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ダメ男三部作

DIGI ESP ver2.0

作者: 高岡たかを

不快な性描写が一部シーンにちょっとあります。

苦手な方はやめといた方が賢明ですよ。


      1


 一年半付き合った彼女に、衝撃的な別れを切り出されて数日。

 ボクは何とか生きていた。

 フローリングに直接寝たせいだろうか。体がギシギシと痛い。

 頭も重いよ。

 霧がかかったみたいだ。

 うへえ。

 大の字に寝そべったまま、ボクはジーンズのポケットから携帯を取り出した。

 ピコピコ。

 何となく眺めていたサイト。

 広告バナーが目に止まった。

 間抜けな操作音の後に液晶に映ったのは、いわゆる出会い系。

 さくらなし。すぐに出会える。ご近所検索。明瞭ポイント制。うんぬんかんぬん。

 『今すぐ登録して!』 

 ぺかぺか点滅する文字にエンター。

 誰でもいい。

 誰かボクと話をしてよ。

 ごめん。やっぱウソ。

 誰でもよくない。

 ボクの事を知らない人がいい。

 ボクの惨めな話を聞いてよ。

 それは本当。



      2



 女の子と付き合うと言う事がイマイチ分からない。

 だから放っておいた。

 ……違うな。放っておいたんじゃないな。

 自分から告っておいて。それはないな。

 どうすれば良いのか、分からなかったんだ。

 どう接すれば良いのか。思い浮かばなかったんだ。

 

 玉砕覚悟で、ぶっきらぼうな言葉を一つ、導火線をチリチリ言わせた爆弾みたいに抱えて向かって行って。

 爆発寸前。胸の中で炸裂する前に、彼女に届けば良いと思ってた。

 でも。

 多分、いや、かなりダメだろな、って思ってた。

 あの子はとても魅力的で、狙ってる奴が多い事だって知っていた。

 だから、多分焦ってたんだ。

 それでも誰かのものになってしまう前に、『今』の言葉を届けたいと思ったんだ。

 告白する前日、友達に宣言した。

 友達の励ましはシースルーで、「多分ダメだな」って望みの薄さが透けていた。

 有志による残念会だって組まれていた。

 先輩の知り合いがやってるオシャレなバーだ。

 そこで野郎が三人集まり、ボクの傷を舐めてくれるのだ。アルコール消毒だ。

 失恋乾杯前の失恋スピーチの失恋的内容だって考えていた。

 えー。わたくしの恋桜は儚くも現実の前に散った訳ですがー。

 なんて言おうと思っていた。

 それなのに。

 五月の緑を爽やかな風が揺らす中。

 真っ赤な顔して、判決を待つボクと。

 普段と変わらない可愛らしい表情の彼女がいた。

 彼女は真面目な顔して言ったのだ。


「いいよ」

 

 って。

 喜びよりも先に、驚きがきた。

 瞬間最高驚愕度は、その日地球上で最高値をマークした自信がある。

 友達も驚いた。


「すげえ! 逆転サヨナラ満塁ホームランだ!」

 

 残念会は祝賀会に代わり、友人たちのおごりとマスターの粋なはからいで、カクテルが次々とカウンターを滑っていった。

 他のお客さんも巻き込んで大騒ぎ。

 ジーマの瓶と、モスコミュールのグラスが鳴り、ボクは苦笑い。

 ラムコークで苦笑い。

 スクリュードライバーで苦笑い。

 ショットガンで飲み比べて、マスターがネオンの明かりを落とす頃、ボクはトイレで便器と合体していた。

 目と鼻の先にあるトイレのため水を見つめながら、思った。

 玉砕するはずだった告白と「いいよ」の返事。

 どうしてだろう。

 どうしてかな。

 まさかの事態だ。想定外だ。

 ――ボクは、気持ちを伝えるだけで十分だったのに。

 ――彼女は、笑って「ごめんね」の一言を返せば十分だったのに。

 いや、いっそもっと辛辣に、酷い事を言われてもボクは平気だったのに。

 フラれた時用の防御策を何重にも用意していたのに。

 すごい嬉しいはずなのに。

 すごい不安なんだ。

 彼女とうまくやれる自信が無いんだ。

 脳がアルコールにやられてる自覚はあるのに、心はまるで酔ってくれない。

 ふわふわして、現実感がない。

 夢じゃないの? やっぱそうかな?

 そのくせ、嘔吐感だけはひっ迫した現実そのもので。

 ボクは何度も便器と仲良くしていた。いっそ愛し合ったと言ってもいいくらいだ。便器とだけど。

 ようやく便器と分離したボクに、申し訳なさげなマスターはミネラルウォーターを出して言った。


「自然にしてれば良いんだよ」


 その『自然に』ってのが難しいんですよ。

 胃酸ですっぱくなった喉を流れるヨーロッパのアルプス生まれの水は、冷たいけれど硬くて、ガラスの粒みたいだった。

 翌日は二日酔いで、一日中布団と仲良くしていた。

 

 


 『自然に』はできなかった。

 ぎこちないながらも手探りで、ちょうどいい距離を探す事すら出来なかった。

 彼女とボクの間には、いつも別の誰かのためのスペースがあった。

 日替わりの三人目が間に入ってくれて、ようやくボクたちはバランスが取れた。

 不均衡で不自然なシーソーゲーム。

 きっと退屈だっただろうな。

 だって仕方ないじゃないか。

 何をすればいいのか。何を話せばいいのか分からないんだから。

 そんなボクに、先日ついに彼女は愛想を尽かした。      

 当然だと思った。

 いっそさ。


「――他に好きな人が出来たの」


 なんて言ってもらえれば。

 惨めなピエロを演じる事もできたのに。

 あの日できなかった残念会をできたのに。

 ボクたちの関係の終末は、空中分解に似ていた。

 空に散華する派手さも無く。ただバラバラになって落ちていった。

 紙飛行機が落ちて行くように。

 地味に自然に。

 落下速度に捕まった。

 落ちて行ったのはボクだけだ。

 彼女はボクを高い場所から見下ろしている。

 別れに二回手を振って。

 風に巻かれて消える言葉は「ばいばい」。

 プリズムの中に消える彼女の影を見上げ、ホッとしている自分がいた。

 そしてボクはアパートの床に落着する。

 傷ついている自分よりも、安堵している自分の方が大きかった。

 これで終わりだ。

 これが、あるべき姿だ。


「一ヶ月もたんと思ったのに、一年半ももった。スゲー。頑張ったオレ」

 

 こんなんだからフラれたんだな。きっと。

 ああ。それともう一つ。

 このどうしようもなくやりきれない感情の根底にも気づいてた。

 自己嫌悪だ。



      3



 出会い系サイトで〈あの子〉と出逢った。

 気分がどん底なフラれてから三日目の出来事。

 その間、ボクはフローリングに寝そべったまま、ほとんど動かなかった。

 頭が痛い。足と頭が同じ高さのせいだ。だから血が溜まる。

 それでも、身体を動かすだけのエネルギーがまるで足りていなかった。

 なんだか、田舎のじいちゃんちの納屋に置きっ放しだった原付を思い出した。

 古くて埃を被ってて。タイヤの空気はペシャンコで。

 

「ガスがねえから動かねえよお」


 と、じいちゃんは言ったけど、ボクは知っている。

 原付にガソリンを入れるだけじゃダメなのだ。

 動かそうという気持ちがまず欠けていた。

 今のボクにも欠けているのも間違いなく同じものだ。

 

 これから、その出会い系で知り合ったコの事を〈あの子〉と便宜上呼ぶ事にする。

 〈あの子〉は登録したネームを名乗ったけれど、多分、と言うか100パーセント偽名だと思う。

 〈あの子〉はメールを送ると、返信はすぐに来た。前の彼女とは正反対。だからどうって話じゃないけど。

 ボクと〈あの子〉はその日の内に色々な事をメールで話した。

 内容はあんまり覚えていない。

 って事はどうでもいい内容だったんだな。

 ああ、一つだけこんな話をしたっていうのを思い出した。

 それは、つい三日前、ボクが彼女にフラれたばっかだって事。

 不幸自慢ってやつ。

 泣き言だったと思う。

 切り出した時、もしかして返信が来なくなるんじゃないかと不安になった。

 たっぷり十五分の時間をかけて、メールは返って来た。

 空白の十五分間は、〈あの子〉が内容を考えるのに必要な時間だったんだと思う。

 少なくとも、ボクはそう信じよう。

 メールの返信内容に、不必要な慰めの文言は無かった。

 淡々としている、と言ってもいい。

 ちょうどいい相手が見つかった、と思った。

 薄暗い自我の井戸か地下牢の奥底。

 とにかく、地上よりも低い場所。

 高い場所に手の届かない窓を見つけた気がした。

 窓には鉄格子がはめられている。

 窓の大きさは携帯の液晶と同じ大きさだ。

 窓からこぼれる『外』の光は、フローリングでガス欠になったボクに射し込んだ。

 



      4



 その日の夜、ボクは別れたばかりの彼女をオカズにオナニーをした。

 食事を摂る気力はないのに、そういう事をする元気はあった。

 全部一緒くたになって出て行ってしまえと思った。

 なにもかも。一切合財。心の総棚卸し。失恋閉店大セールだ。

 フローリングに寝たまま、出来る事を一つしか思い浮かばなかったのだ。

 もう、もう、もう!

 確実にボクは自棄になっていたのだと思う。

 いつか触れられずに空を掻いた指先はボク自身をなぞった。

 何を。何をしているのやら。ボクは。

 尻丸出しでモゾモゾして。

 気持ち悪い。ああ気持ち悪い。

 醜悪だ。滑稽ですらある。

 自分の醜さに耐えられそうにない。

 頭が痛い。

 ついに負けた。

 とたんに込み上げてくる吐き気。

 胃が収縮して喉がつまる。

 とっさに手で口を押さえた。

 腐の臭い。

 垢じみた臭い。

 吐き気促進。

 吐きそう。

 吐いた。

 オエー。

 食事をろくに摂ってないせいだ。

 胃液しか出てこないよ。

 口の端から垂れた透明な糸が、蛍光灯の黄ばんだ光を浴びてテラテラと輝いていた。


「……いっそ死ねばいい」


 携帯が鳴った。

 とらなくても分かる。〈あの子〉だ。


『そんな事するから。やめときゃいいのに』

 

 スゲー。

 何で分かったんだ?

 訊いてみる。


『エスパーだから』


 ウソだろ。

 ジョークだとしても、全然面白くない。

 なのにボクは少しだけ笑った。



      5



 翌日、ボクは久しぶりにアパートを出た。

 昨夜、最後のメールで〈あの子〉が会おうと言ってきたからだ。

 そう言えば、あのサイトのウリは、近所で出会えるって事だったな。忘れてたけど。

 日の光が目に痛い。

 繁華街を歩いて待ち合わせの場所に。

 大通りのスクランブル交差点に面したショッピングビル前は、この街で暮らす若者にとって待ち合わせのメッカだ。

 噴水を囲むように、同じ目的らしき人たちがたむろしている。

 約束の時間よりも三十分も早く着いてしまった。

 なんとなく、ショッピングビルの入口を見た。

 ガラスと鏡。水が流れる人工大理石のオブジェ。ショーウィンドゥ。夜はイルミネーションになるライト。外壁には大きな広告。この夏流行の最先端。

 広告用に何倍にも拡大されたモデルの女の子が、どこか遠い所を見ていた。

 この大広告は月替わりで交代する。先月、どんな女の子がどんな服を着て壁を飾ったか、記憶している人間なんていないだろう。

 ビルの中には、十代から二十代の女の子をターゲットにしたテナントがパツンパツンに詰まっているのを知っている。知識としてだけど。中に入った事なんて一度もないのだ。

 多分、このビルの入口には男を払いのける見えないバリアーがあるんだ。

 ビルを見るのに飽きたボクは、ベンチ代りにされる噴水の縁に腰かけ、人の流れを眺めた。

 信号が青になり、スクランブル交差点が人でごっちゃになる。

 どうしてこんなに人がいるのだろう。

 カップルの多さが目に付いた。

 どうしてこんなに人がいるのに、彼ら彼女らは誰かと付き合う事ができたのだろう。

 不思議でしかたがなかった。

 たとえば、ボクの目の前を通り過ぎたあのカップル。

 楽しそう。笑ってる。

 ねえ。教えてよ。どうしてそんなに自然にできるの?

 人を好きになるって、どういう事なんだろう。

 携帯が鳴った。


『ついたよ。青い服。メガネ』


 周囲を見た。青い服の女の人なんて、けっこういるよ。分からないよ、と思っていると、すぐそこに女の人が立っていた。

 

「あなたがユーレイさん?」


 ユーレイって言うのは、サイトに登録した時に付けたボクの名前だ。本名をもじって付けたんだけど、言いえて妙だと思う。

 確かに登録した時のボクは限りなく幽霊に近い場所にいたのだから。 

 女の人は、ボクより少し年上に見えた。長い黒髪に細い銀フレームのメガネ。知的な美人って感じ。

 正直、どんな人が〈あの子〉でもボクは驚かなかったと思う。たとえが五十過ぎのパーマでメタボなオバサンが現れても動揺を隠しきる自信があった。

 でも、これはちょっと予想外。

 嬉しい誤算だと思うのは、ダメかな。


「そうです」


「本当に幽霊みたい」


 〈あの子〉はボクの顔を見て言った。向こうはガッカリしたのかな。ごめんね。イケメンじゃなくて。

 

「行こうか。ユーレイさん」


「どこへですか?」


「お茶でもしに」


 〈あの子〉はショッピングビルを指さした。

 バリアーを通り抜けるのは、思ったよりも簡単だった。



    6

 



 華やかなショップが並ぶビル内は冷房が効いていてた。

 空気が20℃以下である事は疑いようがない。30℃以上を想定した薄着の女の子たち。寒くないのだろうか。

 去年のヒットチャートを賑わせたナンバーがオフボーカルで流れている。知った曲なのにタイトルが思い出せなかった。

 空気そのものがまるで違う気がした。空調でキンキンに冷やされた空気が、ボクを異物として排除しないか心配だ。

 ああ、でも意外と男もいるな。みんな彼女連れだけど。

 ボクらも、傍から見たらカップルに見えるのだろうか。

 少し考えて、見えないだろうなあ、と自嘲。良くて、『姉に連れられて場違いな場所に来た弟』だろう。

 エスカレーターを二つ昇って、階段を二階分上がった。

 〈あの子〉に連れられて来たのはカフェだった。

 窓際にテーブルに通されると、スクランブル交差点が見下ろせた。


「この店、よく来るんですか?」


「ううん。二度目」


 メニューを見て、アイスコーヒーを注文した。

 全部英語で書かれていて、読めるのがココアとコーヒーくらいだったのだ。

 〈あの子〉はアイスカフェオレ。

 飲み物が届くまで、無言の時間が有った。

 〈あの子〉がカフェオレにストローを突き刺した。カラン、と氷がグラスに当たる音。


「辛い?」


 ボクは正直に答えた。

 辛い、と。

 アイスコーヒーにミルクを垂らす。マーブル模様が出来上がった。

 、

「彼女の事、まだ好きなの?」


 何て事聞くんだと思った。

 アイスコーヒーにシロップを垂らす。


「……多分。好きです。彼女の事。まだ。多分」


 自信のなさが、単語の間に接続詞の代わりに漂っていた。


「そう」


 落ち着いた声。

 メガネの奥の瞳は、それこそ不甲斐ない弟を見る姉のものだった。

 ああ、大人なんだ。この人は。そう思った。

 

「どうして辛いと思うの?」


 分からない。

 でも、なんだか宙ぶらりんな感じがするんだ。

 彼女に別れを告げられた時、空中でバラバラになったのに。

 落下速度に捕らわれて。

 落ちているのに。

 地面はもう見えているのに。

 いつまで待っても、地表が近付いて来ないんだ。

 寒くて痛いんだ。

 終わっているのに。終わりが見えない。


「ふうん」


 〈あの子〉が長い髪をかき上げた時、ピアスが見えた。

 小さな星。

 銀色の輝きに一瞬目を奪われ、〈あの子〉が席を立った事を認識できなかった。


「お姉さんが、おごってあげる」


 ボクが何かを言う前に、白く細い指が注文票を引き抜く。


「このお店に行けばいいよ」


 代わりに差し出されたのは、メモ帳を千切って作った地図だった。この辺りを簡略して書いたものだ。

 それで? それでどうなるの?


「あなたは地面に激突する。お望みどおり」


 

      7



 とりあえずボクは〈あの子〉が教えてくれた店に行ってみようとした。

 なぜまだ行ってないかって?

 一応店の前まで行ったんだ。

 だけど入らなかった。

 そこには、ついこの間までボクの彼女だった女の子がいた。

 ボクの知ってる男の前で。

 ボクの知らない笑顔で。

 これは入れない。

 とてもじゃないが無理だ。

 

 逃げるように走って帰った。

 違う。この期に及んでカッコつけるのはよそう。

 本当に逃げたんだ。



      8



 途中で何度も吐いた。

 やっぱり胃液しか出てこない。

 吐いたばかりなのに何故かカラカラの口を拭った。

 消えない吐き気に押されてまた吐いた。

 電柱に額を押しつけているとジーンズのポケットで携帯が鳴っていた。

 〈あの子〉だ。

 内容は短く一言。


『気分はどう?』


 最悪だ。

 ボクの中、何かが途切れた。

 同時に辛うじて熱を持っていたものが急速に温度を失っていく。

 そのくせ、頭の中は融解寸前だった。

 どうしようもなくて吠えて吼えて咆えて。

 吐いて叫んで、また走る。

 全力疾走で全力遁走。

 耐えられると思っていた。

 防御策だって用意していた。

 ピエロだって演じられると思っていた。

 でも無理だ。

 これは無理だ。いざ、その決定的瞬間を目撃してしまうとダメだ。

 耐えられない。

 耐えられるわけがない。

 防衛策だと? 笑わせるな。何の意味もなく突き崩されたじゃないか。

 超ヘビー級な現実のパンチ一発でボクはノックアウトでダウンじゃないか。

 ピエロだと? ピエロにすらなれない。

 どうしようもなく惨めな男が一人。

 意味不明な事を喚き散らしながらみっともなく走ってるだけじゃないか。

 まあ、ある意味、これ以上ない道化だがな! 

 笑っていた。

 あっはっはっは!

 笑え笑え! みんなも笑え! ボクを笑え。ボクを見て笑え。

 惨めなボクを笑え。

 お願いですから、ボクを笑って下さい。お願いです。

 脳裏に閃く彼女が笑っていた。

 彼女の隣にいた男が嗤ってた。

 〈あの子〉も。あいつもこいつもみんなみんな。 

 オールキャストで笑っていた。

 大爆笑だ。

 ……何がそんなにおかしいんだ!

 こっちは笑いごとじゃないんだよ!

 分かっている。

 分かっている!

 ああ! 分かっていたさ!

 これが彼女にとって、ベストなんだって事はさ!

 ボクなんかよりも、彼女に相応しい男がいて、ソイツが彼氏になった方が何万倍も彼女のためになるって!

 だけど納得しないんだ!

 何かが納得できないんだ!

 なんでボクはこんなダメな奴なんだ! 

 何か知らんがまた吐いた。

 オエー。



      9



 家に逃げ帰ったボクは、やっぱり大の字になって天井を眺めていた。

 何時間こうしていたかは分からない。

 だけど、カーテンを閉め忘れた窓から見える外はもう真っ暗だ。

 半分欠けた月が見える。

 ポツリと呟いた。


「もう、死ねばいい……」


 またポケットの中、携帯が鳴った。

 今、ボクにメールをするような人間は、〈あの子〉しか思いつかない。

 面倒くさかったが、一応内容確認。

 やっぱり軽い調子で一言。


『じゃあ死ねば?』


 ボクの心は決まった。


 

      10



 時刻は深夜の十一時五十九分。

 ボクは三階の自分の部屋の窓を開けた。

 顔を出して下を見る。

 夜は暗色のアスファルトを隠してしまい、よく見えなかった。


「……あいきゃんふらーい」


 強がりで絞った声は上ずっていた。

 携帯の時計を確認。

 サッシに足をかける。

 零時ちょうど。

 テイクオフ。


 

      11



 飛んだ。



      12



 君に伝えたい事がある。

 こんなボクでごめん、と。

 こんな方法しか選べないボクをどうか許してほしい。

 相変わらずバカな奴だと笑ってほしい。

 そして飽きずにボクを見てほしい。

 たまにでいい。気が向いた時でいい。

 遠くからで構わない。

 

 誰かがいる事。いてくれる事。

 

 それだけで充分だ。


 



      13



 夜天。

 空中でボクの体は変な方向にねじれていた。

 天地が逆転した視界で見てみれば、右足のジーンズの裾がサッシに引っかかっていた。

 ゼロコンマの静止の後に来るのは――

 鈍い音と硬い衝撃。

 首。

 いや、正確には肩から落ちた。

 うおおおお痛ぇええええっ!

 硬いアスファルトの上で上半身が一回バウンド。肺から空気が抜けていく。

 一瞬遅れて腰から下が地に着いた。

 がああああコッチも痛ぇえええええっ!

 激痛のあまり、深夜の路上を転がりまわるボク。

 股の間が温い。物理的衝撃と精神的ショックで、小便が漏れたみたいだ。おもらしなんて小二の時以来だなあと、どこかノンキな心がほざく。


「ぐはあああああ、痛え! 息できない――ってアレ!? 息できる! 良かった! 生きてる! 生きてる!! ボクは生きてる!」


 ボクの顔先数十センチ先で、ポケットから飛び出していた携帯が鳴った。着メロが少し濁っている。壊れた?

 メールの送り主はやっぱり〈あの子〉。

 割れて液晶が漏れ、黒に塗りつぶされた画面は見にくかったが、言いたい事は分かる。


『生きていて良かったね』


 本当に良かった。 

 割れた液晶と一緒、半分欠けた月を、社会の底辺から見上げて、心からそう思った。

 月はすぐに涙で滲んでボヤけていく。

 声も無く泣いた。

 


      14



 首がそれこそ死ぬほど痛かったが、医者には行ってない。

 そのせいだろうか? 首が変な方向を向いたまま戻らなくなってしまった。おかげで寝にくいったらありゃしない。

 窓から飛んで気付いた事がある。

 今からその一つを確かめに行こうと思う。

 大通りのスクランブル交差点に面したショッピングビルの前。待ち合わせの定番と言えばここ。

 今日会う約束はしていないが、必ず来ると思っていた。

 昨日と同じように、噴水の縁に腰かけて人を探す。

 ……来た。


「もう、幽霊じゃないね」


 長い黒髪の女の人。

 電子の出会い場で、知りあった優しいお姉さん。


 ボクは頷く。


「行くのね。彼女の所に。辛い思いをすると分かっていても」


 分かってる、とボクは思った。

 念じる。〈あの子〉に届けと。

 窓から飛んだ瞬間、ボクの中は彼女でいっぱいになって埋め尽くされて塗りつぶされた。

 こんなにも彼女がボクの中にいたなんて、知らなかった。

 走馬灯なんてウソだ。

 地面に叩きつけられて。

 地面から月を見て。

 生きていて良かったと思った。

 そして泣いた。

 ボクを囲っていた殻は落下の衝撃で粉々に砕けて散った。

 残ったのは生身のボクだ。


 ボクは自分の事ばっかり必死で。

 ちっとも彼女を見ようとしなかったんだ。

 大切な人のはずなのに。

 彼女を直視せず。

 思いやりを持つ事すらできなかったんだ。

 彼女を一人の人間として見ず、まるで記号か何かだと思ってたんだ。彼女の人間の尊厳を、ボクはないがしろにしていた。

 あの日。OKをもらった日。

 ボクは素直に喜ぶべきだったんだ。

 誰かに気持ちが届いた喜びを、噛みしめ、尊び、感謝するべきだったんだ。


 〈あの子〉は優しく微笑んだ。


「キミの好きな人はね。今、バス停でバスを待ってる。今からでも急げば間に合うかも」


 ボクは立ちあがった。

 頭を下げる。

 どうやら本物の超能力者であるこの人には、念じれば気持ちを伝える事ができるらしい。

 でも、それじゃダメなんだ。

 ちゃんと言葉にしなければ、ダメなんだ。

 

「ありがとうございます。ボクの話を聞いてくれて。アナタに会えて、本当に良かったです」


 〈あの子〉の手が、ボクの頭を撫でた。


「行ってこい!」


「はい!」


 


      15



 ボクは走っていた。

 首が痛む。

 息が切れる。

 だけど止まらない。止まるわけがない。止まる理由がない。

 吐き気がした。

 なけなしの根性で我慢。

 昨日までの言い訳だらけのボクはいらない。

 難しい事なんてなにもいらない。

 邪魔するものは全部窓から飛べ!

 今は再び灯った自分の中の熱を信じるしかないじゃないか。

 だから――

 人波の向こうのバス停、何度も想った女性の姿。

 ボクは有りったけの勇気でもう一度飛んだ。




              【おわり】   


ありがとうございました。

当作品は、過去拙作『短編集04【Life-Live】』収録作『DIGI ESP ver1.0』の言わばパワーアップ版です。

『ver1.0』の方も見ていただけるとうれしいですね。

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