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ようこそ

山形県内のバルトロメオ療養所の管理室で見つかった板谷越タカシの日記です。

もとは1931年に精神病者の”新たな家”として開かれた療養所だったが1950年に患者への暴力行為と残虐的な仕打ちが発覚、1951年に廃院したのだが1980年から多くの訪問者が現れ場を荒らし始めた。

その対処として一時的な管理者が起用されることになった。管理者の仕事は、施設内に誰も入れないこと、そして誰も出さないこと。


 10月5日、なんの変哲もない秋の朝に新聞が届いた。

 自分はアパートの一階、左から二番目の扉に住んでいて、毎朝起きると郵便箱に新聞が入っている、朝飯を食べる前に新聞を手に取り、読むのが好きだった。

 テレビを見るよりも目で読んだほうが情報がよく入る。自分のアパートはそこまで広くはなかった、人が3人座れるソファーの前にはよく目を凝らさなければ何も見えないテレビが置かれていた。

 このテレビは、一人暮らしを始めた時に母親からもらったものだが、目が悪い自分には似合わなかった。

 話を戻すと、アパート内はリビングとキッチンが合体していて、玄関に向かう短い廊下にはトイレにつながる扉があった。

 狭い玄関に立っているとまるで靴箱に閉じ込められているようだった。

 玄関まで行き、地面に落ちた新聞を手に取る。

 表紙には税金についてのニュース、芸能人たちの活躍のニュース。

 毎日毎日同じようなものばかり、戦争がないのはとても平和でいいが……新聞はもう少し面白くてもいいと、自分は思っていた。

 今日の朝飯は会社でもらった非常食のおかゆを食べることにした、前に坂口さんが配ってくれたものなのだが、誰もうれしがらなかった。

 賞味期限が切れているうえに、非常食なんて縁起の悪いことだって…

 それでもこの時の自分は卵を買う余裕すらなかった、だから、配られたものを静かに食べた。

 白いシャツに黒いズボン。腰を締め付けるベルトをしめ、片手には革のバッグを持った。靴箱の前で靴を履き、外へ出る。

 アパートの敷地内から出るとそこは狭い道路だった、軽車両の小ささでも通るのには相当なドライブスキルがいる。

 しかしそれでもここを通ろうとする輩はいる、その日ちょうど出会ってしまったのだ。

 下を見て歩きながら、会社の次の資料について考えていた。

 すると右から――


 車は自分を撥ね飛ばした、大した速さで移動していなかったことくらいわかっていた。

 はねられたときは大丈夫だった、しかし自分を撥ねても車は止まらなかった。

 それが、自分が病院に放り投げられた理由だった。

 手にはタイヤの跡が残り、指は複雑骨折をしたといわれた。

 右手の指はもう動かせないといわれた。

 病院で手のリハビリをした、少なくとも親指と、人差し指を動かせるようにした。

 しかしそれでもあの瞬間を思い出す。

 道路には血が飛び、手には考えられないほどの重さがかかり、骨が一つ一つ、潰されていく感覚を味わった。

 その過程で自分はずっと叫んでいた。

 ゆっくりと通っていく車の下で、手首を左手で握りながら。

 手が細くなった感覚すらした。

 薄い紙のようにぺしゃんこに、肉の形すら変えていくのを感じた

 病院からはわずか10日で退院した、手には一生残るような、取り返しのつかない傷になってしまうと医者から言われた。

 リハビリは一週間に3回、それと今はまだシャワーで手を洗うことも許されなかった。

 水滴が右手に当たると、確かに痛かった。

 手そのものが敏感になり、寝る際も腹を上に向け、手を動かさない必要があった。

 

 11月1日、親指、人差し指、中指、薬指、小指。

 少しずつだが、動かせるようになってきた。

 しかしパソコンで文字を両手で打つことはまだ難しく、仕事では役に立たなかった。

 キーボードの前に座り、両手をかざして文字を打とうとしても、右手が震えた。

 無理に動かそうとすると関節が痛み始める。

「板谷越さん、花田さんが話したいらしいですよ」

 後ろから突然声を掛けられた。


「…君の手の調子は?」

 会議室に移動するとそこには花田さんが最奥の椅子に座っていた。

 花田さんは禿げていて、耳近くにしか髪が残っていなかった、いつもは眉間にしわを作りながら人と話し、不機嫌そうな顔をしているが、今回はそうでもなかった。

 自分は適当な椅子に座った。

「もう少しで治ると思います、」

 根拠などなかった、むしろその反対で、手は一生治らないものだと知っていた。

 しかし、自分はこの仕事が好きだった。

 給料がケチられていても、非常食をもらっても、こうやって座って仕事をするのが好きだった。

「実は…」

 花田さんは実に難しそうな顔をしている。

 伝えにくいことを伝えようとしていることは、自分にもわかっていた。

 …その内容も、わかっていたのかもしれない。

「板谷越さんは、仕事で…えっとね…」

 花田さんは自分をクビにしようとしてた。

「本当に、申し訳ない。しかし、君をこんな状態でしごとさせてはならない」

 花田さんは続ける。

「来週からは、来なくてもいい。」

 そういわれた。


 12月2日、雪が降っていた。

 しかし積もっているわけではなかった。

 冷たい風が吹き、周りを乾燥させる。

 アパート前の電柱にチラシが貼られていた。

「バイト募集、バルトロメオ療養所。簡単な仕事。一日5万」

 その下には電話番号があった。

 チラシには何か写真が貼られているわけもなく、文字が並べられただけだった。

 仕事内容も書かれているわけではなかった。

 自分は、親の金でアパートに住み、飯も、リハビリ代も、全て親が出している。

 このまま親に頼り続けるのはもう終わりにしよう、そう心に決めた。

 自分はチラシの電話番号に電話をした。

 それが間違いだってことは、まだ知らなかった。


 12月9日、バス停

 アパート近くのバス停から2時間ほどかかる場所だった、バスで移動していくにつれて少しずつ風景は変わり、しまいにはほぼ山の中に行きついた。

 バスの中には自分以外人はいなかった、カラのバスの中で自分独りだけが外を見ていた。

「バルトロメオ療養所前、バルトロメオ療養所前」

 バスの運転手はそう言ってバスを止める。

 荷物をもってバスを出た。

 久しぶりに地面に足をつけた感覚だった、目の前には山のさらに奥、道が続いていた。

 

 歩いて10分たったところだろうか、左手が疲れてきた。

 電話越しでは10日間の管理で、療養所に泊まり込みといわれて服を何着かと、歯磨き粉を持ってきた。

 仕事はというと、カメラの監視に侵入者の阻止といわれた。

 侵入者といっても、肝試しをするために来た高校生くらいだろうが…

 しかし、カメラの監視だけであるなら容易い、右手も完全に回復したわけではないので力仕事はできないし、器用なこともできない。

 確か、管理室には療養所のルールが書かれた紙があるといっていたはずだ、一番先に確かめるのはそれだな。

 右に曲がると、門が見えた。

 ぼろくて、今にでも壊れそうな門。

 しかしこれも開けてもいいといわれた、入ろう。

 建物内に入る前に、学校のように広い場所がある。

 地面は砂で、周りにはベンチだったりがある、ただ、どれも長年手入れされていない草に飲み込まれそうになっていた。

 建物自体も大きく、1階、2階、3階、4階とあった。

 壁は冷たいコンクリートでできていて、それも草に飲み込まれそうになっていた。

 地面に広がる血のように草が壁に広がり、しまいには前の扉を防いでいた。

 玄関の前にはちょっとした階段があり、それを上がって扉の前に行った。

「…どうすれば…」

 ドアノブさえも緑につかまり、回らなかった。

 バッグに手を入れて、中からポケットナイフを出した。

「もってきてよかった」

 そう独り言を言ってドアノブにつかまった草を切り捨てて扉を開けた。

 扉を開けた瞬間だった、強烈なカビの臭いが広がっていて、即座にジャケットで鼻をふさいだ。

 ツンとくるような、酸のような臭い。

 一瞬ながらも鼻が燃えると思った。

 中は暗かった、玄関は大きく、奥に受付と扉の近くに鉄のベンチが置かれていた。

 天井の明かりはついていない。

 道は左と右で別れる、しかし運のいいことに、壁にどこに何があるのかが書かれている。

 左に管理室と、会議室、職員用トイレ。

 右は廊下A、部屋番号1から9があるみたいだ。

 なら左に進もう。

 一歩進むとその足音が院内でよく響く。

 それと一緒に水滴が落ちる音もする。

 コトン、コトン。

 それが自分の足音だった。

 管理室のある廊下につく、最奥は終わりなわけではなく、右に曲がれるみたいだ。

 しかし探検するのは後にしよう、管理室でルールを確かめなければ。

 管理室、管理室…

 廊下のどこを探しても管理室は見当たらない、看護師が着替える部屋などはあるが…

 最奥で右に曲がると、その先の廊下が十字型になっていた。

 周りには大量の扉に、十字の先には管理室と書かれた扉があった。

 しかしほかにも、処置室や、管理室B、薬品保管庫、温泉浴室もある。

 十字の左の廊下には隔離室と書かれたサインもある、左の廊下は長く、本当に隔離されていた。

 …管理室だ、管理室に進もう。

 

 12月9日深夜。

 療養所についてから約5時間ほどだろうか、施設内には電気が通っていて、管理室からすべての明かりをつけたりもできる。

 管理室の部屋は極めて小さく、デスクが一つと、その上にカメラの映像が乗っているテレビが三つ。

 テレビの前には受話器が置かれている。

 壁には古いアイドルのポスターに、食器の宣伝?のようなものもあった。

 受話器の隣にはルールの書かれた紙があった。

 しばらくカメラを監視しながらルールを読んでいた。


 ルール1 カメラの監視を怠らないこと。

 カメラ1、2、3、1A、2A、3Aも異常なし。

 その他廊下や各部屋、玄関、中庭に怪しい映像もなし…


 ルール2 廊下Bの電気以外は絶対につけないこと。もしついていたら即座に消すこと。

 他廊下に異常なし、廊下Bの電気は今健全。


 ルール3 二階から泣き声が聞こえても、決して声をかけてはいけない。

 変なルールだな。


 ルール4 第七独房を監視するときは、壁に描かれた文を声に出して読むこと。

 カメラ2Cで第七独房を確かめると確かに壁に文字が書かれている。

「聖きバルトロメオよ、我が肉を裂き、骨を鳴らし、咎の証を我に刻みたまえ。血に濡れた森にて我は産声をあげん。」

 と、声にあげて読むと外の風すら止まったようだった。

 

 ルール5 療養所の外には絶対に出ないこと。

 簡単だな。

 

 ルール6 人影を見かけても声をかけず、無言で管理室に戻ること。

 人を施設内に入れないのが仕事じゃなかったのか? これもまた変なルールだな。


 ルール7 自分の名前を声に出してはならない。

 いう必要もないだろう、ずっと独りなのだから。


 ルール8 発電機がつくことがあるが、絶対に消すこと。

 地下の発電機か、昔は施設につながっていたらしいが、機能するのか? それともしないからこんなルールがあるのか…?

 のこりは破れていて見えない。

 ざっともう三つか、二つはルールが入るくらい破れている。

 とにかくこの紙はシャツのポケットに入れて持ち運ぶことにした。

 施設内の巡回の時に破れた紙が見つかるかもしれない。

 

 12月10日、巡回。

 施設についてから約8時間、日は変わったが深夜のまま。

 上の階で何かがたたきつけられている音が施設内に響いている。

 木材がコンクリートに、カンカンカンカンカンと、素早く音を立てていて気が滅入る。

 何が起こっているのかを確かめるために、巡回することにした。

 管理室から出る、右手にはライトをもって周囲を照らしていた。

 左には隔離室、右には廊下が続いている。

 しばらく歩いて階段を探していると急にすべての明かりがついた。

 ルール8 発電機…

 発電機だ! 

 自分は急いで走り始めた、左に曲がってまた左に曲がってそのまま突っ走って、そして受付近くの階段を下りた。

 地下は木材の板に支えられていた、階段を下りるとすぐ左に発電機が音を立てて稼働していた。

 緑色に光るボタンを押すとすぐに施設内の明かりがすべて消された。

 よく考えればルール2にも違反していた。

 廊下B以外の明かりをつけない…

 でも、短期間だったため大丈夫だろう。

 階段を上がり、受付の近くにつく。

 二階の打撃音も止まっている。


 12月12日、打撃音は発電機の予兆だということに気が付いた。

 カンカンカンとなり始めると、発電機が起動する。

 今日の朝に二階を確かめに行ったが床がカビていて歩けそうになかった。

 においは最悪だ。

 しかし今日はおかしい日だ。

 外では雪が積もっていて、とてつもなく寒いというのに窓から人影が見えた。

 もちろん即座に管理室に戻ったが、監視されている気がする。

 何かに見られている。

 何かが自分を、ああ、ああ、眠い。

 二日間眠らなかったからだろうか、眠気が自分を襲う。

 しかしカメラの監視を怠ってはなな

 

 

 日を改めて日記を書いています。

 眠気でよく描けてなかったがあの時、管理室の扉がノックされた。

 息が上がって、手汗が出た。 

 日記を書いていた途中だったから、鉛筆をおいた。

 その時間は昼の6時ちょっとだった。

 扉の下の隙間に目を当てて外を見たが施設内は暗すぎる。

 唯一見えたのは足の影だろうか、でも、何か明かりを持っているようにも見える。

「…こんにちは」

 扉の外から声を掛けられた。

 男の声だが、弱弱しく、震えている。

 自分はすぐに立ち上がり、椅子に座ってカメラを監視し管理室前のカメラ1を見た。

「す、すみません。誰か、だれかいますか?」

 男はまたしゃべりかけてきた。

 ライトを片手に持っているようだ、カメラ越しでもわかるように震えており、白いシャツには血が染みついている。

 しかし、彼に傷はなさそうだった。

 ルール6をおもいだしたが、自分はすでに管理室の中。

 どうすればいいのかわからなかった、助けが必要な人であれば助けてあげたい気持ちなのだが…

 この療養所は明らかにおかしい。ルールを破らせ来ているみたいだ。

 ルール7、自分の名前を声に出してはならない。

 名前を聞いてみようか?

 だが、ルール6の違反になるのかもしれない。

 だけど、相手も管理人だったら?

「お、オレ、ルール紙を渡されたんだ、た、ただ、半分以上やぶけてて…もう10日を過ぎてるのに、入り口が見つからないんだ、ず、ずっとご飯も食べてないのに、は、腹が、空かないんだ」

 男はそう言ってきた。

 ルール紙は、多分一つしか存在しない、彼のルール紙が半分以上破けているのであれば、自分のルール紙の破けた一部なんだろう。 

 すると、彼はルール9と10を知っている。

「な、なぁ、名前を教えてくれよ。この前地下まで走ってるのを見たんだ、突然全部明るくなって、それで走ってる君を見てさ、お、オレ、直人って言うん――」

 突然声が止まった。

 カメラを見ると、管理室前には誰もいない。

 扉を見た。

 男は、ルール7を破った。

 カメラから見ると、外の地面に紙が落ちている。

 直人が持っていたルール紙なんだろう。

 ゆっくり扉を開き、外をみまわす。

 隔離室まで血の跡が続いている、しかしカメラを見ると血の跡なんてない。

 地面に落ちたルール紙を手に取って、扉を閉めた。

 カメラすら、正常じゃないのかもしれない。

 本当は、いるものを、うつしていないのかもしれない。

 紙を手に取り、よく読んだ。

 字は、印刷されていない、手書きのようだ。

 

 ルール9 隔離室に近づくな。


 12月12日深夜、巡回。

 ルール10には、二日に一回施設を巡回し、扉が開いていないのか、変な場所に明かりがついていないのかを確かめる必要があると書かれていた。

 昨日の深夜にちょうど巡回をしたが、またすることにした。

 十字の廊下を過ぎようとすると、叫び声が聞こえた、隔離室からだ。

「おねがい おねがいたすけて、だして、おねがい」

 その余裕のない震えた声はまるで直人の声に似ていた。

 隔離室の扉をドンドンとたたきながら、叫んで号泣している。

 一歩だけ、隔離室に近づくと声が増えた。

 20代くらいの女性の声が、一緒に直人と号泣している。

 同じく、助けてと、叫んで。

 もう一歩近づいた。

 今度は、図太い男の声。

 声を荒げながら、扉をさらに強くたたきつけている。

 自分は恐怖していた、隔離室の中に何があるのか、知らなくて。

 口元を震わせ、目を扉にくぎ付けにしていた。

 右手に持っていたライトは地面に落ちた。

「たすけて、たすけて」

 声は止まらない。

 震えで右手の関節が痛む。

 

 ライトをもって隔離室から遠のいた、あんなところにいられるわけがない。


 しかし、カメラで確認できなかっ廊下、いや、カメラがまずまず設置されていない廊下を見つけた。

 カメラが設置されていないから、存在すら知らなかった、裏庭近くの廊下だ。

 資料室と、ほかは患者部屋がある。

 二階のカメラには部屋番号が15から続いている理由はここにあった、患者部屋がちょうど5部屋。

 そのほとんどが開いていた、しかし、奥の部屋の扉が音をあげながら、風に揺らされるように動いている。

 扉は、鉄の扉。

 風一つであんなに揺れるはずがない。

 部屋たちの扉を黒い鍵で閉めながら、奥へと進んだ。

 その途中に部屋の中をちらっと見てみると、中にはボロボロになったマットレスが地面にそのまま置かれていた。

 ベッドフレームはなく、冷たいヒビの入った石の地面に置かれているだけだった。

 壁には色落ちたクレヨンで描かれた絵などが、一つの部屋の中に見えた、絵の内容は患者を保護する療養所の女性の絵だった。

「気味がわるい」

 その時は口が滑って、声に出していってしまった。

 そのまま扉を閉めて次の部屋に移動する。

「せんせい」

 扉を閉めようとした瞬間だった、右に何かがいる。

 部屋の中にではなく、自分の右隣に、右を向いた扉の奥に誰かの声が聞こえる。

「またくすりですか」

 声は聞く。

 ルール、ルールの中に、話しかけられてもしゃべってはならないとあった気がする。

 胸のポケットに手を差し伸べられない、ルールが確認できない。

 恐怖で動けない。

「おなかがすきました せんせい」

 老人のような声だった、かすれていて、か弱かった。

 口元がまた震えだす。

 管理室に戻ればいいのだろうか? しかし巡回は?

 矛盾している、細かいことを電話で聞けばよかった。

 いや、こんな仕事受けなければよかった。

「せんせい」

 ドアノブを握っていた右手に、冷たい、何かが自分を優しく握る。

 手のようだった、しわだらけで、爪が手首を少しだけ圧迫する。

「ななこ から てがみ は ありましたか」

 声は聞いてきた、冷たい。冷たい。冷たい。冷たい。

 管理室に戻れない、動けない、右手を振りほどけない。

 ずっと前だけを見て、声の主と目を合わせようとしなかった。

「あああ、ああああ、ああああ」

 老人…? は声をあげた、まるで痛みを感じたように、それとも何かに失望したように。

 目を閉じて、それから目を開けた。

 右を向いたその時だった。

 廊下にいるのは自分だけだった。

 しかしドアノブを握る右手には、しわだらけの手の感覚がまだ残っている。

 手首には、爪の跡がほんの少しだけ、そこに確かにあった。

「大丈夫…」

 自分に言い聞かせて次の部屋に向かった。

 残る部屋の数は2部屋、その一つに風で揺れる扉があった。

 先の部屋の扉に手を当てて、しめようとした時だった、壁には、大量の古い新聞が貼り付けられていた。

 唾液の気持ち悪い臭いがした、この部屋にはベッドはない、あるのは新聞だけ。

 新聞の一つには、こう書いてあった。


 田中和徳、療養所内で自殺 舌を噛みちぎって吐き出し その後看護師の目に指を入れて虐殺――

 

 他の新聞も見た

 

 山形県に新たな殺人鬼 狙われるのは”茶髪の女性”のみ――


 山形県の殺人鬼 警察の活躍により見事に逮捕――

 

 田中和徳 精神異常者 バルトロメオ…

 途切れている。

 新聞は湿っている、その理由は、場所を嗅げばよく分かった。

 新聞は唾液で壁に貼り付けられている、しかし、この状態だとまるで今張り付けられたばかりかのようにも見える。

 部屋に少しだけ入り、新聞をよく見てみることにした。

 理解した範囲では、田中和徳という男は殺人鬼で、精神に異常をきたしているとしてバルトロメオ療養所に放り込まれたが、生活をしていくにつれ、ほかの患者たちとは同じ場所に置けないと判断され隔離室に入れられたみたいだ…

 彼が殺すのは、茶髪の女性のみ。


この小説は短編ですが、すこしつづきそうです。

きちっと、丁寧に終わらせたいのでね。

では、次回にてまた会いましょう。

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