06 非業の運命
ジバ=ルウは、十五歳になってもあまり背が大きくならなかった。
まあ、そこまで極端に小さいわけではないのだが、少なくとも年長の女衆でジバ=ルウよりも小さな人間はいない。もっとも小さな女衆でも拳ひとつぶん、大柄な女衆であれば頭ひとつぶんも違うぐらいであった。
「しかしジバも、ようやく婚儀を挙げられる身となったのだ。お前は幼い頃から大人びていたものだから、ずいぶん待たされた心地だぞ」
ジバ=ルウの生誕の日の夜、父はとても温かな眼差しでそんな風に言ってくれた。
生誕の日でも、昔のように豪勢な食事が並べられることはない。ただ、家人から贈られた花で装束を飾られただけで、ジバ=ルウは幸福な心地であった。
他の家族たちも、みんな安らいだ面持ちでジバ=ルウのことを見守ってくれている。
長兄とその子供、次兄とその伴侶という四名である。長兄の子はようやく四歳となり、昨年から本家で暮らすようになったのだ。伴侶を失ってから表情の重くなった長兄も、それでようやく元来の力強さを取り戻したのだった。
ただそのぶん、次兄の伴侶のほうが以前よりも沈んだ顔を見せることが増えていた。
婚儀を挙げて三年が過ぎた現在もなお、次兄との間には子が生まれていなかったのだ。すでに次兄は十八歳、伴侶も二十一歳という齢になっていた。
「ジバもこの日に備えて、心の準備を進めていたはずだ。早速の話ですまないが、お前の婚儀について語らせてもらいたい」
ギバ肉とアリアとポイタンの煮汁をすすりながら、父はにわかに真剣な眼差しとなった。
「お前は幼い頃より、ドグランの次兄たるラック=ドグランの嫁になるのだと言い渡されていたことだろう。たがいに齢の近い人間がいないため、俺もそのように考えていたのだが……ここで、一考を願いたい」
「うん。他に誰か、相応しい相手がいたの?」
ジバ=ルウが落ち着いた声を返すと、父はいくぶん苦しげに眉を寄せた。
「うむ……シュティファの次兄を婿に迎えてはどうかと……俺は、そのように考えている」
「え?」と驚きの声をあげたのは、次兄であった。
「ちょっと待ってくれよ。シュティファの次兄って、本家のかい? あいつは、兄さんよりも年長なぐらいじゃないか」
「それでも、いまだに二十五歳だ。伴侶を娶るのにおかしな齢ではない」
「でも、ジバとは十も離れているじゃないか。それに、その齢まで婚儀の相手がいなかったっていうことは、何か理由があったんだろう?」
「……シュティファの次兄は気性が荒く、周囲の女衆から忌避されていたのだ。しかし、ジバぐらい聡明であれば、そんな男衆をたしなめることもかなおう」
「そんなの、おかしいよ。どうしてジバが、そんな厄介者を押しつけられないといけないのさ。しかも、ラック=ドグランっていう格好の相手がいるのにさ」
すると、次兄の伴侶が深くうつむいた。
「わたしのせいです……わたしが子を孕めないから、ルウ本家には子供が足らず……ジバに婿を迎えなければならなくなってしまったのですね」
次兄は唇を噛みながら、常にないほど思い詰めた眼差しを父に向ける。
父は苦しげな面持ちのまま、鋭い眼光でそれを見返した。
「ラック=ドグランは次兄だが、長兄が魂を返しているためにドグラン本家の跡継ぎとなる。よって、婿として迎えることはできんのだ」
「でも……俺たちに子ができないのは、ジバのせいじゃない。それでジバが重荷を背負うことになるなんて、おかしいよ」
「シュティファの次兄は、ラック=ドグランよりも強き力を持っている。このように女衆の数が少なくなければ、婚儀の相手に困ることもなかっただろう。ルウ家には、強き血が必要であるのだ」
父が重々しい声で語ると、次兄もまたうつむいた。
そこで、我が子の小さな頭を撫でながら、長兄が静かな声をあげる。
「……だったら、ルウ家には俺とこいつがいる。跡継ぎには、まったく困らないはずだ。どうかジバには、自由な生を歩んでもらいたい」
父は変わらぬ眼光で、長兄の顔を見据えた。
「お前は跡継ぎに相応しい力を身につけた。しかし、その子はまだ四歳ではないか。お前が若くして魂を返したならば、本家の血筋が絶えるのだぞ」
「俺はこの子が立派な狩人として育つまで、決して魂を返したりはしない」
「馬鹿を抜かすな。どれほど力のある狩人でも、いつ魂を返すかわからんのだ。ドムの家長が魂を返したとき、お前も覚悟が足りていなかったと言っていたではないか」
「懐かしいな。確かにあの頃の俺は、覚悟が足りていなかった」
長兄はとても静かな表情で、そう言った。
「しかし俺は、覚悟を固めた。決して若くして魂を返すことなく、この子を立派に育てあげると母なる森に誓おう」
「軽々しく誓いの言葉を口にするな。それは、母なる森への冒涜となる」
父の目に、炎のような激情の光がよぎる。
そこでジバ=ルウは、初めて声をあげた。
「もういいよ。あたしは、シュティファの次兄を婿に迎える。だから、もう言い争わないで」
次兄と伴侶は愕然と顔を上げ、長兄は落ち着いた眼差しを向けてくる。
そして父は、いっそう苦しげに眉を寄せた。
「お前は……それでいいのだな?」
「うん。みんなはあたしとラック=ドグランが両想いだって思ってたのかもしれないけど、そんなことはないんだよ」
ジバ=ルウが微笑みをたたえながらそのように告げると、長兄がわずかに首を傾げた。
「そうなのか? 俺から見ても、二人は仲睦まじいように思えたぞ」
「ううん。ラック=ドグランは二歳も年長だけど、あたしは弟みたいに思ってたんだよ。だから別に、恋心を抱いていたわけじゃないの。というか、あたしには恋心っていうのがよくわからないから……誰が伴侶でも、かまいはしないんだよ」
「だが――」
「それよりも、あたしは血族の力になりたい。あたしの伴侶に相応しいのがシュティファの次兄だっていうんなら、あたしは喜んで婚儀を挙げるよ」
そんな風に言ってから、ジバ=ルウは懸命に羞恥の思いをこらえた。
「ただ……たぶんラック=ドグランは、あたしに恋心を抱いてると思う。だから、あたしのことよりもラック=ドグランのことを気にかけてあげてほしい。ラック=ドグランの悲しむ姿は、あたしも見たくないんだよ」
「……そうか」と、父はまぶたを閉ざした。
「ドグランの家には、俺から事情を伝える。必ずラック=ドグランにも、相応しい伴侶を与えると約束しよう。……ジバ、すまなかったな」
「あたしは、いいんだよ。だからみんなも、もう言い争いはしないでね。今日はあたしの生誕の日なんだからさ」
ジバ=ルウは心からの笑みを振りまいたが、笑顔を返してくれるのは四歳の幼子だけであった。
そうしてジバ=ルウの十五回目の生誕の日は、どこかやりきれない空気の中で終わりを迎えたのだった。
◇
そして、翌日――
その日もジバ=ルウは、次兄の伴侶とともに家の仕事を果たしていた。
日中は、長兄の子も分家の家に預けられている。そちらには、母に代わって乳を与えてくれた女衆とその子がいるのだ。それぞれ『アムスホルンの息吹』の試練を乗り越えた幼子たちは、そちらの家で絆を育んでいた。
「ジバ……本当に、後悔しませんか?」
ジバ=ルウが薪割りに励んでいると、その成果を蔓草でくくっていた次兄の伴侶がおずおずと問いかけてくる。ジバ=ルウは額に浮かんだ汗をぬぐいながら、「うん」とうなずいた。
「あたしの気持ちは、昨日語った通りだよ。虚言を吐いたりしないから、心配しないでね」
「でも……シュティファの次兄とは、さしたる縁もないのでしょう?」
「うん。正直に言って、あんまり顔も思い出せないぐらいなんだよね。狩人の力比べでは、けっこう勝ち上がってた気がするけどさ」
「それでも、八名の勇者に選ばれるほどではありませんでした。狩人としての力量は、ドグランの次兄とさほど変わらないように思います」
「うん。ラック=ドグランも、立派になったよね。きっとラック=ドグランだったら、その力に相応しい相手と婚儀を挙げることができるさ」
すると、次兄の伴侶はしみじみと溜息をついた。
「ジバはまだ若いのに、どうしてそんなに立派に振る舞うことができるのですか?」
「あたしは、立派なんかじゃないよ。ただ色恋っていうものがよくわかってないから、婚儀の話で悩んだり苦しんだりすることもないってだけの話さ」
「でも……ジバやドグランの次兄は幼い身で、あの苦しい旅を乗り越えたのですよね。そんな二人が婚儀を挙げたら、またとなく強き子が生まれるのではないでしょうか?」
他者の口からあの時代のことが語られるのは、ちょっとひさしぶりのことであった。
二十一歳である彼女は、当時十一歳であったのだ。であれば、ともに枝葉を運んだり、食事を作ったりなどの仕事に励んでいたはずであった。
「それが正しい道だとしたら、父さんがそう決めてたはずだからね。あたしは、父さんの判断を信じるよ」
それが、ジバ=ルウの真情であった。
決して心を偽ったりはしていない。ジバ=ルウの悲願はただひとつ、家族や血族や同胞が明るい行く末を迎えることのみであるのだ。ジバ=ルウは自分の婚儀に重きを置いていないので、もっとも血族のためになる相手と添い遂げることができれば本望であった。
(だからやっぱり心配なのは、ラック=ドグランだよな。きちんと話せば、わかってもらえると思うんだけど……)
ジバ=ルウがそんな風に考えたとき、表の広場のほうからおかしな喧噪が伝わってきた。
何か、ただならぬ雰囲気である。ジバ=ルウは次兄の伴侶と顔を見合わせてから、すぐさま広場のほうに飛びだした。
広場には、人だかりができている。
そしてその向こう側から、長兄のがなり声が聞こえてきた。
「血止めの薬だ! 包帯と、水も準備しろ!」
長兄のこんな獰猛な声を聞いたのは、初めてのことであった。
ジバ=ルウは心臓を騒がせながら、まずは本家の母屋に駆け込む。そして、ありったけの薬と織布と包帯を抱えて人だかりの内側に突入した。
その向こう側で待ち受けていたのは――地面に横たえられた、血みどろの狩人たちである。
五名もの狩人が真っ赤な姿で、死人のように横たわっている。その内の二人が、ジバ=ルウの家族であった。
「ジバ! こっちだ!」
激情に顔を引き歪めた長兄が、怒鳴りつけてくる。その顔も、べったりと血に濡れていた。
しかし長兄は痛みを感じている様子もなく、家族のもとにひざまずいている。
そこには、父と次兄が横たわっていた。
ジバ=ルウはかちかちと奥歯を鳴らしながら、家族のもとに駆けつける。
父も次兄も全身血まみれで、どこに手傷を負っているかもわからなかった。
「父さん! 父さん、しっかりしてくれ!」
と、別の場所から惑乱した声が聞こえてくる。
声の主はラック=ドグランであり、その足もとに横たわっているのは彼の父であった。
「よこせ!」と、長兄がジバ=ルウの手から薬の壺をひったくる。
すると、血まみれの父がうっすらとまぶたを開いた。
「よせ……薬を無駄にするな……俺はもう助からん……」
「馬鹿を言うな! ルウの家長が、簡単に生命をあきらめるつもりか!?」
「ギバの牙は、俺の臓腑をえぐっている……血止めの薬草など、もう役には立たんのだ……」
父は自分の腹を押さえており、そこからはどぼどぼと血が噴きこぼれていた。
そして、次兄の伴侶が悲鳴をあげて次兄の身に取りすがる。そちらはすでに、瞳から光が失われつつあった。
「すまない……お前には、苦しい思いばかりさせてしまった……」
次兄の血まみれの手が、弱々しく伴侶の手をつかみ取る。
次兄の伴侶は、半狂乱になって泣き叫んだ。
「どうしてあなたが、こんな目に……こんなの、間違ってる! わたしがさっさと魂を返すべきだったんだ!」
「お前は……何を言っているのだ……?」
次兄が優しく弱々しい声で問いかけると、次兄の伴侶は老婆のようにしわがれた声を振り絞った。
「わたしが自ら魂を返せば、あなたには別の伴侶が与えられた……そうしたら、きっと可愛い子供ができて……あなたにいっそうの力と喜びを与えた……」
「お前は……そんな馬鹿なことを考えていたのか……」
次兄は血みどろの顔で、やわらかく微笑んだ。
「お前と過ごした三年間は、幸せでならなかった……たとえ子供を残せずとも、俺はこれ以上の幸せなど想像することもできん……お前を残して魂を返すことを、どうか許してくれ……」
次兄の伴侶は顔をくしゃくしゃにして、次兄の胸もとに顔をうずめる。
次兄はその頭を優しく撫でながら、灰色に陰りつつある瞳でジバ=ルウのほうを見た。
「ジバ……どうか、お前は自由に……」
そんな言葉を最後に、次兄はまぶたを閉ざした。
次兄の伴侶はその亡骸に覆いかぶさり、身も世もなく泣きじゃくる。
そして、父が地面に投げだされていた左腕をのろのろと持ち上げた。
「ジバ……すまなかった……俺はお前の聡明さに、頼ってばかりだった……」
ジバ=ルウはがっくりと膝をつき、父の指先を両手で握りしめた。
その手もまたどっぷりと血に濡れており、すでに温もりを失いつつある。
あんなに大きくて力強かった父の手が、赤ん坊のように弱々しく震えていた。
きっともう、この手がジバ=ルウの頭を撫でることはないのだ。そんな風に考えたとき、ジバ=ルウの目から涙があふれかえった。
「……お前たちであれば、俺よりもルウを正しき道に……」
それが、父の最後の言葉であった。
ジバ=ルウは父の手を握りしめ、ひたすら涙をこぼし続ける。
そこで、新たな悲鳴がわきおこった。
ジバ=ルウがぼんやり顔をあげると、何か巨大な影がこちらに近づいてくる。それは途方もなく巨大な図体をしたギバの亡骸と、それを抱える四名の男衆であった。
「……このギバが、俺たちから五名もの血族を奪ったのだ!」
父のもとから身を起こした長兄が、猛然と声をあげた。
「しかしそれは、俺たちに力が足りなかったからだ! 俺たちはギバを憎むことなく、その肉を喰らって強き力を我がものとする! ルウの血族よ、弔いの準備をせよ!」
激情のもつれあう喚声が、ルウとドグランの集落に響きわたる。
そんな中、ジバ=ルウは十年ぶりに声をあげて泣き伏したのだった。




