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第25話 忍び寄る影 1

 あの襲撃以来、トロイは不気味なまでに沈黙を守り続けている。その御蔭で康介達は安穏な毎日を送っているのだが、動きを見せないトロイに逆に言いようのない不安を覚え始めていた。授業の後、休日はその不安を拭い去るように特訓に打ち込む毎日が続く。そんな今日は日曜日で休日なのだが、康介だけは特訓に参加せずに街の外れを歩いていた。


「確か、此処だったな」


 立ち止まり見上げる先には、ひっそりと佇む一軒家。康介は玄関まで進みインターホンをならそうとするが、その表情は心なしか硬く、家主に会うのを躊躇っているようにも見える。暫く顔を上げたり下げたりを繰り返して不審者を演じていると、不意にドアが開いた。家主とおぼき人物がドアの隙間からひょっこりと顔を出し、来客者を確認する。そして康介の顔を見るなりドアを勢い良く開け放った。


「和田っち、久しぶりー!」


 とんでもないハイテンションで両手を広げながら康介に飛び付く家主。康介は若干引き気味になりつつもダイブしてくる相手を軽く躱して視線を交わした。

 康介の正面に立っているのは二十代半ば位に見える女性。久しぶり、と挨拶を交わす辺り旧知の仲なのだろう。


「……相変わらずですね、皆川さん」


 あまりのハイテンションについていけない康介は、小さく溜め息を吐いた。このテンションが苦手で会うのを躊躇っていたのだ。相手の名前は皆川雫みながわしずく。以前康介が言っていたブラックマーケットへの“ツテ”とは彼女の事だ。


「和田っちも相変わらず暗いねー。まぁとりあえず中入ってよ! 来るの待ってたんだから!」


 康介の溜め息など気にしないかのように対照的なテンションを保ちながら中に入るよう促す皆川。久しぶりに会えたのが嬉しいのか、その表情はフニャっと緩んでいる。康介は促されるまま中に入ろうとするが、皆川の言葉に少し引っかかる事があり足を止める。康介は事前連絡もなしに家を訪れた為、当然の事ながら会う約束など取り付けていない。にも拘らず皆川が言い放った“待ってたんだから”、その言葉が疑問だった。立ち止まって動かない康介を皆川が不思議そうに覗き込む。


「どしたのー? 早く入りなよ?」


「待っていたって何でですか?」


 疑問に思った事をそのまま口にする康介。彼女の事を不審に思っているわけではないのだが、疑問は疑問。なんとなく聞かないと気が済まなかった。そんな心情を察したのか皆川が素直に問いに答える。


「和田っち最近いろいろと大変だったみたいじゃん? だからそろそろ来るかなーってね。情報は私の商品だから常に仕入れてるって訳よ!」


「あー、納得です。皆川さんは情報屋ですからね」


「そゆことー。だから最近和田っちの周りで起きてることもしっかり耳に入ってるよー!」


 自慢げにエヘンと胸を張る皆川。こんな年齢の割りに子供っぽくてテンションの高い人間に果たして情報屋が勤まるのかは疑問だが、康介の事情を知っている事や“そろそろ来る”と言う予測をしっかり的中させるあたり優秀なのだろう。

 続きは家の中で、と言うようにルンルンとスキップしながら進んでいく皆川に、康介は後を追って家の中に入っていった。


「コーヒーで良い?」


 中に入ると皆川がそう言ってコーヒーを煎れだす……煎れながら康介に聞いた。聞いたものの返事を聞く気は全くないようだ。じゃあ聞くなよ、と思いつつも康介はコーヒーが好きなのでとりあえず頷いておく。


「そう言えば中学の頃からコーヒー好きだったよね。マセてんなー、最近の若者はマセてんなー! お姉さんには最近の子の味覚が理解できないよー!」


 キッチンからコーヒー片手に戻ってきた皆川は、からかうように言いながら康介の正面に座る。康介はと言えば、からかわれた事に表情を歪めながら溜め息を吐いていた。このハイテンションには何を言っても無駄、そう思っている康介は何も反論せずに本題に入ろうとする。


「俺の今の状況を知ってるんですよね?」


「いきなり本題かー、せっかちだなぁ。氷炎に狙われてるんでしょ? もー和田っち達が廃区画で派手にドンパチするから、ほとぼりか冷めるまでマーケット開けないじゃんよー」


 商売あがったりだ、と言うように頬を膨らませる皆川。本当に子供のような仕草だが、しっかりと状況を把握している事に康介は安堵する。そして康介が話しを次に進めようと口を開こうとしたとき、それよりも早く皆川が話し出した。


「で、情報が欲しいんでしょ? ――――トロイについての」


 先ほどとは打って変わって鋭い、見透かすような眼差し。しかし康介はその変わりようにも考えを先読みされた事にも大して驚きはなかった。彼女は仮にも政府が管理する箱庭の影に生きる人間。この位は当然なのだ。と言っても直ぐにフニャっとした顔に戻ってしまったが。


「そう言うことです。調べて欲しいんですけど……?」


「んー、良いよ! 他でもない和田っちの頼みだしね! と言うか既に調べ出してるんだけど、なかなか尻尾が掴めなくてねー」


「まぁ相手が相手ですからね。時間掛かるのはしょうがないですよ」


 康介はそう言いながら苦笑いしつつも、皆川の仕事の速さに感心していた。頼んでもいなかったのに康介が来る事を見越しての行動力に。一方皆川は人差し指を眉間に当てて、なかなか集まらない情報に困ったようにしている。相手がテロ組織というだけあって探るのには危険が伴うため、大っぴらに表立って調べられないのだ。


「んー、まぁ近いうちに報告出来るように努力はするよ! 私もトロイが何をしたいのか気になるしね。とりあえず和田っちの力――“魔法”の力に関係してるのは確かなんだろうけどねー」


「……そう、ですね……」


 皆川の言葉に歯切れ悪く返す康介。それは自分が皆を巻き込んでいるという負い目からなのだろう。俯いてしまったしまった康介に皆川は慰めるように声を掛ける。


「ほーら、何でも一人で抱え込まない! お姉さんは自分を責める康介君なんか見たくないんだよー? って言ってもそれは無理な話かな。和田っちは――優しい子だから、自分以外の誰かが傷つくのは見たくないんだよね?」


 まるで母親が我が子を見るような慈愛の眼差しを向ける。皆川は心配していた。康介が強い事は知っている。しかしそれは“力”だけの話しであって、心の事は別問題。康介は優しい――優しすぎる。それ故に一人で問題を抱え込んでしまいがちになり、心は不安定で……酷く脆いのだ。ただでさえ悲惨な過去を持っているのに、加えて今の状況。重圧に押しつぶされてしまうのではないかと危惧していた。康介はそんな皆川の心情を感じ取ったのか、薄く笑みを浮かべながら顔を上げた。


「大丈夫ですよ。前ほど一人で抱え込んでませんから」


「ん、そっか。そう言えば和田っちにも友達が出来たみたいだしね。味方は増やしといた方がいいよー? もちろんお姉さんも和田っちの味方だからね!」


 康介の目の前にビシッと指を立てて“味方”の部分を強調する皆川。良くも悪くも皆川は康介の味方であり、最も康介を理解しているのだ。それにしても友達が出来た事まで把握しているとは……凄まじい情報収集能力である。と言っても皆川が康介を気に掛けていたから知っていたのだが。そんな心遣いに康介は純粋に感謝した、が――。


「友達の事、知ってたんですね……ストーカーですか?」


 感謝はしてても口には出さない。康介はとことん天邪鬼だった。皆川はそんな康介の性格を知っている為、特に嫌な顔はしなかった。それどころか康介の言葉にノリ出した。


「ひっどーい! そんな事言うなんて……お姉さんは悲しいよ!」


 よよよ、と膝を折り、手で顔を隠しながら泣き崩れた――振りをした。芝居がかったわざとらしい演技に康介が引っかかる訳もなく、その場に寒々しい空気が流れる。康介は何も言わずに、崩れ落ちている皆川をただ眺めているだけだった。


「あれれ? あれれれぇー? なんか反応してくれないとお姉さんホントに泣いちゃうよー?」


「いい歳して何言ってんですか」


 無反応に耐え切れなくなり、足にしがみついてきた皆川に康介は軽く溜め息を吐きながら冷ややかな視線と言葉をプレゼントした。何気なく言った一言だが、皆川は“いい歳”の部分に激しく反応を示す。


「いい歳ってどういう事!? 私はまだまだ若いんだからね!」


 暗に“おばさん”と言われたように感じたのか、少し怒った口調で言いながら手元にあったクッションを康介に投げつけた。当然そんなものに当たる康介ではなく、ひょいっと簡単に避けてしまい、皆川は恨めしそうな視線を送り唸っている。その子供っぽい様子に康介は若干呆れたようにしている。


「若いのは解ってますよ。若いのは」


「解ればよし! けどなんか引っかかる言い回しだなぁ……んんー、なんだろ?」


 子供っぽいを若いに言い換えて皮肉交じりに言った康介。なんとなくそれを感じ取った皆川は首を傾げている。真面目な話しをしているときは読心術ばりな切れ者だが、そうでないときはどこか抜けているようだ。


「他意はないですよ」


「そっかそっかー。なら良かった」


 康介が言うとそれを簡単に信じる皆川。切れ者だと解っていても、こんなんで裏の世界で生きていけるのかどうか心配になってしまう。だが、今まで生きてこれた事から、仕事のときはしっかりとしているのだろう。康介は無用な心配は止めてそのまましばらく雑談を交わし、話しが一段落着いたときにスッと立ち上がった。


「およ? もう帰るの?」


 立ち上がった康介に、残念そうに皆川は問いかける。久しぶりに会ったんだからもうちょっとゆっくりしきなよ、とでも言いたげだ。


「もうって……結構な時間経ってますよ?」


 壁に掛かっている時計に視線を向けながら答える康介。既に訪れてから三時間ほど経過している。もちろん康介にも久しぶりなのでまだ話していたいという気持ちはあるが、それ以上に皆川のテンションに疲れてしまっていた。皆川は渋々納得して見送るために立ち上がる。


「まぁ近々また会えるだろうから今日は諦めるかなぁ。調べ終わったら和田っちの家に直接届けに行くからねー!」


「じゃあ情報料はそのときに」


「りょーかい! ふんだくるから覚悟しててねー!」


 皆川はとても良い笑顔で親指をグッと立てながらがめつい発言をする。普通なら知り合いだから安くするのではなかろうか。冗談ならそれでいいのだが正直判断がつかず、むしろ本当にやりかねない。そんな事から康介は引き攣った笑みを浮かべている。そんなに大金は用意出来る訳がないのだ。冗談である事を祈りつつ康介は此処を後にし、皆川はその後ろ姿を手を大きく振りながら見送っていた。


 翌日、康介は授業中にも拘らず窓の外をボーっと眺めていた。ノートは開かれているが何も書き込まれておらず、話しを聞いていない事が見て取れる。かと言って何か考え事をしている訳でもなく、退屈な授業をボーっと過ごす事で消化していた。その少し離れた席では氷上がいそいそとペンを動かしている。しかし板書しているのではなく千切ったノートに何かを書き込んでいて、書き終わるとそれを丸めて――投げた。紙は綺麗な放物線を描き康介の頭にぶつかる。康介が不審に思いつつも紙を広げると、こう書かれていた。


『どう? 悟りは開けた?』


 氷上は康介が読んだのを確認すると、悪戯っ子のような笑みを浮かべて手を小さく振っている。あまりにも長い間ボーっとしていた康介をからかう為にメモを飛ばしたのだろう。あるいはボーっとしているのが、無我の境地に至ろうとしているように見えたのか……何にせよ、康介はそのメモを――――握りつぶした。悟りなんて開けるわけがない、そう言いたげな顔をしながらくしゃくしゃになったメモを投げ捨てる。すると再び飛んでくるメモ。


『ちょっと宙に浮いてみてよ』


 いい加減にして欲しい。そんな事出来るわけない。康介は間違いなくそう思っただろう。その証拠と言う訳でもないが、眉間にシワを寄せている。氷上はそんな康介の反応を見ながらケラケラと笑って楽しんでいた。彼女なりの暇の潰し方なのだろう。


 暇潰しに使われて居た堪れなくなった康介は、居眠りしている翔太に八つ当たりのようにメモを投げつけた。それは寸分違わずアホ面で涎を垂らしている顔面に直撃し、翔太は眠りを妨げられる結果となった。翔太は何処からともなくいきなり飛んできたメモに怪訝な表情を浮かべるが、直ぐに嬉々とした表情に変わってメモを開こうとする。誰が投げたか知らない翔太は、大方ラブレターと勘違いでもしたのだろう。しかしメモを開くとそこには――――。


『ちょっと宙に浮いてみてよ』


「はぁ!? どんな無茶振りだよ!?」


 全く持って訳が解らない。翔太は予想の遥か斜め上を行く内容に思わず声を上げてしまった。静かだった教室に響き渡る翔太の声。当然視線は集中し、教師からは叱咤される。


「尾崎! 五月蝿いぞ! 騒ぐなら外に出ろ!」


「すいません……」


 謝りながら縮こまる翔太。皆からはクスクスと笑われていた。しかし此処からが翔太の凄いところ。基本的に笑いを取るのが大好きで、今は翔太が原因で皆が笑っている状況。必然的に翔太の気分は鰻登りになっていく。本来“笑わせる”と“笑われる”には大きな違いがあるのだが、その事に気づく翔太ではない。もしその違いに気がついたのなら、それはもはや翔太ではなくドッペルゲンガーだろう。


 そして翔太はメモと睨めっこを始めた。もしかしなくても、気分が良くなった翔太バカはメモに書いてある内容を行動に移すか悩んでいるのだ。元は氷上が康介をからかう為に書いたメモなのだが、翔太はそれを知らずに自分に送られた物だと思い込んでいる。そしてしばらくすると決心したように顔を上げた。


「まさか……?」


 翔太を観察していた氷上が小さく呟く。そんな――出来るはずがない、そう思いながら決心したような翔太に驚愕をあらわにし、固唾を呑んで見守る。


「おいおい……マジかよ……」


 康介も氷上と同様に呟いていた。悟りを開いて浮かぶなんて出来るわけない、なのに翔太バカならなにかやってくれる気がする。そんな期待感が渦巻いている。

 そして翔太は二人が見守る中、その期待に答えるかのように――――浮いた。いや、椅子ごと飛び上がったのだ。タネは簡単で、自分の下から突風を吹かせて浮き上がっただけ。ただ、勢いが強すぎたのか一瞬のうちに天井まで上がり、顔が横に潰れるのではないかと思うくらい脳天を強打した。


 予想外極まりない出来事に康介と氷上は柄にもなく吹き出してしまった。他の生徒はいきなりの事にしばらくポカンとしていたが、床の上で頭を抑えながらのた打ち回っている翔太を見ているうちに徐々に笑いの渦に呑まれていく。そして学校中に教師の怒声が響いたとか響かなかったとか……。


 その頃、街外れの廃屋で話しこんでいる二人組みがいた。そう、氷炎とキャサリンだ。


「傷は癒えたの?」


 久しぶりに顔を合わせたのか、心配そうにキャサリンが声を掛ける。傷とは康介に負わされた物の事だろう。その問いに氷炎は、治った事をアピールするように手を握って開いてを繰り返す。


「大丈夫大丈夫、もともとそんなに酷い怪我じゃなかったからね」


「そう、でもまさか彼方が負けるなんて予想外だったわ。それ程の“力”だったの?」


「どうだかね。魔法を使えるって解っていても実際に見ると驚きで動きが鈍っちゃったからね、実力の全ては見れていないよ」


「けど見るのは初めてじゃないんでしょ? まぁ予想以上の実力を持っていたのは誤算よね」


 大きく溜め息を吐くキャサリン。まさか氷炎が負けるとは思ってもいなかったのだろう。それほどまでに氷炎の力を信頼していた。しかし全力でないとはいえ、その氷炎を打ち破った康介は誤算以外の何者でもない。しかしそんなキャサリンとは裏腹に氷炎は、大した問題じゃないと言うような表情を浮かべている。真っ向から戦って従える自信があるのか、それとも何か策があるのか……。


「面子も集まりつつある。準備が整うまで後少し。もうすぐ悲願が叶う――」


 氷炎はそう言うと不敵な笑みを浮かべていた。

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