~波乱の予感~
【修正版】
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マゼラン邸には、開かずの部屋が存在していた。
生前、絵を描く事が好きだったお母様が、アトリエとして利用していた部屋で、亡くなった後はお父様が鍵を掛けて出入りを禁止にした。
温かい思い出が沢山詰まっている分、悲しい別れを思い出してしまうことを恐れて、自然と部屋に寄り付かなくなってしまったが、幼ない頃はよく足を運んでいた。
そんな開かずの部屋の中に、気付けば立っていた。
「ここは……」
誰も出入りしていないので、当然掃除がされていない筈なのに、室内は昔のまま埃一つ無い綺麗な状態だ。
自分の目線がいつもより低く、視線を落とすと、紅葉のような幼い子供の手が視界に映る。
手をつねっても痛みは無い。
お母様が好きでアトリエによく来ていたが、絵具に使用される薬品の臭いは嫌いで、敏感だったのに、今は全く臭いがしない。
綺麗な状態の室内も、家具に白い布が被せられていない事も、そもそも部屋の中に入れないので、今回はちゃんと夢の中だと、すぐに区別することが出来た。
「……懐かしい」
八歳の頃の夢では、場面は決まって庭園か広間だ。
たから、アトリエの中に入るのは久しぶりで、柱や家具がよく再現されていた。
悲しい別れを思い出しても、心は穏やかなままで、懐かしむように室内をぐるりと歩き回る。
お母様には異種族の血が混ざっていなかったが、元々頭痛持ちだった所為で、明るい場所が苦手だった。
その為、アトリエの大きな窓は陽が落ちる夕方頃まで、分厚いカーテンで閉め切られていた。
外が薄暗くなってからようやく開けては、庭の風景画をよく描いていた姿を思い出す。
「あそこ……何だっけ?」
廊下に面した広い空間はハッキリと見えるのに対し、奥にある備品室らしき扉が薄くぼやけていた。
近付いてもやっぱり輪郭はぼんやりとしていて、好奇心をくすぐられて手を伸ばすと、触れることが出来た。
そのまま扉を開けてみたものの、残念ながら真っ白い煙が空間いっぱいに広がっているだけで、中の様子を見れなかった。
思い返せば、当時は薬品の臭いがより強くて近付かなかった場所があった為、実際に見たことが無い所や記憶が曖昧な所は夢に反映されないのだろう。
手前にもう一つ扉があったが、試しに開けてみるとやっぱりこちらも、真っ白い煙で中が見れなかった。
「ああいう所を見ると、本当に夢だったんだって納得しちゃうな……ん? 」
人の気配を全く感じなかったのに、部屋の隅々まで歩き回って元の場所に戻れば、いつの間にか黒髪の男性が窓辺に立っていることに気付いた。
普段なら警戒していたが、夢の中という安心感から、何の躊躇も無く立っていた人物に近付いて見上げる。
私の気配に気付いて振り返った男性は、二十代後半くらいの見た目で、黒髪に紫の瞳を持っていた。
帝都でそんな特徴的な容姿を持っているのはマゼラン家だけなのに、目を保護する為の眼鏡を掛けていない。
疑問に感じたが、すぐに夢の中だからと納得した。
親戚の誰かだろうかなんて考えていると、こちらに気付いた男性は、ニコニコと笑いながら無言で手を振る。
遠くに居る相手ならまだしも、すぐ傍に居るのに、そんな風に挨拶するなんて不自然だ。
それとも立ち去れという意味か。
首を傾げたまま見上げ続ければ、男性は突然、変な顔をし始めた。
「……? 」
予想外な行動に言葉が出ない。
かと言って、奇妙過ぎて視線も離せない。
ただじっと見上げる自分も失礼ではあるけど、近距離なのに初対面でその行動は明らかにおかしいだろう。
顔をしかめて眉間に皺を寄せると、それを確認した男性は驚いた表情を見せた後、室内を歩き回った。
かと思えば動物の動きを真似ては、反応を確認しているようで私の方をチラチラと見ている。
大人でこんなに理解し難い行動を取る人は、今までに見たことがない。
マゼラン家の親族でさえ、ここまで変ではない。
これも夢だからなのか。
夢の所為なのか。
相手の意図が分からず怪訝な表情を浮かべていると、男性の行動はエスカレートし、果てには動物の動きを真似た格好で変な顔をする始末。
「……変な人」
「えっ!?ちょっ、 ちょっと待って! もしかして僕のことが見えてるの!? 」
「はい」
「声も聞こえてるじゃんっ!! わぁ〜凄いよ君っ! 久しぶりで嬉しいな~! 」
「……」
「あ、あっ! ちょちょちょっ待って待って、行かないで! 僕は悪い人じゃないし、誰かが僕を認識したのは本当に久しぶりだからちょっと話そうよっ! 」
無言で部屋を出て行こうとすると、慌てて男性に呼び止められる。
よく見ると着ている衣服は一昔前のデザインで、全く覚えてないが、やっぱり幼い頃に見た親戚の誰かなのだろうかと、首を傾げた。
会話が出来て余程嬉しいのか、落ち着きない様子で考え込んだ後、ニコニコと明るい表情でソファーに座るよう勧められる。
見知らぬ男性は、親戚の誰かなのかもしれないし、確かに悪い人では無さそうだけど、かなり怪しい人だ。
それも初対面で変な顔をしながら突然、動物の動きを真似るような奇妙で怪しい人なので、正直あまり関わり合いたくはない。
「あの、折角ですが私はこれで……」
「待って待って! そんなに警戒しないで? 大丈夫、僕は君に受け継がれたマゼランだよ! 」
「はい? 髪色と瞳を見ればマゼラン家の関係者だということは分かりますが……」
「なんだか大人びたおチビちゃんだね? だけど冷静に状況を分析できるのは素晴らしいことだよ! 君は優秀で将来有望、間違いなしだね! 」
「恐縮です。では、ごきげんよう」
「あ、待って! ほ~ら何にも武器持ってないでしょ~? だから安心してね! 」
「……覚えてなくてすみません。以前、会話を交わしたことがありましたか? 」
「いいや? 間違いなく初めてだよ?第一、僕に会える人は限られてるからね」
「それってどういう……」
見知らぬ男性と話している最中に、廊下から私の名前を呼ぶ侍女の声が聞こえる。
室内に反響するような大きな声を不思議に思いながら扉を開けると、室内は眩しい光に包まれて、視界が白く何も見えなくなってしまった。
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「お嬢様! おはようございます。お身体の具合はいかがでしょうか? 辛いところはございませんか? 」
「……辛い、ところ……? 」
「朝起こしに来た際、顔色が悪かったので、先生に診て貰ったら熱を出していたみたいなんです」
倦怠感を感じながら身体を起こすと、コップに入った水を手渡される。
主治医の話では妃教育に向かう際、何処かで熱病を拾ってしまったか、久しぶりの外出で疲れが出てしまったのではないかとのことだ。
幸い、熱はそこまで高くはなく、安静にしていれば昼前にすぐに下がり、主治医と入れ替えに疲れを癒やすマッサージの為に、侍女が複数人部屋を出入りしていた。
エイリーンは相変わらず部屋の前にやってきては、扉が開く度に廊下から室内を覗き見ていた。
まだ諦めていないのか。
婚約を白紙に戻す話が気になっていると、夕方前に珍しくお父様が私の部屋を訪れた。
「ここ数日、部屋に閉じ籠っていたのは、本当に具合が悪かったんだな」
「……はい」
それが病人に対する第一声か。
期待してないとは言え、呆れて小さく溜息を零す。
しかし、言葉とは裏腹に今日のお父様は覇気がなく、どこか落ち込んだような弱々しさを感じさせられた。
何かあったのは一目瞭然だ。
かと言って気遣うつもりはなく、雑談を交わすような間柄でもないので、ただ静かに言葉の続きを待つ。
お父様は溜息を零した後、妃教育の日程が大幅に変更されたと、話を切り出した。
既に先生方から授業を減らすことについて簡単に説明を受けていた分、特に反応せず短く返事を返す。
続けて両陛下が褒めていただの、先生方が褒めていただのと、余計なお喋りが多い。
「驚きもしないか」
「はい」
「そうか」
素っ気なく答えれば、話が途切れて沈黙が流れる。
じれったくて、普段のようにテンポよく用件を伝えて欲しいと思う反面、覇気が無いとはいえ、長年染みついた緊張と不安で強気に出れずに大人しく言葉を待つ。
そのまま沈黙に耐え続けていると、気になっていた婚約に関する進展を聞くことが出来たが、期待していた内容とは違って、面倒なことが起きていた。
「メッセージカードの件や殿下とお前の身辺調査を行ったが……報告書から見て、私も婚約関係を継続するメリットは無いと判断した」
「そうですか」
「両陛下に書類を提出した上で婚約解消を申し出たが、あと三か月だけ様子を見て欲しいと頼まれてな。その期間を過ぎてもお前の意思が変わらなければ、その時こそは婚約を正式に白紙に戻すと約束して頂いた」
証拠だとばかりに書類を差し出される。
” 第一皇子との婚約関係について ” と出だしに大きく書かれた書類は、どうやら誓約書のようだ。
内容は、先の三か月間までは関係を継続し、経過後は意思の変化が見られない場合、婚約を白紙に戻す事を約束すると記され、皇室の印まで押されている。
婚約を白紙に戻せる可能性が生まれたのは喜ばしいが、期間内に殿下が大人しくしているとは思えない。
面子を潰されたと逆情して攻撃されたり、逆避難を受ける危険性が頭を過って、眉間を抑えたまま項垂れる。
私の様子に珍しく動揺したお父様は、すかさず条件を取り付けたから心配ないと説明を付け加えた。
「殿下に対して、今まで通りの対応はしなくても良いことになったから心配するな。我々の自己判断で誘いを拒絶しても良いと、両陛下から直々にお許しを頂いた」
「つまり、殿下の要求に対して無視しても、皇族侮辱罪などの法に触れる心配は無い、ということですか?」
「ああ。殿下が屋敷へ訪問されても、嫌なら門前払いをしても問題もない。手紙や贈り物を拒絶しても同じだ。両陛下は皇太子殿下に非があると認めて下さった上で協力を惜しまないと言っていた。その代わり、三か月の継続だけは守ってほしいと……」
三か月を嫌に強調しているように聞こえてしまい、不信に思いながら関係を修復するつもりは一切無いので、私にとっては時間の無駄だった。
執行猶予とでも言いたげな三か月の間は護衛を付けて貰えるとも説明されたが、それでも私の心は晴れない。
何故なら、一見すると私の肩を持っているように聞こえる反面、殿下の非を認めたのであれば、鉢合わせの危険性がある妃教育が継続されるのは不親切だ。
護衛だって、守って貰うメリットだけとは限らず、私の近況が全て両陛下に筒抜け状態になるデメリットも無いとは言い切れない。
何より、どんな拒絶方法を取っても皇族侮辱罪に問われないとはいえ、あくまで三か月の間で使用できる免罪符なだけであって、それ以降の条件は入ってない。
つまり、やたら無暗に理由も無く拒絶し続ければ、膨らんだ怒りが三か月後に爆発しても、守って貰える保証は何処にもないと解釈できる内容だ。
その辺の詳細について取り決めてはいないらしく、皇室相手とは言え、詰めの甘さに不安を覚える。
かと言って後から頼んで貰うわけにもいかず、また頼める程お父様を信頼しているわけでもない。
考えたくはないが、皇后陛下が誘って下さったあのお茶の席に、万が一殿下が同席していたら、どう穏便に回避すべきか良い方法が思い浮かばない。
「……はぁ」
眉間を抑えたまま、つい無意識に溜息が零れる。
このままでは毒殺の濡れ衣で断罪される心配が無くなっても、別の理由で地下牢へまた投獄される可能性があると考えるだけで頭が痛い。
期間を守って欲しいと念を押すところを聞くと、嫌な想像ばかりが浮かんで、厄介なことになったと、自分の取った行動を後悔するばかりだ。
どう足掻いても相手の方が権力を持っている為、理不尽な報復を回避する方法も考えなくてはならない。
平然を装うことも出来ず不安で視線を落としていると、頭上から予想外な言葉が降ってくる。
「苦労をかけて、すまない」
「……え? 」
顔を上げた時には、既にお父様は背中を向けてそのまま部屋を出て行ってしまい、静かに扉が閉められた。
思考が一瞬止まる。
言われた言葉を何度も頭の中で復唱してから、ようやく謝罪をされたのだと理解した途端、全身に鳥肌が立つ。
お父様と入れ替わりに、心配した表情を浮かべる侍女が部屋に入って、必要な物を聞かれて我に返った。
「オルカお嬢様? 」
「あ……ううん、その……この書類を引き出しに仕舞ってもらえる? 」
「かしこまりました。そろそろ食前のお薬を飲む時間ですが、その前に温かい飲み物を召し上がりますか? 」
「あ、そうね。お願い……」
「かしこまりました。只今ご用意いたします」
挙動不審なまま返事を返してしまったが、それだけ動揺が大きかった。
お父様がわざわざ部屋を訪れたことも、私の言葉に耳を傾けてくれたことも、謝罪をしてくれたことも、以前に比べれば信じ難い出来事の連続だ。
もう今更期待をしないと、好感を抱いて貰うことを諦めた後に気に掛けてくれるのが、嬉しいのか悲しいのか悔しいのか、どう受け止めれば良いか分からない。
感情がぐちゃぐちゃになって、自分で自分の気持ちを上手く整理が出来ず、手元に視線を落とす。
「失礼致します! オルカお嬢様、どうか、暫しお部屋でお待ち下さい」
「? 」
気を紛らわせようとお茶の用意をする為に、一度退室した侍女が、走って部屋に戻って来る。
状況が理解できず眉間に皺を寄せると、表がざわつく。
思慮深い彼女の慌てた様子に嫌な予感を感じて、窓の方へ歩み寄り、カーテンの隙間から外を覗けば、門の前に皇室の馬車が止まっていた。
それも、皇太子専用の馬車だ。
お父様から話を聞いたばかりで、まだ若干混乱が残っているというのに、悩ましい相手が現れて頭を抱えていると、いつも以上に着飾ったエイリーンが門の方へ向かう姿が見えた。
「もしかして、今日は何処かで大事なパーティーが開催されているの……? 」
「本日は、町に新設予定の診療所の寄付金を集めることを目的としたパーティーが開催されるそうです」
「え!? 」
「ご安心下さい。オルカお嬢様は病み上がりですし、無理に参加する必要はありません」
「でも、ダメよ……参加しなければマゼラン家が何て言われるか……」
「旦那様が早くにご帰宅されたのは、代わりにパーティーに参加する為でもあるんです」
「え……? 」
てっきり殿下との婚約に関する、話し合いがある程度まとまったことを私に伝える為に、夕方前の早めの時間に帰宅したのかと思っていた。
窓の外に視線を戻すと、門番と何かを言い争う殿下と、それを宥める仕草をするエイリーンの姿があった。
二人の服の色は事前に合わせていたようで、いつも通り殿下は全く悪びれる様子もなく、堂々とエイリーンを迎えに来たのだろう。
本当ならエントランス前まで皇室の馬車が入って来る筈のところを、敷地内に入れて貰えずに怒っているのは、容易に想像できる。
騒ぎが中々収まらず、とうとう執事長とお父様がゆっくりと門の方へ近付いて直接何かを話し合っていた。
上手く追い払えたのか、暫くしてようやく殿下とエイリーンは馬車に乗ってパーティーへと向かった。
「本日は病み上がりなのに、人の出入りが多くて申し訳ございませんでした」
「え? いや、それは私を気遣ってくれたことなんだから謝ることじゃないよ」
「いいえ、あれは、お嬢様の疲れを取るという目的だけではございません。エイリーン様に悟られない為に、わざとお嬢様の部屋に人を多く出入りさせたのです。あたかもパーティーに参加するように見える為に……」
数日前、事前に殿下からエイリーンにだけドレスが届いたと知った新しい侍女長は、執事長に相談して、今日は間違いなく殿下とペアのドレスを彼女が着るよう仕向けていたようだった。
これによって、今夜は間違いなくあの二人が好奇の目に晒されるだろう。
今までもパートナーとして参加したことがなく、別々で会場入りを果たしていたが、当事者が揃って居るか否かで周囲の印象は少なからず変化する。
本人がどんな主張を訴えたところで、男女が異常に仲良くしている姿を見れば浮気だと捉えるだろう。
今まで批判を集めなかった理由は、婚約者である私もその場に居た為、公認だと印象付けていたに違いない。
殿下とエイリーンもそれに気付いて、今なら私がどれだけ利用されていたか、腹立たしい程、理解できる。
でも、それも今夜で終わりだ。
いくら私に根も葉もない噂が付きまとっていたとしても、当事者不揃いで殿下が浮気相手と仲良くパーティーに参加する姿を見れば、中高年の貴婦人には悪い印象を植え付けて、ゴシップの火種になるだろう。
侍女も私と同じことを考えているのか、表が静かになってから、いつもの穏やかな表情に戻った。
意地の悪い考えだと理解しても、彼女達の計らいと心配りに嬉しさが込み上げる一方で、脳裏を過ったのはやはり、三か月後の理不尽な報復だ。
「でも、どうしよう……まだ参加を迷ってる」
「……」
「今は法から守られているとはいえ、有限である以上、後で何をされるか考えると不安なの」
「ご心配なさっているところ恐れ入りますが、旦那様からはパーティーへの参加は固く禁じられています。今夜は諦めて、明日以降の対策に専念なさった方が宜しいかと思いますよ」
「……うん」
「少しでもオルカお嬢様の不安が和らぐような香りのお茶をお持ちしますね」
「……ありがとう」
その後、いつも通り夜遅くにエイリーンが帰宅した。
しかし、相当不愉快な時間を過ごしたのか、廊下からドスドスと歩く足音が聞こえる。
遠くで扉を乱暴に閉めるけたたましい音と、何かが割れる音と、怒鳴り声が私の部屋にまで届いていた。
同じ廊下に部屋があるとは言え、流石に扉を閉め切っていれば内容まではよく聞こえず、関わろうと思えなかったので、夕方に会話をした侍女の言う通り、明日以降の対策をどうしようかと考えながら、眠りについた。
※修正箇所※
字下げ、誤字脱字、一部言葉の言い換え、記号の変更。