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~地獄に居たのは~ <元専属侍女 視点>

【修正版】

 

 噂なんて、大抵は誇張されているか、出任せだ。

 真実を覆い隠す嘘で固められた、くだらない話だ。

 しかし、中には珍しく噂通りのものも存在した。

 それが、特定の鉱山内での労働。


 ーー……通称、 “ インフェルノ “ 。


 労働者は何かしら重い罪を犯した犯罪者ばかりで、性別や年齢は考慮されず、弱者は強者に要求されたことに何でも従わなければ命はない。

 重労働に見合わない食事量では到底腹が満たされず、労働者同士の奪い合いから喧嘩になり、血生臭い光景を目の当たりにするのは日常茶飯事だ。

 作業場は寝床でもあるので、昼夜問わず勃発する乱闘の所為で足場には血痕があちこちに付着している。

 怪我をする、気を失う、なんて生ぬるいものじゃない。

 負けた弱者が変わり果てた姿で床の端に転がっている。

 そればかりか、管理者が発見に遅れた場合、腐敗臭の中で生活を強いられることになる。

 その強烈な悪臭は、町の排水出口の先に溜まっている汚水なんて比ではない。

 警備兵はあくまで脱走者を出さない為に配置された人員であって、何が起きても傍観に徹していた。

 むしろ、日々の作業ノルマを達成出来なければ、連帯責任で全員が棒叩きの刑を受ける為、労働者の不満を煽って乱闘の火種を作る原因にもなっている。








 オルカ・マゼランの元専属侍女は、そんな地獄のような劣悪な環境で、終わりの見えない仕事を黙々とこなす日々を送り、日に日に衰弱していた。

 順応力が高いのか。

 それとも今まで住んでいた世界とは天地の差ほどある環境の違いで却って冷静になれたのか。

 混乱と恐怖に絶望することはあっても、自暴自棄にはならず、また元主人に対する怒りや憎しみを感じたりもしなかった。

 地獄のような場所に送られてから、ただただ後悔と反省と罪悪感に苛まれ、打ちのめされてる。

 元主人へ行った数々の非道を思い出しながら、以前の自分が何を考えて行動をしていたのか理解できず、また自分自身を信じられなかった。

 何故、どうして。

 あんなことをしてしまったのだろうか、と。








 ***


 元専属侍女は、戦災孤児だった。

 そして、マゼラン邸で働く古株の一人だ。


 幼少期に戦場跡地で彷徨っていたところをマゼラン侯爵に声を掛けられ、そのまま屋敷で働きながらオルカの亡き乳母に育てられた。

 彼女にとって他の使用人は同僚であり、先輩であり、上司であり、そして家族のような存在でもある。

 亡きマゼラン夫人は穏やかで優しい人物だった。

 そしてマゼラン侯爵も、かつては冗談好きで温厚な性格の持ち主で、よく笑う人でもあった。

 両親を亡くした幼い使用人の誕生日には、ささやかな贈り物を与え、誰かの吉報が届けば自分の事のように喜ぶ絵に心優しい夫婦だった。

 そんな二人の娘が誕生した時は、屋敷全体が喜びに包まれたが、穏やかな日々は長く続きがなかった。



 きっかけは、マゼラン夫人の死だ。

 夫人が亡くなって以降、屋敷の雰囲気は激変した。

 妻に先立たれた悲しみから、マゼラン侯爵は冗談を口にしなくなり、温厚とは程遠い厳格で気難しい性格に変わってしまった。

 親戚が傍で支えになっていれば、状況がもう少し違ったのかもしれないが、残念ながら葬式が終わると、逃げるように親戚は各々の領地へすぐに帰ってしまった。

 夫人の親戚は全員他国に在住している為、長期間の国内滞在が叶わず、こちらもすぐに帰国してしまい、侯爵の両親に関しても既に二人共他界していた。

 きっと、虚勢を張るしかなかったのだろう。

 誰にも頼れず、気を紛らわせるかのように侯爵は仕事に明け暮れて、性格も豹変した。

 母親を亡くした悲しみが癒える間もなく、気難しい父親を恐れるようになった幼いオルカを不憫に思い、始めの内は使用人同士で励まそうと手を尽くしていた。

 しかし、娘が少しでも体調を崩す度に、マゼラン侯爵が理不尽に使用人を罰したことが原因で、次第にオルカを避けるように人々は離れていった。




 ケイプ侯爵一家の悲報が届いたのは、この頃だった。

 そして、悲しい事故で一人生き残ったという、亡き戦友の娘がマゼラン邸にやって来た。


 ” 『はじめまして、エイリーン・ケイプです。これから宜しくね! みんなと早く仲良く出来るといいな』 ”


 明るい髪色と端麗な顔立ちをした少女は、侯爵から紹介されると、使用人達へ笑顔で挨拶を述べた。

 元専属侍女は見た目の美しさよりも、家族を失って間もない幼い少女の言動に違和感を覚えていた。

 当事者の筈なのに、起きて間もない事故や家族のことなど気にも留めてないような、ニコニコと笑顔を絶やさない姿を不気味に感じた。

 無理して笑っているのか。

 だとしたら健気で演技派な少女だと、皮肉交じりにそんなことを考えながら良い印象を持っていなかった。

 同時に、詳しい経緯を知る由も無い元専属侍女でも、侯爵が亡き戦友の娘を引き取った理由の一つに、オルカの話し相手に連れて来たという思惑も、少なからず含まれていたのではないかとも考えていた。


 そんな侯爵の意図はさておき、エイリーンがマゼラン邸に来たことで、オルカの孤立化は一気に加速した。

 理不尽に罰せられる使用人を庇う度にエイリーンは信頼を獲得し、反対に不可抗力とはいえ、被害の原因であるオルカはより煙たがられるようになってしまった。

 元専属侍女は罰を恐れながらも、親代りで上司でもあった亡きオルカの乳母との約束を果たそうと、主人の傍を離れなかったが、一番近くに居る彼女は度重なる処罰の被害に逢っていた所為で、理不尽な仕打ちに苛立ちを募らせていた。

 そんな心を見透かされたのか、この頃のエイリーンは元専属侍女に他愛もない雑談を持ちかけては、頻繁に接触してオルカと引き離そうとした。


 ” 『オルカと仲良しで羨ましい~♪』”

 ” 『オルカの傍に居られて羨ましい~♪』”

 ” 『私もオルカと仲良くしたいな~♪』”

 ” 『私にだけで笑いかけてもらいたいな~♪』”


 違和感だらけの妙な話し方だったが、楽器の音色のような声で歌うように羨む話を仕方なく聞いている内に、元専属侍女に異変が起きた。

 その美しい声を聞く度に段々と思考力が低下し、不思議と相手が望む言動を取りたい、取らなければならないと使命感のような感情が芽生え始めた。

 元専属侍女の気持ちに変化が起きたタイミングに合わせて、エイリーンの羨む声も徐々に変化していく。


 ” 『オルカと仲良くしないでほしい~♪』”

 ” 『オルカは私とだけ仲良くさせればいい~♪』”

 ” 『悪評でオルカを孤立させたい〜♪』”

 ” 『オルカじゃなくて、私を最優先して欲しい~♪』”


 異変が起きたのは元専属侍女だけではなかった。

 エイリーンの望む結果になるように他の使用人も積極的に行動を起こしては、美しい少女に好感を持ってもらおうと皆が必死になっていた。

 また、その過程で精神に異常が出始めた。

 物欲を満たしたい。

 怒りを抑えられない。

 特定の人物に苛々して仕方ない。

 仕舞いには、並外れた忍耐力で耐える主人の姿にまで苛立ってしまい、横柄な態度で接するようになる。

 まるで対等か、それ以下に扱っても問題ないと思い込むようになり、周囲に居た使用人が黙認していたことで行動がどんどんエスカレートしてしまった。

 全てではなくても、物欲が満たされた瞬間の快感を忘れられず、歯止めが利かなくなり、思考力が低下していた所為か心を満たす幸福感が持続することはなかった。

 安心したい。

 安心できない。

 何故、心が休まらない。

 もっと幸福感を得たい。

 この頃になると、エイリーンの声を聞かないと気持ちがすぐに不安定になってしまい、主人を放って用もなく傍に居たいという不思議な願望も生まれた。

 そんな自分の行動が常軌を逸しているなんて疑う余裕も無く、まるで誰かに追いかけ回されて、がむしゃらに逃げるような感覚に近い状態で、目先に囚われていた。


 ***






 過酷な労働環境を強いられてから、暗示が解けたように元専属侍女は以前の様に感情を制御することができた。

 物欲を満たしたいが為に誰かの物を奪うことや、自分の都合だけを通して感情任せに怒りを露わにする行為が、愚かで情けない行動だと今は理解できる。

 同時に、とんでもない過ちを犯してしまったと気付いた時には、もう何もかもが遅すぎた。

 元専属侍女は、今までの生活との雲泥の差に絶望した。

 家族同然の仲間と、誠心誠意尽くそうと誓った筈の主人の傍に居られないことを、絶望しながら悲しみと罪悪感を抱えて後悔していた。

 何故、どうして、あんなことをしてしまったのか、一体何を考えていたのか。



 甘いミルクの香りに包まれた可愛い赤ん坊を思い出しながら、大きな石を両腕に抱いて、元専属侍女は静かに涙を流し続けた。





<元専属侍女 視点 おわり>

※修正箇所※

字下げ、誤字脱字、一部言葉の言い換え、記号の変更。

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