02 森辺の族長
三刻ばかりの時間をかけて、ジバ=ルウたちはついにスンの集落に辿り着いた。
五、六年前までは、ガゼやリーマの集落であった場所である。かつてのスンはドムやザザとともに北の果てで暮らしていたが、族長筋を受け継ぐにあたってこちらに移り住んだのだという話であった。
その広大なる広場の中央に築かれているのが、祭祀堂である。
ジバ=ルウも風聞では聞き及んでいたが、そのとてつもない大きさには思わず目を見張ることになった。
なおかつ祭祀堂は、古い様式で建てられている。枝葉を何重にも重ねて壁とした、お椀を逆さにしたような形状だ。黒き森で過ごしていた時代は、誰もがこういった家屋で過ごしていたのだった。
(今の家のほうが頑丈だし、部屋を分けるのも簡単だけど……やっぱりあたしは、こっちの家のほうが好ましく思えちゃうな)
あるいはそれは、幸福であった時代の記憶が影響しているのだろうか。あの頃は今のような不安や焦燥を覚えることなく、のんびりとした温かな生活に身を置いていたのだった。
「ではまず、族長に挨拶をするべきであろうな」
供の男衆がそのように言いたてると、ここまでともに歩を進めてきたルティムの先代家長がガハハと笑った。
「では、血族ならぬ俺たちはお先に祭祀堂にこもっておくぞ! 族長ならば心配もいらなかろうが、それでも気を抜かぬようにな!」
「ええ。そちらも足もとにはお気をつけて」
陽気な先代家長と沈着な息子ゼディアス=ルティムは、祭祀堂のほうに向かっていく。それを横目に、ジバ=ルウたちは集落の奥部を目指した。
ルウの集落も数々の眷族を家人として迎えたためにずいぶんな大きさになっているが、スンの集落はそれ以上である。もとよりガゼの血族だけで五十名以上の人数であったし、そこにスンの家人まで招き入れたのだから、家人の数はルウ以上であるはずであった。
普通であれば、ガゼやリーマはスンの眷族となっていたところであろう。しかし、かつての族長の言葉に従い、その全員が氏を捨ててスンの家人となったのだ。かえすがえすも、かつての族長の思惑は計り知れなかった。
(きっとあのお人は、あたしたちに見えないような行く末まで見えてたんだろうな)
ガゼの族長の白銀の瞳をひさびさに思い出して、ジバ=ルウはふっと息をつく。
その頃合いで、スン本家の母屋に到着した。
「失礼する! こちらは、ルウの血族である! 家長会議に先立って、族長に挨拶をさせてもらいたい!」
供の男衆が声を張り上げると、やがて戸板が開かれる。そこから顔を出したのは、髪を短くした美しい女衆であった。
「スンの家にようこそ。いま家人が族長を起こしていますので、少々お待ちください」
「ああ、族長はまだ眠っていたか。それは失礼した」
供の男衆が頭を下げると、女衆は「いえ」と微笑む。非常に沈着なたたずまいであるが、年齢はジバ=ルウとさほど変わらないように見えた。
(もしかして、このお人が族長の伴侶なのかな)
族長も、ジバ=ルウと同じ齢であるはずなのだ。そのような若さで族長の役目を果たすというのは、大した話であった。
「あら、そちらの女衆は……?」
と、族長の伴侶と思しき女衆がジバ=ルウに視線を向けてきた。
「あたしはルウの家長の妹だった、ジバ=ルウってものです。族長にお話があって、うかがうことになりました」
「まあ、あなたが」と、その女衆は目を輝かせた。
「あなたのお噂は、幼子の頃から聞き及んでいました。ダビラの薬草を見つけだしたのは、あなたなのですよね?」
「ええまあ、そういうことになるようですね。あたしがたまたま、最初に気づいただけのことですよ」
「それでもあなたには、何度感謝しても足りません。ダビラの薬草のおかげで、わたしたちは安心して子を生み落とすことがかなうのですからね」
と、女衆は自らの腹にそっと手を当てる。
外見上はほっそりしているが、もしかしたら子を孕んでいるのかもしれなかった。
「待たせたな。ひとりのうのうと眠りこけて、申し訳ない限りだ」
と、玄関の向こうから新たな人物が現れる。
その姿に、ジバ=ルウは思わず息を詰めた。それは何だか、妙に印象的な男衆であったのである。
それなりに背は高く、それなりに逞しい体格をしているが、べつだん驚くほどではない。長めにのばした髪は黒褐色で、瞳の色は黒色だ。髪はのきなみ後ろに撫でつけられており、その顔は剥き出しにされていた。
顔の輪郭は角ばっているが、それほど厳つい印象ではない。それはきっと、目つきのせいであろう。その目はずいぶん垂れ気味で、ついでに半分がたまぶたが閉ざされていたのだ。それは寝起きのためではなく、もともと眠たげな目つきであるようであった。
そしてその黒い目は、やたらと明るい輝きをたたえている。
そして、狩人として鍛えられたその身から漂うのは、なんとも涼やかな気配である。かつての族長は大地にどっしりと根を張った大樹のごとき風格であったものだが――こちらは、枝葉を軽やかに鳴らす涼風のごとき気配であった。
(確かに、これは……ちょっと特別なお人みたいだ)
目つきや顔つきが穏やかであるために、迫力というものは感じられない。しかしこの人物は二十一歳という若年の折に、勇猛で知られるドムやザザを眷族として従えたである。そんな逸話が後押しとなって、この人物にいっそう風変わりな貫禄を与えていた。
「うむ? 何故に家長会議に、女衆が参じておるのであろうかな?」
と、族長が眠たげな目をジバ=ルウに向けてくる。
ジバ=ルウは姿勢を正して、一礼した。
「あたしはルウの家長の妹で、ジバ=ルウってものです。兄が魂を返したために、ルウ本家の家長の座を担うことになりました」
族長の伴侶は「まあ」と目を丸くして、族長は「ほう」といっそう目を細めた。
「女衆が、本家の家長か。それはずいぶん、愉快な話を聞かされるものだ」
「ええ。森辺の習わしにそぐわないことは、重々承知しています。でも――」
「うむ。よほどの事情があってのことなのだろうな。それはこれまで誰も担ったことのない重責であろうから、どうか力を尽くしてもらいたい」
族長の気安い言葉に、シュティファの家長が「え?」と身じろいだ。
「で、では、族長の許しをいただけるのであろうか?」
「うむ? このような話に、俺の許しなど必要なかろう。俺はべつだんルウの血族でも何でもないのだからな」
そう言って、族長はふわりと微笑んだ。
それもまた、涼風のごとき微笑である。
「ルウの先代家長は、なかなかの傑物であった。女衆の身でその跡を受け継ぐというのは、大変な苦労であろう。何か困ったことでもあれば、遠慮なく頼ってもらいたく思うぞ」
「そ、そうか」と、シュティファの家長は目を泳がせる。その弟は、族長の真意を見定めようとばかりに物騒な目つきになっていた。
「……族長にお許しをいただけて、あたしもありがたい限りです」
ジバ=ルウがあらためて頭を下げると、族長は同じ笑顔のままひらひらと手を振った。
「だから、俺は許しを与えるような立場ではない。ルウの血族は頭をしぼって最善の道を選び抜いたのであろうから、どうかくじけずに力を尽くしてもらいたい」
すると、族長の伴侶が穏やかな面持ちで声をあげた。
「ところで、族長はジバ=ルウの果たした役割を覚えておいでなのでしょうか?」
「うむ? それは何の話であろうかな?」
「やっぱり、お忘れでしたか。ルウ本家の長姉ジバ=ルウといえば、ダビラの薬草を見つけだした功労者でしょう?」
族長は眠たげな目つきのまま、「おお」と瞳を輝かせた。
「そうかそうか。俺もどこかで聞いた覚えのある名前だと思っていたのだ。なるほど、お前があの高名な女衆であったのだな。これは礼を言うのが遅くなって、申し訳なかった」
「あ、いえ……」
「ダビラの薬草のおかげでもって、俺たちは三人もの子を生すことができた。そして四人目は、腹の中だ。今度はどれほど愛くるしい子が生まれてくるかと、胸を弾ませているさなかであったのだ」
族長は決して昂ることなく、ただ和やかに微笑んだ。
「そういえば、さまざまな野菜を口にするべきだと進言したのも、お前であったのだったな。あれのおかげで、俺たちはいっそうの力を手にすることができたのだ。かえすがえすも、お前には頭が上がらん。森辺の族長として、スンの家長として、可愛い子供たちの親として、心よりの感謝を捧げさせていただこう」
ジバ=ルウは、かつてガゼの族長にも感謝の言葉を捧げられている。それに比べれば、このたびはあまりに気安い雰囲気であったが――それが逆に、ジバ=ルウに大きな感慨をもたらした。
(なんというか……なんて真っ当で、当たり前なお人なんだろう。族長の身で、こんな気負うこともなく自然に生きていけるだなんて……あたしには、想像もつかないな)
ジバ=ルウがそんな想念にひたっていると、族長はいっそう朗らかに笑った。
「そういえば、ジバ=ルウは俺と同じ齢であるという話ではなかったかな?」
「ええ。あたしも父からそんな風に聞いていました」
「そうかそうか。では、俺も伴侶もジバ=ルウも、五歳でこのモルガの森に移り住んだということだ。おそらくそれは、もっとも幼い身であの過酷な旅を乗り越えた三人ということになるのであろうな」
そう言って、族長は白い歯をこぼした。
「そんなお前が数々の大役を果たして、ついにはルウの家長となったことを、誇らしく思う。どうかこれからも、懇意にさせてもらいたく思うぞ」
「ええ。族長にそうまで言っていただけるのは、ありがたい限りです」
「堅苦しいな。俺のことは、ダナヴィン=スンと呼んでくれ。……まあ、家長会議には口うるさい人間も参ずるので、あちらでは口をつつしむべきかもしれんがな」
そのように語る族長ダナヴィン=スンは、最後まで涼やかな風のごとき気配であった。




