり親切にする男装の美少年にしか見えない程、完璧に凛々しく賢く、ごついほど逞しくはないが、ある程度の筋肉のついた体つきの叔常に、釣り合う相手が探せないこと……。
夫が息子たち以上に厳しく育てた一人娘が、いい年頃になっても、兄の代わりに領地を巡り、街を巡回し、引ったくりを殴り飛ばしたり、女性に暴力を振るう者を叩きのめす姿を目の当たりにした、母親はよろめき、ハラハラと涙を流した。
「どうして、貴女は……そんなに乱暴になってしまったの!?」
「乱暴?いいえ、これは当然の行為です!!母上。引ったくりを見逃す……それはけしてしてはいけません!!」
「引ったくりはいけないことだと母も解っています。そうではなく、どうして貴女がそんなことをするの!!伯常や仲常、季常に幼常がいるでしょう!!」
母親の言葉にキッパリと、
「兄上方は戦力外です!!入ってこられては逆に邪魔です!!大人しく、隠れていて下さい。で、季常は役に立ちませんので、言っても無駄です。で、幼常は迂闊です。途中でスッ転ぶとか、逃げられてしまうか、どちらもです。従って、私が戦闘担当になるしかないでしょう!!大丈夫ですよ、母上。愚かな失敗は致しません」
言い放った叔常に、母親は泣き出し、夫に恨めしげに訴える。
「どうして、どうしてあなたは球琳を、一人娘をあのように育ててしまわれたのです!!娘が、兄弟を差し置いて、引ったくりに突進し投げ飛ばすなんて……そのように育てて……どこに嫁に出すのですか!!」
「え~と……」
夫であり馬家の当主は、娘に到底見えない娘をちらっと見る。
「……球琳や。お前はどうしたい?」
その問いかけに、真顔で、
「何をおっしゃっているのやら。父上!!私は馬家の叔常!!馬家の為に、父上や伯常兄上に仲常兄上と共に馬家を守ると言う役目があります!!その大事な役目を放棄するつもりはありません!!季常や幼常には出来ないことです!!ご安心下さい!!馬家の為に、存分に力を尽くすとお誓い致します!!」
堂々と宣言する娘に母は泣き崩れ、父親も自らの教育が完全に間違っていたと言うことに気がつき、ようやく叔常の婿になれる人物探しに奔走したのである。
そして、見つけた夫が士元……しかし頭脳明晰、軍略家だが、少々どころか毒舌家にひねくれものの夫と、まっすぐで正義感が強く、ハッキリした気性の叔常は反りが合わず……特に叔常が性格の合わない夫を放り出し、馬家の領地をめぐる旅に行き、夫は夫で趣味でもある情報収集と、軍略を見切る旅に出て、行き違い以上に、全く合わない生活を送っていた。
で、最近、混乱する荊州が見ていられず、叔常は出てきたのだが、弟たちの所に行くのもしゃくだし、顔を見る度に叩きのめしたくなる為に止めにし、一応夫である士元の屋敷に転がり込んだ……と、本人は思っている。
夫である士元のことは、
「頭が良いのは知っているし、自分よりも軍略に優れているし、見聞が広いということは、尊敬してもいいが、性格の悪さだけは好きになれん!!だから、尊敬するか!!」
と、常に隙があれば殴り飛ばす気満々だが、それも出来ない状態でつまらない……と言う感じである。
そして、夫である士元の方は……、
「……う~ん?猫?気位の高い……でも賢いし、ある程度のことは出来る……うん、男女の別はあるが、孔明に似た万能型だな。まぁ惜しいのは、男じゃないことだな。男なら、馬家は安泰だっただろう」
と、昨日の酒の席で、紅瑩に言った。
「季常も幼常も軍略に弱い。内政に回した方がましな官僚になるだろう。叔常は武術と軍略も優れている。でも体力がないから、武将は無理だな。参謀として戦場に立てる。そして、内政も強い。田畑の情報も街の情報も解るから、良いだろうな……でも、すっげームカつくんだよなぁ……」
「ムカつく?」
紅瑩は、酒を勧めながら問いかける。
「……ムカつく。見てるものが違う……俺が見てるものを一緒に見ることはない。あいつが見てるのは、俺よりも広い……。視野が広いってことは、今の戦いの世ではなく、後の世を考えられる余裕があるんだ。俺はチマチマと今を必死に動けるように戦いを考える……それを考えつつ、叔常はその後の国のことを考える。孔明もそうだ。俺にはそこまでの広さはない。それに、あいつは将来を見るが、その中には俺はない」
ぐいっと酒を飲み干した士元は、珍しく顔をしかめる。
「俺は、あいつの中にない!!あいつが口を開くのは国のこと、戦いのこと。俺のことなんて眼中にもない!!……あぁ、何で姉さんに言ってるんだ!?あぁ、孔明の姉であいつの姉上だしな……でもな!?姉さん。ガキも出来たってのに、何で俺は眼中にないんだ?俺は……」
「そりゃぁ、仕方ないわよ。男と女じゃ違うもの」
紅瑩は、あっさり告げる。
「男は自分の力を見せつける為に武器を取り、策略を巡らし戦う者よ。平穏な時代だったとしても同じよ。表向きはそうでも裏では同じ。それが定め。でも、女は命を生み出す者。その命を守る為なら、どんなことをしても闘うの。瑠璃さまも、そうだったでしょう?大事な役目を果たす為に闘った。女は弱いけれど、そういう場面に立つと男は怖じ気づく程の強さを持つわ。その強さに、敵う男はいない」
「じゃぁ、俺は……」
「負けを認めることね。士元さん。貴方が叔常……球琳に勝とうと足掻くのをやめること。素直に今の気持ちを伝えることよ。球琳は初産なんだから、意地を張って大丈夫だとかいっていると思うけれど、内心は不安で一杯なのよ。亮を見習えとまでは言わないけれど、益徳さま位はなりなさいな」
と、発破をかけたと言うのに……。
溜め息をつく紅瑩に、
「姉上?」
「球琳は、もう少し士元さんに優しく接してあげるべきね……でないと、拗ねて何をするか解らないわよ?」
「浮気ですか?……まぁ、それでもいいですよ」
突拍子もない発言に、紅瑩は目を見開く。
「えっ!?浮気よ!?」
「と言うか、浮気されても仕方ないでしょう?どうせ、水鏡老師や、士元の伯父上やあれこれ言われて、娶って貰ったので充分でしょう。それに私も勝手に馬家に留まり、士元のことを全く関知してませんから、士元には本当に悪いことをしたなぁと、逆にその相手にお礼を言いに行きますよ」
「お、お礼参り?」
姉の言葉に、叔常はえっと驚き、
「何を言ってるんですか。本当に感謝していると、これからもよろしくお願いしますと言いに行くんですよ。でも、居そうにないんですよね……と言うか、まぁ、隠しててもいいんですが、何か仕事と酒さえあれば満足しているようで、逆に大丈夫かと……」
「…そ、そうなの?でも、それでいいの……?」
言いかけた紅瑩は、叔常の笑顔を見る。
「姉上?士元は『鳳雛』。『鳳の雛』です。今は地に留まっていますが、今に羽ばたく……旅立つ者です。そんな士元には引き留める、束縛する者は必要ないでしょう。笑って、見送ってあげるべきです。それか跡を、心配事を遺さぬように……」
「誰が置いていくって言ったよ!?浮気だぁ!?狂暴で罵詈雑言の数々で俺を滅多うちにした上に、拳や矛に強弓を持って追い回す嫁に内緒でする亭主がいるか!?」
扉を蹴破らんばかりの勢いで入ってきた士元が、怒鳴る。
「何だとぉ!?私が怖くて出来なかった!?ほぉぉ……馬鹿め!!この程度の亭主とは……残念だな!!」
「この程度の亭主?なら、お前はその程度の嫁だ!!ど阿呆!!この俺が嫁にしてやったんだ!!馬家がどうした!?老師に伯父貴の押し?そんなので嫁なんて貰うかよ!!てめえはそれ位解らねえのか!!」
士元の言葉に、叔常は首を傾げる。
「は?違うのか!?じゃぁ、あぁ、お前の放蕩を奨励してやったからか?それとか……季常と幼常を叩きのめすのを推奨したのと、孔明どのに喧嘩を売るなとかいってぶん投げたのに……他には……」
「お前の頭はどうしてそっち方向に行くんだよ!?えぇ!?」
「そっち?どこにいく必要がある?今はここにいるが?あぁ、再婚するのか?」
真顔で告げる義妹に、本気で紅瑩は脱力する。
士元もガックリ項垂れ、
「そうだった……こいつは、こうだった!!」
「何だ?ぶつぶつ言うな、言いたいことがあるならハッキリ言え!!」
ムッとした顔になる叔常に、士元は、
「一度だけ言ってやる!!一生覚えてろ!!一言一句忘れんじゃねぇぞ!!」
「一応、記憶力は悪くないぞ?」
「うるさいわ!!一言一言突っ込むな!!ほんっとに、どーしてこんなのに……」
士元は近づくと、
「覚えとけ!!俺の嫁は、お前だ!!お前が逃げ出しても、今度は絶対取っ捕まえて、傍に置いとく!!俺が、あれこれ動き回っても……『鳳』となって、羽ばたく時が来ても、隣にはお前が絶対にいろ!!俺が『鳳』なら、お前も『凰』だ!!良いな!!嫌と言っても、逃げても追いかけてやる!!俺は孔明程ではないがしつこいぞ!!」
その言葉に、叔常は目を見開き、そしてボロボロと涙をこぼす。
初めて見る嫁の涙に、士元は狼狽える。
「な、何だ!?そ、そんなに嫌か!?」
「……と、隣にいて……良いのか?狂暴で、口が悪いし、乱暴者の嫁だが……良いのか?」
涙声で問いかけてくる叔常に、士元は抱き締める。
「お前がお前であればいい。我慢とか、俺に従順とか、そんなのはいらない。お前が笑って、俺の名を呼んで、俺が悩んでる時に笑い飛ばしたり、話を聞いてくれるだけでいい……」
「……変な奴……でも、私は、そんなお前の傍にいたい」
士元は、ようやく叔常の気持ちと交わすことが出来たのだった。




