06 森への道
翌朝から、森に入る準備が進められた。
そこで用意されたのは、手斧なる品である。森辺の狩人が使う石の刀と外見は似ていたが、その柄は木造りであり、大きな刃は鋼であるのだという話であった。
「あれで木を伐り倒して、道を作るんだってさ。そんなことして、森の怒りに触れないのかなぁ」
次兄がちょっと心配げな顔でつぶやくと、長兄は頬を火照らせながら振り向いた。
「それより、あれはみんな鋼の刃なんだぞ。あれさえあれば、ギバだって倒せるんじゃないか?」
「そうかもね。でも、鋼ってすごく重たいんでしょう?」
「ああ。だから俺も、手伝いを禁じられたんだ。俺だって、鋼の刃を振るってみたかったのにな」
手斧が配られたのは、十三歳以上の見習いを含む狩人のみである。手斧の数にも限りがあったので、それで尽きてしまったのだ。
町の兵士に手ほどきをされながら、森辺の狩人たちは木の幹に手斧の刃を打ち込んでいく。すると、見る見る間に木の幹が傾いて、地面に倒れ込むことになった。
倒れた樹木は荒野に運ばれて、枝葉を落とされていく。
女衆と子供たちに命じられたのは、その枝葉の回収だ。それはのちのち、火をおこすための薪にされるのだという話であった。
「……こうして見ると、女衆より男衆のほうがたくさんいるんだね」
そんなつぶやきをこぼしたのは、ともに働いていたラック=ドグランである。
ジバ=ルウも、早い段階からその事実に気づいていた。こうして二手に分かれてみると、男衆は女衆の倍ほどもいるように感じられたのだ。
「やっぱりおとこしゅうのほうがからだがつよいから、たくさんいきのこることができたんだろうね」
「うん……ぼくたちより小さな子供は、みんな魂を返しちゃったもんね」
父が語っていた通り、ジバ=ルウより幼い子供はほとんど見当たらない。それでも五歳以上の幼子はちらほら見かけたし、十歳を過ぎた子供たちは樹木を運ぶ仕事を手伝っていた。
「……呆れたな。こいつらはこんなに痩せ細っているのに、どうしてあんな怪力を振るうことができるんだ?」
と、時には兵士たちの押しひそめたつぶやきを耳にすることもあった。
「それに、子供もだ。あんな小さな子供だけであんな立派な丸太を運べるなんて、おかしいじゃないか」
「そんな連中だから、刀のひと振りでギバを仕留められるんだろうよ。こんな連中を迎え入れるなんて、領主様は何を考えてるのかと思ったけど……こいつらだったら、本当にギバを始末できるのかもな」
「ああ。この数ヶ月で、トゥランもダレイムもひどい被害が出てるからな。こんな連中がくたばったって関係ないんだから、やらせるだけやらせてみりゃいいさ」
やはり兵士たちは、森辺の狩人の力に恐れおののいているようである。
そうしてジバ=ルウが集めた枝葉を重ねていると、ラック=ドグランが「ねえ」と呼びかけてきた。
「あいつらは、どうしてあんな悪口を平気で語ってるんだろう? ぼくたちが家族に言いつけるとは考えてないのかなぁ?」
「いや……たぶん、あたしたちにきこえてるとはおもってないんだよ。きっとまちのにんげんは、あたしたちよりもみみがよわいんじゃないかな」
兵士たちと出会ってわずか三日目で、ジバ=ルウはそんな風に察していた。町の人間は身の力ばかりでなく、目も耳も弱いようであるのだ。だからこそ、鋼の刀や甲冑などで入念に身を守っているのかもしれなかった。
「手の空いている人間は、こちらに来い! これより、かまどの作り方を指南する!」
と、遠くのほうで兵士がそのように告げてきた。
ちょうどひと仕事を終えたところであったジバ=ルウは、ラック=ドグランとともにそちらに近づいていく。他にも何名かの女衆や幼子が寄り集まっていた。
そちらに準備されていたのは、妙に綺麗な形状をした石の山である。
色は灰褐色で、いずれも細長い四角形をしている。こんなに同じような形をした石が集まるなど、ありえない話であった。
「……どうしてこのいしは、みんなおなじかたちをしているの?」
ジバ=ルウが率先して問いかけると、兵士は苦々しげな顔をした。
「これは石ではなく、煉瓦だ。ただで手に入る品ではないので、決して粗末に扱うのではないぞ?」
「……れんがって、なに?」
「ああもう、やかましいやつだな。煉瓦というのは、粘土と砂をまぜて焼き固めた資材だ。森の中で煉瓦を作るすべはなかろうから、お前たちが知る必要はない」
では、あの石の道もこの煉瓦というもので造られていたのであろうか。
ジバ=ルウは興味をひかれたが、兵士はかまわずに説明を始めた。
「干し肉やアリアだけでは滋養が足りまいという、領主様のご温情だ。ポイタンを口にできるように、かまどの作り方を指南する」
石造りのかまどであれば、森辺の集落にも存在した。それに、粘土の鍋というものも存在したのだ。焼くよりも煮込むほうが適している実りは、そうして粘土の鍋で火にかけられていたのだった。
煉瓦のかまどというものも、要領に大きな変わりはない。ただ異なるのは、その大きさであった。それは森辺の民が知るかまどを四つほども合わせたような大きさであったのだ。
そしてさらに驚かされたのは、後から準備された鍋である。そちらの鍋が巨大であったからこそ、かまども大きく作られていたのだった。
「これは、鉄鍋だ。森の中で生きてきたお前たちは、目にしたこともないのだろうな」
蔑むような眼差しで、兵士はそのように語っていた。
鉄というのは、ジバ=ルウもつい最近になって次兄から聞かされた言葉だ。それは鋼と同様に、金属というものに属する存在であった。
「この鉄鍋に水を注ぎ、干し肉とアリアとポイタンを煮込むのだ。それで必要な滋養を摂取することができる」
兵士がそのように語ったとき、近からぬ場所から別なる兵士のわめき声が聞こえてきた。
「お、お前たちは、何をやっているのだ!」
ジバ=ルウが振り返ると、荒野の片隅で何名かの女衆がギバの身をさばいていた。
昨晩、族長の手によって仕留められたギバである。黒い石の刃でギバの毛皮を剥いでいた女衆のひとりが身を起こし、兵士に向かって毅然と言葉を返した。
「こちらの肉は、わたしたちが食することを許されているのでしょう? 肉が腐ってしまう前に、さばくことにしたのです」
黒みがかった髪をした、背の高い女衆である。痩せ細る前は、さぞかし美しい顔立ちであったのだろう。しかし、どれだけやつれても、その瞳には強い輝きが宿されている。その眼差しだけで、兵士を怯ませるには十分であった。
「臓物を食するには、水で清めなければなりません。この近くに、水場はありますでしょうか?」
「み、水場などない! お前たちは、ギバの臓物まで喰らうつもりであったのか?」
「はい。わたしたちは飢えて力を落としているのですから、選り好みをすることはできません。……ですが、水で清めることができなければ、病魔を招きかねませんね。臓物は、森に返すべきでしょうか?」
「し、知ったことか! 捨てるならばムントが寄ってこないように、森の奥深くに捨てるがいい!」
「承知しました。のちのち、族長と相談いたします」
女衆は深々と一礼して、ギバの毛皮を剥ぐ作業を再開させた。
「……あれはきっと、族長の伴侶だね」
ラック=ドグランの囁き声で、ジバ=ルウは深く納得する。あれは族長の伴侶に相応しい、立派な立ち居振る舞いであった。
「でも、すごいなぁ。ぼくたちは、あんなに大きな肉の塊を食べることができるんだね」
と、ラック=ドグランの関心はすぐギバのほうに向けられた。
黒猿の肉を食することは禁じられていたため、毛皮を剥いだ後は森に返されていたのだ。森辺の民が黒き森で口にしていたのはおおよそ蛇や蜥蜴や鳥であり、あとはわずかな川魚ぐらいのものであった。
「……あちらのことは、放っておけ。残りのかまどは自分たちで組み上げて、手の空いている人間は薪となる枝を運ぶのだ」
兵士の命令に従って、ジバ=ルウたちも自らの仕事に励んだ。
かまどの組み上げは大人の女衆が受け持ち、幼子には枝葉の運搬が割り当てられる。ジバ=ルウが小走りで枝葉の山のほうに向かうと、ラック=ドグランがまた語りかけてきた。
「ねえ。ジバ=ルウは、昨日よりも元気そうに見えるよ」
「そう? やっとしごとができたから、うれしいのかもしれないね」
そんな風に答えながら、ジバ=ルウは小さく笑った。
「ラック=ドグランこそ、すごくげんきになったみたいだね」
「うん。それは、ジバ=ルウのおかげだよ」
と、ラック=ドグランもはにかむように微笑む。
その笑顔は黒き森で過ごしていた頃の弟にそっくりで、ジバ=ルウをまた優しい気持ちにしてくれた。
「あ、ジバ。それを運ぶのは、ちょっと待ってくれ」
と、ジバ=ルウたちが枝葉の山を抱えようとしたところで、次兄が駆けつけてきた。
「その中に、弓の材料になりそうな枝もまじってるらしいんだ。ちょっと黒みがかった色合いでジバの背丈よりも長い枝があったら、燃やさずに残しておいてくれ。あと、その半分ぐらいの長さで真っ直ぐな枝があったら、矢の材料にする。そっちはどの色の枝でもかまわないってさ」
「うん、わかった。……さっきね、ぞくちょうのはんりょがギバをさばいてたよ」
「へえ。そいつは見てみたかったな。でも、この森で暮らせるようになれば、いつでも見られるか」
次兄も朗らかな笑みを残して、自分の仕事に戻っていった。
あらためて、その場には大変な熱気が満ちている。丸太を運ぶ子供たちも、手斧で枝葉を落とす若衆たちも、かまどを組み上げる女衆たちも、昨日までとは比較にならないほどの力をみなぎらせていた。
誰もがげっそりとやつれ果てているのに、瞳は強く輝いている。きっとジバ=ルウと同じように、新たな生を切り開くのだという熱情を燃えさからせているのだろう。それがまた、兵士たちを怯ませているのかもしれなかった。
そうして忙しく立ち働いている間に、刻々と時間は過ぎていく。
やがて太陽が中天にのぼった頃、ようやく森に入っていた男衆らが戻ってきた。
「とうさん、おつかれさま」
ジバ=ルウが真っ先に出迎えると、父は穏やかな面持ちで「ああ」とうなずいた。
「そちらも無事で、何よりだ。何もおかしなことはなかったか?」
「うん。とうさんたちこそ、だいじょうぶだった?」
「うむ。ギバは中天まで眠っているという話だったからな。……ただし、森の中でムントやギーズの痕跡が発見された。どうやらこの森にも、あやつらがひそんでいるらしい」
ムントやギーズは、腐肉喰らいの獣である。その肉を食うことは禁じられていたし、毛皮も薄くて役に立たないため、森辺の民にとっては迷惑なだけの存在であった。
しかしまた、ムントやギーズにしてみれば、人間のほうこそ迷惑な存在であるのだろう。それでも同じ森の子として、憎み合うことなく生きていくしかないのだった。
「家長、お疲れ様でした。すぐに食事を運びますので、そちらでお待ちください」
と、分家の女衆がやわらかい表情で呼びかけてくる。ジバ=ルウも、そちらを手伝うことにした。
荒野には、二十にも及ぶかまどが設置されている。
そしてその上には、革の屋根が張られていた。このジェノスという地は雨が多いので、それに備えなければならないという話であったのだ。
かまどには大きな鉄鍋がのせられて、肉と野菜の煮汁がぐつぐつと煮込まれている。薪が生木であるために、火を弱めた現在も大変な煙があがっていた。
「おや、ジバ=ルウも手伝ってくれるのかい? まだ幼いのに、偉いねぇ」
モーティの年を食った女衆が、煮汁を注いだ木の椀を差し出してくる。
その煮汁は、どろりと白く濁っていた。兵士たちが運び込んだポイタンという果実を放り込むと、とたんに真っ白になってしまったのだ。他にはギバ肉と干し肉とアリアという果実も煮込まれているはずであるが、その色合いですっかり隠されてしまっていた。
その木の椀をふたつ受け取って、ジバ=ルウは父のもとに舞い戻る。
兄たちも自分で椀を運んでおり、分家の女衆が水の椀も持ってきてくれた。
「それでは、腹を満たすとしよう。……いずれ生活が落ち着いたならば、食前の儀式も復活させなければな」
父のそんな言葉とともに、本日初めての食事が始められた。
ジバ=ルウは白く濁った煮汁を木匙ですくいあげ、すすりこむ。
とたんに、嫌な臭いが鼻をついた。血や肉の匂いとも異なる、獣くさい香りである。
(ほしにくは、こんなあじもしなかった。それじゃあこれは、ギバのにおいなの?)
ジバ=ルウは内心を押し隠しながら、家族たちの姿を見回す。
しかし、兄たちは目の色を変えて煮汁をすすっていた。
「こんな煮汁を口にするのは、黒き森を出て以来だな」
「うん。なんだか馴染みのない匂いがするけど、すごく力がつく気がするね」
兄たちは、不満を覚えている様子もない。
それでジバ=ルウが父のほうを振り返ると、そちらも満足そうに目を細めていた。
「これには、族長が仕留めたギバの肉も使われているのだな? ギバの力を我が身に取り入れていると実感できるぞ」
「……そうだね」と応じながら、ジバ=ルウは木匙でギバ肉のかけらをすくいあげた。
あのギバは巨大であったが千名分の食事に分けられたため、ひとりが口にする量はささやかなものだ。その肉のかけらをかじると、いっそう生々しく獣くさい香りがした。
(……でも、これもたいせつなじようなんだ)
そんな思いを噛みしめながら、ジバ=ルウは獣くさい泥水のような煮汁を口いっぱいにすすりこんだ。




