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破鏡の世に……  作者: 刹那玻璃
始まりの始まりはいつからか解らない、とある一日から。
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質問です!!ごく普通の生き方はどうすれば良いのでしょうか?※

 孔明こうめいは途方に暮れていた。

 しかし、表情を完全に隠し、深々と頭を下げると後ろを振り返る事なく、戻るしかなかった。




 孔明は、徐州じょしゅう泰山郡たいざんぐん琅邪ろうやの生まれである。

 姓は諸葛しょかついみなりょうあざなは孔明。

 実は、『亮』も『孔明』も『明らか』、『はっきりとした』と言った意味を持つ。


 三國志後半の主役とも言うべき彼は、今現在16歳。

 まだ荊州けいしゅう襄陽じょうように身を寄せて間もない状況だった。

 しかし、成人を迎え字を与えられているとは言え、まだ幼さの残った顔立ちにひょろっとした痩せた体躯の少年には荷が重すぎる役目を負っていた。


 両親は亡くなり、頼った叔父は殺され、家長である兄、子瑜しゆは長江を船で下って行った。


 母亡き後、後添いとして嫁いできた義母と義妹を連れ、必死に仕官先を探しているだろう兄には、頼ることは難しい。

 こちらはこちらで何とかしたい。

 二人の姉の結婚位は。

 戦乱の中、共に逃れて来た二人には幸せになって欲しかったのだが……。




 溜め息を吐きそうになった孔明だが、後ろを付いてくる足音に感情を消し、振り返る。


「……何か? 」


 声をかけると孔明よりも3、4歳年下……弟のきんと同じ頃の少年が立っている。


「貴方が、僕の義兄弟になって下さるって本当ですか? 」


 ふわふわと頼りない印象の強い少年の言葉に、苦笑い首を振る。


「そうなれたら良かったのですがね……」

「何で!? 」

「ご存知の通り、知らなかったとは言え、叔父は袁術えんじゅつの命に従い豫州よしゅうの太守となったのは確かです。襄陽の劉景升りゅうけいしょう様と叔父が昔、縁があって、こちらに落ち着くことは出来ましたが、逆賊として討伐された袁術の息のかかった者の姪を娶って得はないでしょう。まして、私が言うのも何ですが、行き遅れの娘を正妻になどとは……」


 その上知られないようにひた隠しにしているが、姉達は、亡き両親が嘆く程家政が出来ない人達である。

 それよりも政略、軍略、兵法を学ぶ事を望み、身を守る為に上の姉、紅瑩こうえいは小刀などの投擲器とうてききの扱いが得意で、下の姉、晶瑩しょうえいの方は拳術に長け、剣や槍、弓も嗜み、孔明よりも実際強い筈である。

 軍略も共に学んだから分かる。

 姉達が男であったら、知識を得て腕を磨き、何処かの君主に仕え軍師、もしくは一軍を任せられる程の武将になれただろう。

 他のまだ戦乱の州の街やもしくは荒れ果てた大地では、姉達は生きていける。

 死と隣り合わせでなら。


 でも、落ち延び逃げ回りようやく見つけた安全なこの街で、姉達だけでも幸せになって欲しかった。

 弟として姉達だけでも。

 それだけでも……。

 だが、


「では、失礼します。馬幼常殿ばようじょうどのではありませんね。季常殿きじょうどの


 頭を下げると、少年……季常は驚く。


「ど、どうしてお分かりに? 」

「『馬家ばけ五常ごじょう白眉はくび最も良し』今は見えませんが、お屋敷でお会いした時に眉がちらっと。御兄弟皆さん優秀な方々ばかり、しかし最も優れているのは貴方だと伺った事が。貴方は私よりも若いのに知識をお持ちだと」

「あ、ありがとうございます。諸葛孔明様」


 季常は礼を返す。

 が、16歳にしては異様にひょろながの青年を見上げる。

 今現在伸び盛りの孔明は将来的に当時の8尺、現在の長さでは184センチメートル余りの長身となる。

 蜀漢しょくかんの名将と呼ばれる関雲長かんうんちょうが9尺、張益徳ちょうえきとく趙子龍ちょうしりゅうが8尺、のち、蜀漢の先主せんしゅとなる劉玄徳りゅうげんとくは7尺半である為、清流派の文官を目指すにしてはかなりの大男だ。


「では、又。お会いできた時に」


 孔明は歩き始める。


「あのっ! もし兄の元に、孔明様の姉上が嫁いだら、敬兄けいけいとお呼びしても良いですか!! 」


 背中に声が届く。

 振り返り苦笑しつつ、


「姉がこちらに嫁がなくとも、季常殿は私の数少ない友人の一人ですよ」


手を振りゆっくりと小屋に近い姉弟の待つあばら家に戻っていく。




「……やった!! 」


 拳を握りにっと笑うのは、あの大人しそうな季常。


「楽しみだなぁ……あの人なら、この国をますます引っかき回してくれそうだもんね」


 くすくす……心底楽しげに笑み、囁く。


「……でもね? 伯常はくじょう兄上達は、平穏無事が一番だって言うけれど、このままこの荊州が安全なんてある訳ないと思わない? あんな血筋だけの暗愚あんぐな君主に、だらけきってろくに訓練すら行えないクズな武将に、くだらない策とも言えない雑談しか出来ない軍師どもに守りきれるものか」


 変声前の少年の声は細く広がる。

 そして、くるっと振り返りにっこりと笑いかける。

 その笑みは子供から少年に背伸びをし始める、不安定でそして、不可思議な……中性的であり性を越えた何かをはらんだもの……。


「だからね? 僕は証明してみせるよ、すぐにでも。こんな偽りの平和とかいうものなんて壊れて当然なの。本当は僕が壊そうと思ってたんだ。けどね、僕にはほんの少し力と人脈と時間が足りない。だからあの人に僕の代わりに、僕の手足になって動いて貰うんだ。良い考えでしょう? ……ねぇ? 幼常」


 季常の笑みを受け止めたのは子供……いや、身体が弱く小さな季常よりも身体は大きいが、顔立ちからも幼さが全面に出た子供。


「そうだね!! 季常兄ちゃん」

「でしょう?幼常。幼常は、偉いね」

「あったりまえだい。おれは馬幼常だもん。しょうらいは季常兄ちゃんといっしょに、こうせいになをのこす、おとこになるんだ。しょうぐんとかじょうしょうとか、な?兄ちゃん! 」


 目をキラキラさせた弟を見て、目を細め笑い返す。

 しかし、目の奥は冷たく鈍く輝く。


「そうだね。それも良いね。でも、その為には、孔明様に僕達の義兄になって貰わないと、ね? 」

「ふーん……そうなの。兄ちゃんのいうことはぜんぶただしいもんな。じゃあ、なってもらおうよ、すぐに」


 無邪気に幼常は、両手をあげる。


「そうだね。今から兄上たちに話に行こう」

「うん! じゃぁ、兄ちゃんいこう」


 幼常は、さほど体つきの変わらない兄の手を引き走り出す。


「ちょ、ちょっと待って、急がなくても大丈夫だよ、幼常ってば」

「おなかすいたんだもん。きょうはなにかなー。兄ちゃんは、なにたべたい? 」


 2つの足音が遠ざかっていく。




 荷物を抱え、重い足取りで薄暗い道を歩いていた孔明は、ふと何かに気づき、一歩二歩と横に身体を寄せた。

 と、


ヒュン、ヒュン


と頬の横を矢が数本通り抜ける。


 そして、物陰から飛び出してきた小柄な影をスッと避けたものの、続いて迫ってくる拳をヒラリヒラリと逃れつつ、持っていた竹簡を下ろし、蹴りをかわし、再び飛んでくる矢を今度は弾き飛ばす。

 最後は、拳を振りかざす小柄な身体を肩に担ぎ上げ、矢が飛んでくる方角を睨む。


紅瑩こうえい姉上!! こんな日が落ちていると言うのに、むやみやたらにせんを放たないで下さい。矢じりが勿体無いでしょう! 明日探すのは私なんですよ。それに、晶瑩しょうえい姉上! 良いですか? 良い年をした女性はそんな格好はしません!! はしたない格好は止めましょう。亡き父上母上が嘆きますよ!! 」

「又言ってる、誰に似たの? この鬱陶うっとうしいのは。身体だけでも邪魔なのに、あぁうるさい」


 弟の説教にうんざりしたように、紅瑩は茂みから狩り用の簡易弓を手に現れる。

 弟の肩に担がれた晶瑩は、両耳を塞いでいる。

 かなり二人にとって弟は口やかましい存在らしい。

 晶瑩を下ろすと、孔明は姉達を見下ろし、懇々とお説教を始める。


「良いですか? 家長である子瑜兄上がいない今、私に全てを相談とか、あらゆる事を頼って下さいとか大きな事は言いません。兄弟で何とかしていきましょう。ですが、紅瑩姉上」


 瓜二つだが、赤い飾りを着けた上の姉に視線を送る。


「何ですか!! その衣装は!? 折角、折角昨日の晩遅くまでかかって古着を綺麗に繕ったのに、ぼろぼろ……。何を仕出かしたんですか!! それに晶瑩姉上も何です!?その拳に巻いた布は、私が今晩仕上げようとしていたものじゃないですか!! 」


 年子で気の合う二人は顔を見合わせる。


「だってねぇ? 亮の御手伝いをしようと思ったのよ。私たち」

「そうなの。亮が出来るのだから私たちだってできると思って、畑仕事と炊事、洗濯、掃除をしたの」

「そうしたら……」

「そうしたら……? 」


 聞くのが怖いが、聞かなくては何時までもここにいることになると思った孔明は問い返す。


「畑の草抜いてたら、きんが大泣きしてね? 折角芽が出たばかりの大根が……って。あれのどこが大根なの? 双葉のただの雑草じゃないの」


 なけなしのお金で種子を購入し、大事に育てていた孔明は愕然とする。

 その上、


「で、私は、洗い物をしてたら井戸に落として、地面に落ちて、無くなっちゃった」


 あはっと、作り笑いをする翠の飾りをつけた下の姉に、上の姉紅瑩は、


「それよりも洗濯よ、洗濯! 何? 均に聞いた通りごしごし擦ったら、ビリビリっていっちゃったのよ」

「掃除ってどうすればいいの? 私はちゃんと均に言われた通りしたけど、全然綺麗にならないの! 均の教え方が悪いのよ! ねえ? 亮そう思わない? 」

「そうよね? そうよね? 私たち悪くないわよね? ね? 晶瑩」

「そうよね、姉上」


 次々矢継ぎ早に口を開く姉たちに、孔明はぐったりとする。


「姉上……まずは、均はどこですか? 」

「家よ。私たちに帰ってくるなっていうの! 」

「だから、なんとかご機嫌とろうと思って、山に行って狩りしてたのよ。野生の豚だけじゃ許してくれないかしら? でも、野草とかは、私たちと亮は大丈夫だけど均は兄上と同じで毒に弱いでしょう? 」

「本当に貧弱軟弱なんだから、毒くらいほんの少し口にしたって死なないわよね? 晶瑩」

「そうよね、姉上。お腹の調子が悪くなったりくらいよ」


 そんな頑丈なのは、姉上達だけです……。


 真顔で物騒な事を言い放つ姉たちに、心の中で呟き、なんとか気持ちを落ち着かせた孔明は口を開く。


「じゃあ、姉上。帰りましょう。今日は豚鍋でもしましょうか」

「まぁ、本当? 楽しみだわ」

「久しぶりのご馳走。嬉しい! 」


 先に並んで歩き出した姉達を追い、荷物を抱え直した孔明は多分、いや確実に機嫌の悪い弟の待つ家に帰っていった。

 注記を入れます。


諸葛亮しょかつりょう……181~234年。あざな孔明こうめい。『臥竜がりゅう』、『伏竜ふくりゅう』とも呼ばれる。8尺もある長身で、白羽扇はくうせんを持っているイメージだが、当時白羽扇はない。


子瑜しゆ……諸葛瑾しょかつきん。174~241年。字が子瑜。孔明の兄。父の後妻とその娘である異母妹とともに江東に逃れ、後に孫仲謀そんちゅうぼういみなけんに仕える。


きん……諸葛均しょかつきん。字は不明。生没年も正史では不明だが、この三國志では、185~とする。


季常きじょう……馬良ばりょう。字が季常。馬家の4男。眉に白い毛があり『馬家の五常ごじょう白眉はくび最も良し』と言う言葉から『白眉』と呼ばれている。187~223年。(この生まれた年は、正式に記載されたものではない)


幼常ようじょう……馬謖ばしょく。字が幼常。5男。190~228年。『泣いて馬謖を斬る』と言う故事成語も生まれた。

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