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異世界料理道 --外伝集--  作者: EDA
前伝 黎明の森

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02 推察

「……昨日の家長会議では、ドムの長兄が参じていた。かつての家長であった父は、ギバ狩りのさなかに魂を返してしまったのだそうだ」


 ジバ=ルウの父たる家長がそのように告げてきたのは、青の月の十一日の夜のことであった。

 その前日は家長会議で、ガゼの集落まで出向いていたのだ。今日の中天に戻ってきた父はそのまま森に入り、狩人の仕事を果たしたのち、こうして晩餐を囲んでいた。


 ルウ本家の家人は、五名。父と長兄と次兄とジバ=ルウ、そして長兄の伴侶である。父の言葉に目を丸くしたのは、長兄と次兄であった。


「ドムの家長が、魂を返しただって? あの、ガゼの族長に次ぐほどの力量だと言われていた勇者が?」


「それに、ドムの家長は父さんと変わらないぐらいの齢だったよね?」


「うむ。詳しくはわからぬが、狩りのさなかで刀が折れてしまったらしい。なまじ腕力に秀でていると、刀の負担が増すのやもしれんな」


 父の言葉に、長兄は恐れ入ったように首を振った。


「鋼の刀が折れるだなんて、信じられないな。でも、ドムの家長だったらありえる気もする」


「うむ。鋼の刀とて、決して折れないわけではないのだ。お前たちも、決して慢心するのではないぞ」


「見習いの俺は、まだ手斧だけどね。でも……刀が折れてしまったら、買い替えるのも大変だね。鋼の刀は、赤銅貨三百五十枚もするもんね」


 赤銅貨三百五十枚といえば、ギバ十四、五頭分に値する額である。それも、すべての角と牙が大ぶりで、毛皮も傷ついていない状態でのことだ。生きるのに必要な銅貨を確保しながらそれだけの銅貨を準備するのは、決して生易しい話ではなかった。


「ドムの家長は魂を返してしまったのだから、刀を買い替える必要もあるまいが……まあ、大きな痛手であることに変わりはない。それ以上に、家長を失ってしまったのが一番の痛手であるがな」


「ああ。きっと新しい家長は、俺とそれほど齢も変わらないぐらいなんだろう? それで、家長が務まるのか?」


「うむ。家長会議では、見事な立ち居振る舞いを見せていたぞ。お前にも、見習ってほしいところだな」


 父が優しい眼差しを見せると、長兄は「ちぇっ」と舌を鳴らした。


「いざとなったら、俺だって力を尽くしてみせるよ。でも、父さんが魂を返すだなんて考えたくもないな」


「俺とて、むやみに生命を散らすつもりはない。しかし、どれだけの力を持つ狩人でもいつ魂を返すかはわからんのだ。ドムの家長が、身をもってそれを証明したということだな」


 厳粛な眼差しを取り戻しながら、父は煮汁をすすりこんだ。

 今日の晩餐も、ギバの足肉とアリアとポイタンの煮汁である。収穫祭や婚儀の祝宴では肉やアリアを焼くこともあるが、日々の晩餐ではこれが通例であった。


「それに、ギランも家長を失ったため、氏を捨てることになった。残された家人は、親筋のハヴィラの家人になるそうだ」


「また氏が減ってしまったのか。毎年、ひとつは氏が滅んでいるな」


 長兄が溜息をつくと、次兄が考え込むような顔をした。


「そうしたら、ギランは男衆の名になるんだね。シュティファにギラン=シュティファっていう女衆がいたはずだけど、それはかまわないのかな?」


「氏が滅んだからといって、すでにある名を捨てさせるわけにもいくまい。氏が滅んでしばらくは、男女で同じ名を持つこともありえるのだ」


 そんな風に言ってから、父親も溜息をついた。


「しかし、こうも立て続けに氏が滅ぶようであれば、考えものだな。氏にある名を子に与えるのは、しばらく控えるべきであるかもしれん」


 すると、長兄の伴侶がびくりと身をすくませる。

 それに気づいた長兄が、心配げに呼びかけた。


「おい、大丈夫か? いちいち気を立てる必要はないのだぞ」


「……はい。申し訳ありません」


 長兄の伴侶は、弱々しく目を伏せる。生まれて間もない愛し子を『アムスホルンの息吹』で失って以来、彼女は心がまいってしまっているのだ。今でも日中は臥せっていることが多く、家の仕事はジバ=ルウがひとりで切り盛りしているのだった。


「他に何か、楽しい話はなかったの?」


 次兄が場を取り成すように声をあげると、父は「そうだな」と重々しく答えた。


「正直に言って、心の浮き立つような話はない。それに、氏族の力の差というものが浮き彫りになってきたようだな」


「氏族の力の差?」


「うむ。いずれの氏族においても豊かな生活などは望むべくもないが、ナハムやダイやダゴラなどは日々の食事にも困っている様子だった。そういった氏族は眷族もおおよそ絶えてしまっているため、いずれは他なる氏族と血の縁を結ぶしかないやもしれんな」


「親筋の座を捨てて、他の氏族の眷族になるということ? それは……氏を捨てて親筋の家人になるよりも、いっそう誇りが傷つけられそうだね」


「生きるためには、しかたあるまい。誇りよりも、生命を重んじるべきであるのだ」


「でも」と声をあげたのは、長兄である。


「生きていくには、誇りも必要だ。他の氏族の眷族に成り下がるなんて、そんな恥をさらすのは絶対に御免だ」


「わかっている。ただ、親筋の座を捨てる氏族を見下してはならんということだ」


 父が厳しい眼差しを見せたため、長兄も次兄も背筋をのばした。


「このルウとて、もはや眷族はドグランとシュティファしか残されていない。豊かな生活を求めるには、いずれ他なる氏族と血の縁を結ぶ必要があろう。そして、親筋の座を譲らないというならば、他なる氏族を眷族として迎える他ないが……そういった氏族を見下すことは、許されんのだ」


「わ、わかってるよ。眷族として迎えれば同じ血族なんだから、見下すわけがないだろう?」


「では、他なる氏族が我々の眷族を見下したならば、何とする?」


「……自分の血族を見下されたら、腹が立つ」


「であろう? よって、こちらも余所の血族を見下してはならんということだ。お前が誇り高く生きようとしているのは立派なことだが、氏を捨てることを恥などと考えることは控えておけ」


 父が眼光をゆるめると、長兄は深々と息をついた。


「俺は父さんから、もっとさまざまなことを学ばなくてはならない。どうか長く生きて、俺を導いてくれ」


「ふふん。今日はずいぶんと、しおらしいではないか」


「ドムの家長の話を聞いてしまったからな。俺はまだ、覚悟が足りていなかったのかもしれん」


 長兄が思い詰めた目つきになると、父はいっそう優しい眼差しになった。


「俺が十六歳の頃よりも、お前はよほど立派にやっている。しかしこのモルガの森においては、これまで以上の力や覚悟が求められるということだ。若いお前たちには気の毒な話だが、大きな試練はいっそう人間を鍛えることだろう」


「ああ。俺は絶対に、家族と血族を守ってみせるよ」


 そんな言葉とともに、長兄は空になった木皿を敷物に置いた。

 鉄鍋の中身も、すべて空になっている。ジバ=ルウは空になった木皿を集めながら、初めて発言した。


「ねえ、父さん。黒き森で暮らしていた頃も、ドムの家長みたいに立派な狩人が魂を返すことはあったの?」


「うむ? それはもちろん、ありえん話ではない。黒猿とて、ギバに劣らぬ危険な獣であったのだからな」


「そう。それじゃあ、毎年のように氏が滅んだりすることはあった?」


 父は眉をひそめつつ、ジバ=ルウの顔を見返してきた。


「ジバ。お前は何を考えて、そのような言葉を口にしているのだ?」


「あたしはただ、森辺の行く末が心配なんだよ。五年が過ぎて生活は落ち着いたのに、不幸な話ばかりが続いているからさ」


「女衆が、そのような話を気に病む必要はないぞ」


 そのように声をあげたのは、父ではなく長兄である。

 いっぽう父は、真剣な眼差しでジバ=ルウを見つめていた。


「お前は聡明だから、身に余る不安を抱えてしまうこともあろう。しかし、族長を筆頭にあらゆる人間が力を尽くしているのだから、いずれ正しき道が開けるはずだ。お前は案じることなく、家のために力を尽くしてくれ」


「うん……族長は、壮健なんだよね?」


「うむ。族長は、驚くほどの牙と角を首から下げていたぞ。誰もが鋼の刀を扱うようになった現在でも、やはり族長の力は図抜けているのだ」


 父と兄の首にも、いくつかの牙と角が下げられている。必要な品を買ったのちに牙と角が余ったならば、そうして狩人の胸が飾られるのだ。それもまた、狩人の誇りであるのだった。


 そして、女衆の首には三本の角や牙が下げられている。これも黒き森の時代から続く習わしで、家人を守るための護符である。貧しき氏族においては、女衆や幼子に護符を与えることもできないぐらい生活が苦しいのだという話であった。


(あたしたちは、余所の氏族よりも恵まれている……でも、まだ何かが足りていないんだ)


 ジバ=ルウが護符をまさぐりながらそんな思いに沈んでいると、父が粛然と言葉を重ねた。


「族長にも新たな子が育っていないため、そこはいささか心配なところだが……しかし族長も、俺と変わらないていどの齢であるはずだからな。族長が魂を返す頃には、きっと血族の中に力のある跡継ぎが育っていることだろう」


「……それなら、よかった」


 ジバ=ルウは内心の思いを押し殺しつつ、父に笑顔を返した。

 そうして木皿を詰め込んだ鉄鍋には水を注ぎ、土間に置いておく。これを水場で洗うのは、明朝の仕事だ。あとは、明日に備えて眠るばかりであった。


「それじゃあ、また明日な」


 次兄はジバ=ルウの肩をぽんと叩いてから、寝所に向かっていく。

 ジバ=ルウが生誕の日を迎えるまでは、父や次兄とともに眠っていたのだ。十歳になったら男女で寝所を分けるというのも、ルウ家の習わしであった。


 自分の寝所にこもったジバ=ルウは、寝具の上にぺたりと座り込む。

 木造りの、立派な母屋である。モルガの森に移り住んですぐの頃は黒き森の時代と同じように枝と葉を重ねる家をこしらえていたが、この地は強い雨が降ることが多く、年に一度は雨季というものもやってくるため、この頑丈な家の造り方を南の民から指南されることになったのだ。


 この家ばかりでなく、森辺の民の生活は大きく変容した。

 森の恵みを口にすることも、自分たちで装束をこしらえることも禁じられて、ひたすらギバを狩っている。家に残る女衆は、ギバの毛皮をなめし、薪を割り、ピコの葉を日干しにして、干し肉や食事を作りあげる。あとは、水場で洗い物をしたり、蔓草を編んで縄を作ったり、時には草籠を編む日もあったが――黒き森で過ごしていた頃よりも、遥かに単調な日々であった。


(あたしは五歳になったばかりだったけど、豆や果実を収穫する仕事を手伝ったりしてたっけ。黒猿は森の奥にしか出なかったから、もっと自由に森を行き来できたもんな)


 そういった生活の変容に、不満があるわけではない。ジバ=ルウとて過酷な旅を体験しているのだから、現在の生活がどれほど恵まれているかも実感しているつもりであった。


 ただ――森辺の集落の雰囲気は、どこか澱んでいるように感じられる。

 少なくとも、晴れ渡ってはいないだろう。赤ん坊はなかなか育たず、ギバ狩りや病魔でじわじわと家人が減っているのだから、それも当然の話であるのだ。そして、家長会議の様相を聞く限り、もっと暗鬱な日々を送っている氏族も少なくないようであった。


(森辺に集落を切り開いていた頃は、もっと活気があったはずだ。でも、五年が過ぎて、生活が落ち着いて……このモルガで暮らす本当の大変さが降りかかってきたっていうことなのかな)


 そうしてジバ=ルウがひとり溜息をついたとき、戸板が外から叩かれた。


「ジバよ。まだ起きているか?」


 それは、父の声であった。

 ジバ=ルウが「うん」と答えると、戸板を開いた父が踏み入ってくる。月明りの中でも、父が真剣な眼差しをしていることが見て取れた。


「どうしたの? 何か、お説教?」


「うむ。時には、お前を説教してみたいものだな」


 寝具に座ったジバ=ルウと向かい合う位置で、父も腰を下ろした。


「お前こそ、俺に何か話があるのだろう? ここならば余人の耳もないので、遠慮なく語るがいい」


 ジバ=ルウが「え?」と身じろぐと、父は同じ眼差しのまま微笑んだ。


「お前は明らかに、気持ちを押し殺していたからな。何か、他の家人には聞かせたくない話があったのだろう?」


 しょせん十歳の身であるジバ=ルウの内心など、父はお見通しのようである。

 ジバ=ルウは観念して、秘めていた言葉を語ることにした。


「あのね、あたしはまだ宿場町に下りたことがないんだけど……町には、薬が売っているんでしょう?」


「うむ。俺たちが買い求めているのは、血止めと腐り止めの薬ぐらいだがな。熱さましにはロムの葉を収穫することが許されているので、用は足りている」


「でも、病魔を退けるための薬とかはないのかなぁ? たとえば……『アムスホルンの息吹』とか」


 父親は、うろんげに眉をひそめた。


「『アムスホルンの息吹』に見舞われた幼子は、熱を出す。それこそ、ロムの葉で処置しているだろう?」


「うん。それ以外に、もっと立派な薬はないのかなと思って……」


「黒き森で過ごしていた頃も、森辺の民はロムの葉しか使っていなかった。何故お前は、他にも薬があるなどと見当をつけたのだ?」


「だって、この五年間でたくさんの赤子や幼子が魂を返してしまったでしょう? さっき父さんも、族長には新たな子が育っていないって話していたし……黒き森で暮らしていた頃は、こんなにひどくなかったはずだよ。だから、あたしたちは知らない内に『アムスホルンの息吹』に効く香草か何かを口にしていたんじゃないかなぁ?」


 父親は、意表を突かれた様子で口をつぐむ。

 ジバ=ルウとしては、最後まで語るしかなかった。


「あたしたちは黒き森で暮らしていた時代、さまざまな実りを口にしていた。でも、モルガの森ではギバ肉とアリアとポイタンと、塩やピコの葉しか口にしていない。だから、食べるものに原因があるんじゃないかって考えたんだけど……どうだろう?」


「……確かに、こうまで赤子や幼子が立て続けに魂を返すというのは、かつてなかったことだ。この何年かはひどく飢えることもなかったので、俺もいささかいぶかしく思っていた」


 父は真剣な声でつぶやいてから、ふっと眼差しをやわらげた。


「それでお前は、家人の耳をはばかったわけだな。『アムスホルンの息吹』の話を出せば、長兄の嫁が気落ちすると案じたわけか」


「うん。あと、兄さんは余計な銅貨をつかうことを嫌ってるしね」


「それで赤子が救われるのならば、決して余計なことではない。そして、それを判ずるのは家長である俺だ」


 父はひさかたぶりに、ジバ=ルウの頭に大きな手の平をかぶせた。


「お前は聡明である上に、優しき心根をしているな。俺の子としては、出来すぎなほどだ」


「そ、そんなことないよ。あたしには、余計なことを考えることしかできないから……」


「だから、余計ではないと言っている。次に女衆が宿場町に下りる際には、お前も同行するといい。そして、『アムスホルンの息吹』を退ける薬が存在するかどうか、確かめるのだ」


「え? あたしは十歳になったばかりだよ?」


「十歳であれば、もう幼子ではない。そしてお前は、齢よりも大きく成長しているからな」


 そう言って、父はジバ=ルウの頭を優しく撫でる。

 十歳となったジバ=ルウも、そろそろそういったふれあいを気恥ずかしく感じる年頃であったが――この夜は、父の温もりが愛おしくてならなかった。

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