~周囲の変化~
【修正版】
ーー翌日。
お父様の言い付け通り、大人しく妃教育の為に王宮へ向かう準備を進めていると、懲りずにエイリーンが部屋の前に来て、扉越しに声を掛けられる。
部屋を出ると慌てて追いかけてくるなり、必死に取り繕うとしていが、そんなエイリーンを同情する使用人は居らず、新たに彼女についた侍女は無表情で大人しく後を付いて歩くだけだった。
「オルカ……帰ってきたら一緒にお茶を飲まない? 最近流行っているお菓子を昨日殿下から頂いたの。あのさ、一緒に食べようよ? 」
「折角だけど、遠慮するわ」
「オルカが好きなクリームとフルーツが沢山のってるケーキだよ? あとね、香りの良い紅茶もあって……」
「申し訳ないけど、他の人を誘って」
「で、でもオルカとちゃんと話したくて……誤解させてしまったなら謝るわ! 本当にごめんさい。軽率だったと思うし、私……私……」
「もう時間だから行くわ。ごきげんよう」
敢えて他人行儀で突き放し、それでも縋ろうとするエイリーンを無視して馬車に乗り込む。
あの必死な態度の理由は、友人との関係を改善したいのではなく、どうせ婚約解消が成立すれば、殿下と会える頻度が減ってしまうことを恐れているのだろう。
過去に戻る前なら、気に掛けてくれる言動を嬉しく思っていたのに、今では反ってその行動が不愉快に感じた。
あれだけ殿下と仲が良いなら、私との婚約が無事に解消された後に思い合っている二人で話し合って婚約でもなんでもすればいい。
「エイリーンには家柄も財産も人気まであるんだから、あとは二人で勝手に仲良くすればいいのに……」
ケイプ侯爵が亡くなった事で遺産は勿論、理論上、直系であるエイリーンに爵位が受け継がれ、ケイプ家の現当主になっている筈だった。
幼い頃は大人の事情を知らず、成長後も改めて聞くことはしなかったけれど、彼女は結局、父を亡くした後も侯爵令嬢という不思議な立場に留まっている。
聞かなくても、ケイプ家の長老会に反対されたか、親族に止められたか、そんな理由だろう。
当主の座は空席になっている為、後見人であるお父様がマゼラン家と並行して、ケイプ家の当主代理を担う異例の事態が起きていた。
「最近は女性が当主の家門が増えてきたけど、ケイプ家じゃ女性の当主はまだ認められてないのかな……? 」
マゼラン家は、受け継がれた血が関係しているのか、若くして命を落とす人が多く、短命が生まれる呪われた家門だと囁かれている所為で財力や名声はあっても、嫁ぎ先としては評判が悪い。
その為、遠い親戚を合わせても、他の家門に比べれば人数が少なかった。
「傍に居れば状況は違ったのかな……」
私が皇太子殿下の婚約者になれたのは、あくまで皇室からお父様への褒美であって、当時は議会で反対する声も多かったと後で知った。
親族は皆ゴシップにうんざりして、静かな田舎に移住してしまっているので、会う機会は少なく、お母様の葬式で集まったのが最後の記憶だ。
けど、決して仲違いをしているわけではない。
むしろ人数が少ない分、直系や傍系問わず親族仲は良好だった。
厳格なお父様からじゃ想像も付かないような、冗談好きで大らかで、権力に対して無頓着なところもある。
「オルカお嬢様、到着しました」
「ええ、ありがとう」
思い出に浸っている間に到着し、声を掛けてくれた御者にいつも通り、感謝の言葉を伝えて授業へ向かう。
妃教育の内容は、歴史や計算等の基礎的な学びと、場に応じた礼儀作法、そして外交で必要になるスキルの三つに分かれて、授業別に三人の先生から教わっていた。
距離が近いとはいえ部屋も別々になっている。
なのに、最初の授業の部屋に入ると、時間前にも関わらず全員の先生に出迎えられた。
何故、一部屋に集まっているのか疑問に思いながら、なんとか落ち着いた口調で、まずは数日間休んだ事に対する謝罪を伝えた。
「ご心配おかけして申し訳ございませんでした。授業に遅れた分を取り戻せるよう、更に精進しますので、本日もどうぞ宜しくお願いします」
「こちらこそ、宜しくお願いします。しかし、休み明けですし、無理は禁物です」
「そうですよ。今まで本当に令嬢はよく頑張ってきましたので、疲れが出てしまったのでしょう」
「皇太子妃として完璧を求められてしまうのは仕方ありませんが、令嬢は十分立派にやってますので、そんなに背伸びし過ぎなくて良いんですよ」
予想外の温かな言葉に動揺を悟られまいと、マナー教育で教わった内容で礼を伝える。
けど、先生方は何故か少し寂しそうな表情をしていた。
……何か応え方を間違えたのだろうか……
自分の言葉を頭の中で振り返る。
視線を逸らしている間に、先生方はすぐに切り替えてそれぞれの担当する部屋に戻っていった。
予定通りに授業は開始されたけれど、今の私は妃教育を全て習得してしまっている状態なので、出し惜しむことなく先生から出された問題を難なく解いた。
心にゆとりが生まれたのか、当時を思い出しながら授業を受けていると、先生が私の変化にすぐ気付く。
「素晴らしいですね。今日初めて出す問題も簡単に解いてしまうし、大人びた美しい字体も書けるようになったのですね……? 全く乱れがありません」
「ありがとうございます」
「もしや休んでいる間も勉強をしていたのですか? 」
「……はい」
既に習得した内容ばかりなので、先生に聞かれて少し後ろめたさを感じながら答える。
その後も、他の授業を完璧にこなす姿に、先生方は驚いて関心しながら褒めてくれていた。
過去に戻る前も褒めてくれることはあっても、今回のように終始褒められていたわけではなかったので、ズルをしているような罪悪感と、認めて貰えた嬉しさを誤魔化すように手元をいじる。
特にマナー教育の時間はすぐに終わってしまい、教えることはもう何もないとまで言って貰えた。
「素晴らしいわ! 今日はお茶を飲みながら、ゆっくりして貰うつもりだったのに、これだけ優雅で完璧な動きが身に付いているのであれば、これからのマナー教育の時間は復習にしていきましょう」
「お褒め頂き、恐縮です」
「では、町で最近流行っているお菓子を買って来たのでそれを食べて、今日の授業は終わりです」
マナー講師を担当しているミルドッド夫人は、皇后陛下の姉君で、皇帝陛下の従妹にあたるミルドッド伯爵と婚姻を結んだ、皇室と関りの深い方だ。
両陛下との仲も良好で、王宮自由に出入りすることを許可されている為、王宮の使用人達は慣れた様子で夫人の指示に従い、フルーツのショートケーキが運ばれる。
味は申し分なく、香り高い紅茶との相性も良かった。
食べている間も、私の動作を嬉しそうに褒めて貰えて嬉しく思う反面、婚約が白紙に戻った時の反応を想像すると、複雑な気分になる。
きっと落胆するだろう。
良くしてくれたのに申し訳なかった。
今朝はお父様と顔を合わせていない為、メッセージカードについてどう受け止めたかも気になっていた。
ミルドッド夫人に罪悪感を感じつつ、同時に今日は随分とフレンドリーに接してくることに首を傾げる。
軽い注意を受けるくらいで叱られた経験は無いものの、雑談をするような真柄でもないのに、今日のミルドッド夫人はお喋りだ。
授業は全て早めに終わったので、殿下との鉢合わせを避けるために、すぐ帰宅の準備を整えて廊下に出る。
そこへ、ローウェンス公爵の次男であるレイキッド様と、レイラ様が丁度歩いて来るのが見えた。
「あ? もしかしてもう帰るところだったのか? 」
「レイラ皇女様にご挨拶申し上げます。レイキッド様、ご機嫌麗しゅうございますか? 私は本日の授業はもう終了しましたので、丁度帰るところでした」
「オルカお姉様こんにちわ! あっぶなっ! ほら~途中で見に行こうって言って正解だったじゃん! 」
「こんな早く終わるって知るわけねぇだろ! まぁ、間に合って良かったけ……いでででっ!? 叔母ひゃん何ふんだよっ! 」
「あらあら~? 淑女に対して挨拶も返せないとはどういう事かしら?私はそんな風に教育した覚えは無いけどどういうことかしら~? 」
「はなへよっ! いっへぇだろっ!! 」
「レイラちゃんも先週、挨拶する時はどうするか教えた筈だけど、忘れちゃったのかしら? 」
「ひっ!? あ、えーっと……ご、ごきげんよ~……オルカお姉様……? 」
「疑問形で挨拶しない! 皇族が貴族にそんなお辞儀しない! 声が裏返ってる! 」
「はなへっへばっ!! 」
「レイキッドは初めからマナー教育をやり直す必要があるみたいね? 」
「はっ!? ほ、ほへはかんべんひへくだはぃ……」
先程までの穏やかでニコニコした表情から一変し、レイキッド様の右頬をつねったまま、肩を落とすレイラ様にダメ出しの嵐をするミルドッド夫人の変貌ぶりを、呆然と見つめる。
まだまだ説教し足りなそうにしていたが、夫人は予定を思い出したのか、渋々と言った様子で二人を解放した後、部屋の中で見せていたような穏やかな表情になって私に向き直った。
「ほほほ、見苦しいところを見せてしまったわね」
「い、いえ……」
「オルカちゃんは今まで教えたことをしっかり覚えてくれているみたいだから、今後の授業は減らしましょう。ゆっくり身体を休めてね」
「はい。本日もありがとうございました」
「こちらこそ有意義な時間でした。それでは皆さん、ごきげんよう」
夫人の姿が見えなくなってから、説教を受けていた二人は互いに顔を見合わせ、落ち込んでいたのが噓のように満面の笑みで私に向き直る。
その切り替えの早さに感心しつつ、レイラ様に手を引かれて出口とは反対方向に歩き出す。
殿下に会いたくないので、さっさと帰りたいのにどうしたものかと頭を悩ませる。
現在は一応、まだ私の婚約者で第一皇子であり、皇太子でもあるロイダン殿下には、弟と妹が居た。
第一皇子とは二つ年下のリクレット第二皇子殿下と、四つ年下のレイラ皇女殿下だ。
二人は茶髪で黄色の瞳を持っていたが、ロイダン殿下だけは三人兄弟の中で唯一、皇帝陛下と同じ黒髪と金に近い黄色の瞳を持っている。
両陛下や殿下の兄妹とも大きなパーティーで何度か顔を合わせた際、邪険に扱われることはなかったが、約束もなく突然どこかへ誘われる程の関係性を築いているわけでもない。
話す機会も少ないのに、何故か兄妹二人からは親しげに ” お姉様 ” と呼ばれていて、その度に内心どう接したら良いのか困惑していた。
「ふぅ……ヴァネッサ叔母様は本当に怖いんだから……」
「母上より怖いぜ……全く」
「あの、お二人の授業中……? 」
「あーこれから腹痛になる予定だから休みー」
「私もお腹痛くなる予定たから休み! 」
体調不良が予定化されるなんて初耳だ。
深入りせず、周囲を警戒しながら大人しく歩く。
ケイプ家やマゼラン家と同様、皇族にも異種族であるドラゴンの血が受け継いで、瞳が黄色く、受け継がれた血が濃い程に、黄色の瞳は金色に近いとされていた。
ローウェンス公爵は陛下の腹違いの弟で、燃えるような真っ赤な髪とオレンジに近い黄色の瞳を持っている。
冷静沈着な陛下とは反対に、ローウェンス公爵は豪快かつ大胆で、多くの兵の憧れの的になっている人物だ。
レイキッド様は外見から性格まで、力強いカリスマ性を持つ父親にそっくりだった。
殿下と婚約式を挙げた日に初めて挨拶を交わした際、自身で狩ったという立派な熊の毛皮を贈られた時の衝撃は、今でも覚えている。
レイキッド様とは婚約式以降お会いする機会が少なく、たまにパーティーで見かてもすぐに何処かへ姿を消してしまう為、ちゃんと会話を交わしたのは毛皮を貰った時が最初で最後だった。
「そういや具合悪かったんだろ? 大丈夫なのか? 」
「はい? あ、ええ、大丈夫です。お気遣いの言葉ありがとうございます」
「そりゃ良かった。にしても、アンタって教科書が喋ってるみてぇな話し方だな? 」
「ちょっと! オルカお姉様に慣れ慣れしいわよ! このチンチクリン頭! 」
「んだとこのチビ助! オメーだって慣れ慣れしくしてんじゃねぇーか! 」
「チビじゃないっ! それに私のお姉様なんだから慣れ慣れしいんじゃなくて家族なんだから普通だもん! 」
「オメーは兄上と結婚すんだから、オメーの家族なら俺の家族だろ? なら別に問題ねぇじゃねぇか」
「あの、お二人は仲が宜しいんですね」
「「腐れ縁だっ! 」」
声をハモらせる二人に目を丸くした後、おかしくて小さく笑みを零す。
探り合いや言い回しを美徳とする、貴族同士の会話は苦手で、二人のように言葉を選ばずに言い合う姿は、マゼラン家の親族会以外で見たことがなかった。
きっとミルドッド夫人の耳に入れば、また二人は説教をされてしまうかもしれないけど、正直なところ、言葉を選ばない会話は安心出来て嫌いじゃない。
二人に誘われるがまま付いて行った先は王宮内にある温室で、中に入ると待っていたとばかりに皇后陛下に出迎えられる。
皇后陛下ともパーティー以外で顔を合わせる機会が滅多に無く、予想外な人物に緊張して口の中が渇く。
「皇后陛下に挨拶申し上げます」
「いらっしゃい、レイキッド」
「皇后陛下にご挨拶申し上げます」
「オルカちゃんもいらっしゃい。授業はもうおしまいかしら? 具合はどう? 顔色は良さそうね」
「はい。本日の授業は終わりました。ご心配お掛けして、申し訳ございません」
「ヴァネッサ叔母様がオルカお姉様をすっごい褒めてました! 今度からチェックだけで授業もこれから減らすそうです! 」
「流石だわ! オルカちゃんはいつも一生懸命頑張ってくれてるものね」
「恐縮でございます」
「ふふふ、相変わらずね」
「あと少し迎えに行くのが遅かったら、オルカお姉様は帰ってしまうところだったから、危なかったわ! 」
「よく連れて来てくれたわね。二人も席に座って。お茶とお菓子を用意してるわ」
レイキッド様とレイラ皇女は並べられたお菓子に目を輝かせなが、嬉しそうに席に座った。
皇后陛下にもドワーフの血が微かに流れていて、明るいブラウンの髪と、エメラルドグリーンの瞳は宝石のように美しく輝いていた。
穏やかな表情や柔らかい声色とは裏腹に、お茶の席を共にするのは久しぶりで、わざわざ呼んだ理由は何だろうと不安を抱えながら勧められた紅茶を飲む。
「最近、町で流行っているお菓子ですって。オルカちゃんも食べてみて? 」
「……はい、頂きます」
本日二度目のフルーツのケーキだったが、断る勇気が無いので大人しく食べる。
腹痛の筈の二人は準備されたお菓子を次々に平らげ、レイキッド様に至っては、軽食のサンドウィッチも新たに追加していた。
話題は何気ない日常の出来事や、町で新しく出来たブティック、お菓子の会話をしていると、レイキッド様の追加したサンドウィッチを持った先生が現れる。
「皇后陛下にご挨拶申し上げます」
「あらあら、こんにちわ、バルディン伯爵」
「ほう……? 腹痛だと聞いていましたが、アドバンズ子爵は随分と食欲旺盛ですね? 」
「げっ!? な、何で居るんだよっ!? ここなら先生は入って来れねぇって聞いてたのにっ!! 」
「残念! じゃ〜レイ兄のケーキは私がもーらい♪」
「皇后陛下にご挨拶申し上げます」
「あらまぁ、こんにちわ、モラン伯爵」
「皇女殿下、お喜びのところ恐れ入りますが、私からも腹痛を理由に授業を欠席した理由をお伺いしても? 」
「ひぃっ!? あ、えっと……あ、思い出した。お腹痛くなってきた気がする……イタタ」
「え? なんですって? 今学んでいる語学の本を全頁の書き写しをしたいと? 素晴らしい。皇女殿下、なんと真面目で立派なんでしょう」
「う、嘘です! ごめんなさ〜い! お腹は痛くないので書き写しは嫌ぁ~っ!」
バルディン伯爵とモラン伯爵は私の先生であった。
ミルドッド夫人と同様、今まで一度も見た事が無い厳しい一面を持っていた事に驚いて目を丸くする。
呆気に取られていると、先生方は私にも挨拶をしてくれた後、仮病でズル休みをしていた二人を引きずるように温室からすぐに出て行ってしまった。
静けさが戻り、皇后陛下と二人になってしまった気まずさに耐えていると、変わらずの優しい声ではあったものの、会話の内容がガラッと変わる。
「オルカちゃん、ロイダンの事で色々と苦労を掛けてしまって、本当にごめんなさい」
「え? 」
「……ずっと謝りたかったの。貴女を噂から守れなかった事も、今まで手を差し伸べなかった事も」
「……いえ」
穏やかなお茶会だけで終わる筈もないか。
そう心の中で呟いて、皇后陛下に短く返事を返す。
妃教育を休んだ事や過ごし方について、細かく聞かれることはなかったが、当たり障り無い内容から、婚約に関する真面目な話題になって、息が詰まりそうだ。
油断させてからの本題は心臓に悪い。
お父様が婚約を白紙に戻す為に動き出したから、今日は温室に招待されたのだろうか。
「私の家門では絆と信頼を大切にしてるの。陛下と私も政略結婚だけど、皇室が大切にする ” 誠実 ” と ” 信頼 ” に強く共感を得たから、陛下を受け入れることが出来たし、誠意を見せてくれたから愛する事も出来たわ」
「……」
「私も陛下も、オルカちゃんが皇室に入る事を歓迎しているの。貴女を可愛い娘のようにも思ってるわ」
「……」
こんな時こそ、貴族同士の会話でありがちな言い回しで伝えてくれれば上手くぼかすことが出来るのに、ハッキリ言われてしまうと返す言葉が浮かばない。
また、皇太子殿下から受けた数々の仕打ちを考えると、皇后陛下の言葉は矛盾だらけのように思えた。
間違いなく無礼な言葉を発してしまいそうで、口を閉じたまま相槌も出来ずにいると、皇后陛下は少し寂しそうに笑って、諦めたように会話を終わらせた。
「今日は突然誘っちゃったし、あんまり引き留めても悪いから、また今度話しましょう」
「そう……ですね。お気遣い頂き、恐縮です。お茶とお菓子、美味しかったです。ありがとうございました」
感情を抑えながらどうにか返事をしたものの、出てきたのはぎこちない下手くそな社交辞令だった。
先生に褒められたのに、全然ダメだ。
婚約を白紙に戻す件について、皇室やお父様がどう出るかは分からないけど、周囲と話せば話す程、改めて私はもう殿下と関わりたくないのだと、自分の気持ちをより認識させられた。
温室の入り口まで見送ってくれた皇后陛下から、土産に沢山の花が入った小さなバスケットを手渡される。
「これは……? 」
「オルカちゃんが来るまで、活けていた花よ。貴女に似合う花を選んでみたの」
「……ありがとうございます」
「たまにでいいから、今後もお茶を飲まない? 今度はちゃんと事前に連絡するわ」
「……はい」
土産を受け取った私は、短い返事を返すだけで、今度は社交辞令の言葉が一つも出なかった。
今までは一度もお茶に誘って貰えなかったのに、このタイミングで誘われる意味や、今後一緒に参加する可能性がある人物のことを考えるだけで頭痛がしそうだ。
馬車が屋敷へ到着する頃には空はやや暗く、眼鏡を外して見上げた夕焼け空には、紺や赤や紫の美しいグラデーションがかかっていた。
「綺麗……」
裸眼で空を見上げたのはいつぶりだろうか。
暫く空を見上げていると、背後から名前を呼ばれる。
振り向けば、侍女を連れたエイリーンが、驚いた表情で立っていた。
「おかえり、オルカ。眼鏡……外してるのね」
「……ええ」
「とっても綺麗だわ」
「……そんな事ない」
素っ気なく答えた後、エイリーンの横を通り過ぎる。
まだ諦めていなかったのか、慌てて追いかけてくるなり、仲直りだなんだと騒ぎ始めた。
ふと視線を手元に戻すと貰った土産が視界に入る。
白と赤の薔薇をメインに、周りをカスミソウでまとめて飾り付けられた綺麗なバスケットに目を見開く。
” 似合う花を選んだ ” 、というのは皇后陛下の社交辞令だと分かっていても、不覚にも嬉しかった。
立ち止まればエイリーンにしつこく話しかけられてしまうから、足早に自室に駆け込む。
バスケットの花をじっくり眺めようと、ローテーブルの上に置くと今度は、窓辺に飾られた花が視界に入った。
「あれ……? 新しい花になってる……? 」
黄色と薄いピンクの花は無く、生き生きとした紫色の花が活けられていて、枯れ始めていた所為で侍女が予め交換したのだろうかと不思議に思いながら近付いた。
観察していると、活けられていた花は今まで見たことがない品種だと気付く。
正確にはその花を知っていたが、同じ種類の花で花弁が紫色なんて見たことがなかった。
「新種なのかな……でも、凄く綺麗」
貰った土産に気を取られていたからか、紫色の花を深く考えずに、その日は夕食も摂らずに眠りについた。
※修正箇所※
字下げ、誤字脱字、一部言葉の言い換え、記号の変更。