02 獣と兵士
「静まれ……静まれ、同胞たちよ!」
しばらくして、族長が雄々しい声を張り上げた。
世界を揺るがしていた歓声がひいていき、しんと静まりかえる。しかし、空中に残された熱気がふつふつと煮えたぎっているかのようであった。
「これだけ広大な森であれば、我々が暮らしていくのに不自由はなかろう。しかし、この森にもどのような脅威が潜んでいるかわからない。我々の試練は、まだ始まったばかりであるのだ」
すると、一団の中から「そうだとも!」という野太い声があげられた。黒猿の頭骨をかぶり、黒い毛皮を肩から垂らした、大柄の男衆――勇猛で知られる、ドムの狩人である。
「だが、どのような脅威でもこの手で退けてくれよう! 我々は、新たな故郷を手に入れるのだ!」
新たな歓声が巻き起こると、族長がそれを手振りで制した。
「ではまず選りすぐりの狩人で組を作り、森の様子を探る。すべての氏族からひとりずつ、もっとも力を残している狩人が進み出るがいい」
族長の声に応じて、あちこちから狩人が進み出た。
誰もが無残に痩せ細っているが、その身からは炎のごとき気迫がたちのぼっている。その中に、ジバ=ルウの父の姿もあった。
「やっぱりルウからは、父さんが出向くことになった。父さんなら、どんな脅威でも退けてくれるはずだ」
こちらに近づいてきた長兄が、そんな言葉を投げかけてくる。その目が、いぶかしげに細められた。
「なんだ。ジバは何故、泣いているのだ? お前はそのように弱い子供ではなかったはずだ」
ジバ=ルウは止めようもない涙をこぼしながら、力なく首を振る。すると、次兄が代わりに答えてくれた。
「弟が、魂を返しちゃったんだ。せっかく、新しい森を見つけたのに……」
熱を失った弟の身は、地面に横たえられている。
それを見下ろした長兄はぎゅっと唇を噛んでから、「そうか」と言い捨てた。
「この森で暮らすことになったら、すぐに弔ってやろう。それまで、お前たちが見守ってやってくれ」
「うん、わかったよ……兄さんは、どこに行くの?」
「残る狩人は前に並んで、同胞を守るんだ。どんな獣が飛び出してくるかもわからないからな」
「え……だけど、兄さんだってまだ十一歳じゃないか」
「俺より力を落としている狩人は、たくさんいる。年齢なんて関係なく、力ある人間が一族を守るんだ」
そんな言葉を残して、長兄は人垣の向こうに消えていった。
女衆や幼子は後ろに下げられて、ずらりと立ち並んだ男衆が刀を手に立ちはだかる。その向こう側では、森に入る狩人たちが集結したようだった。
その数は、せいぜい八十名ていどである。
二百以上は存在したはずの氏族も、すでにそれだけの数になっていたのだ。他の氏族においても、力を失った眷族は親筋の氏族の家人となったようであった。
「五名ずつで組を作り、左右に広がれ。おたがいの声が届くぎりぎりの距離を保ち、危険が生じた際には左右の組に知らせるのだ」
族長の指示のもと、狩人の精鋭たちは森に踏み込んでいく。
太陽はすでに、西に傾きかけていた。日没まで、もう何刻もかからないだろう。果たして今日の内に、弟を弔うことはできるのか――ジバ=ルウは涙をぬぐいながら、動かぬ弟の亡骸を見守ることしかできなかった。
地べたに座り込んだ女衆や幼子たちは、期待と不安の入り交じった面持ちで祈りを捧げている。
その中に、もはや年老いた人間の姿はない。老人も赤子と同様に、この苦難の道のりで魂を返すことになったのだろう。もしかしたら、ジバ=ルウより幼い子供もほとんど存在しないのかもしれなかった。
「……なんだかちょっと、妙じゃないか?」
しばらくして、次兄がそんなつぶやきをこぼした。
すると、次兄と同じぐらいの齢をした子供が「何がだ?」と聞き返す。それは眷族たるシュティファの家人であった。
「俺たちが座っている地面は真っ平らで、それがずっと東西にのびている。もしかしたら……これは、外界の道なんじゃないか?」
「外界の道? 人間が暮らしていない場所に、道なんてないだろう」
「でも、外界は広いから……見えないぐらいの遠くに人が住んでいて、この道で行き来してるんじゃないか?」
「でも、この森は誰にも踏み荒らされていないみたいだって、さっき父さんたちが言ってたよ。外界がどうだって、関係ないさ」
そう言って、シュティファの子供は熱っぽい眼差しを森のほうに向けなおした。
次兄は不安そうな面持ちで、弟の亡骸に目を落とす。弟の死に悲しみながら、ジバ=ルウにも兄の不安が理解できたような気がした。
(そんなすぐそばにだれかがすんでいたら、またもりにひをつけられるかもしれない……そうなったら……あたしたちは、どうなるんだろう……)
ジバ=ルウが不安と悲しみに苛まれる中、時間はのろのろと過ぎていく。
一刻が過ぎ、二刻が過ぎ――そうして太陽が西の果てに沈みかけた頃、騒乱の気配が近づいてきた。
「お、お前たちは、何者か! い、いったいどこから、わいて出たのだ!?」
聞き覚えのない声が、黄昏刻の世界に響きわたる。
周囲の人間が色めきだって身を起こしたのでジバ=ルウもそれに続いたが、幼子の身では何も見えなかった。
「あれは……きっと王国の兵士だよ」
背の高い女衆が、不安に震える声をもらした。
そしてさらに、雄々しい狩人の声が遠くのほうから聞こえてくる。
「我々は、森辺の民だ! 決して外界の民に害をなしたりはしないので、刀を収めてもらいたい!」
「も、森辺の民だと? そんな名前は、聞いたこともない! その姿から察するに、シムの一族か?」
「シムではなく、ジャガルだ! ただし、我々に南の民たる資格はないと言い渡されたため、この地まで逃げのびてきた! 我々は、この森を新たな故郷にしたいと願っている!」
「あ、新たな故郷だと? 馬鹿を抜かすな! これは、モルガの山であるのだぞ! モルガの山は聖域であり、なんぴとたりとも踏み入ることは許されん!」
「聖域? それはどこかで聞いた覚えのある言葉だが……我々が欲しているのは、山ではなく森だ! どうかこの森で暮らすことを許してもらいたい!」
すると、王国の兵士は「ハハッ!」と嘲りの声をあげた。
「この森で暮らすことなど、できるものか! たわけたことを抜かしていないで、とっととジャガルに帰るがいい! さもなくば、その痩せこけた素っ首を叩き斬るぞ!」
「刀を向けられたならば、我々も刀を取る他ない。……我々は、刀で新たな故郷を勝ち取らなければならないのであろうか?」
狩人の声に、静かな迫力がみなぎる。
それと同時に、あちこちから同じ迫力があふれかえった。
「な、なんだ、その目は! そんな棒切れで、我々とやりあうつもりか!?」
「人を相手に刀を振るうのは、本意ではない。どうしてこの森で暮らすことができないのか、その理由を聞かせてもらいたい」
「そ、それは……」
と、王国の兵士が何か言いかけたとき――さらなる騒乱の気配と女衆の悲鳴が響きわたった。
「ギ、ギバだっ!」という兵士の悲鳴も入り交じる。
それと同時に、人垣が割れて――ジバ=ルウの眼前に、恐るべき光景があらわにされた。
森から飛び出した黒褐色の巨大な獣が、暴れ狂っている。
黒猿とはまったく異なる、四本脚の獣だ。ただそのずんぐりとした身体は人間よりも大きく、鼻面のせり出た顔には凶悪な角と牙が生えていた。
そして、その巨大な背中に何者かがへばりついている。
痩せているが手足の長い、白銀の目をした狩人――それは、ガゼの族長であった。
森に入っていた狩人たちもわらわらと姿を現して、巨大な獣を取り囲む。
しかし獣は暴風のように暴れ回り、近づくことも難しいようであった。
「この刀で、こやつの足を叩き斬れ!」
そんな叫びをあげると同時に、族長は鋼の刀を宙に投じる。
それをつかみ取ったのは、ガゼの眷族たるリーマの家長であった。
そして族長は空いた両腕で、獣の首を締めあげる。
その細い腕にどれだけの力が込められているのか、獣は苦しげにのたうち回った。
女衆や幼子は逃げ惑い、石の刀を手にした狩人たちは獣のもとに殺到する。
しかし、暴れる獣に突撃された狩人は胸もとを牙でえぐられて、血を噴き出しながら小石のように跳ね飛ばされることになった。
「迂闊に近づくな! まずは足を奪って、動きを止めるのだ!」
族長の言葉に、リーマの家長が鋼の刀を振りかざす。
その白銀の刀身が、一撃で獣の右前足を断ち切った。
獣は苦悶の絶叫をあげて、地面に倒れ込む。
族長は黒猿のような敏捷さで地面に降り立ち、他なる狩人たちが獣の背中に石の刀を振り下ろす。
火花のように血が飛沫いたが、獣はいっそう暴れ狂い、後ろ足で蹴られた狩人が吹き飛ばされた。
「皆、下がれ!」
リーマの家長の手から鋼の刀をもぎ取った族長が、白銀の斬撃を一閃させる。
すると、獣の首から大量の鮮血が噴きあがり――ついに、その巨体が動かなくなった。
狩人たちは石の刀を振り上げて、勝利の雄叫びをほとばしらせる。
族長が鋼の刀を振り上げると、そこから滴った鮮血が髪と顔を濡らした。獲物を仕留めた狩人は、そうして血を浴びることでその力を我が物とするのだ。
黄昏刻の薄闇の中で、族長の瞳は白銀の炎のように燃えさかっている。
やがて刀を下ろした族長は手振りで同胞をなだめると、横合いを振り返った。
半ば呆然とそのさまを見守っていたジバ=ルウも、つられて族長の視線を追いかける。
平たくならされた道の果てに、おかしな存在が寄り集まっていた。ドムの狩人のように何かをかぶり、二本脚の巨大な獣にまたがった人間の集団である。それが先刻の、王国の兵士たちであるに違いなかった。
「そちらは、何者か? 我々は、森辺の民である」
族長が鋭い声で問い質すと、集団の先頭に陣取っていた男が震える声で応じた。
「わ、我々はジェノスの護民兵団に所属する、偵察部隊だ! お、お前たちは……お前たちは、何者なのだ? ギ、ギバを刀で討ち倒すなど、人間の所業ではあるまい!」
「我々は、人間だ。これなる獣は、ギバというのだな。……黒猿とはまた異なる力を持つ、強大な獣だ」
族長は鋼の刀を水平に構えて、ギバなる獣の亡骸に目礼をした。
黒猿も人間を襲う凶悪な獣であったが、同じ森に住む森の子であったのだ。森辺の民がこの森で生きていくならば、今度はギバが同じ森の子となるのだった。
「このように強き獣を子として抱く森であれば、実りも多いに違いない。我々は、この森を第二の故郷にしたいと願っている」
「そ、そんな話が、許されるわけが……」
そんな風に言いかけた王国の兵士は、力なくかぶりを振った。
「……いや。こんな話を、我々が判じることはできん。何にせよ、このモルガの森と山はジェノスの領地であるのだ。お前たちがこの地で暮らしたいと願うのならば……ジェノスの領主におうかがいを立てる他あるまいな」
「そうか。親切な忠告に、感謝を捧げる。それでは俺が森辺の族長として、ジェノスの領主たる者と語らせていただこう」
「ま、待て待て! そのように簡単な話ではない! まずは我々が、領主に報告を申し上げる! 翌朝には使者が遣わされるだろうから、それまで待つがいい!」
「翌朝? しかし、我々は飢えているのだ。それまで、この森の恵みを口にすることは許されようか?」
「モ、モルガの実りを口にすることは、固く禁じられている! ギバの食料を奪っては、いっそう畑が荒らされてしまうからな!」
族長は「そうか」と目を細めた。
「では、我々はどのようにして飢えをしのぐべきであろうか? このままでは、一夜でまた魂を返す人間が出かねないのだ」
王国の兵士は惑乱した様子で、森辺の民たちの姿を見回す。
それで何を感じ取ったのか、兵士は巨大な獣の背で深々と溜息をついた。
「……近在の村落から、何か食料を運ばせる。この人数では、十分な量を準備することも難しいやもしれんが……それでも、禁忌は禁忌であるのだ。決してモルガの恵みに手をつけることは許されぬぞ」
「ひとまずは、了承した。……では、これなる獣は如何であろうか?」
「な、なに? まさか、ギバを喰らおうとでも言うのか?」
「我々のかつての故郷においても、獲物たる黒猿を喰らうことは許されなかった。しかしそれは、黒猿が人を喰らう獣であったためであるのだ。このギバは、人を喰らうのであろうか?」
王国の兵士はぶるっと身を震わせてから、それに答えた。
「う、飢えたギバは人を襲うが、人を喰らうという報告はされていない。ギバは、畑の収穫を狙うのだ」
「そうか。では、ギバを喰らうことは許されるのだな」
「ま、待て待て! そのギバに関しては、明朝まで手をつけてはならん! ギバを討ち倒した証拠を失っては、こちらの報告が虚言と断じられてしまおうからな!」
そう言って、王国の兵士は巨大な獣ごと身をひるがえした。丸っこい胴体に長い首と長い足が生えた、奇妙な獣である。その顔には、くちばしが生えているようであった。
「と、とにかくお前たちは、その場で待て! 夜の内に食料を運ばせ、明朝には使者を遣わすからな! 決して森に踏み入ってはならんぞ!」
そうして王国の兵士の一団は、砂塵をあげて立ち去っていった。
森辺の同胞たちは、眉をひそめながら顔を見交わす。新たな故郷を見出した喜びを授かるなり、その気持ちが宙ぶらりんになってしまったのだ。自分たちはこの森で生きていくことを許されるのか、許されないのか――その答えは、夜が明けるまで手にすることはできないようであった。




