犬猿の仲とは琉璃と季常のような関係です。※
ところで、孔明の敬弟、馬季常は、しばらくぶりに弟の幼常と共に臥竜崗に訪れようとしていた。
二人の義理の姉である紅瑩と、その妹で龐家の嫁である晶瑩が、久々に実家に戻りたいと言い出したので、着いていったのである。
襄陽の龐家に一旦入り、馬車に乗った姉達の横を歩きながら、二人が中で話している内容を盗み聞きする。
「……それより、どうするの? 姉様」
晶瑩の声がする。
「黄家の月英さんが最近、あんなに嫌がっていたご実家に出入りしているようなのよね。でもね!? 酷いと思わない? 嫌がってる月英さんが実家に出入りしているのに、どうして私達の所に孔明は来てくれないの!? 均は遊びに来てくれてるのにっ!! 」
「そうねぇ……晶瑩のところにも来ないなんて、酷いわねぇ? ねぇ、季常さん、最近孔明と遊ばれて? 」
内からの義理の姉の問いに季常はにこにこと、
「二月ぶりです。お会い出来るのが、楽しみです」
声を弾ませる季常の本性を、とうの昔に気付いている紅瑩は、扇の奥で溜め息をつく。
「そろそろ着く頃ね……あら、何かしら? 」
丘の上から駆け降りるのは、幼常よりも小さく痩せた子供。
「やーにゃーのー!! 」
後ろを振り返り、言い放つ。
その後ろから孔明の声が追いかける。
「こらっ! 琉璃。今日はお利口にしてって言ったでしょう? 約束は? 」
「やーにゃもん‼ 」
たたたっと馬車の前に現れ、横を走り抜けようとした子供に、季常はそ知らぬ顔で足を出す。
その足に引っかけられた子供は、勢いのまま道に叩きつけられる。
身を起こしたものの、顔を歪ませ……、
「ふ、あぁぁぁーん、こにょ、こにょ、おにーしゃん、いじわゆぅぅぅ」
泣きじゃくる少女は季常を示し訴えるが、季常は当然のようににこにこと、
「何もしていないよ? 嫌だなぁ。石に引っ掛けて転んだ癖に」
「ちやうもぉぉん。にいしゃまー!! いたいにょー」
馬車の中にいた姉妹は顔を見合せ、溜め息を漏らす。
子供を生み、子育てや家の事をしているものの、いまだに武器を手放さない二人は、運動神経は平均以下の季常の嫌がらせは完全に見えていた。
そして、幼いとしか言い様のない子供にやるべきではない、その卑劣な行為に拳を握りしめ、隠し持つ暗器(暗殺武具)を取り出す。
が、気配は柔らかく、
「季常さん? 坂を駆け降りる方の通る所に、わざととは思いませんけれど足を出しては駄目ですよ。泣いているではありませんか」
チッと舌打ちをする季常を黙らせ、紅瑩と晶瑩は馬車を降りる。
近づき汚れるのも構わず、膝をついて泣きじゃくる子供の顔を覗き込む。
「ごめんなさいね? 私の義弟が意地悪をして……」
「ふぁぁぁーん、にいしゃまぁ! 」
「ハイハイ、どうしたの? 」
坂の上から早足で近づいてくるのは、ひょろひょろっとした紅瑩、晶瑩の弟である。
「にいしゃまぁぁ。いたいにょー!! あぁーん」
「わぁぁ! 大丈夫? あぁ、だから走っちゃダメって言ったでしょ? 後で手当てしようね、泣かない、泣かない」
孔明は抱き上げると土ぼこりを払い、よしよしと頭を撫でて微笑む。
「琉璃? これで解ったでしょ? 私の言うことは聞くこと。いーい? 」
「……あいっ……」
「お利口! 」
目の前の親族に全く目もくれず、誉める。
「じゃぁ、帰ろうか。琉璃」
立ち去ろうとした孔明の頭部に即座に手にしていた地面の石を投げた紅瑩は、ぎょっとする。
弟の腕の中で泣いていた子供が表情を一変させると、手を伸ばし石を払ったのだ。
「にゃにしゅうにょ! にいしゃま、いじめちゃらめ!! 」
必死で庇っているつもりなのか、弟を抱き締め紅瑩を睨む瞳は青い。
だが、その少女は知らないのか?
二人の弟は、この程度など平気で避けるのに。
「ねぇ、亮。この子誰? 」
「あれ? 姉上方に季常に幼常まで。どうしたんです? もしかして……姉上、琉璃を転ばせたりしませんよね? 」
振り返った孔明は、姉達を見下ろす。
「違うわよ、紅瑩姉様の所の……」
「ごめんなさい!! 僕が足を出していて、この子が転びました! 」
季常は深々と頭を下げる。
「駄目だよ? 季常。わざとじゃないと思うけど、この子は女の子なんだからね? 可愛い顔を傷つけたら大変だよ。もうやめようね? 」
「はい、気を付けます」
孔明の前ではしおらしい少年を、ぷくうーっと頬を膨らませて見下ろす琉璃。
琉璃にとって、季常は敵と認識したらしい。
孔明は自分のだと主張するように、ぎゅぅぅぅっとしがみつく。
それは正しい判断だと、晶瑩と紅瑩は心の中で賛同する。
それほど季常は外面がよく、兄弟や家族、孔明すら騙し通す演技力の持ち主である。
「所で、突然どうしたんです? 兄上方と喧嘩ですか? 」
孔明は問いかける。
「そんな訳ないでしょう。私が喧嘩? 有り得なくってよ」
自信満々に、高笑いする晶瑩と首を竦める紅瑩。
「それより喧嘩なんてする程の度胸もないわよ。亭主には。鬱陶しいから妾の5、6人でも作ってこいって言ったら大泣きよ? 意気地がないんだから」
「兄上が泣くの解りますよ……私は」
孔明は呟く。
「あら、そう? それよりも、亮。その子だあれ? 」
「ここから遠い姉様なら、分からなくても仕方ないけれど、同じ襄陽の私にも連絡なしなんてどういう事かしら? 」
姉達の追求に苦笑い、
「まぁ、まず家に着いてからにしましょう。月英も均もいますから」
琉璃を抱いたまま歩き出す。
紅瑩と晶瑩は馬車に戻り、実家に進んでいった。




