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~加速する変化~

【修正版】

 

 得体の知れない不安を抱えたまま数日を過ごす内に、傷は綺麗に完治した。

 面倒事の多いマゼラン邸に戻りたくはなかったけれど、かと言って理由も無くミルドッド邸に居座り続けるわけにはいかない。


「なぁ、本当に帰るのか? 」

「はい。傷も治りましたし、これ以上、ご迷惑をおかけするわけにはいきません」

「叔母さん達は別に迷惑に感じてねぇと思うぜ? っていうか、戻ったらまた怪我するかもしんねぇじゃん」

「……」

「あれから何も連絡来てねぇし、ケイプ侯爵令嬢がマゼラン邸から出てった様子もねぇから、多分前と同じ環境だぞ? それに爵位は叔母さん達の方が低いけど、マゼラン侯爵よりは皇太子の野郎が押しかけて来てもちゃんと撃退してくれると思うぜ? 叔父さんは、ああ見えて強かだし、叔母さんは怒らすと怖ぇし」


 マゼラン邸に戻りたくない理由を的確に言い当てられ、返す言葉も無く押し黙る。

 伯爵夫妻とレイキッド様は勿論、ミルドッド邸で働く使用人は優しくて気さくで正義感が強い人ばかりだ。

 多少強引なところはあっても、私を気遣っての行動なので、マゼラン邸を追い出された元使用人達に抱いたような嫌な気分になることはなかった。

 良くも悪くも正直な所為で、失言とも受け取れる言葉を掛けられることはあっても怒りを感じることはなく、むしろ回りくどい言い方をされるより好感を持てた。

 しかし、誰かを信じる勇気がない。

 どうしても過去に戻る前の自分が過る。

 その所為で、素直に助けを求めることができない。

 また、皇室やミルドッド家と血縁関係のあるレイキッド様と私では境遇が違う。

 少し前まで授業以外の交流が無かった相手に、気兼ねく無く泊まりたいと頼むのは気が引けていた。


「うーん……多分、あの二人が大人しくしてねーと思うんだけどなぁ……」

「……」


 折角、反対を押し切ってまで荷物を取りに行ったのに、遠出も働きに出ることもできない。

 所持金が潤ったところで、エイリーンが殿下を連れて押しかけて来る可能性を考えると、宿も利用できない。

 第一、宿に出入りしている場面を噂好きな連中に目撃されれば、間違いなくゴシップ誌の餌食になるだろう。

 周囲から向けられる好奇の目や噂を一人で受けるならまだしも、レイキッド様を面倒事に巻き込むことは絶対に避けたかった。

 悩んだ結果、大人しくマゼラン邸に戻る他に選択肢はなく、今回の一時帰宅は周りに心配をかけただけで、何一つ状況を改善させられなかった自分が情けなく思えた。


「ま、取り敢えず朝飯食いに行こうぜ」


 食堂へ移動すると、伯爵夫妻の姿はなかった。

 元々二人が多忙な生活を送っていると聞いていたが、ここ数日は特に忙しいのか、食事の時間でさえ顔を合わせる機会が激減していた。

 急な滞在にも関わらず、手厚く歓迎してくれたことを思えば直接感謝の言葉を伝えたいと思う一方で、多忙だと知りながら時間を割いて貰うのも相手に迷惑だ。

 となると、理想に意識を傾けるより状況的に置手紙が妥当だろう、なんて考えながら溜息を零していると、食後に執事長から医務室へ向かうよう告げられる。

 理由を尋ねても首を左右に振るだけで教えて貰えず、傍らに立っていた使用人に視線を向ければ、怪しさ満点で挙動不審に目を泳がせていた。


「どうかしたの? あと、帰り支度をするから服を……」

「そーだったー! 仕事に戻らなくっちゃー! すみません! あ、ちょっと待って、髪飾りがちょっとズレてるので…よし、完璧!それでは失礼します! 」

「あ、ありがとう…でも、あの、ねぇ……」

「わ、私も戻らなくちゃー! ごめんなさーい!! 」

「申し訳ありません!私達も仕事に戻ります! 」

「え……? 」


 話しかけた使用人は皆、目を合わせずに言い訳を捲し立てて、逃げるようにそれぞれの持ち場へと走り去ってしまった。

 使用状態に関らず、私服を全て洗濯する為に回収されて以降、一着も返却されていないので、今も夫人から服を借りたままだ。

 当然、帰り支度も思うように進まない。

 せめていつ返却して貰えるか教えて欲しかったけれど、執拗に問いただして険悪になることは避けたい。

 仕方ないので、諦めて医務室に移動する。

 しかし、中に入ると忙しい筈の伯爵夫妻が立っていて、二人は主治医と意味深な目配せを交わした後、デジャヴのような茶番が始まる。


「おはようございます……? 」

「おはようございます…むむっ!? おやおや〜? なんだか顔色が悪いですねぇ~? 熱を出しそうな顔をしてますよ~? 」

「え? 熱ですか? でも、特に体調は……」

「これは医師として見過ごせませんねぇ~心配ですね~いつか熱を出しそうな顔をしてますね~」

「なんだってーーっ!? 大変だ! ” もう暫く様子を見る為にも、うちに泊まって貰った方が良い ” という事かね? 」

「ええ、ええ、左様でございます。油断するとその内熱が出そうな顔をしてますからねぇ、はい」

「え……え……? 」

「ゴホン……それは大変だわ!! どれどれ? やだ! 何だかオルカちゃんのおでこが熱い気がするわ! 」

「いえ、ミルドッド夫人の手の方が熱いと思います」

「あ、あら~? そうかしら~? オホホホ~」


 主治医の言葉を聞いた伯爵が大袈裟に反応し、夫人も私の額に手を当てたが、手の温度についてキッパリと伝えると、そそくさと伯爵の元へ戻っていった。

 突然のことで理解が追いつかず、三人は少し離れた場所に移動してから、輪になって小声で話し合いを始める。


「ネッサ、それはまだ早いぞ。まずそこは……で、……してから……」

「あ、そうだったわ。いけない。……してから、……がこう言うんだったわね? 」

「はい。奥様は…………して、……ですから…………」


 隣に立っていたレイキッド様に視線を向ければ、天井の隅を見上げたまま笑い声を堪えていた。

 不自然な言動から察するに、どうやら私を引き留めようと一芝居を打っていたようだ。

 残念ながら世辞にも演技が上手いとは言い難いけれど、少なからず嬉しさを感じた。

 勿論、不安や疑いが消えたわけではない。

 ただ、こんなに茶目っ気溢れる大人はマゼラン家の親戚以外で見たことが無く、自然と笑みが零れる。

 何を言っても押し通されるのは前回の茶番で学習済みなので、早々に諦めて遠回しな提案を有難く受け入れることにした。


「お言葉に甘えて、もう暫くお世話になります」

「うんうん、その方が良いだろう。後でマゼラン侯爵に新たな書信を送るから、何も心配せずにゆっくりと休んでいきなさい」

「ありがとうございます」

「そうだ! レイラちゃんが南部に視察に行っちゃって仕事が落ち着いてるし、明日傷の完治祝いをしない? 」

「賛成だよ。私も丁度仕事が落ち着いたから、明日一日休みを取ろう」


 流石にその提案は遠慮したかったけれど、既に祝う前提で話が進んでしまっていた為、断り切れずにこちらも大人しく受け入れた。














 予期せぬ問題を避けようと外出は極力控えていた。

 しかし、閉じ籠もったところで問題が解決するわけでもないので、伯爵夫妻を仕事へ送り出した後、開き直ってレイキッド様と早い時間から町へ出掛けることにした。

 折角時間を割いてくれたのだ。

 明日の席で日頃の感謝を込めた贈り物を渡そう。

 そんな風に考えを巡らせる内に、護衛であるレイキッド様も今日が久々の外出になることに気付いて、すぐに謝罪する。


「私が閉じ籠っていた所為で、レイキッド様を邸宅に押し留めてしまって、申し訳ありませんでした」

「んあ? 謝ることねぇよ。行動制限はあるもんだって分かった上で護衛を引き受けたんだから気にすんな。宿題があったし、領地から届いた書類仕事を片付ける良い機会だったしさ」

「ありがとうございます……ところでこの時間だと露店が少ないんですね? 」

「ああ……多分、もうちっとしたらすぐに賑やかになると思うぜ。……つか、んなことよりあの二人が遂に動き出したから明日は覚悟した方が良いぜ」

「……エイリーンと殿下がですか? 」

「いや、叔母さんと叔父さん。連れてった時から、多分大人しくしてねぇだろうなとは思ったけど……オルカ嬢の私服を見て、明日決行するつもりなんだろうな」

「何をですか? 」

「オルカ嬢を着せ替え人形にするって計画」

「……着せ替え人形? 」


 ミルドッド伯爵夫妻は、皇室と深い関係にありながら恋愛結婚を望んだ為、多方面を説得した影響で婚姻を結んだのはつい数年前だ。

 まだ子供が居ない伯爵夫妻には、 ” 気に入った誰かを人形の様に服を着せ替えて眺める ” という変わった趣味があり、大変なんだと説明するレイキッド様の反応が理解できずに困惑する。

 パーティー用のドレスを新調する為に一人でブティックを訪れる際、他の来店者が繰り返し試着する光景を何度か目にしていたが、嫌な顔をする人なんて居ない。

 試着している人は勿論、店員も笑顔だった。

 その時の様子を思い出しながら、着せ替えて貰える程の沢山の新しい服に囲まれた経験が無いので、むしろ体験してみたいとさえ思っていた。


「伯爵夫妻のご厚意なので、むしろ喜ばしいことじゃないですか? 」

「いやー……ちょっと前までレイラが着せ替え人形にされてたところを見たけど、しんどそうだったぜ」

「試着を何度も繰り返せば確かに疲れますけど、どうでしょうね?想像できません」

「リクが小さい頃は、アイツも着せ替え人形のターゲットにされてたな……つか、リクを着せ替え人形にしてた時に気が合ってそのまま結婚したカップルだし」


 今まで勉強ばかりで、恋愛をしたことはなかった。

 そもそも殿下と婚約している以上、出来る状況でもなかったけれど、興味が無いわけではない。

 時々、仲の良い夫婦を見かけると、羨ましいとまではいかなくても、見ているだけで気分が和まされる。


「気の合う人と結婚出来るなんて素敵ですね」

「そうだな……そこはすげぇと思う。片や皇帝陛下の従妹で、片や皇后陛下の姉だし。オルカ嬢もやっぱ恋愛結婚に憧れてんのか? 」

「そうですね……恋愛結婚に憧れはありますが、心変わりをされた時を考えると怖い気もします。レイキッド様は願望とかありますか? 」

「そうだなぁ~俺もどうせなら惚れた女と結婚してぇな……仕事も俄然やる気が出るだろうし。実感っつーか、責任の感じ方がまた違ってくると思うんだよな……あ、まぁ政略だったとしても追々惹かれ合って両想いになるのも悪くねぇとは思うけどさ」


 レイキッド様が赤裸々に語る結婚観を聞く内に、段々と恥ずかしくなって頬に熱が集中する。

 決して下世話な話ではなく健全な内容ではあるものの、未婚で未成年でありながら異性と結婚に関する話題。

 それも誰が見聞きしているか分からない町中で、歩きながら堂々と交わすのは、些か軽率ではないだろうか。

 もう負い目を感じる必要は無いとはいえ、流石にこれは油断し過ぎだ。


「お、あそこの雑貨店、新しくオープンしたばっかだとよ。入るか? 」

「え? あ、はい」


 一人悶々と考え込んでいると、不意に声を掛けられて、そのまま雑貨店に入店した。

 普段利用するブティックとは全く違う。

 店内の様子に目を輝かせながら商品に近付くと、品定めよりも先に値札の数字が視界に飛び込んで硬直する。

 ……高すぎる。

 侍女長から手渡された小遣いは、節約をすれば当面の間は生活に困らない額ではあった。

 しかし、それは大前提として平民と同じ生活を送る場合の話に限ったことだ。

 貴族が好む嗜好品や衣服、アクセサリーを購入するとなれば、あっという間に所持金を使い果たしてしまい、支出の基準を見誤っていたことに気付いて項垂れる。

 動揺を悟られまいと平然を装いながら店内を見て周り、悩んだ末に手頃で無難な物を選んで購入した。


「荷物、持つぜ」

「いいえ、重くないので大丈夫です。ありがとうございます」

「そうか? でも次の店に入った時、両手空いてた方が選びやすくね?商品に荷物引っかける心配もねぇし」

「そうですね……商品を壊したら、今は弁償できない」

「はっはっはっはっ! んな深刻そうな顔すんなって! ほら、貸せよ」

「あ、ありがとうございます。お言葉に甘えて……」

「おっと、悪いな。手が当たった」

「いえ、こちらこそすみません」


 レイキッド様は、マナー教育で教わった内容が通じない上に言葉遣いも荒いけれど、全くの礼儀知らずというわけではなかった。

 また、破天荒に見えて意外と周囲を見て行動するところも、紳士的な対応も出来る人だ。

 殿下からは勿論、元専属護衛からも馬車の乗り降りを含めてエスコートを受けたことがなかったので、レイキッド様の気遣いは純粋に嬉しかった。


「へ……へ……へっくしょ〜いっ!! あー鼻痒ぃ……」

「大丈夫ですか? ハンカチどうぞ」

「あー大丈夫。鼻水つくと悪いから。おーい、おばちゃんハンカチ1枚くれ」


 残念ながら正直すぎる性格が玉に瑕だ。

 でも、疑い癖がある私にとっては、ハッキリ言ってくれる方が安心できて傍に居ると過ごしやすい。

 殿下との婚約期間が伸びた時、護衛が付くことに抵抗があったけれど、今はむしろこの先もずっと一緒に居られれば良いとさえ思っていた。









 散策する内に、静かだった通りはいつの間にか露店が並び、多くの人で賑わっていた。


「そろそろ休憩すっか? カフェに入るでも良いし、露店の飯を食うでも良いぜ。丁度そこにベンチもあるし」

「ありがとうございます。折角久しぶりに外出をしたので、休憩をするならベンチが良いです」


 眼鏡の所為で目立つのか、通りすがりの何人かが私達に気付いて、遠目からこちらの様子を伺っている。

 何人かが立ち止まってコソコソと話し始める始末。

 迷惑を掛けているわけでもないのに、面倒だ。

 きっと、レイキッド様が居なかったら、すぐ傍まで近付いて聞こえるように嫌味を言われていただろう。

 どんなに行き交う人波が多くても、向けられた悪意を敏感に感じ取ってしまう所為で、ジロジロと無遠慮に視線を向けて来る彼女達が目に付いて溜息を零した。


「ほら、串焼きだ。熱いから気を付けて食えよ」

「え? あ、はい。ありがとうございます……頂きます」


 やっぱりカフェへ向かうべきだろうか。

 そう悩んでいたところに、甘辛いタレが絡んだ串焼きを差し出され、初めて食べるその旨さに憂鬱な気持ちが吹き飛ぶ。

 単純な自分に呆れつつ黙々と食べ進めたが、完食後に我に返ってから、見苦しい姿を晒したことへの羞恥心で、顔に熱が集中する。


「あれ? 辛いやつを渡したっけ? 顔真っ赤だけど辛かったか? 」

「いえ! 大変、美味しかったです。ただその、人目も気にせず食べてしまった事が恥ずかしくて……」

「はははは! 別に気にすることねーよ! あんなに澄ました顔で品良く串焼き食う奴なんか見たことねぇから逆に面白かった! つか本当にあれだな。オルカ嬢は教科書通りの動きをするよな? 同じ動きをしても、なーんか優雅に見えるのは何でなんだ? 」

「そんなことありません」

「変なこと言うけど、ゲップとか屁とかしなさそう」

「会話に割込んでしまって申し訳ありませんが、アドバンズ子爵、侯爵令嬢に対して流石にその発言は品が無さ過ぎるかと……」


 傍に居た他の護衛三人の内、一人が気まずそうに指摘すると、他の二人も無言で頷く。 

 ミルドッド夫人がこの場に居れば、間違いなくまた耳か頬をつねられたまま説教を受けていただろう。

 確かに品位に欠ける発言だったとはいえ、三人から同時に注意を受ける姿が少し可哀想で、助け舟を出そうとベンチから立ち上がった。

 ただ、声を掛ける前に何かを発見したレイキッド様の表情が険しくなり、異変に気付いた他の護衛からも瞬時に笑みが消える。

 突然どうしたというのだろうか。

 不穏な空気に眉を寄せたまま、首を傾げる。

 皆が警戒しながら見つめる視線の先を辿れば、会いたくなかった人物が遠くから歩いて来ていた。


「オルカ嬢」


 上がった口角がゆっくりと下がり、穏やかだった時間が嘘のように、一瞬でその場に重苦しい雰囲気が漂う。

 近付いて来る前に逃げるか無視したいところだけど、婚約期間が過ぎた後の報復が脳裏を過って、仕方なく殿下に向き直った。

 前回の一時帰宅といい、今回といい、政務で忙しい筈の彼と何故こうも遭遇するのか不思議だ。

 ウンザリしながら、感情を抑えて挨拶を交わす。


「久しぶりだな」

「皇太子殿下にご挨拶申し上げます」


 無表情な私とは反対に、殿下はいつもと違って薄っすらと笑みを浮かべていた。

 彼が引き連れていた護衛は、白い制服に皇室の紋章が大きく刺繍されている為、町中ではかなり目立つ。

 エイリーンと接する時のような柔らかな表情を向けられ、常に仏頂面で私を軽視していた人物とは思えない態度に顔を顰めそうになる。


「チッ……これ見よがしな格好しやがってっ」

「今のは子爵からの挨拶ということにしてやる」


 殿下自身の恰好も正式な場で着るような服装で、当然すぐに周囲に気付かれてしまい、野次馬が集まる。

 転んでも無視して素通りするような人間が、見かけただけで近付いて笑顔で話しかけるなんてあり得ない。

 状況からして、単純に噂の沈静化を図る為だろう。

 私と親し気に接している場面を多くの人に見せれば、悪い噂が落ち着くと同時に、婚約者としての役目をきちんと果たしていると、両陛下に示したいに違いない。

 こんな見え透いた小賢しい行動に出るなんて、一体どれだけ私を侮っているのだろうか。


「オルカ嬢、服装の趣味が変わったのか? 」

「殿下には関係ありません。ご用件は何でしょうか? 」

「フッ……随分ハッキリと意見するようになったな。アドバンズ子爵の影響か? 」

「ご用件が無いようなので、これで失礼致します」

「待……」


 婚約解消後の報復に不安はあったものの、雑談に付き合う義理は無いので、早々に会話を打ち切るも、驚いた殿下が強引に引き留めようと腕を伸ばして来た。

 しかし、さっきまでの頼りない姿が嘘のように、すかさずレイキッド様が壁になって殿下と私の間に立つ。


「っ! ……おい、何のつもりだ? 」

「殿下、オルカ嬢に礼儀を弁えてくれ。用件も無ぇのに必要以上に令嬢を引き留めるのは失礼だろ? 」


 いくら皇族の血が流れているとは言え、好戦的な態度のレイキッド様に、怒りを忘れて内心ハラハラしながら、その背中を見上げる。

 私の心配とは裏腹に、殿下は理不尽な態度や怒りを露わにすることはなく、意外にも冷静に応対していた。

 相手によって態度を変えているのだろうか。

 二人のやり取りは普段から殺伐としているのか。

 単に多くの視線を気にしているからか。

 理由は不明だったが、何にせよ殿下は今でも私に対する配慮が欠片も無いのは確かだ。

 今まで大人しく耐えた結果がこれなのか。

 苛立ちと悲しさを表情に出さないよう毅然とした態度で立っていると、レイキッド様から熱い何かの気配を感じ取る。


「……ん? 」


 怒りで体温が上昇している時に感じる熱気とは違う、暖炉や焚火の傍に居る時のような、炎の熱気を感じた。

 傍に居た他の護衛が気付いている気配はなく、レイキッド様の外見にも特に大きな変化は見られない。

 ただ、殿下だけは何か察知しているのか、それとも気迫に怖気づいているのか。

 どこか警戒した様子で一歩後ずさっていた。


「婚約者を町で見かけて声を掛けたのが、そんなに悪いことだったか? 」

「悪いに決まってんだろ? マゼラン侯爵が調べた近辺調査の報告書に、アンタがオルカ嬢を散々無視して冷遇したことも、堂々と浮気してた事実も書かれてたのに、今更見かけただけで話しかけるなんて信じらんねぇよ」

「言葉に気を付けろ。浮気じゃない」

「そうか? 報告書を読んだ両陛下も浮気だって認識してたぜ? 」


  “ だからゴシップ誌の餌食になっているのだろう “ 。

 そう言わんばかりな口調でレイキッド様が言い切ると、殿下の視線が鋭くなる。

 しかし反論しないあたり、多少なりとも自覚はあったようだ。


「こんな人目に付く場所でそんな恰好で、婚約者を見掛けたから話し掛けただと? 支持率が低迷したから印象操作で近付いて来たようにしか見えねぇんだよ」

「子爵とは会話にならないようだ。オルカ嬢、久しぶりに会えたんだ。カフェでお茶でも飲みながら話さないか? 」


 レイキッド様が気持ちを代弁してくれたことに少しスッキリして、不覚にも口元が緩みそうになる。

 しかし、すぐに切り替えて誘いをどう断ろうかと考えを巡らせた。

 申し出を断ったとはいえ、会話に応じたのだから、無視したことにはならない筈だ。

 後で難癖を付けられても、対処できるだろう。

 問題は、一応現在はまだ婚約者である殿下の誘いを、レイキッド様と一緒に居る状態で断れば、浮気だと騒ぎ立てて理不尽に咎められる可能性がある。

 そうなれば、殿下自身の行動を指摘したところで、きっと聞く耳を持たずに騒ぎ立てるに違いない。

 返答次第で他者に迷惑を掛けてしまう以上、慎重に言葉を選んでいると、この行動が屈辱的な勘違いを招く。


「フッ……子爵が何を勘違いしているのか分からないが、オルカ嬢は私に想いを寄せたままのようだ。現に私を拒まないじゃないか? 」

「勘違いも甚だしいですね」


 殿下の次の言葉を聞いた瞬間、とうとう頭で考えるより先に言葉を発してしまい、その場が静まり返る。

  “ 言ってしまった…… “ と後悔しても、口をついて出た言葉を今更回収できない。

 同時に、レイキッド様からの熱気も消えた。

 何だったのかと疑問に思いながら、今はこれ以上失態を重ねまいと、目の前の殿下に集中する。


「少し驚いたので、すぐに返事ができませんでした」

「そう意地を張るな」

「印象操作に利用されるなんて御免です。ご用件が無いのでしたら、これで失礼致します。ごきげんよう」

「おい、待て! だから話が……」

「殿下、用件があるならちゃんと約束を取り付けろ」

「連絡も取れない相手にどうしろと? 」

「因果応報だ、馬鹿野郎」


 捨て台詞のようなレイキッド様の暴言に、後々大丈夫かとヒヤヒヤしつつ、 ” よく言ってくれた ” とやっぱり少しスッキリした気持ちでその場を後にする。

 目立つ格好が災いし、多くの野次馬が集まった所為で殿下は私達を追いかけることが出来ないようだ。

 悔しそうな驚いたような表情で、こちらを見つめたまま立ち尽くす姿から察するに、きっと従順だった私が、誘いをキッパリ断るなんて思いもしなかったのだろう。


「(ほら、やっぱり浮気だったんだわ……)」

「(さっき、印象操作って言ってなかったか? )」

「(先行きが不安だわ……)」


 好き勝手に噂話を始める野次馬に囲まれた殿下の姿は、以前の私を見ているようで複雑な気分になる。

 引き連れていた護衛も、オロオロと落ち着きない様子でその場をどう収めようか困惑していた。

 彼等にとっても、予想外な展開だっただろう。

 公衆の面前で恥をかかせる結果になってしまったが、そもそも小賢しい真似をして近付いて来たあちらに非があるので、今回の騒動が仮にゴシップ誌に載ったとしても不可抗力だ。

 目撃者も多いので、外出の誘いを断ったことに対する理不尽な抗議があっても、これなら上手く躱せる筈だ。

 もう買い物を続ける気分でもないので、そのまま馬車に乗り込んでミルドッド邸へと戻る。


「ありがとうございました」

「ん? 」

「守ってくれて、気持ちを代弁してくれて、心が少し晴れました」

「いや、護衛なんだから当然だ。それに、あんま抱え込まねぇでハッキリと突き放して良いと思うぜ? 」

「そうですね。そうしたいんですが……なんていうか、色々と考えてしまって…家や将来のこととか……」

「別に今回の三か月の話が終わっても、何かあれば協力するつもりだぞ」

「え? 」

「叔母さん達も、本当はずっと前からあのクソ野郎の行動にイラついてたんだよ。理不尽だし、逆にオルカ嬢が大人しく泣き寝入りすんのも正直ムカついてたし」


 真面目な話しを大人しく聞く一方で、正直すぎるレイキッド様と一緒に居ると、 “ 皇族侮辱罪 ” とは何だったか忘れてしまいそうになる。

 両陛下やご兄妹には悪態をついていないところを見ると、殿下のことだけが余程嫌いなようだ。

 元々不仲だったのだろうかと疑問に思いながら、確かに泣き寝入りばかりをしていた過去の自分を思い返すと、私自身でさえ腹立たしく感じた。


「まぁ、相手が相手だし、抵抗出来る環境じゃなかったって後で知ったけどさ。それが余計に腹立つっつーか、無抵抗な人間が四方八方から攻撃受けてるところ見ると苛々すんだよ。将来って縁談か? でも、あんな野郎との未来なんかロクなことねぇぞ? 」

「でも……」

「浮気するような昔の男なんか忘れちまえ。縁談なら心配すんなって。叔母さん達も協力するだろうし、俺の親父とお袋にも相談すっからさ。まぁ、言葉で言うのが難しけりゃ、いっそ股間を蹴り飛ばしちまえよ」

「いえ、そっちの方が何倍も難しいです」


 言った直後、レイキッド様が豪快に笑い飛ばす。

 憂鬱な気持ちが笑い声で吹き飛ばされたように、私まで釣られて笑みが零れた。

 ふと、殿下とレイキッド様のやり取りの最中に感じた熱気を思い出して、身体に不調が起きてないか尋ねる。


「そういえば身体に異変はありませんか? さっき、殿下から守ってくれた時に、レイキッド様から熱気を感じたような気がしたのですが……」

「え? あー……あのクソ野郎に苛立ってたからかな? 」

「うーん? ……いえ、なんともないなら、大丈夫です」

「話変わるけどよ、帰る前にゴシップ誌とか新聞買ってくか? 皇后陛下があの二人を牽制してから、情報誌を何も見てねぇだろ? 」

「そうですね。ただ、情報誌って真実よりも大衆受けするように誇張していたり、話を捻じ曲げていることが多いの、正直あまり信じていません」

「誇張されてねぇから心配すんな。少なくとも新聞は捏造された記事を載せるのは違法だしな。オルカ嬢の話を聞いてると危機感が薄い気がしてよ……」


 レイキッド様に言われるまま、渋々と言った様子でミルドッド邸へ戻る途中に情報誌を購入する。

 以前は自分が理不尽な記事の餌食になっていた所為で、信用はかなり低く、また誤った内容が掲載されて抗議しても取り下げて貰えなかったや、過去を思い出すという意味でも情報誌は嫌いだ。

 気乗りはしなかったが、馬車に揺られながら新聞に目を通すと、イラスト付きで殿下がお父様とマゼラン邸の前で口論する様子が一面に掲載され、過激な言葉の羅列に目を丸くする。


「『未来の皇太子妃問題』……って、凄い深刻そうに書かれてますけど、こんな大袈裟な……」

「そうでもねぇぞ? ほらここ、『失われた誠実と信頼、支持率低迷で廃太子なるか』だってよ」

「は、廃太子っ!? 待って下さい! ただ婚約を白紙に戻すだけでどうしてこんな大事になってるんです!? そもそも、かなり過激な言葉が連発してますけど、皇室を記事にするなんてタブーの筈じゃないですか? 」

「今回は特例で、両陛下が許可したんだ」

「え……」


 知らぬ間に私達の婚約は家同士だけではなく、国中が問題視する程の大事に発展していたと知り、焦りと恐怖、不安が入り混じって心臓が早く脈打つ。


「傷が治るまでは、叔母さんも余計な心配させたくねぇって屋敷に新聞とか持ち込ませなかったし、使用人達も叔父さんが口止めしてたけどよ、そろそろ知っといた方が良いだろ? 」

「……」

「だから、皇太子の野郎が今日みたいに強引に接触してくると思うけど、遠慮なく拒絶した方が良いぜ? 」


 売り言葉に買い言葉といった調子で、つい口にしてしまった婚約解消が、こうまで大事になるなんてあの時は全く想像できなかった。

 解消後の報復を回避する為に考えを巡らせるまでもなく、ロイダン殿下が皇太子である限り、このままでは確実にマゼラン家を貶めるような問題が起きるだろう。

 急に態度を変えたことも、執拗に近付いて来る理由もこれかと納得して、項垂れる。

 私達の婚約が白紙に戻れば、殿下も皇太子の座を退く事になると汲み取れるような記事とはいえ、如何せん情報誌に対する信頼が低いので、逃げ切れば良いだけだと結論付けるのは浅はかに思えてならない。

 次から次へと起きる問題に頭を抱える。

 婚姻ではなく、婚約を解消するだけでこうまで話が拗れるとは思っていなかった為、もっと慎重になるべきだったと後悔しても、もう遅かった。


※修正箇所※

字下げ、誤字脱字、一部言葉の言い換え、記号の変更。

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