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異世界料理道 --外伝集--  作者: EDA
前伝 黎明の森

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04 邂逅

 宿場町には、『アムスホルンの息吹』の苦しみをやわらげる薬が存在する――ジバ=ルウの父たる家長はその事実をすべての血族に伝えると同時に、族長筋たるガゼの家にまで報告することになった。


「何せこれは、森辺の行く末に関わる一大事だからな。ルウの血族だけで秘めておくことは許されまい」


 朝早くに起きた父はそんな言葉を残して、ガゼの集落に向かっていった。

 ルウの集落からガゼの集落までは、往復で半日もかかるのである。そんな苦労も厭わずに、父は毅然たる面持ちで家を出ていった。


「わたしたちが黒き森で口にしていた香草に、そんな力があっただなんて……それを知っていたら、わたしの子も魂を返さずに済んだのかしら……」


 長兄の伴侶ははらはらと涙をこぼしながら、そんな風に言っていた。

 森辺の民はそんな事実も知らないまま、ダビラの薬草を口にしていたのだ。ただ、赤子に乳をやる女衆も必ず口にするように心がけていたというのだから、多少なりともその効能をわきまえていたはずであった。


「そういう細かい話は、長い歳月の中で忘れ去られてしまったのかもしれないね」


 そんな風に語っていたのは、思慮深い次兄である。


「俺たちは、たくさんの習わしを守っていただろう? 熟れる前の黄色い果実は口にしちゃいけないだとか、子を孕んだら赤い香草を口にしちゃいけないだとか、青紫色の香草は十歳を過ぎるまで口にしちゃいけないだとか……とにかくそれを守っていれば健やかに生きていくことはできるから、細かい理由は二の次にされちゃったんじゃないのかな」


「うん……黒き森で暮らしている分には、それで問題もなかったんだろうしね」


「ああ。まさか黒き森を失うことになるだなんて、誰も考えてなかっただろうからな。でも俺たちは、ジバのおかげでひとつの真実に辿り着くことができたんだよ」


 家族にそんな言葉を聞かされるのは、面映ゆい限りである。それに、ダビラの薬草はあくまで『アムスホルンの息吹』の苦しみをやわらげる薬であるのだから、必ず生命が助かると決まったわけでもないのだった。


(黒き森でも、赤子や幼子は何人も魂を返してたんだもんな)


 ただし、モルガの森に移り住んでからは生き残る幼子のほうが少ないぐらいであった。『アムスホルンの息吹』はおおよそ五歳までに見舞われる病魔であったため、モルガの森に移り住んでから生まれた子供のほとんどが魂を返しているということだ。ジバ=ルウはその事実に違和感を覚えて、薬草の存在に思い至ったのだった。


(あとは、赤銅貨十二枚もする薬草をきちんと買えるかどうかだけど……こればっかりは、狩人の働きにかかってるからなぁ)


 しかしきっと父を筆頭とする狩人たちは、これまで以上の熱情でもってギバ狩りの仕事に励むことだろう。ジバ=ルウとしては、そんな狩人たちの身に危険が及ばないように祈るしかなかった。


 そうしてその日も、ジバ=ルウはひとり家の仕事を果たしていたのだが――ちょうど中天に差し掛かった頃合いで、分家の女衆が慌ただしく駆けつけてきた。


「ジ、ジバ=ルウ。家長がお呼びだよ。あんたも失礼がないようにね」


「え? 父さんがガゼの集落から戻ってきたの? でも、失礼って――」


「いいから、早く早く!」


 分家の女衆は有無も言わさずに、ジバ=ルウの腕をひっつかむ。そうしてジバ=ルウが表の広場にまで連れ出されると、これから森に出ようとしている狩人たちの中に見慣れない姿があった。


(あれ? あんな男衆は血族にいないはずだけど……)


 その男衆はすらりとした長身で、そんなに小柄でもないジバ=ルウの父よりも頭半分は大きかった。

 ただ、肩幅が狭いためか、あんまり逞しい感じはしない。手足の長い長身痩躯で、きのう宿場町で出会った東の民を思い出させる体型であった。


「来たか。あれが俺の娘で、ルウ本家の長姉であるジバ=ルウだ」


 父の言葉に、その男衆がジバ=ルウのほうに向きなおる。

 それでジバ=ルウは、息を呑むことになった。その男衆は、鋼の刀のようにきらめく白銀の瞳をしていたのだ。


「あ、あなたはガゼの族長ですか?」


「うむ。俺のことを、見知っていたか」


 低くてよく響く声が、そのように応じた。

 ジバ=ルウがその声を耳にするのは、五年ぶりのことである。外界から森に入る道を切り開き、森の中で過ごすようになってからは、族長の姿を目にする機会も失われていたのだ。


 なおかつ、ジバ=ルウがこれほどの間近から族長と相対するのは、初めてのことであった。

 以前はもっとひょろひょろに痩せていた印象であるが、族長もこの五年で本来の体格を取り戻したのだろう。それでも十分に痩せているが、間近に見ると骨格はがっしりしており、逞しく見えない代わりに弱々しくも見えなかった。


 それにそもそも、その痩身からは静かな力感がみなぎっているのだ。

 他の狩人たちとは一風異なる、不思議な気配である。とても静謐でありながら、何にも揺らぐことのない重々しい力感――それはまるで、大地にしっかりと根を張った大樹のような力強さであった。


 年齢はジバ=ルウの父とさほど変わらないという話であったが、そもそも年齢の見当がつけられない。その目は鋭く切れあがっており、鼻は高く、唇は薄い。その面立ちも、どこか東の民に似ているような気がした。


「族長はお前と言葉を交わすために、わざわざここまで参じたのだ」


 父の言葉に、ジバ=ルウはいっそう驚愕した。


「ぞ、族長が、どうしてあたしなんかに?」


「このたびの話は、森辺の同胞に大きな救いをもたらすかもしれん。それほどの功績を果たした人間と、直接言葉を交わしたかったのだ」


 族長本人が、そのように言いたてた。

 その白銀の瞳は、真っ直ぐジバ=ルウを見つめている。それは何だか、心の奥底まで見透かすかのような眼差しであった。


「このモルガの森に移り住んでから、新たに生まれてくる子供のほとんどは『アムスホルンの息吹』で魂を返してしまっている。かくいう俺も、この五年で二人の子を失っているのだ。この先も同じことが続けば、我々の行く末も閉ざされてしまうのだから……お前の進言は、同胞の滅びを救ったということだ」


「い、いえ。これでどれだけの子供が救われるかは、まだわかりませんし……」


「うむ。すべての氏族がダビラの薬草なるものを手にできるかどうかは、わからぬからな。しかし俺たちは、希望を手にすることがかなったのだ」


 族長はその場に膝をつき、ジバ=ルウに向かって頭を垂れた。


「森辺の族長として、ルウの長姉ジバ=ルウに感謝を捧げる。どうかこれからも、同胞のために力を尽くしてもらいたい」


 五年前にも、族長は王国の兵士たちに同じ素振りを見せていた。

 それが自分に向けられると、こんなにも心をかき乱されてしまうのだ。ジバ=ルウもまた地面に膝をつき、族長に頭を垂れることになった。


「ど、どうか頭を上げてください。族長にそんな真似をされたら、あたしはどうしていいかわかりません」


「うむ。俺も十歳の子に頭を下げたのは、初めてのことだ」


 内心の読めない声でつぶやきながら、族長はすうっと身を起こす。

 それでジバ=ルウも立ち上がると、また白銀の瞳で見つめられた。


「しかし、齢など関係ない。お前は百頭のギバを狩るよりも大きな仕事を果たしたのだ。どうかその事実に、誇りを持ってもらいたい」


 そんな風に語りながら、族長はわずかに目を細める。

 すると、ほんの少しだけ眼光がやわらかくなり――ジバ=ルウの心を、別の方向からかき乱した。


「……俺はこのモルガの森を目指す道中でも、三人の子を失っている。その内の次兄が魂を返していなければお前と同じ年頃で、よき友になれたかもしれんな」


 そんな言葉を聞かされても、ジバ=ルウには返す言葉が見つからない。

 そんなジバ=ルウにひとつうなずきかけてから、族長は父に向きなおった。


「では、俺はこれで失礼する。これからすべての氏族の集落に出向かなくてはならんのでな」


「うむ。しかし、南の端のタムルまで出向いていたら、日が暮れてしまうのではないか? 何も族長自らが出向く必要はないように思うのだが……」


「俺が自ら出向くことで、ことの重要さがいっそう身にしみることだろう。おおよその男衆は狩りの仕事を始める頃合いであろうから、俺を出迎えることになる女衆は気の毒な限りだがな」


 そんな言葉を残して、族長は身をひるがえした。

 族長がこんな遠くまで出向いてきたというのに、供のひとりも連れていない。父はその背中を見送りながら、深く息をついた。


「ガゼより北側の集落にはリーマの家長が出向き、南側は族長ひとりで回るのだそうだ。かえすがえすも、大した人間だな」


「うむ。そして、そんな族長にああまで言われたジバ=ルウも大したものだぞ」


 と、ドグランの家長が感じ入った様子でジバ=ルウに笑顔を向けてくる。少し離れた場所では、彼の子であるラック=ドグランもよく似た表情でジバ=ルウを見つめていた。


 しかしジバ=ルウはまだ心をかき乱されたままであり、言葉も出ない。ジバ=ルウの心には、まだ族長の不思議な眼差しがくっきりと焼きつけられていた。


                 ◇


「ジバ=ルウは、すごいよ! 俺まで誇らしい気持ちでいっぱいさ!」


 父たちが森に入り、ジバ=ルウがひとりで干し肉を仕上げるためにギバの足肉を燻していると、頬を火照らせたラック=ドグランが駆けつけてきた。


「その話は、もういいよ。ラック=ドグランも、家の仕事があるんじゃないの?」


「こっちはもう片付いて、これから狩人の修練さ! でもその前に、ジバ=ルウと話しておきたかったんだ!」


 ラック=ドグランは、きらきらと瞳を輝かせている。その顔は、普段以上に幼げであった。


「族長はあんな立派な狩人なのにちっとも偉ぶったところがないって聞いていたけど、本当だったね! 族長は、人間としても立派だっていうことだよ!」


「それはあたしも、その通りだと思うけど……でも、ちょっと怖いところもあったな」


「怖い? どうして?」


「なんていうか、心の奥底まで見透かされてるみたいで……あの不思議な目の色のせいなのかなぁ」


「ガゼの家には、銀色の目をした人間がたまに生まれるらしいね! 鋼の刀みたいで、格好いいよ!」


 ラック=ドグランは、子供のようにはしゃいでしまっている。

 しかしジバ=ルウは、いまだに心が落ち着いていなかった。族長は人の心を見透かすどころか、この世の行く末まで見透かしているかのような眼差しをしていたのだ。あんな不思議な眼差しをした人間を目にしたのは、ジバ=ルウにとって初めてのことであった。


(それに族長は父さんの話を聞いただけで、あんな話を森辺中に触れ回ろうとしてるんだ。族長ぐらい立派な人間だったら、まず自分の目でダビラの薬草を確認しそうなところなのに……まるで、これが正しい運命だって確信してるみたいな立ち居振る舞いだった)


 その揺るぎのなさこそが他者に安心感を与えるのかもしれないが、ジバ=ルウとしては戦々恐々である。万が一にもジバ=ルウの考えが的外れであった場合は、人々に無用の希望を抱かせることになりかねないのだった。


「やっぱり、族長はすごいなぁ。俺もあんな立派な人になれるかなぁ」


 ラック=ドグランのしみじみとしたつぶやきが、ジバ=ルウに古い思い出をもたらした。


「……そういえばラック=ドグランは子供の頃にも、族長に憧れの目を向けていたよね」


「え? なんの話だい?」


「あたしたちが初めてきちんと挨拶をした日のことだよ。あの夜、族長が二頭目のギバを仕留めたときも、ラック=ドグランは今と同じぐらい瞳を輝かせてたよ」


 ラック=ドグランは、どこか気恥ずかしそうに微笑んだ。


「ジバ=ルウは、よくそんな昔のことを覚えてるね」


「あの頃のことは、忘れようがないよ。あたしたちにとって、一番苦しい時期だったからね」


「……うん。でも俺は、ジバ=ルウのおかげで生きる力を取り戻せたんだよ。兄さんと妹をいっぺんに失って、俺は生きている意味を見失っちゃったからさ」


 そう言って、ラック=ドグランは先刻までと異なる感じに頬を赤らめた。


「だから、俺は……ジバ=ルウのためにも、立派な狩人になりたいって思ったんだ」


 返事に困ったジバ=ルウは、「そっか」と曖昧に笑った。


「それなら、修練を始めたほうがいいんじゃない? 森に入るまで、あと一年しか残されてないんだからさ」


「うん、そうだね。それじゃあ、ちょっと行ってくるよ」


 ラック=ドグランは、逃げるような足取りで立ち去っていった。

 リーロの香草がもたらす燻煙に顔をしかめながら、ジバ=ルウは天に向かって溜息をつく。なんだか今日はさまざまな相手から、身に余る思いを投げかけられたような心地であった。

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