04 思わぬ邂逅
家長会議の、夜である。
その夜には、ずいぶん豪勢な晩餐をふるまわれることになった。内容はギバ肉と野菜の煮汁であるが、そこにはジバ=ルウが知る野菜がのきなみ詰め込まれていたのだ。
「以前の家長会議でルウの先代家長が語っていた通り、さまざまな野菜を口にすることでいっそうの力を身につけることがかなう。どうかこの夜の糧を力にかえて、明日からもそれぞれの仕事に励んでもらいたい」
ダナヴィン=スンは穏やかな面持ちで、そのように語っていた。
しかし、家長会議には百名ばかりの人間が集っているのだ。その全員にこれほど豪勢な晩餐がふるまえるというのは、スン家の豊かさを証し立てていた。
「……俺はアリアとポイタン以外の野菜を口にしたのは、これが初めてだ」
ジバ=ルウが血族たる三名とともに煮汁をすすっていると、どこからかそんな囁き声が聞こえてきた。
「俺もだよ。ちょっとゆとりのあるときには、ひとりで二個ずつのアリアを口にしてみたが……そんな贅沢を何日も続けることはできんからな」
「ああ。それよりも、ダビラの薬草を手にするほうが先だ。まずは幼子を育てあげないと、行く末はないからな」
「子を生す前に、まずは自分たちが飢えないことを考えるべきだろう。この前の休息の期間などは、干し肉しか口にできない日もあったのだ。こんな有り様で子を生しても、ともに魂を返すのみであろうよ」
聞こえてくるのは、おおよそ陰気な内容である。
氏族によって程度の差はあったが、やはり誰もが苦しい生活に身を置いているのだ。ジバ=ルウが知る限り、ダビラの薬草を確保した上で食事の充実まで考えることができているのは、スンとドムとザザ、そしてルティムとレイのみであった。
しかしそれも兄たる先代家長から伝え聞いた話であり、ジバ=ルウが実際に耳にしたわけではない。ただ確かに、この場で力強い姿をさらしているのはその五氏族のみであるように思えた。
(まあ、族長筋のスンは別格として……ルウの血族だって、決して負けてないはずだよな)
ルウの供たる男衆もシュティファの両名も、余所の家長たちに比べればよほど頑健に見える。ただし、力ある五氏族の狩人たちとは比べるべくもなかった。
(兄さんやラックだったら、きっと見劣りしないんだろうけど……こっちの三人は、ルウの勇者ってわけじゃないしな)
しかしまた、レイやルティムの面々も実情はわからない。もしもあちらの集落に家長にも負けない狩人がずらりと居揃っているとしたら、ルウよりも遥かに強大な氏族であるということであった。
(だからやっぱり、まずは絆を深めるしかないんだろうけど……まあ、焦ってもしかたないか)
余所の氏族の家長たちは、ジバ=ルウに近づいてこようともしない。やはり女衆だてらに家長を務めるというのは許容しがたい話であるのだろうし、そうでなくとも家長会議ではザザやドムの家長と角突き合うことになってしまったのだ。いちおうはダナヴィン=スンの裁量で丸く収められたものの、勇猛で知られるザザとドムの影響力は無視できないはずであった。
そして、レイとルティムの家長たちは――晩餐の場でも祭祀堂の片隅に陣取って、ずっと四名だけで熱心に言葉を交わしている。おそらくは、血の縁を結ぶべきかどうか思案しているのだろう。彼らがどれだけ親密な間柄であるのかは知れないが、かつては連れ立ってルウの弔いの場に参じていたのである。その時点で、彼らには何らかの絆が存在したはずであった。
(それで父さんや兄さんも、レイやルティムと絆を深めていたはずだけど……あたしがそのご縁を正しく受け継げるかどうかだね)
しかしこの場でレイとルティムの間に割り込む気持ちにはなれないし、そもそも自分の独断で話を進めることも許されない。まずは集落に戻ったのち、分家の家長たちも交えて今後の方針を定めなくてはならなかった。
(族長たちだって、一年がかりで絆を深めたんだ。あたしたちも、じっくり取り組もう)
そうして晩餐を食べ終えたのちには、親睦の酒宴というものが開かれる。
それでもジバ=ルウのもとに近づいてくる人間はいないので、けっきょく血族を相手に語らうしかなかった。
「ザザやドムの目を気にして、誰も近づいてきやがらねえな。ま、そんな腑抜けどもは相手にする必要もねえさ」
果実酒を口にしたシュティファの家長の弟は、不満げな顔でそのように言いたてていた。
しかしジバ=ルウは思い悩むこともなく、なめるていどに果実酒を味わう。この十一年間、ジバ=ルウはおおよそ子を宿しているか乳をやるかの日々であったため、果実酒を口にする機会はほとんど存在しなかったのだった。
(生きる喜びを味わうには、きっと酒だって大切なんだろう。……でも、あたしには必要ない)
ジバ=ルウは酒を楽しむのではなく、酒を楽しむ血族の姿で心を満たしたかった。それでその夜はひさびさに、酒を楽しむ三人の姿で心を満たすことがかなった。
そんな時間が一刻も過ぎたならば、就寝の刻限である。
すると、スンの分家の若衆がジバ=ルウのもとに近づいてきた。
「では、俺の家に寝場所を準備しましたので、ルウの両名はこちらに」
「ありがとう。余計な手間をかけさせてしまって、申し訳なく思っているよ」
「いえ。余所の氏族のお人と語らう機会はなかなかないので、俺も楽しみにしていました」
そう言って、スン分家の若衆はやわらかく微笑んだ。
ダナヴィン=スンとは似ていないが、きわめて穏やかな人柄であるようだ。ジバ=ルウはシュティファの両名に別れを告げて、供の男衆とともに祭祀堂を出た。
外は、とっぷりと暗くなっている。
小さな燭台を掲げた若衆の案内で、ジバ=ルウと供の男衆は分家の母屋を目指した。さすがに女衆の身で余所の男衆とともに眠ることはできなかったため、ダナヴィン=スンがこのように取り計らってくれたのである。
「けっきょく族長とは言葉を交わす機会がなかったんだよ。明日も挨拶できるかわからないんで、お礼を伝えておいてもらえるかい?」
「承知しました。きっと族長はルウの家長に迷惑がかからないように、あえて近づかなかったのでしょう」
ジバ=ルウも、きっとそうなのだろうと察していた。族長が特定の氏族に肩入れするというのは望ましくない話なのであろうし――しかもジバ=ルウに限っては、ザザやドムに対する体面というものも生じるはずであった。
(まあ、族長自身はそんなこと気にしなそうだけど……むしろ、ザザやドムの家長の心情を気づかってるんだろう。大事な眷族を二の次にできないのは、当然の話さ)
そんな思いを胸に、ジバ=ルウは分家の母屋に足を踏み入れた。
家の中も真っ暗で、燭台だけが目の頼りである。祭祀堂では晩餐の後に酒宴が開かれていたが、普通はとっくに眠っている頃合いであるのだ。ジバ=ルウは足音を忍ばせながら、案内役の若衆を追いかけた。
「ルウの家長は、こちらにどうぞ」
若衆が戸板を開くと、その向こう側にも燭台の火が灯されていた。
そして、寝具の上でひとりの女衆が座している。その女衆が、恭しく頭を下げてきた。
「部屋の数に限りがありますので、わたしがお邪魔いたします。ご迷惑かとは思いますが、どうぞご了承ください」
「お邪魔するのは、こっちのほうさ。本当に、申し訳なかったね」
ジバ=ルウもまた頭を下げてから、供の男衆を振り返った。
「それじゃあ、また明日ね。日が出たら、すぐに集落に戻ろう」
「ああ。家長も疲れただろうから、ゆっくり休んでくれ」
供の男衆と案内の若衆は、そのまま通路の奥に向かっていく。ジバ=ルウは寝所に足を踏み入れて、戸板を閉めた。
せまい部屋に、ふたつの寝具が敷かれている。もとはひとりで眠っていたのか、あるいはジバ=ルウのために誰かが別室に移ってくれたのか。何にせよ、ジバ=ルウには感謝の思いしかなかった。
「あらためて、どうもありがとうね。族長にも手厚い言葉をかけてもらったし、スンのお人らには本当に感謝しているよ」
「いえ。すべては族長が決めたことですので、わたしたちにお気遣いは無用です」
言葉の内容は素っ気ないが、その口調はやわらかい。そしてその顔にも、きわめて静謐な表情がたたえられていた。
黒褐色の髪を短く切りそろえた、壮年の女衆だ。きっとジバ=ルウの母親が生きていれば、同じぐらいの年頃であろう。それでもその女衆は美しく、まだまだ若々しかった。
「さっきの若衆は、息子さんかい? 立派に育って、何よりだね」
「はい。わたしには、過ぎた子供です。けっきょく男児はあの子ひとりでしたが、あなたのおかげで立派に育てあげることがかないました」
そう言って、その女衆はまた頭を下げた。
「こちらもあらためて、お礼を言わせてください。ルウの長姉……いえ、ルウの家長ジバ=ルウ。あなたのおかげで、わたしはようやく子を健やかに育てることがかなったのです」
「そいつは、ダビラの薬草のことを言っているのかい? あたしは子供の思いつきで動いただけで、それがたまたま的を射ただけのことだよ。それを周囲に広めたのは、あたしの父親の手柄だしね」
「はい。あなたの父たる先々代家長や兄たる先代家長にも、お礼を伝えさせていただきました。そうしてようやくあなたご本人と相まみえることがかない、心より嬉しく思っています」
面を上げた女衆は、どこか透き通った眼差しでジバ=ルウを見つめてきた。
「伴侶の申していた通り、とても力のある御方ですね。同じ女衆とは思えないほどです」
「伴侶? あたしは今日になって初めて族長に挨拶をさせてもらったぐらいで、他のお人と顔をあわせた覚えはないよ」
「伴侶がご挨拶をしたのは、もう十六年ばかりも昔の話となります。あなたはまだ小さな幼子でしたが、そうとは思えないほどの力と聡明さを感じたのだそうです」
十六年前――その言葉が、ジバ=ルウの心に大きな波紋を及ぼした。
「それじゃあ、まさか……あんたはガゼの族長の伴侶なのかい?」
「はい。伴侶を失った後は、こうしてスンの家人として生きることになりました」
ガゼとリーマの家人は、のきなみスンの家人となったのだ。ジバ=ルウとて、そのような話は百も承知であったのだが――これは、想定外の出来事であった。
「こいつは驚いたね……あたしはもっと幼い頃に、あんたの姿を見かけているんだよ」
「はい。もっと幼い頃ですか?」
「うん。モルガの森に着いてすぐ、あたしらは兵士の命令で森に入る準備を始めただろう? そのときに、あんたは族長のためにギバの毛皮を剥いでいて……それを見とがめた兵士と、軽くやりあってたんだよ」
それが族長の伴侶であるらしいと教えてくれたのは、ラック=ルウである。それでジバ=ルウは族長の伴侶に相応しいたたずまいだと、感心していたのだった。
「なるほど……あのときはすべての氏族が手を携えて、同じ仕事に取り組んでおりましたものね」
そう言って、その女衆はふわりと微笑んだ。
二十一年前には無残に痩せ細っていたが、今は細身の美しい姿である。あの時代から、きっともともとは美しい女衆であったのだろうとジバ=ルウは考えていたのだった。
「かえすがえすも、ガゼの族長は立派なお人だったよね。今のあたしたちがあるのは、みんなあのお人のおかげさ。その感謝の思いを忘れたことはないよ」
「とんでもありません。もちろん族長というものは重い責任を担っているのでしょうが、すべては民の力があってのことです。伴侶も常々、自分は目に過ぎないと申していました」
「目?」と反問しながら、ジバ=ルウはガゼの族長の不思議な白銀の瞳を思い出していた。
「はい。正しき道を見定めるための、目です。しかし、そちらに進むには足が必要であり、苦難を退けるには刀を振るう腕が必要となります。また、他者の言葉に傾ける耳や、他者に思いを伝える口、危険を嗅ぎ取る鼻、ものを考える頭、総身に力を行き渡らせる心臓……さまざまな部位がそろってこその力であり、自分はそのひとつを担っているに過ぎないと申していたのです」
そう言って、その女衆はいっそうやわらかく微笑んだ。
「そして伴侶は、自らが魂を返した後はルウに族長筋を譲りたいと申していました。もしもルウの家長がその話を受け入れていたならば、わたしもルウの家人となっており……もしかしたら、あなたが族長になっていたのかもしれませんね」
「ええ? あんた、いったい何を言っているのさ? そんなこと、ありえないだろう?」
「はい。残念ながら、その道は実現しませんでした。でも、二番手に選ばれたスンの家長も立派なお人であられたので、わたしも喜ばしく思っています」
ジバ=ルウは困惑の極みであったが、その女衆はひっそりと微笑むばかりであった。
(いったいなんて、とんでもないことを言うのさ。女衆のあたしが族長だなんて、そんなの許されるはずがないじゃないか)
しかしまた、本来であれば女衆が家長になることも許されなかったのだ。
もしもルウ家が族長筋を受け継いだ上で、今のような状況に陥っていたならば――兄とその子とラック=ルウが魂を返し、ジバ=ルウの他に族長の座を受け継ぐ人間はいないなどという話になっていたならば――果たしてジバ=ルウは、どのような決断を下すことになったのだろうか?
(それでももしかしたら、あたしはドグランのためにと力を尽くしたかもしれないけど……そんな想像をしたって、意味はないよ。族長筋を受け継いだのは、スン家なんだからね)
そうしてジバ=ルウは不毛な対話を打ち切って、寝具に身を横たえることにしたのだが――その後も安らかな眠りを授かるまで、短からぬ時間が必要になってしまったのだった。




