03 ジェノスの宿場町
それから数日後、ジバ=ルウは分家の女衆とともに宿場町に下りることになった。
ジバ=ルウにとっては、初めての宿場町である。かつてはその地を踏み越えたこともあったが、月明かりだけが頼りの真夜中であったため、巨大な家屋の影と石造りの道の硬い感触しか記憶に残されていなかった。
ルウの集落から宿場町までは、片道だけで一刻ほどもかかる。
しかしこれでも、森辺においてはもっとも安楽な道行きであるのだ。町に下りる道は合計で四本切り開かれたが、ルウの集落はたまたまその一本ともっとも間近な位置にあったのだった。
「南の端に切り開かれた道なんて、宿場町ではなく小さな村落にしか行けないらしいよ。そこから宿場町に向かうには、さらに何刻もかかるんだってさ」
宿場町に向かう道行きで、分家の女衆がそんな話を教えてくれた。
この頃には、ジバ=ルウもその理由を理解している。森辺の集落はジェノスの領地をギバから守る格好で、南北に細長く切り開かれているのだ。北の端から南の端に行き来するには、それこそ半日がかりであるという話であった。
「そんなに家が離れていたら、顔をあわせるわけがないよね。北の端で暮らしているのは、ドムの血族だったっけ?」
「あと、ザザの血族もいたはずだね。ほら、頭骨ではなく頭の毛皮をかぶってる連中だよ。ドムほどではないにせよ、あれもずいぶん荒っぽいらしいね」
「それじゃあ、南の端は?」
「南の端は最後に切り開かれたから、あまり力のない氏族が集められてるはずだよ。あたしも名前までは聞いた覚えがないね」
女衆は家長会議に出向くこともないので、余所の氏族に関してはまったく知れないのだ。その中でもドムはガゼに次ぐ力を持っているため、何かと風聞が届けられるわけであった。
「まあ、そんなドムでも族長筋のガゼにはかなわないけどね。あと……ドムやザザの近くに集落を開いたスンってのも、なかなか力をつけたみたいだよ」
「スン? どこかで聞いた覚えがあるね。もしかしたら……森辺に上がる道を切り開いていたとき、最初のギバを仕留めた氏族かな」
「そんな古い話を、よく覚えてるもんだね。まあ、あたしもドグランの女衆に聞いただけだから、よくわからないけどさ」
そんな言葉を交わしている間に、ついに宿場町に到着した。
森の道を下りた先はちょっとした広場になっており、その向こう側には大きな木造りの家が並んでいる。それでジバ=ルウが胸を高鳴らせていると、分家の女衆が表情を引き締めながら語りかけてきた。
「なるべく町の人間の目につかないようにね。あいつらは、みんな森辺の民を忌避しているからさ」
そう言って、分家の女衆は頭からかぶっていた織物を胸もとでかき合わせる。町に下りる際には、なるべく顔や素肌を隠すべしと定められていたのだ。
ジバ=ルウもそれにならいながら、広場へと足を踏み出す。
そこからさらに大きな家の脇を抜けて、道のほうに出てみると――そこには、とてつもない熱気が渦巻いていた。
石造りの大きな道を、たくさんの人間が行き交っている。
中には、巨大なトトスに荷車を引かせている者もいる。ジバ=ルウがトトスを目にするのも、五年ぶりの話であった。
そして、こんな人混みを目にするのは、初めてのことだ。
黄色みがかった肌をした西の民たちが、大いに賑わいながら町を闊歩している。森辺の民とはまったく異なる装束を身に纏い、中には刀をさげている者もいた。物騒な目つきをした男たちや、色香をふりまく若い女たちや、老人や幼子や――ありとあらゆる人間が、その場には存在した。
そのひとりずつは、弱々しい。ジバ=ルウが五年前にも感じていた通り、町の人間というのはきわめて脆弱であるのだ。刀をさげて偉そうにしている男たちも、見習い狩人どころか十二歳のラック=ドグランよりも弱そうに見えるぐらいであった。
しかしその場には、とてつもない熱気が満ちている。
人間の数の多さとその内からこぼれる活力で、空気がわきたっているかのようだ。森辺でこのような熱気を感じるのは、それこそ祝宴の折ぐらいであった。
(それに……森辺には、老人も幼子もいないもんな)
この五年間、赤子や幼子の大半は魂を返しているため、ルウとドグランの集落にもジバ=ルウより幼い子供は数えるぐらいしか存在しないのだ。道端できゃあきゃあとはしゃぐ幼子たちの姿が、ジバ=ルウには新鮮に思えてならなかった。
そして――ジバ=ルウたちが道に足を踏み出すと、その熱気がゆらめいた。
ジバ=ルウたちに向けられるのは、恐怖と困惑の眼差しである。五年前と変わらず、町の人間たちは森辺の民を忌避しているのだった。
(確かにこれは、気を張っておかないとな)
ジバ=ルウは気を引き締めて、五年ぶりとなる石造りの道を踏みしめた。
革で編んだ履物ごしに、硬い感触が伝わってくる。しかし、その懐かしさにひたっているいとまはなかった。
「あんたは、薬の店に用事があるんだよね? 食料を買うと荷物になるから、先にそっちを済ませよう」
分家の女衆が小声で告げながら、ジバ=ルウを導いてくれる。壮年の女衆と十歳のジバ=ルウという組み合わせであるのに、道行く人々は恐れ入っている様子で道を空けた。
どこまで行っても、宿場町は大層な賑わいである。
そうして辿り着いたのは、一軒の大きな家屋であった。
「食料は道端でも売ってるけど、きちんとした薬はこういう場所に出向かないといけないんだよ」
そんな風に語りながら、分家の女衆は大きな扉に手をかける。横に開く戸板とは異なり、手前に引いて開く造りであった。
そこに足を踏み入れるなり、得体の知れない香りがジバ=ルウたちを包み込んでくる。
ここは薬を売っている場所であるため、さまざまな薬草が準備されているのだろう。鼻の奥まで刺激されたジバ=ルウは、思わずえずいてしまいそうだった。
左右の壁際にはたくさんの木箱や樽が並べられており、奥の壁には大きな戸棚が設置されている。その戸棚の手前に置かれた横長の台座越しに、二人の人間が何か語らっていた。
台座の向こうにいるのは茶色の髪をした壮年の男で、手前にいるほうは頭巾と外套を着込んだ背中しか見えない。店の主人と思しき壮年の男は、ぎょっとした様子でジバ=ルウたちのほうに向きなおった。
「な、なんだ? 森辺の民が、なんの用だ? ここは、薬屋だぞ?」
「はい。ちょっとおうかがいしたいことがあって、お邪魔しました」
分家の女衆は落ち着いた声を返しながら、そちらに近づいていく。
ジバ=ルウもそれを追いかけると、こちらに背中を向けていた人物が振り返り、ジバ=ルウを驚かせた。その何者かは頭巾を深くかぶっていたが、その陰から覗く顔が真っ黒であったのだ。
「……あれは、東の民だよ」
他の者には聞こえないように、分家の女衆が囁きかけてくる。
それでジバ=ルウは、また驚かされた。ジバ=ルウが東の民を目の当たりにするのは、もちろん初めての話であったのだ。
東の民は、南の民と敵対している一族である。
噂では毒を使うことを得意にしており、それで南の民からは黒蛇などと呼ばれているらしい。そして、森辺の民は東の民に風貌が似ていると言われていたが――ジバ=ルウは、小首を傾げたいところであった。
(まあ、西の民よりは似てるかもしれないけど、全然違うよ)
まず、雰囲気からしてまったく違っている。いま目の前にいる東の民はとても静謐な空気を纏っており、作り物のように表情がなかった。背は高いがずいぶん痩せ細っており、腕力があるようには思えない。どちらかといえば、トトスのように飄然として見えた。
「森辺の民……風聞、聞きました。モルガの森、暮らす、狩人、一族ですね?」
と、東の民が切れ切れの言葉で語りかけてくる。彼らは本来、別なる言葉を使っているという話であるのだ。
「はい。森辺の民は南から西に神を移しましたので、東の方々と敵対するいわれはありません」
分家の女衆が丁寧に言葉を返すと、東の民は「はい」とうなずいた。
「また、西の地、南と東、争うこと、禁じられています。心配、無用です」
「そうですか。ご親切に、ありがとうございます」
町の人間とは諍いを起こさないように厳命されているため、分家の女衆は礼儀正しい。そして東の民のほうも、森辺の民を忌避している様子はなかった。
「お邪魔、申し訳ありません。どうぞ、用事、果たしてください」
東の民が身を引いたため、ジバ=ルウと分家の女衆は薬屋の主人と向かい合った。
こちらはもう、ほとんど怯えているかのようである。そんな主人を刺激しないようにゆったりと一礼してから、分家の女衆はジバ=ルウをうながした。
「ほら、ここからはあんたの出番だよ」
「うん。……あの、ここに『アムスホルンの息吹』を退ける薬はありますか?」
「ア、『アムスホルンの息吹』を退ける薬? そんなもの、あるわけがないだろう」
「……ないのですか?」
「『アムスホルンの息吹』は、誰でも一度は見舞われる病魔だ。それを乗り越えない限り、この大陸で生きていく資格はない。『アムスホルンの息吹』を退けるなんてのは、神に盾突くようなもんだね」
薬屋の主人は怯えながら、忌々しげに言い捨てる。
それでジバ=ルウが落胆していると、東の民が「ですが」と声をあげた。
「『アムスホルンの息吹』、症状、やわらげる、薬であれば、存在します」
「え? 本当ですか?」
「はい。我々、幼子、『アムスホルンの息吹』、発症したならば、必ず、服用させます。西の王国、同様、あるはずです」
東の民が切れ長の目を向けると、薬屋の主人は「ふん」と鼻息を噴いた。
「そいつは、ダビラの薬草のことか? そんなもんは、誰だって承知してるだろうよ」
「それを飲めば、『アムスホルンの息吹』の苦しみをやわらげることができるのですか?」
ジバ=ルウが勢い込んで身を乗り出すと、薬屋の主人は仰天して後ずさった。
「そ、そうだよ。まさか、ダビラの薬草を知らないなんてことはないだろう?」
「その名前は、初めて耳にしました。もしもこの場にあるなら、見せてもらえませんか?」
主人は顔をしかめながら、背後の棚をまさぐった。
そこから取り出されたのは、小さな蓋つきの瓶である。主人は小さな白い皿にその中身を取り分けて、台座の上に置いた。
「それが、ダビラの薬草だ。売り物なんだから、さわらないでくれよ?」
白い皿に、褐色の粉が小さな山を築いている。
ジバ=ルウがそちらに鼻を寄せると、とても懐かしい香りがした。
「やっぱり……これは、あたしたちが黒き森で口にしていた香草のひとつだよ」
「ええ? 本当かい?」と、分家の女衆も白い皿に顔を寄せる。
その顔が、やがて感じ入ったような表情を浮かべた。
「ああ、本当だ……なんとも懐かしい香りだねぇ」
「うん。きっとこれを食事で使っていたから、黒き森では『アムスホルンの息吹』で魂を返す子供が少なかったんだよ」
「ああ。確かにこいつは滋養があるから、必ず幼子に食べさせるようにって伝えられてたんだよ。赤ん坊に乳をやる女衆も、欠かさず口にしていたもんさ」
「母親、乳から、ダビラの効能、伝えられるのでしょう」
と、東の民も当たり前のように会話に加わってくる。
ジバ=ルウは、そちらに深く頭を下げた。
「ありがとうございます。あなたのおかげで、目的の品を探し求めることがかないました」
「いえ。お役、立てたなら、光栄です」
東の民は指先を複雑な形に組み合わせながら、一礼する。
そんな中、主人は仏頂面で白い皿を引き寄せた。
「それで、こいつを買うのかい?」
「いえ。今日のところは、値段だけ聞かせてください。後日、家長の了承を得られれば、あらためて買わせてもらいます」
「ああそうかい。こいつは三日分で、赤銅貨十二枚だよ」
赤銅貨十二枚――それは、ギバの立派な毛皮一枚と同じ額である。
しかし、それで赤子の生命が救われる可能性が高まるのであれば、きっと家長たる父も了承してくれるはずであった。




