04 得たものと失ったもの
その後、ルウの集落では少しずつ新たな野菜というものを手にすることになった。
手始めに選ばれたのは、タラパにティノという野菜である。家長が申し述べていた通り、それらはずいぶんとなりの大きい野菜であり、タラパは真っ赤でずんぐりとした形、ティノは緑色の大輪めいた形をしていた。
なおかつ、アリアとポイタンもこれまで通りの量を買いつけている。これまで口にしていた食事に、新たな野菜を加えるという格好であるのだ。これならば、少なくともこれまでよりは多くの滋養をとれるはずであったが――その分、多くの銅貨が必要となった。
「決して喜べる話ではないが、この近年でも狩人の数はじわじわと減っている。であれば、しばらくは新しい刀を買いつける必要もないので、その分を食材に回すのだ」
家長の断固たる命令により、ルウの家人たちは新たな食事を口にすることになった。
ちなみに、眷族のシュティファはそこに含まれていない。ルウとシュティファの家長で話し合った結果、まずはルウだけで様子を見るという話に落ち着いたのだ。それもまた、親筋の責任というものであった。
「でも、僕はタラパっていう野菜、ちょっと苦手かも……」
そんな風に語っていたのは、家長の子たる十一歳の男児である。モルガの森で生まれた彼は、初めてアリアとポイタン以外の野菜を口にしたのだった。
「こういう味は、酸っぱいっていうんだよ。幼い子供は、酸っぱい味や苦い味が苦手みたいだね」
「うむ。しかしこのタラパにも、大きな滋養が詰まっているはずであるのだ。立派な狩人になるための試練であると思って、こらえるがいい」
そんな家族の励ましのもと、家長の子も懸命に新たな食事を口にしていた。
然して、その影響は――実に顕著であった。タラパとティノを口にするようになってから半月ていどで、男衆が騒ぎ始めたのである。
「なんだか嘘のように、腹の通りがよくなったぞ!」
「うむ! すっかり身体が軽くなった! これならば、毎日同じように力を振るうことがかなおう!」
また、騒いでいるのは男衆ばかりであったが、陰では女衆も喜びの声をあげていた。実のところ、腹の通りに男女でそれほどの違いはなかったのだ。ただ、女衆はそのような話を口にするのを恥じらっていただけの話であった。
「ただし、ひときわ腹の通りが悪かったのは、他の家人よりも多くの肉を喰らっていた男衆であるようだ。肉を多く喰らうならば野菜も同じだけ喰らう必要があるということだな」
家長は、そんな風に語っていた。
男衆の多くは、女衆よりも多くのギバ肉を喰らっていたのだ。通常、ギバ肉は食べきれず森に返すことが多かったため、どれだけ口にしても問題はなかったのである。それで、身体が大きい男衆ほど多くのギバ肉を喰らっていたわけであるが、アリアやポイタンは銅貨の無駄にならないようにと女衆と同程度の量しか口にしていなかったわけであった。
そうして男衆の大半がこれまで以上の力で仕事に励むと、これまで以上のギバを狩ることができた。
それで生まれた余剰の富でもって、また異なる野菜が買いつけられることになった。
次に選ばれたのは、ネェノンにチャッチにナナールという野菜である。ネェノンはほのかに甘みがある朱色の野菜、チャッチはあまり味がしないがほくほくとした食べ心地で丸い野菜、ナナールはいくぶん青臭い葉菜であった。
それらの野菜を増やした分は、タラパとティノの量を減らす。しかし、新たな三種の野菜は明らかにアリアよりも高値であったため、より多くの銅貨が必要であったのだ。タラパとティノだけでも明確な変化を実感できていたが、家長は決して妥協しようとしなかった。
しかしここでは、そこまで明確な変化は生じなかった。
腹の通りは良好のままであったが、それ以外の大きな変化はなかった。ただ、家人の多くは言葉にできないぐらいの微細な変化を感じ取っていた。
「うまく言えないけど、俺は正しい食事をしているような気がするよ。なんとなく、身体の芯がしっかりしたような感覚なんだ」
そのように語っていたのは、ラック=ルウである。
そして、家長の子はひそかに喜びの思いをあらわにしていた。タラパの量が減った分、幼子にとっては食べやすい食事になったのだ。また、彼は独特の食感を持つチャッチがお気に召したようであった。
(まあ、どんな野菜を使ったって、けっきょくは獣くさいギバの鍋だけどね)
ジバ=ルウはそのように考えていたが、もちろん口にしたりはしなかった。どうあれ森辺の民はギバを喰らって生きるしかないのだから、そこに文句をつけてもしかたないのだ。そして、ギバ以外の肉を知らない幼子たちにそんな話を聞かせても、余計な疑問を抱かせるだけの話であった。
そしてその後はゾゾやペペやプラといった野菜も買いつけることになり、それで手軽に入手できる野菜はひと通り口にすることになった。
さすがにそれだけの数に及ぶといっぺんに使うことも難しいため、日替わりで三、四種ていどの野菜を使うことになる。そうしてさまざまな野菜をまんべんなく口にして、肉体の変化を探るのだ。
それでもやっぱり劇的な変化というものが訪れることはなかったが――ルウの家人一同は、思わぬ形で新しい食事の得難さを実感することになった。
年に三度ほどやってくる休息の期間においては半月ほどギバが狩れなくなるので、その間は出費を抑えるために他なる野菜を購入することを差し控えたのだ。するとたちまち家人の多くは不調を訴え、自分たちがどれだけ新たな力を得ていたかを痛感させられたのだった。
「アリアを日に二個食していれば、腹が詰まることはない。しかし、修練に励んでいるだけで息が切れてしまうのだ」
そのように語るのは、おおよそ壮年の男衆である。しかし、まだまだ若い男衆でも、力が落ちたことをはっきり感じ取れたとのことであった。
「休息の期間が明けた折には、用心が必要だな。決して逸ることなく、生命を守ることを一番に考えながら仕事を果たすのだ」
そんな家長の厳命のもと、狩人たちはギバ狩りの仕事を再開させた。
休息の期間が明けてさらに半月ほどは、ギバの収獲も安定しない。ギバに喰い尽くされた森の恵みが完全に回復するまでは、これが毎回の話であったのだ。しかしある意味、十全な力が戻るまでギバの数が少ないというのは、幸いな話であるはずであった。
そうして半月ほどが過ぎ、ギバの収獲が安定を見せ始めたならば、また少しずつ新たな野菜を買い足していく。そうすることで、今度ははっきりと変化が感じ取れた。以前よりも体力がつき、仕事のさなかに力尽きることもなくなったという報告が相次いだのだ。なおかつ、口にする肉の量は変わっていないのに、以前よりもいっそう筋肉がついたという話も届けられた。
そこで家長は、最後の決断に踏み切った。
独自の滋養を持つというポイタンも、倍の量を口にすることに決めたのだ。
どれだけの野菜を買いつけても、ポイタンの滋養を補うことはできない。そして、一日に一個のポイタンというのは町の人間の常識であったため、それよりも過酷な仕事に励む狩人にはさらなる滋養が必要なのではないか――と、ジバ=ルウ自身が助言した結果であった。
よって、倍の量のポイタンを口にするのは、男衆のみである。
もとよりポイタンというのはのきなみ煮汁に溶けてしまう性質であったため、男衆は倍の量の煮汁を飲み干すことになったわけであった。
そちらの効果は、顕著であった。
実施から十日も待たずに、いっそうの力がついたという報告が相次いだのだ。またこのたびは、成長盛りであった若い狩人ほど影響が大きかったようであった。
そうして四ヶ月ほどが経過したならば、また休息の期間がやってくる。
それでまたアリアとポイタンのみの食事に戻すと、目に見えて体力の減退が発露した。休息の期間はギバ狩りの仕事もなく、女衆も男衆に仕事を手伝ってもらっているというのに、一日の終わりには得も言われぬ倦怠感を覚えるほどであった。
「今にして思えば、昔はこれが当たり前だったんでしょうねぇ。新しい野菜を口にしている間はずいぶん元気だったんだって思い知らされましたよ」
と、女衆からもそんな声が次々と届けられた。
さらに大きな変化があらわれたのは、翌年の雨季である。
雨季にはギバの数が減ることもないが、狩人の動きが鈍るために収獲の量が落ちる。それでどうしても新たな野菜を買い求めるほどのゆとりがなく、また多くの人間が体力の減退を実感させられたのだった。
しまいには倍のアリアを買うことも難しくなり、腹の通りまで悪くなる。狩人たちはいっそう力を落とし、この年の雨季では三名もの男衆が魂を返すことになってしまった。
「しかし、去年の雨季にも三名の狩人が魂を返しているのだ。よって、力が落ちたのではなく、もとの状態に戻ったということだな」
家長は厳しい面持ちで、そんな風に言っていた。
そうして雨季が明けたならば、また少しずつ蓄えを増やして新たな野菜を買いつけていく。いったん力を落とすと回復させるのもひと苦労であったが、それでも最終的にはまた十分な力を取り戻すことがかなったのだった。
「一年近くをかけて、はっきりした。我々にとって、アリアとポイタンだけでは滋養が足りていないのだ。今こそ、この真実を他なる氏族にも伝えるべきであろう」
家長はそんな思いを胸に、その年の家長会議に出向いた。
しかし――はかばかしい反響は得られなかったとのことであった。
「そもそも余所の氏族は、まだ半数以上が飢えで苦しんでいるのだ。褒賞金がなければアリアやポイタンを満足に買うこともできず、ダビラの薬草すら手が出ないらしい。現時点で他なる野菜を手にできるのは、スンの血族と……あとはせいぜい、レイやルティムぐらいかもしれんな」
「そうか。食事をあらためれば、これまで以上の力でギバを狩れるはずなのに……なかなか、うまくいかないものだね」
ラック=ルウが気の毒そうに言うと、家長は毅然たる面持ちで「そうだな」とうなずいた。
「しかしこればかりは、各々の力で乗り越えるしかない。俺たちも、まずは血族が明るい行く末を迎えられるように力を尽くすのだ」
家長の言う通り、ルウの血族とていまだに安楽な生活に身を置いているわけではなかった。病魔やお産で魂を返す人間は減り、これまで以上の力でギバを狩れるようになったものの、苦しい時代の悪影響がいよいよはっきりとのしかかってきたのだ。
この年で、ジバ=ルウは二十三歳になっている。
そして、ジバ=ルウより十歳下までは、極端に家人の人数が少ないのだ。モルガの森に辿り着いた時点で五歳のジバ=ルウより幼い子供をすべて失ってしまったことと、その後の五年間で数多くの幼子を失ったことに起因する弊害であった。
十三歳から二十三歳までの家人が数えるぐらいしか存在しないというのは、大きな負担である。男衆に限っても、この十年ぐらいは新しい狩人がほとんど育っていないということになるのだ。たとえ食事の変化でさらなる力をつけたと言っても、老いた人間の衰えを止めることはかなわないので、狩人の人数は目に見えて減少していった。
「まだあと数年は、苦しい時代が続くことだろう。それを打ち破るのが、お前たちであるのだ」
家長は時おり、そんな言葉を我が子に投げかけていた。
家長の子は、ダビラの薬草の恩恵を授かった最初の世代であるのだ。十二歳となるその男児を筆頭に、その下には数多くの幼子たちが成長の時を待ちかまえていた。
もちろんジバ=ルウとラック=ルウの子供たちも、その中に含まれている。
長姉は七歳、次姉は五歳、長兄ドグラン=ルウは二歳、次兄モーティ=ルウは一歳――これだけの子供を授かることができて、ジバ=ルウは幸福な限りであった。
なおかつ、これらの子供たちはすでに全員が『アムスホルンの息吹』を乗り越えている。
彼らは大神の試練を乗り越えて、この地で生きていくことを許されたのだ。それがどれだけの喜びであるかを、ジバ=ルウは痛感させられていた。
(たったひとりの子供を残して伴侶が魂を返してしまって、兄さんはどれだけ嘆き悲しんでいたんだろう……あたしはこんな幸運に恵まれたんだから、そのぶんルウのために力を尽くすんだ)
ジバ=ルウはそんな思いでもって、愛しい子供たちの面倒を見た。
そして翌年には、ついに五人目の子を授かることができた。兄たちに負けないぐらい大きな身体で生まれた、女児である。
しかしジバ=ルウは、これまでほどお産で苦しむこともなかった。
それもきっと、食生活をあらためた恩恵であるのだろう。ふくふくと丸っこい体型をした赤子はいかにも滋養が行き渡っている様子で、元気な産声をあげていた。
「……この子には、ルミアっていう名をあげたいんだけど……どう思う?」
ジバ=ルウが思い切ってその言葉を口にすると、ラック=ルウは優しく目を細めて微笑んだ。
「ルミア=ルウ。いい名前だね。今度は、何にあやかっているのかな?」
「……一歳になる前に魂を返した、あたしの妹の名前だよ。今までは、怖くてその名前をつけられなかったんだけど……この子だったら、きっと強く生き抜いてくれると思うんだ」
ジバ=ルウの言葉に、ラック=ルウはいっそう目を細めた。
「俺も妹の名をつけたいと考えたことがあるけど、怖くてできなかったんだよ。……やっぱり、ジバは強いね」
「強いのは、この子だよ。この子が、あたしに勇気をくれたんだ」
ジバ=ルウは赤子が起きてしまわないように気をつけながら、その小さな身体をぎゅっと抱きすくめる。
ジバ=ルウはこれまでに、五人の家族を失っている。両親と次兄、弟と妹だ。そんなジバ=ルウが、ついに五人目の子を授かることがかなったのだった。
(みんな、あたしたちを見守ってくれてる? まだまだ大変なことも多いけど……あたしたちは、立派に生き抜いてみせるよ)
そんな風に考えると、ジバ=ルウの目もとに熱いものがにじんだ。
そして――次なる変転の時は、すでに二年後に迫っていたのだった。




