07 弔いの夜
その夜は眷族のシュティファもこちらの集落に呼びつけて、弔いの儀式が行われることになった。
五名の亡骸は森の端に埋葬されて、弔いの祈りが捧げられる。
そしてその後は、血族の全員で五名の生命を奪ったギバの肉を喰らうのだ。これは決して森辺の習わしではなく、長兄がその場で取り決めた話であった。
かつて黒き森で過ごしていた時代は黒猿の肉を喰らうことが禁じられていたため、その力を我が物とするために血を浴びていた。モルガの森に移り住んでからもその習わしは続けられており、ジバ=ルウもガゼの族長がギバの血を浴びていた姿を二回ほど目にしたことがあったが――その後、同じ行為に及んだ狩人の何名かが病魔に見舞われて、魂を返すことになったのだ。
またそれ以外にも、ギバの肉を生焼けで食した人間が病魔に見舞われている。
それでギバの血肉は入念に火を通さなければ毒になることが判明し、生き血を浴びる習わしも取りやめられることになったのだ。その代わりに、森辺の民はギバの肉を喰らうことでその力を我が物にしようという意識がいっそう高まったのだった。
「このギバは、森の主と呼ぶのに相応しき存在であろう! その肉を喰らい、我が力とするのだ!」
そのように語る長兄もまた、頭に灰色の包帯を巻いている。彼らは十名がかりで森の主なるギバと戦い、五名の血族を失いながら、最後に勝利を収めたのだ。その中には、ラック=ドグランも含まれているのだという話であった。
ルウとドグランの集落にはあちこちに簡単な石のかまどが組みあげられて、すべての鉄鍋が持ち出されている。まるで収穫祭か、婚儀の祝宴のような賑わいだ。しかしそこに喜びの思いはなく、悲嘆の思いをねじ伏せようとする激情だけが燃えさかっていた。
目もとを赤く泣きはらしたジバ=ルウは、分家の女衆とともにひとつの鉄鍋を預かっている。
するとそこに、おかしなものを携えた長兄が近づいてきた。
「ジバよ。そちらの中身が尽きたら、こいつを入念に煮込んでくれ」
長兄が抱えていたのは、毛皮を剥がされたギバの生首であった。
「……そんなものを煮込んで、どうするの?」
「こいつの牙と角は切り落とさず、頭骨を家に祀るのだ。ガゼの祭祀堂でももっとも血族を苦しめたギバはそのように扱われていたので、俺たちもそれにならうことにする」
長兄はその目を爛々と燃やしていたが、表情はもとの静謐さを取り戻していた。
「……うん、わかった。食べる分が尽きたらでいいんだね?」
「うむ。煮込んで、肉や中身を溶かすのだ。その後に、水で清めて家に祀る」
そんな風に言い置いてから、長兄は分家の女衆のほうを見た。
「ちょっとジバと話があるので、お前も腹を満たしてくるがいい」
分家の女衆は無言で一礼して、広場の中央に立ち去っていく。
ギバの生首を地面に置いてから、長兄は静かに語り始めた。
「ついにルウ本家の人間は、三人きりになってしまったな」
「……三人? 四人じゃなくて?」
「伴侶を失った人間を家に留めても、仕方なかろう。あの女衆は、もとの家に戻ってもらう」
次兄の伴侶は、二度までも伴侶を失うことになったのだ。
そしてジバ=ルウは、父と兄を同時に失った。残る家族は、長兄とその子の二人きりであった。
「これからは俺がルウ本家の家長として、血族を導いていく。そして、俺の子が育つまでは、お前にも力を尽くしてもらいたい」
「うん。シュティファの次兄と婚儀を挙げればいいんだね」
長兄は燃える眼光のまま、「いや」と首を横に振った。
「お前の伴侶は、ドグランの次兄たるラック=ドグランだ。お前にも、了承してもらいたい」
「え? だけど、ラック=ドグランは跡継ぎだから……」
「ドグランは氏を捨てて、ルウの家人となる。さきほど、そのように取り決めたのだ」
言葉の意味がわからずに、ジバ=ルウは無言で長兄を見返す。
長兄は、昂ることなく言葉を重ねた。
「ラック=ドグランは俺とともに、森の主を討ち倒した。狩人としては、申し分ない力量だ。ただ……その身の力に、心のほうが追いついていない。とりわけ情の深いあいつは、父の死を乗り越えてドグランの家長の座を受け継ぐことはままなるまい」
「いや、ラック=ドグランだったら……」
「うむ。本来のあいつであれば、父の死を乗り越えることもできただろう。正しく言うならば……父とお前の両方を失うことには耐えられないということだ」
ジバ=ルウは、いっそうわけがわからなくなってしまう。
すると長兄は燃える眼光をまぶたに隠して、口もとに苦笑を浮かべた。
「あいつはそれぐらい、お前のことを強く想っているのだ。よって、お前がシュティファから婿を取るなどと聞かされたら、父を失った悲しみに潰されてしまうはずだ。それではドグランの家人を導くこともままならんので、ルウの家人に迎えるということだな」
「で、でも……それだけのことで、ドグランの氏をなくしてしまうなんて……」
「ドグランの家人も、ぎりぎりのところで踏ん張っていたのだ。頼もしき家長を失い、その跡継ぎまでもが潰れてしまったら、どのみち耐えることはできまい。であれば、その力が損なわれる前に、ルウの家人として迎え入れる。ドグランの氏が滅ぶ分、ルウがいっそうの力で血族を導くのだ」
長兄は苦笑を消して、再び燃える双眸をあらわにした。
「これが俺の決定であり、すでにドグランの家人たちからも了承を得ている。どこからも、反対の声はあがらなかったぞ」
「え……本当に?」
「うむ。どのみちラック=ドグランがお前と婚儀を挙げるには、ルウに婿入りするしかないのだからな。ドグランの分家が本家として跡を継ぐという道もあったが、いずれの家長も肯んじなかった。それぐらい、あやつらも瀬戸際であったということだ」
そう言って、長兄はジバ=ルウの肩に手を置いた。
「俺はルウの家長として、正しい決断を下したと思っている。だから、お前にも了承をもらいたい。……ラック=ドグランを、婿として迎えてくれるな?」
ジバ=ルウは心も定まらないまま、「うん」とうなずいた。
「あたしには、やっぱりわからないところもあるけど……兄さんが正しいっていうんなら、その決断を信じるよ」
「うむ。その信頼に応えると約束しよう。そして、お前の尽力にも期待しているぞ」
長兄は悲壮なまでの覚悟をあらわにしながら、どこか彼らしい優しさもにじませていた。
それでジバ=ルウが、また涙ぐんでしまいそうになったとき――広場に、おかしな喧噪が生じた。
「何事だ! 今は、弔いの時だぞ!」
たちまち長兄が怒声をあげると、喧噪があがった方向の人垣が割れた。
そこにたたずむのは、血族ならぬ四名の男衆である。その姿に、長兄はいっそう眼光を燃やした。
「なんだ。どうして血族ならぬ人間が、この集落に足を踏み入れている?」
「すまんな。今まさに、了承をもらおうとしていたところだ」
ふてぶてしい声をあげながら、その四名がこちらに近づいてくる。
二人は壮年、二人は若者だ。ただし、その首に大層な首飾りを下げているのは、壮年のひとりと若者のひとりであった。
「察するところ、お前さんがルウの長兄か? だとしたら、見違えたな。さすが、強き父のもとで鍛えられたようだ」
そのように語るのは、立派な首飾りを下げた壮年の男衆である。
丸々とした肉付きのいい体格で、額はずいぶん禿げあがっていたが、褐色の髪を背中までなびかせている。その姿に、ジバ=ルウは思わず「あっ」と声をこぼした。
「兄さん。たぶんこの人は……ルティムの家長だよ」
「なに? どうしてお前が、ルティムの家長などを見知っているのだ?」
「あたしたちが初めて森辺に踏み入った日に、ルティムやレイの人たちと同じ場所で夜を明かしたでしょう? あのときに、あたしたちも顔をあわせてるんだよ」
すると、ルティムの家長と思しき壮年の男衆が「ほう!」と声を張り上げた。
「十年も前のことを、よくも覚えていたものだな! あの頃の俺は、ずいぶん痩せ細っていたはずだが……ひょっとすると、お前さんがルウの長姉か?」
「は、はい。ルウの長姉、ジバ=ルウです」
「そうかそうか! お前さんのおかげで、俺の子供もついに『アムスホルンの息吹』を乗り越えることができたのだ! お前さんには、前々から感謝していたぞ!」
丸々と肥えた顔に陽気な笑みを広げながら、ルティムの家長は隣にたたずむ若者の背中をどやしつけた。
「ちなみこちらは、レイの家長だ! あの夜に挨拶をした父親は魂を返してしまい、こやつが跡を継ぐことになった! まだ若いが、なかなかの力を持つ狩人だぞ!」
「ふふん。ルウの新たな家長も、なかなかの力を持っているようではないか。弔いの場でなければ、力比べでも挑みたかったところだな」
こちらの長兄と同い年ぐらいに見えるレイの家長も、不敵に微笑んだ。こちらは金色がかった髪をした、見目のいい男衆である。
長兄はいっそう眉をひそめながら、両者の顔を見比べた。
「では、後ろの二名は供ということか。それで、ルティムの家長とレイの家長がいったい何用であるのだ?」
「俺たちは家長会議でも、ルウの家長と懇意にしていたのだ。あやつは腕が立つばかりでなく、頭のほうも心意気のほうもなかなかであったからな」
「うむ。あれほどの狩人が早々に魂を返してしまうとは、実に惜しいことだ。……察するに、そいつがルウの家長を道連れにしたギバか」
レイの家長が、地面に置かれていたギバの生首に視線を落とす。それを目で追いかけたルティムの家長は、また「ほう!」と声を張り上げた。
「これほどに巨大なギバを目にしたのは、初めてのことだ! よくも残る狩人たちで仕留めたものだな!」
「うむ。あやつの力は、しっかり血族に受け継がれているということだ」
レイの家長がにやりと笑い、長兄の顔を見据えた。
「そして次の家長会議からは、お前が参じるということだな。よければ、そのときにでも手合わせを願いたい」
「……そのような話を伝えるために、弔いの場を騒がせたのか?」
「俺たちも、ルウの家長を弔いたかったのだ。血族ならぬ身で、そのような真似をする理由はなかろうが……あやつはそれぐらい、立派な人間であったからな」
そう言って、ルティムの家長は供の若衆に顎をしゃくる。
若衆は狩人の衣の内側に隠し持っていたものを差し出した。ルウでも祝宴の日にわずかに買い求める、果実酒の土瓶である。
「こいつは、弔いの場を騒がせた詫びだ。どうかこれからも、ルウとは懇意にさせてもらいたい」
長兄はしばらくルティムの家長の笑顔を見据えてから、「よかろう」と土瓶を受け取った。
「では、返礼だ。そちらも森の主の肉を腹に収めるがいい」
「森の主とは、そのギバのことか? しかし、血族ならぬ相手に食事をふるまうのは、森辺の習わしにそぐわぬ行いであろう?」
「先に習わしを踏みにじったのは、そちらであろうが? 非礼には非礼を返すしかあるまい」
そうして長兄までもが不敵な笑みをたたえると、二人の家長たちも愉快そうに笑い声をあげた。
「さすが、あやつの息子だな! これならば、ルウ家も安泰だ!」
「うむ。手合わせをする日が、ますます楽しみになってきたな」
「では、こちらに。皆にも、事情を伝えなければならんからな」
長兄はジバ=ルウにうなずきかけてから、時ならぬ客人たちとともに立ち去っていく。ひとり取り残されたジバ=ルウは、涙をこらえて天を見上げることになった。
(父さん……父さんは、やっぱり立派だね)
余所の氏族の人間が弔いの場に出向くことなど、そうそうありえる話ではないのだ。年に一度の家長会議だけで、父は他なる氏族の家長たちとそこまで絆を深めていたのだった。
なおかつ、狩人ならぬジバ=ルウにも、さきほどの二人がとてつもない力を持っていることが見て取れる。そんなにも立派な狩人たちが父の死を悼み、弔いの場まで足を運んでくれたのだ。ジバ=ルウは、父の偉大さに心を満たされて――そして、それを失ってしまった悲しみに、新たな涙をこぼすことになった。




