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異世界料理道 --外伝集--  作者: EDA
前伝 黎明の森

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第2章 01 新たな生活

2026.1/28

今回の更新は全8話です。毎日更新いたします。

「ジバ=ルウ。薪割りだったら、俺も手伝うよ」


 そんな風に呼びかけてきたのは、眷族たるドグランの次兄ラック=ドグランであった。

 薪割りのために手斧を振りかざそうとしていたジバ=ルウは、小首を傾げながらそちらを振り返る。


「あたしは、ひとりで大丈夫だよ。今日に限って、どうしたの?」


「うん。だって、今日からジバ=ルウはひとりで家の仕事を果たさないといけないんだろう? それじゃあ、大変だろうと思ってさ」


 そう言って、ラック=ドグランはやわらかく微笑んだ。

 森辺の民がモルガの森に移り住んでから五年が経過して、ジバ=ルウは十歳、ラック=ドグランは十二歳になっている。ラック=ドグランはずいぶん背がのびたが、その優しげな面立ちはあまり変わっていなかった。


 いっぽうジバ=ルウはあまり背がのびなかったため、いまやラック=ドグランとは頭ひとつ分ぐらいも違っている。それでもラック=ドグランの笑顔を見ると、三歳で魂を返した弟のことを思い出してやまなかった。


「別に、大変なことはないよ。本当に困ったら、分家の女衆が手を貸してくれるしね」


「でも、分家だって大変だろう? この前は、立て続けに幼子が魂を返してしまったし……いま子を孕んでいる女衆も、きっと不安な心地だろうしさ」


 と、ラック=ドグランは悲しそうな顔をする。それはそれで、過酷な旅で苦しんでいた弟を思い出させる表情であった。


 五年が過ぎて、モルガの森における新たな暮らしもいちおうの安定を見せたかに思える。しかし、ここまでの道のりは決して平坦だったわけではなく、この数年だけで民の総数は半減したのではないかと囁かれていた。


 もとより森辺の民は黒き森の火災で半数近い同胞を失い、モルガを目指す道中でさらに半数を失ったのではないかとされていた。それらの言葉がすべて真実であるとしたら、四千名の民が五百名ていどまで減ってしまったということになるのだ。


 実際に人数を数えたわけではないので、すべて当て推量である。

 ただし、ルウの血族に限ってもこの数年で半数近い同胞を失ったのは事実であるし、ついには眷族たるモーティも氏を捨てることになった。豪放な気性でいつも場を賑わせていたモーティの家長がギバ狩りのさなかで魂を返したことにより、家の力が失われてしまったのだ。それで、残る家人はまとめてルウ家に迎え入れることになったのだった。


 残る眷族はドグランとシュティファのみであり、血族の総数は百名足らずとなる。

 また、親筋たるルウは数多くの分家を抱えているものの、おおよそはかつて眷族であったモーティ、アレク、ロブル、デルの血筋であり、本家を除くルウの血筋はずいぶん薄くなってしまっていた。


 それでもルウの血族は決して絶望することなく、懸命に日々を生き抜いているが――しかし心の裏側には、いつも不安と焦燥の思いが渦巻いていた。

 生活がいちおうの安定を見せた現在においても、新たに育つ人間よりも魂を返す人間のほうが多く、じわじわと家人が減っているためである。


 モルガの森に移り住んだ当時、まだ二十八歳であったジバ=ルウの父も分家から新たな伴侶を迎えたが、最初のお産で母子ともに命を落としてしまったため、それ以降は新たな伴侶を迎えようとしなかった。

 そして、昨年十五歳となった長兄も眷族たるシュティファから伴侶を娶ったが、そちらに生まれた赤ん坊も流行り病――『アムスホルンの息吹』によって魂を返してしまった。


(家人が増えたら集落を広げようなんて話していたのに……この五年で、家人は減るいっぽうだもんな)


 森辺の民は一年がかりで森を切り開き、それぞれの集落を確保した。ルウの集落は南北に切り開かれた道のちょうど中央あたりに位置しており、眷族たるドグランも同じ集落に住まっている。あとは少し離れた場所にシュティファが集落を開いているが、いずれの氏族も不安の思いに変わりはなかった。


(これでもルウの血族は、まだしも豊かな氏族だって言われてるんだもんな。余所の氏族は、どれだけ苦しい生活を送っているんだろう)


 それはおそらく、森辺の生活が安定したがゆえの弊害でもあるのだろう。

 森辺の民がこの地にやってきてしばらくは、ジェノスの領主が支援してくれた。手斧や鋼の刀、食材や鉄の鍋などが、必要に応じて支給されていたのだ。


 しかし、ギバの収獲があがるにつれて干し肉の支給は打ち切られて、一年が経過する頃にはすべての支援が打ち切られた。

 それ以降は、ギバの収獲だけが頼りである。牙と角と毛皮を売り払い、それで暮らしを立てるのだ。それで今では誰もが鋼の刀を携えて、一家に一台は立派な鉄鍋を確保できていたが――しかし、あとは生きるために必要なアリアとポイタンを手にするだけで精一杯であった。


 肉とアリアとポイタンを口にしていれば、とりあえずの健康は保てるものとされている。

 しかしそれが真実であるのか、森辺の民にはわからない。実際に、力を落として魂を返す人間が後を絶たないのだ。また、黒き森で暮らしていた頃は、赤ん坊や幼子ももっと健やかに育っていたはずであった。


 ルウの血族には力のある狩人がそろっているため、この五年間でひどく飢えに苦しんだことはない。多少は食料に困ることもあったが、過酷な旅の時代とは比較にならない安楽さだ。森の恵みを食い尽くしたギバが縄張りを移すと半月ぐらいは狩りの仕事を休まざるを得ないが、そんな際でもルウの血族が餓死することはなかった。


 森にはピコやリーマという香草が生えており、そちらはギバの食料にもならないため、採取することを許されている。それでギバ肉を保存したり、干し肉にすることもできた。


 この地における川魚は毒を持っているため口にすることができず、蛇や蜥蜴はギバの食料であるため収獲を禁じられている。そして、食用に適した鳥は数が少なく、鳥よりもギバを狩るべしと厳命されていたため、鳥を狩る習わしもじょじょに廃れていった。それでも食べきれない肉を森に返すぐらい、ギバを収獲することがかなったのだった。


(だからやっぱり、根本の何かが間違っているのかもしれない。アリアとポイタンだけじゃあ、滋養が足りていない気がする)


 ジバ=ルウがそんな思案に沈んでいると、ラック=ドグランが「どうしたんだい?」と呼びかけてきた。


「手伝いがいらないっていうんなら、俺も引っ込むけど……ジバ=ルウが動かないと、仕事は終わらないよ?」


 ジバ=ルウが「わかってる」と短く答えると、ラック=ドグランはたちまち不安げな顔になった。


「俺は何か、ジバ=ルウを怒らせてしまったのかい? それなら、謝るよ」


 ジバ=ルウは、溜息をつく代わりに笑顔を返した。


「何も怒ってないよ。ラック=ドグランはそんなに大きくなったのに、ときどき子供に戻っちゃうよね」


「うん。だって……ジバ=ルウには、嫌われたくないんだ」


 そう言って、ラック=ドグランはわずかに頬を染めた。

 ルウの血族は過酷な旅で多くの幼子を失ってしまったため、ジバ=ルウやラック=ドグランと年の近い人間は数えるぐらいしか存在しない。それで二人はゆくゆく婚儀を挙げることになるだろうと言い渡されていたのだが――いまだ十歳であるジバ=ルウには、あまり実感のわかない話であった。


(あたしはようやく幼子の身から脱したところだもんな。一人前の女衆にならないと、婚儀のことなんて考えられないよ)


 森辺の民は十歳になると男女で装束が分けられて、家族以外の人間とは触れ合わないようにと言い渡される。そして、十三歳になった男衆は見習いの狩人として森に入り、男女ともに十五歳で婚儀が許されるのだ。ジバ=ルウが婚儀の話で頭を悩ませるには、まだ五年の歳月が残されているわけであった。


(……この装束も、やっと着慣れてきたかな)


 十歳のジバ=ルウに与えられたのは、赤や緑の渦巻き模様が入った胸あてと腰巻きである。

 ただしこの装束をこしらえた織物も、町で買い求めた品だ。黒き森で暮らしていた頃は植物の茎や樹皮から繊維をほぐして織物をこしらえていたものであるが、このモルガの森には同じ植物が存在しなかったのだった。


 また、たとえ同じ植物が存在したとしても、その実がギバの食料になるようであれば採取を禁じられる。森辺の民が採取を許されるのは、ギバが忌避する香草や毒の実だけであった。


(けっきょく森辺の民はギバを狩って、その収獲を銅貨に換えるしかないんだ)


 鋼の刀も手斧も、鉄の鍋も織物も、野菜も薬も、すべては町から買い求めている。そしてそのためには、銅貨が必要となるのだ。

 ギバの角や牙は一本でおよそ赤銅貨三枚、毛皮は大きくて傷がなければ赤銅貨十二枚――それが、森辺の民が手にできる銅貨のすべてであった。


 こんな生活は、どこか間違っているように思えてならない。

 少なくとも、ジバ=ルウが黒き森で暮らしていた頃は、こんな焦燥感やもどかしさとは無縁であったはずだ。


 しかしここはジェノスの領主というものが支配する地であるのだから、文句をつけることは許されないのだろう。それで森辺の同胞は、このような運命に屈してなるものかと熾火のごとき情念を燃やしているのだ。ジバ=ルウもまた、自分という人間がじわじわと変容していくことに恐れおののきながら、モルガの森で健やかに生きていくすべを懸命に探し求めているのだった。


「あ、ジバ=ルウ。狩人が森に入るみたいだよ」


 ラック=ドグランに呼びかけられて、ジバ=ルウは薪割りの手を止めた。

 そうして二人で広場のほうに出てみると、たくさんの人間が寄り集まっている。ルウとドグランの狩人たちに、それを見送る女衆と子供たちである。


 ただし、普段はこうまでたくさんの人間が見送りに出てくることはない。

 昨日で十三歳になったジバ=ルウの兄が初めて森に出るため、手の空いている人間が全員で見送っているのだ。


「ジバ。お前も声をかけてやるがいい」


 父たる家長に招かれて、ジバ=ルウは広場の中央に進み出た。

 そこに、ジバ=ルウの家族が待ち受けている。父たる家長、十六歳の長兄、十三歳の次兄だ。

 穏やかな気性をしている次兄は、こんな日にもやわらかい笑みをたたえていた。


「行ってくるよ、ジバ。そっちも頑張ってな」


「うん。兄さん、気をつけてね。無事に戻ってこられるように、母なる森に祈ってるよ」


 不安の思いを押し殺して、ジバ=ルウもまた笑顔を返した。

 ひとたび森に踏み入ったならば、いつ誰が魂を返してもおかしくはない。森辺の女衆はそんな覚悟でもって、狩人の出立を見送るのだった。


 次兄は借り物である狩人の衣を纏い、腰には手斧をさげている。

 鋼の刀は希少であるので、一人前の狩人しか身につけることができないのだ。また、次兄がその手でギバを仕留めたならば、その毛皮で狩人の衣が作られて、ようやく一人前と認められるのだった。


 今では狩人の全員が、ギバの毛皮でこしらえた狩人の衣を纏っている。

 毛皮を売れば銅貨を手にできるが、この習わしは取りやめられることもなかった。狩人の衣とは狩人の証であると同時に誇りでもあり、それを励みにいっそうの力を振るうべし――というのが、モルガの森にやってきた頃から述べられていた訓示であった。


「それでは、出立する!」


 父たる家長の号令で、ルウとドグランの狩人たちは森に向かっていく。

 ジバ=ルウが家族の無事を祈りながら見送っていると、またラック=ドグランが語りかけてきた。


「ジバ=ルウの兄さんは、きっと無事に戻ってくるよ。ルウの本家には、ひときわ強い血が流れているからね」


 ジバ=ルウは「うん」とうなずきながら、ラック=ドグランのほうを振り返る。

 この優しい面立ちをした少年も、来年には見習い狩人として森に入るのだ。そうしたら、ジバ=ルウはいっそう強い気持ちで祈ることになるはずであった。


 男衆は生命を懸けて、血族が生きていくための道を切り開いてくれている。

 それに報いるためにも、ジバ=ルウは力を惜しまずに家の仕事を果たさなければならなかった。

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