第7話 開校記念日 1
6月も後半、あの屋上での出会いからしばらくたった。
あの日から、折田と佐藤は事あるごとに康介達と行動を共にしている。
静かだった日常は、康介の意志とは関係なく騒がしくなっていた。
しかし今日は開校記念日で学校は休み。
康介は穏やかな朝を過ごしていた。
ソファーに腰を掛け、紅茶を飲みながら読書をする。
落ち着いたひととき。
どのくらいそうしていただろうか、康介は時計に目を向ける。
すると、時計の針は、すでに12時を廻ろうとしていた。
康介はキッチンに向かい、冷蔵庫を漁りだす。
すると、ピンポーン、とインターホンの音が鳴り響いた。
「誰だ?」
康介は首を傾げながら玄関へと向かう。
そして、玄関を開けると、康介は呆然と立ち尽くした。
「……どうして、ここにいる?」
そう、先程のインターホンの音が、穏やかな休日の崩壊の序曲だったのだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
康介は、リビングで頭を抱えていた。
その原因は、言わずもがな招かれざる客。
「康介、なんか飲み物!」
「私にもお願い」
「俺もほしいな」
「じゃあ私も!」
それは、翔太、氷上、折田、佐藤だ。
康介の家も知らない筈の4人が、何故かここに集合している。
「遠慮って言葉知ってるか?
いや、それよりも何でここにいる?」
康介は力尽きた様な表情を浮かべている。
「ああ、それは――
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
1日前、康介を除く4人は話しをしていた。
「なあ翼、明日休みだよな?」
「そうだけど?」
「よし!ここで皆に提案がある!康介も呼んで5人で遊ぼう!」
これがすべての始まりだった。
「良いわよ」
「良いね!」
「良いよ!」
氷上、折田、佐藤は断る理由もなく、ここに遊ぶ事が決定した。
「けど、遊ぶって何するの?」
折田が言い出しっぺの翔太に尋ねる。
「何したい?」
「丸投げなの!?」
何も決めてない様子の翔太に折田がツッコミを入れる。
「じゃあ、普通に集まって雑談とかでいいんじゃない?」
「ファミレスとかでね」
その様子を見て、氷上と佐藤が提案する。
すると翔太は、1度頷くと立ち上がる。
「決まり!明日はファミレスで雑談だ!
が、しかし!問題が1つある。それは、康介をどうやって呼ぶかだ!」
「んー、難しいわね」
「確かに、来ない気がする」
「十中八九、来ないんじゃない?」
その言葉に氷上、折田、佐藤は難色を示す。
しかし翔太は自信有りげに胸を張って言う。
「そう、普通に誘っても断られるだろう。そこで考えた!
正攻法でダメなら、搦め手で攻めればいいと!」
「具体的にはどうするの?」
佐藤は首を傾げる。それに対し翔太は不敵な笑い声を上げながら答える。
「ふっふっふ、名付けて!呼んでも来ないなら、こっちが行けば良いじゃない、作戦だ!
この作戦実行にあたって、康介の家の場所はリサーチ済み。
後は、皆で行くだけだ!」
そう、翔太はこの為に康介の家の位置を調べていたのだ。尾行という形で……。
「なっ――」
折田は声を失う。呆れているのだろうか、3人は固まっている。
「なるほど、完璧だね」
「ええ、それなら康介君も断れないはず」
「いくら和田君でも、家まで行ったら諦めるしかないもんね」
違った。
呆れでなく、目から鱗といった感じだ。
翔太はその反応に、満足そうに頷くと、ニヤリと笑みを浮かべる。
「決まりだな。
明日は午前11時半に校門前に集合!全員揃い次第、作戦決行だ!」
――そして翌日。
翔太達4人は、住宅街の一角にある家の前にいた。
その家の表札には『和田』の文字。そう、康介の家だ。
翔太は皆の先頭に立つ。
「討ち入りだ!」
そう言うと、インターホンを押した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
――ということだよ」
翔太は説明を終えると一息いれる。
その間にも、残りの氷上、折田、佐藤は騒いでいた。
ギャーギャーと騒ぎ続ける3人をよそ目に、康介は口を開く。
「話しは分かった……。
頼むから、頼むから帰ってくれ」
力無くうなだれている。
それも仕方ないだろう。穏やかな休日が壊されたのだから。
しかしそんな言葉はどこ吹く風。飄々と折田は言う。
「まあまあ、親睦会って事で楽しもうよ!」
それに続いて翔太も口を開く。
「そうだぜ!それに、康介も休日に1人ぼっちだと淋しいと思って企画したんだ!」
それを聞いた康介は、言葉も出ない、といった面持ちだ。
そして、振り絞る様な声で言う。
「なあ翔太、お為ごかしって言葉知ってるか?」
「さぁ?」
わからない、といった様に首を傾げる翔太。
そんな翔太の変わりに氷上が答える。
「人の為と思わせて、実は自分の為、って感じの意味よね」
「ああ、だいたいあってる。
つまり1人が淋しいのはお前だろ、翔太」
「……、さあ皆!今日は楽しもう!」
翔太は康介の指摘をごまかす様に言う。図星だったのだろう。
「もう……好きにしてくれ」
康介は疲れきった表情で呟くと、部屋の隅に移動してため息をついた。
するとそこに、氷上が話しかけてくる。
「急に押しかけちゃってゴメンね」
「いや、氷上は皆を止めてくれたんだろ?」
「え……あ、その……」
康介の言葉に、氷上は口ごもる。
「そうか……諸悪の根源は翔太だけかと思ってたが……」
お前もか、というような視線を康介は氷上に向ける。
「け、けど!皆は康介君と仲良くなりたかったんだよ。康介君、最近は私達と一緒にいるけど、まだまだ壁があるから。心は1人ぼっちだから。
ねえ、1人は辛くない?」
康介は、氷上のその言葉に、はっ、としたように顔を上げる。
1人は辛い――それは以前康介が思ったこと。それを見透かすような氷上の言葉に驚いたのだ。
そして何より、氷上とあの少女が重なって見えていた。
『1人は辛くない?』
康介は、あの少女に初めて会った時に、そう言われていたのだ。
その時の少女の表情と今の氷上の表情は、まったく同じ。重なってしまうのは無理もないだろう。
「康介君?怒ってる?」
氷上は、何も言わずに黙り込んでいる康介に、不安そうに問い掛ける。
康介はそんな氷上を見て、我を取り戻し答える。
「有り難迷惑って知ってるか?」
氷上はそれを聞くと、しょんぼりと下を向く。
しかし、康介は続けて言う。
「けど、――――う」
それは消え入る様な小さな声だった。
それでも、氷上にはしっかりと届いた。
ありがとう、と。
俯いていた氷上は、顔上げて、笑顔でその言葉に答える。
「ええ!」
その後も康介と氷上は、ポツリポツリとだが、会話を続ける。
――しばらくすると、翔太が康介に話し掛けに来た。
「なぁ、こーチン」
「……こーチンって誰の事だ?」
康介は言う。5人の中に、こーチンと呼ばれてる人はいない。当然の疑問だろう。
「康介のあだ名、愛称だ!良いだろ?こーチン!」
「……」
翔太が答えると、康介は冷たい視線を向ける。恐らく嫌なのだろう。
「そんな目するなよ、こーチン、こーチンってば!なんか言ってよ、こーチン」
翔太は勝手に決めた愛称を連呼する。
「ねえ、こーチン、こーチンこーチン!
あれ、続けて言うとなんか厭らしいな!
こーチンこーチンこーチン。
あはははっ!」
そう言うと翔太は1人で笑いだした。
いや、氷上も折田も佐藤も、下を向き、肩がプルプルと震えている。
康介はというと、青筋を立ててた。明らかにイライラしているのが見て取れる。
「なあ、こーチン?」
それでも翔太はニヤニヤしながら言い続ける。
そして、康介が口を開く。
「こーチンこーチンって煩いんだよ。続けて言うと厭らしいだと?お前なんて、名前を短くすると『ショタ』じゃねぇか……なぁ、このショタ野郎」
完全に怒っている。いや、キレてるといった方が正しいだろう。
翔太はその瞬間、凍りついたように固まった。康介の雰囲気に圧倒されている。
「ぷっはは!ショタ野郎にこーチン……、ははっ、あはは!」
それを聞いていた折田は、我慢出来ないといった風に笑い出す。
「何笑ってるんだ、折田翼?
いや、『折れた翼』か。ハッ!イカロスとでも呼んでやろうか?」
康介の怒りの矛先は、笑い始めた折田にも向いた。
「ま、まあ、落ち着こうよ、和田君」
佐藤は、込み上げる笑いを必死に抑えながら、宥めるように声をかける。
「佐藤か……、そう言う割には随分と楽しそうだな?
佐藤瑞葉――なるほど、『砂糖水』はキッチンにでも行ったらどうだ?」
「なっ――」
怒りに任せて、次々と新しい呼び名を作る康介。
ショタ野郎、イカロス、砂糖水、呼び名とするには余りに酷い。
氷上はというと、4人を見ながら肩を震わせている。いや、もはや体が揺れている。それでも笑い声を上げないのは大したものだ。
しかし当事者達は笑えないだろう。不名誉な呼び名ばかりなのだから。
「誰がショタ野郎だって!」
事の発端を作り出した翔太が声を張り上げる。
「煩い!ショタ野郎!
康介、折れた翼――イカロスとは言ってくれるね」
折田は大声を上げた翔太を怒鳴りつけ、康介に向き直る。
しかし、ショタ野郎と言われた翔太は黙っていなかった。
「んだと!お前の方がよっぽどショタ顔じゃねえか!」
「……良い度胸してるね」
そう言うと翔太と折田は喧嘩を始める。
それを横目に佐藤が口を開く。
「ねえ和田君、砂糖水ってどういうこと?」
口調こそ穏やかだが、表情からは怒りがほとばしっている。
「言葉通りだが?事あるごとにベタベタと付き纏いやがって。砂糖水と形容するに相応しいじゃないか」
「なんですって!」
康介の言葉に、佐藤はとうとう怒りをあらわにする。
そして康介と口論を始め、遂には4人入り乱れての貶し合いへと発展した。
それを見ていた氷上は、流石に止めようと思ったのか、声をかける。
「ちょっと皆、落ち着きなよ!」
すると4人は静かになる。
が、そこに折田が口を開く。
「氷上は黙っててね?
ああ、俺達の輪に入りたくて僻んでたの?僻み、名字通りの行動じゃないか?」
そう言った瞬間、室内の温度が下がった。
比喩ではなく実際に。
「……へぇ、言うじゃない」
氷上から凄まじい冷気が発せられる。
「4人共、頭冷やした方が良いわね」
「え、いや……ちょっ」
ちょっと待って、折田がそう言おうてした刹那、4人の頭に氷の塊が直撃した。
◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆
「なんで俺だけ……」
翔太は部屋の隅で呟く。
その手足には氷の枷が付けられていた。
あの時、翔太を除く3人は、氷の塊をぶつけられただけだったが、翔太だけは追加の制裁を受けたのだ。
言い合いの発端を作り出したのは翔太。当然と言えば当然の報いだろう。
そんな翔太をよそ目に、他の4人は会話を楽しんでいた。
いや、康介だけは少しその輪から外れているが……。それでも翔太達が来た時に比べると、いくらか話すようになっている。
その表情は、いつもより若干だが晴れ晴れしい。
康介は、こう思っていた。
――こんな日も、悪くないな
誰が予想したか喧嘩イベント。
けど仲良くなるには喧嘩が1番だと思うんです。