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【タイムスリップ転移短編小説】境界線上の美術館 ~アウトサイダーアートの軌跡~  作者: 霧崎薫


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第五章:夢の建築家

 1964年、パリ郊外のオート・ガロンヌ。紀子の目の前に広がっていたのは、誰も見たことのない光景だった。


 鉄道員のアンリ・ダルジェが33年の歳月をかけて建設した「理想宮」。その姿は、既存の建築の概念を完全に覆すものだった。灰色の空の下で、不思議な建造物が異形の影を落としている。


「まるで異星からの来訪者のようです……」


 紀子は思わず呟いた。目の前の建築物は、この世界のものとは思えなかった。


「そう、あなたにも分かるのですね」


 突然、背後から声がした。振り返ると、そこには小柄な老人が立っていた。アンリ・ダルジェ本人だ。彼の目は、若々しい輝きを湛えていた。


「私は火星からのメッセージを受け取っているのです」


 ダルジェは真摯な表情でそう語った。その声には、狂気ではなく、むしろ澄み切った確信が感じられた。


「この建物の設計図は、すべて火星から送られてきました。私はただ、その指示に従っているだけなのです」


 紀子は息を呑んだ。目の前の建造物は、確かに地球上のどの建築様式とも異なっていた。螺旋状の塔、複雑に入り組んだ回廊、そして無数の装飾が織りなす不思議な空間。


「中をご案内しましょう」


 ダルジェに導かれ、紀子は「理想宮」の内部に足を踏み入れた。そこで彼女を待っていたのは、さらなる驚きだった。


 内部空間は、まるで万華鏡の中にいるような感覚を引き起こした。天井からは光が複雑な模様を描いて降り注ぎ、壁面には無数の装飾が施されている。それは単なる装飾ではなく、何か特別な意味を持つ符号のようにも見えた。


「これらの模様、すべてに意味があるのです」


 ダルジェは壁面の特定のパターンを指さした。


「火星からのメッセージは、建築の形だけではありません。これらの模様の中に、重要な情報が隠されているのです」


 紀子は彼の作業場に案内された。そこで目にしたのは、膨大な設計図と手稿の数々。その中の一冊が、特に彼女の注意を引いた。


「火星からの訪問者」と題された手稿。


 それは単なる建築の設計図集ではなかった。そこには、地球外知的生命体との交信記録と、彼らから授かったという驚くべき建築理論が記されていた。


 紀子は夢中でページをめくった。その内容は、現代の建築理論を遥かに超越していた。力学的な計算式、幾何学的な配置、そして神秘的な象徴体系。それらが見事に調和し、一つの完璧な理論体系を形作っていた。


 紀子は震える手で手稿のページをめくった。羊皮紙のような特殊な紙に、緻密な図面と計算式が書き連ねられている。


「これは……ありえない」


 紀子は思わず声を漏らした。ページには、現代の建築家たちも理解できないような複雑な構造計算が記されていた。


 最初のセクションには、重力場の歪みを利用した自立構造の理論が展開されていた。通常の建築物が地球の重力に逆らって建つのに対し、この理論では重力場そのものを制御し、建物を支える力に変換する。計算式には、アインシュタインの一般相対性理論すら踏み込んでいない領域の数式が並んでいた。


「見てください。この螺旋構造は、フィボナッチ数列を三次元に展開したものです」


 ダルジェは特に複雑な図面を指さした。そこには黄金比を基調としながらも、地球上には存在しない新しい幾何学が描かれていた。六角形と五角形が不思議な調和を保ちながら、無限に連なっていく。


 次のページには、光と音の共振を利用した新しい建築材料の製法が記されていた。特定の周波数の音波と光波を同時に照射することで、通常の石材を超越的な強度を持つ物質に変換する方法が、詳細な工程表とともに記載されている。


「この部分は、私たちの知る物理法則を超えています」


 紀子は夢中で読み進めた。手稿の中央部には、「共鳴する建築」と題された章があった。建物全体を一つの楽器として設計し、宇宙からの電磁波と共鳴させる理論。その振動が人間の意識に作用し、高次の認識を可能にするという。


 さらに驚くべきは、象徴体系のセクションだった。建物の各部分に配置された装飾は、単なる芸術的表現ではない。それは宇宙の根源的な法則を表現する象形文字のような役割を果たしていた。無限大の記号を思わせる渦巻き模様、生命の樹を想起させる分岐パターン、そして謎めいた結晶構造の図版。


 最も衝撃的だったのは、これらすべての要素が完璧な調和を保っていることだった。力学的計算、幾何学的配置、象徴的意匠??それらは個別に存在するのではなく、すべてが有機的に結びつき、一つの壮大な理論体系を形作っていた。


 手稿の最後のページには、謎めいた予言が記されていた。


『此の建築物は、人類が宇宙の真理を理解する日まで、永遠の謎として存在し続けるであろう』


 紀子は身震いした。この手稿は、単なる建築理論書ではない。それは人類の認識を超えた何かからのメッセージ。そして「理想宮」は、その具現化だったのだ。


 ダルジェは静かに微笑んでいた。彼の目には、この世のものとは思えない光が宿っていた。


「これは……革命的です」


 紀子は思わず声を上げた。この理論は、後の建築界に大きな影響を与える可能性を秘めていた。


 しかし、ダルジェは首を振った。


「この手稿は、まだ公開する時期ではありません。人類がこれを理解できる日まで、待たなければならないのです」


 その言葉には、不思議な重みがあった。


 紀子は数日間、ダルジェの作業を観察し続けた。彼の作業には無駄が一つもない。すべての動作が計算され尽くしているかのようだった。


 やがて紀子は、この建築物が単なる狂気の産物ではないことを確信した。そこには、人知を超えた何かが確かに存在していた。


 理想宮の建設作業を手伝う中で、紀子は新たな発見をする。建物の特定の場所に隠された暗号のような刻印。それは後の芸術家たちに大きな影響を与えることになる重要な手がかりだった。


 しかし、その意味を理解する前に、紀子の意識は再び歪み始めた。時空を超えた旅の終わりが近づいていたのだ。


「ダルジェさん、あなたの建築は、きっと未来の人々に大きな影響を与えることでしょう」


 最後にそう告げると、紀子の意識は次の時代へと飛んでいった。ダルジェの微笑む顔が、光の中に溶けていく。


 後年、理想宮は世界的に注目される建築物となり、多くの芸術家たちに影響を与えることになる。そして紀子が見た「火星からの訪問者」の手稿は、いまだに発見されていない。


 しかし、理想宮の中には、確かにその痕跡が残されているのだ。それは、地球と宇宙を結ぶ、永遠の架け橋として。


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