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~矛盾と疑問に向き合って(下)~


 昼食後に仮眠を取り、次に寝覚めたのは夕方前だった。

 サイドテーブルには、呼び鈴と眼鏡と……そして蜂蜜の瓶が置かれている。


「はぁ……休まないとダメなのに……」


 起きて早々、心配事が次々と頭に浮かぶ。

 夢の中に閉じ籠る父親と、刑務所に入った幼馴染の説得。

 ケイプ家へ返還予定の権利や資産。

 親戚に任せたマゼラン家の通常業務と屋敷の使用人。

 そして、皇室と議員等への対応。

 殿下に対する不安も、完全に消えたわけではなかった。

 あの恐ろしい能力でいつ脱走するか分からない。

 何処でどんな警備体制で軟禁されているのかは不明だが、抜け出したなら真っ先に私の元へ来る筈だ。

 何しろ彼の地位を脅かした元凶であり、長年侮っていた相手に面子を潰された挙句、散々無視したのだ。

 自身の過ちを棚に上げて逆上するのは目に見えている。


「何でこんなことになっちゃったんだろう……」


 誰に言うでもなく、ぽつりと呟く。

 しかし、零れた疑問は軽率な発言から始まったのだと、すぐに自答した。

 分かっているのに、やるせない。

 忙しない日常から急に解放されたからか。

 悲観的な考えに陥ってしまい、現状の打開策を思案する気力が失せた。

 見たくない、聞きたくない、何もしたくない。

 抑え込んでいた弱音がひょっこり顔を出せば、便乗するように嫌な過去も次々と思い出させられる。


「オルカちゃん、起きてる? 」

「あ、はい……起きてます」


 暫く天井をぼうっと見上げていると、扉を叩く音と共にミルドッド夫人の声が室内に届いた。


「少し話したいんだけど、入っても良いかしら? 」

「はい、大丈夫です。どうぞ」


 返事の後、夫人は見舞い品を持って部屋に入って来た。

 外はまだ明るく、陽が高い。

 仕事を早めに切り上げて帰宅したのだろうか。

 レイキッド様と同じように心配で様子を見に来てくれたと思うと、罪悪感でいっぱいになる。

 午前中に発した軽率な発言を反省しながら、上半身を起こしてミルドッド夫人を出迎えた。

 傍らに立つ侍女が私に羽織を差し出した後、素早くお茶の準備を始めている。

 その様子から、瞬時に何かあると察した。


「熱はどう? 」

「もうすっかり下がりました」

「親戚の方々に治療を施してもらったんですって? 」

「はい。事件後に負った怪我による不調は残りましたが、発熱に関してはもう大丈夫です」

「なら安心ね。レイキッドの怪我といい、元侍女の治療といい、本当にその不思議な能力には毎回驚かされるわね」


 体調面に問題無いと判断したからか、すぐに当たり障りない話題に移った。

 町で流行っている本や演劇。

 スイーツや衣服、小物にアクセサリー。

 どれも関心が無いわけではない。

 ただ正直なところ、今の私にはどうでもよかった。

 第一、ほんの数ヶ月前まで遊びに行ったことなんてない。

 以前は週に何度か行われた殿下とのお茶の席で、話題作りの為に買えもしない流行り物の装飾品や服、食べ物を調べることはあった。

 観に行けもしない演劇の張り紙を確認し、世間知らずと罵られない様に政治に関する最低限の情報も集めていた。

 結局その半分も披露する機会に恵まれなかったが、過去の自分にとって唯一の気分転換でもあった為、費やした時間を今更惜しいとは思わない。

 ただ、本当に最低限の知識だからか。

 夫人が話す内容の中には初めて耳にする情報も幾つか含まれていた。

 けれどやっぱり、今はどれも興味を引くものがない。

 そんな感情を悟られまいと笑顔を張り付けて、会話が途切れない様に相槌を打つ。

 そもそも見舞いに訪れた際、長居は失礼にあたると私に教えたのは、マナー教育の講師であるミルドッド夫人だ。

 つまり、見舞いとは別に要件があって、雑談は本題に入る前の社交辞令のようなものだった。


「あら、良い蜂蜜ね。これはどうしたの? 」

「午前中に、レイキッド様から頂きました」

「なら、丁度良いわね」


 言い回しを美徳とする貴族の間では、本題から話す事を無粋だと考える人が多く、重要な話題の前に雑談を挟む事が一つの礼儀とされていた。

 優雅で品位ある姿を見せること。

 そして、落ち着いて会話が出来るように、相手の精神を和らげる為の配慮でもある。

 話の重要度によって雑談も長く明るい内容が交わされ、用意される紅茶や茶請け、中には場所や食器類にまで気を配る人も居た。


「優しい香りの紅茶よ。蜂蜜とも相性が良いと思うわ」

「はい……頂きます」

「良かった。それじゃ、蜂蜜もお願いね」

「かしこまりました」


 今回、ミルドッド夫人が勧める紅茶は、気持ちを落ち着かせる効果があるとされる茶葉だ。

 前置きが必要になる程の大事な話なのか。

 侍女がティーカップに紅茶を注ぐ傍らで、議員等と親戚を思い浮かべて脈が速くなった。

 何も起きてない事を祈りつつ、何度目かに短く返事を返した後、ようやく本題に入る。


「ところで、ケイプ侯爵令嬢に会いたがってるって聞いたのだけど……」


 思い掛けない質問内容に、目をぱちくりと瞬いた。

 入念な準備が必要な程の繊細な話題とは思えない。

 それとも前置きは終わってないのだろうか。

 初めの急な訪問から現在に至るまで、幾度となく手を差し伸べてくれた伯爵夫妻に大きな信頼を寄せていた。

 なので、以前と違って教え子と講師という線引はせず、ある程度の質問には正直に答えるつもりだ。

 そんな気持ちとは裏腹に、不安から真意を探ろうと警戒してしまい、夫人が小さく笑う。


「大丈夫よ。責めるつもりはないの。ただ、どうしてなのかなって不思議に思っただけよ」

「すみません……その、はい……面会を考えています」

「良かったら理由を教えてもらっても良いかしら? 」


 二次被害によって殿下に注目が集まっているが、元を辿れば事件の元凶はエイリーンだ。

 レイキッド様と同様、伯爵夫妻も彼女を快く思ってないのは明らかで、私自身も少し前までは、問題行動を繰り返す幼馴染を鬱陶しく思っていた。

 なのに、遠ざけていた相手を心配して面会を希望している姿は、さぞ矛盾して見えるだろう。


「あ……! 」

「ん? どうかしたの? 」

「……事件の詳しい内容についてお伝えする事を失念していました。申し訳ありません」


 ようやく前置きの理由を理解して、慌てて謝罪をする。

 救出劇から意識を取り戻して以降、父親が放棄した問題の対処に追われ、周囲と話す時間がなかった。

 当然、幼馴染への心境の変化も伝えていない。 

 事件の被害者として、本来ある事情聴取も受けておらず、今後の予定にも組み込まれていなかった。

 議員等の態度からして、怪我に配慮しているとは思えず、また証拠が揃っているから不要だと判断したにしても、裁判まで行われているのに不自然だ。

 恐らく、意図せず殿下の所業が情報誌に掲載された今、更なる不都合な情報の漏洩を懸念して、皇帝派が手を回して先延ばしにした可能性がある。

 証言をせず、共有もしていない。

 夫人は協力者として、今後の動きを左右する大事な話し合いをしたいのだろう。

 皇室の件に加え、幼馴染を追い出す為に助けを求めていたのに、僅か数日で態度が変われば混乱した筈だ。

 多忙とは言え、結果的に説明を怠った事を反省しつつ、きちんと伝えようと口を開く。


「オルカちゃん? 」

「あ……いえ、その……」


 しかし、口籠るばかりで言葉が出て来ない。

 緊張して頭が真っ白になったわけではなく、単純に矛盾した気持ちをどう伝えれば良いか分からなかった。

 エイリーンに歩み寄ろうとする一方で、受けた仕打ちを考えると気持ちを割り切れない部分も多い。

 面会についても、具体的にどうやって説得するか。

 説得が成功したとして、今後の関わり方についても特に何も決めていない。

 そんな風に漠然と考えていた為、突然理由を求められても言葉が見付からなかった。


「その、終身刑を、受け入れるよう説得したくて……」

「そう……でも、どうして? 」


 ようやく言葉を絞り出しても、次の質問で再び押し黙る。

 似た質問をレイキッド様からも受けた事があった。

 その時はすんなり答えたが、相手がミルドッド夫人であればそうはいかない。

 決してレイキッド様だからと軽んじているのではなく、仮にレイラ様やリクレット様でも同様に答えただろう。

 ただ、人当たりが良く優しい反面、ミルドッド夫人は一度嫌った相手を二度と許さないと耳にした事があった。

 不条理や不道徳を嫌い、真剣な話し合いでは普段の態度と混同せず、明確に線引きする。

 茶番を繰り広げる陽気な姿からは想像もできない程、相容れない相手には容赦しない性格のようだ。

 過去に、それを裏付ける様な出来事が起きた。

 あれは、妃教育が始まって二年が経過した頃。

 根も葉もない噂で連日ゴシップ誌の餌食にされていたある日、妃教育の帰りに抗議目的で出版社に立ち寄った際、記者同士の打合せ内容を偶然耳にした事があった。

 それは、ある令嬢が高齢貴族の妾として売られるように帝都から去ってしまったというもの。

 困窮した家門の中には、止むを得ず金銭目的で娘を利用する話しは決して珍しくない。

 ただ、その令嬢はミルドッド夫人の逆鱗に触れた事で、社交界から追放されたという経緯があったようだ。

 発端となった原因や詳しい状況までは聞き取れなかったが、孤立した令嬢は良縁に恵まれず、後妻にすらなれなかったと記者が興奮気味に話していた。

 世間受けが良ければ何でも良いのか。

 嬉々として話す姿に呆れたのは言うまでもない。

 歪曲した記事を書く彼等が、果たしてどこまで真実を語っていたのかは未だに不明だ。

 しかし、当時出版された情報誌はその後修正されず、販売停止にもならなかったので、全くのデタラメというわけでもなかったのだろう。

 以前はそんな噂を気に留めなかったが、今は違う。

 肩書や影響力だけではなく、誰かに気に掛けてもらえる環境を失う恐怖が、いつの間にか芽生えていた。

 味方の居ない孤独な日常に、今更戻りたくない。


「残酷だけど、脱走の可能性がある終身刑より、死刑になれば二度と生活を脅かされる心配が無いと思わない? 」

「それは……」


 押し黙る私に、夫人が質問を重ねた。

 どうすればいい、どう答えればいい。

 中途半端に開いた口の中はカラカラに乾いて、全身にじんわりと嫌な汗が滲む。

 悩んだ末に、順を追って説明した。

 拉致される直前のやり取りから、別荘でのエイリーンの態度と、共犯者である元使用人等の行動。

 能力についても説明し、彼等を擁護する一方で自分の気持ちを整理できず、矛盾を抱えている事も打ち明けた。


「彼女にも事情があって攻撃的になるようで、その……わざとではないみたいです。元使用人も惑わされたに過ぎません。割り切れない部分が多くて気持ちが矛盾していますが、仕方なかったんです。別荘では良くしてくれましたし……」

「……暴行と拉致と監禁を受けたのに? 」

「あ、いや……その、看病もしてくれましたし……」

「……原因を作った相手よね? 」

「はい……あ! ですが、その……殿下に監禁された時、捜索に協力したとも聞きましたので、そんな彼女をこのまま死なせたくないと思ったんです……」


 ただでさえ気力を無くし、半ば投げやりになって何も考えたくない状態からの受け答えは、両手で顔を覆いたくなるほど散々なものだった。

 自己嫌悪に陥って、この場から逃げ出したい気持ちを抑えつつ、静かに紅茶を飲む夫人の言葉を待つ。

 表情からは何を考えているか見当も付かない。

 静けさが緊張感を煽り、時間の流れが長く感じた。

 沈黙の後、ミルドッド夫人はティーカップをサイドテーブルに置いて顔を上げる。


「幾つか確認したいのだけど……理由をかき集めてまで相手を許そうとするのは、淑女の言動を意識してるからなの? 」

「え? い、いえ……違い、ます」

「なら、礼儀や家門に対する負い目かしら? 」

「ち、違います! ただ、彼女達も苦労していて……」

「なら、単に同情してるのね」


 率直な言葉に妙な引っかかりを覚える。

 幼馴染に同情している自覚はあったが、他者から言われると胸がざわついた。

 何故だか反射的に否定したくなる。

 ここで初めて、矛盾の中に潜む疑問に気付いた。

 ケイプ卿の話や別荘での日々を思い返して首を傾げる。

 エイリーンだけに留まらず、元使用人や……元専属護衛に対する感情にまで、晴れた筈の靄が再び掛かった。

 表面では平然を装うも、頭の中で混乱していた。

 しかし、ミルドッド夫人が小さく溜息を零した瞬間、自分の感情や考えを後回しにして、すぐに謝罪の言葉を述べた。


「気分を害したのであれば謝罪致します。申し訳ありません。散々助けて頂いているのに手の平を返すような主張で混乱させ……」

「ちょっと待って! 驚かせてごめんね。本当に責めるつもりないの」


 心の準備が整っていない所為か、謝罪の内容が言い訳がましくなってしまった。

 落ち着きもなく、淑女や品やかさなんてとんでもない。

 許しを請う今の姿は、ただの未熟な小心者だ。


「ごめんね。体調が悪い時に急にこんな話をして……」

「い、いいえ! 私が……」

「ううん。自分を責めないで頂戴。ただ……過去の仕打ちを含めて、命を危険に晒した相手を許せた事が単純に信じられなかったの」


 意外な言葉に動きを止める。

 私の考えが理解出来ず、夫人も頭を抱えているようだ。

 冷静に振り返れば、当然の反応だろう。

 ただ、以前も感じた様にエイリーンは善人ではないが、非道で冷血な極悪人でもない。

 ……少なくとも、私に対してはそうだ。

 彼女の異常行動の原因は能力による副作用が関係していて、抗えない代償をどうすることもできない。

 これは実際に能力を使用した者にしか理解してもらえない苦しみだ。

 ” だから仕方ない ” 、そう結論付けて溜息を零す。

 夫人は困ったように笑ってから、話を続けた。


「てっきり私が教えた何かを忠実に守って、加害者を許そうとしてるんだと思ったの。オルカちゃんは普段から真面目でしょ? 」


 ローウェンス家の馬車を止めた事は知らされてないのか。

 日頃の言動を称賛するミルドッド夫人から視線を逸らす。

 レイキッド様の教科書を拝読した事はなかったが、以前はともかく現在はそこまで優等生でもない。

 柔らかな表情で笑いかけられ、気持ちが幾分か落ち着いて冷めた紅茶を一口飲む。

 乾いた口内が潤ったところで、夫人は別荘での出来事を聞いても尚、やはり理解出来ないと零した。


「うーん……オルカちゃんは優し過ぎるというか……」


 夫人は表情を曇らせたまま、顎に手を当てた。

 どうしても納得できない様子だ。

 魔力に関する知識の違いで、理解し難いのだろうか。

 ならば異種族と人間の違いから説明した上で、能力について伝えるべきかと悩んだが、夫人の次の言葉で話の流れが変わる。


「無理に許したいように聞こえるけど、どうして悩んでまで彼等を許そうとするの? 」

「え? 」

「オルカちゃんがどんな選択を選ぼうと協力は惜しまないけど、貴女が犠牲になって損をする道を選ぶなら話は別よ」

「あ、いえ、それは……」

「自分勝手が過ぎるのは良くないけど、自己犠牲が過ぎるのも良くないわ」


 夫人はあくまで、被害者である私の身を案じていた。

 しかし私は、その心遣いを汲み取れず、未だに魔力や能力への知識の差が納得できない理由だと思い込み、説明しようにも話しを遮られる。

 

「あのね、報復しろとまでは言わないけど、簡単に許し過ぎるのも良くないわ。今の貴女の考え方を聞いていると凄く心配になるの。理由さえあれば何でも許せるの? 」

「い、いえ……」

「ロイダンの事も、理由さえあれば許せると言ってるようなものだわ」

「そ、そんなことはありません! 」

「あるわよ。現にケイプ侯爵令嬢や元使用人の事を許そうとしてるじゃない? 」


 返す言葉も無く、視線を落とす。

 ” エイリーンや元使用人等は、殿下と全然違う ”

 ” 悪意の有無で捉え方が変わるのは当然だ ”

 ……そう反論したいが、全体的に見て双方から受けた内容に大差が無く、むしろ共に過ごす時間が長い分、使用人等とエイリーンに苦しめられた時間も長かった。

 心の中に抱えていた靄を突かれ、段々と頭が混乱してしまい、気持ちが迷子になる。

 夫人ももどかしさを感じているようで、一呼吸置いてから話しを続けた。


「オルカちゃんは、我慢強くて冷静に物事を考えられる一方で、頑固で流されやすい一面もあるようね」

「そ、そう……でしょうか……? 」

「ええ。自分さえ我慢すればいいって考えてない? 一歩間違えれば貴女は命を落としてたのよ? 過去についてもそう。危害を加えられたり、妙な噂で孤立させられたり、受けた仕打ちは簡単に許せるような内容じゃないでしょう? 」


 夫人の言葉は尤もだ。

 実際、初代当主のおかげで生き返ったとは言え、私は一度命を落としている。

 過去の事を忘れたわけではない。

 今でもあの頃に受けた仕打ちを思い出して苦しんでいる。

 だけど、” 理由 ” がどうしても振り切れなかった。

 ミルドッド夫人は、そんな私の考え方を掘り下げて自己分析をする必要があると言った。


「忙しいなら私達が協力する。だから気持ちを整理する為に、一度立ち止まった方がいいわ。毎回対処できたのは本当に関心するけど、色んな事が起き過ぎて心が追いついてないんじゃないかしら? 」


 侍女が新しい紅茶を淹れる。

 レイキッド様から頂いた蜂蜜を混ぜれば、柔らかな香りに甘さが合わさって気持ちを落ち着かせてくれた。

 加害者に焦点を置くのではなく、自分自身を優先して考えるべきだと告げられ、不覚にも指摘されるまで私は相手の事情ばかりを注視していた事に気付かされる。


「切羽詰まってるからって、仕方ないで片付けて良い問題じゃないわ。理由をかき集めてまで、無理に許す必要は無いのよ。オルカちゃんは自己肯定感が低すぎるわ。そんなに自分を虐めなくても良いじゃない? 」

「自分を……? 」


 思いがけない言葉に面食らう。

 自分が一番、自分を蔑ろにしていたのだろうか。

 ミルドッド夫人は悔しそうな表情で、持っていたカップを睨みつけていた。

 傍らに立つ侍女も表情を曇らせ、視線を落としている。

 レイキッド様とのやり取りを思い出して、自分の考え方が周囲と大きく食い違っている事をようやく自覚した。


「味方が居ない環境で育ったから、背負い込む癖がついても仕方ないと思う。そうさせたマゼラン侯爵が本当に憎いわ。だけど、私達も長年見て見ぬフリをしてきたから悔しいの」

「それは、仕方な……」


 言いかけて、口を閉じた。

 だって、” 仕方ない ” としか言いようがないからだ。

 視線を彷徨わせて、誤魔化すように紅茶を飲む。

 夫人は困ったように笑いながら溜息を零した。


「納得できない結論を無理に飲み込まなくていいの。どうしても許したいなら、何故許したいかちゃんと考えて」

「そんな、つもりは……」

「たまには自分の心に寄り添うのも大事よ。気持ちを無視し続けるから矛盾が生じるの。先ずは余計な理由を取っ払って、自分に焦点を当ててみて? 」


 ミルドッド夫人の言葉が、真剣な表情が、絶えず心の中に抱えていた靄を刺激する。

 受けた被害は無かったことにはならない。

 それでも命を張って盾になってくれたのも事実だ。

 能力に影響されたという理由だけでは駄目なのか。

 そう考えれば考える程、頭が混乱する。

 同時に、気付かなかった何かを知る事で、変化を漠然と恐れて止めろと叫びそうになった。

 胸騒ぎを感じた時の様な落ち着きなさと、居心地の悪さに顔を顰めそうになり、カップを持つ手の力が強まる。

 夫人は逃さんとばかりに大人しく答えを待ち、私が折れる形で矛盾と疑問に正面から向き合った。

 すると、纏わり付いた理由を掻き分けた先には、疑いたくなるような本音が現れた。


「だって……優しかった頃の彼等を知ってるから……」


 拗ねた子供のような口調で、そう告げた。

 夫人と侍女は目を丸くして驚いていたが、口にした自分も驚きを隠せなかった。

 以前見ていた、お母様の夢が頭の中に浮かんで、張り詰めていたものが徐々に解けて跡形も無く消えた。

 所々顔に靄が掛かってよく見えなかったが、昼下がりの庭園で、幼い自分と母を囲むように使用人が集まる和やかな一時を思い出す。


「あの優しさが本当だったなら……信じたいんです」

「……そういうことね」

 

 傍らに立っていた侍女が新しく紅茶を淹れ直し、夫人がテーブルに置いていたカップを手に取る。

 ゆっくり飲む仕草は完璧で、反対に紅茶に反射した自分の姿はどこまでも未熟に映った。

 虚勢を張る事が馬鹿らしくなり、そのまま集めた理由を手放せば、放置していた心理的な問題が主張し始める。

 悔しさ、悲しさ、寂しさ。

 改めて自覚すれば胸が苦しくなったが、同時に痛みを認めることで心の奥からすっと軽くなる。

 まるで障害物が取り除かれ、流れが悪かった川が正常に戻ったように矛盾が修正されていった。


「……確かに、自分を後回しにし過ぎたみたいです」

「うん」


 元専属侍女がそうであった様に、惑わされたに過ぎないと理由を付けて、本当は慕ってくれた可能性に縋った。

 身の回りの世話をしてもらえたから。

 危害を加えられなかったから。

 なんて、当然の事を過剰に評価していた。

 見方を変えれば被害者なのだと、元専属侍女も元使用人も、きちんと過ちを認めた上で過去の態度に理由があるなら、許したいと思えた。

 また、心の何処かでは、過去の自分をちゃんと認めてくれていたのだとも信じたかった。

 エイリーンに対しても、短い期間で心境に変化が起きたのは、夫人の言う通りあの非日常的な空間の影響と生い立ちを知ったからだろう。

 綺麗に完治した手の傷を見て苦笑する。

 献身的に看病する姿を見て許すも何も、元凶でもある相手の良い所だけを抜粋して、美化して、都合の良い様に解釈するなんておかしな話だ。

 だけど、どんなに遠ざけても。

 どんなに呆れて拒絶しようとも。

 嫌われていたわけではなく、むしろ好かれていたと知って、悔しい程に嬉しさが込み上げたのも事実。

 幼馴染が人知れず、孤独を恐れて葛藤している様にも見えてしまい、自分を重ねた事で過去の仕打ちがあっても突き放せなかった。

 エイリーンの好意こそ重く理解し難いが、悪事を堂々と打ち明ける姿は清々しくて好印象を受けた。 

 頭で考えるより、口に出した方が自覚していなかった本音がボロボロと溢れ出て、矛盾に潜む疑問の答え合わせがされていく。


「何処へ行っても煙たがられる私にとって、寄せられた好意が嬉しくて思考力が低下していたんでしょうね……」

「オルカちゃん……」

「幼い頃は、騙されているとも知らずに傍に居た幼馴染の存在だけが、心の支えになっていました。独りぼっちになるのが怖かったんです」


 情けない本音を零して、恥ずかしそうにはにかむ。

 ミライド卿には二度も裏切られた。

 無礼な振舞いは最後まで直らず、今回は謝罪もなかった。

 それでも、投獄された時に唯一助けに来たのも彼だけだ。

 その事実だけで、受けた仕打ちを許しても良いと思えた。

 こんな自分を思いやる人が居ると知れて、怒りや悲しみより嬉しさが勝った。

 時間が巻き戻った当初は、もう誰も信じないと心に決めていた筈なのに、人は簡単に変われないようだ。


「許したい反面、受けた仕打ちを容認できる範囲を超えていました。なので我儘を言えば、一言で良いから謝罪の言葉が欲しかったです」

「我儘じゃないわ。当然の気持ちよ」


 ミルドッド夫人は、悲しそうに顔を歪めた。

 周囲にとっての ” 当然 ” は、私にとっては贅沢なのだ。

 別荘が襲撃された夜。

 憎まれ口を叩きながらも、私に羽織を手渡したエイリーンの元侍女を思い浮かべる。

 彼女はいつだって理不尽な発言を繰り返し、その度に頭を抱えて項垂れた。

 勝てる見込みが無いと知りながら、侵入者に立ち向かって散った他の使用人にも同様に悩まされた。

 幼い私にとって周囲に居た大人は脅威でしかなく、屋敷内も外と変わらず安心できる場所ではなかった。

 けれど、誠意の籠った謝罪を一言もらえたなら、別荘の件が無くてもきっと許そうとしただろう。

 あの夜も、エイリーンに惑わされて突き動かされた可能性だって十分にあり得たが、救われた事実に期待したい。

 無意識に期待を寄せる癖を止めたいと言っておきながら、性懲りも無く期待する自分を自嘲した。

 これこそ、仕方ないだろう。

 疎まれる事や孤独は、何年経っても慣れないものだ。


「……気持ちを清算する為にも、やっぱりケイプ侯爵令嬢との面会を希望します」

「そう……」

「容認できる範囲は超えていますが、好意的な理由があったなら少しずつ歩み寄りたい。それにはきっと、沢山の時間が必要です。文句だって言いたいし、不満をぶちまけてやりたいです。だから、終身刑を受けて入れてもらいたいんです」


 素直に感じたままの気持ちを口にすれば、絡まった糸が解けるように矛盾が解消された。

 難しく考えずに余計な理由を取り払えば、答えは呆気ない程に単純で、甘えたで、情けなかった。

 結局、” 許したい ” という選択を選ぶ結果になってしまったが、ミルドッド夫人にはやっぱり、私の考え方は理解し難いだろうか。

 不安に思って恐る恐る顔を上げると、意外にも夫人は笑みを浮かべていた。


「分かったわ。面会できるように上手く調整しとくわね」

「お願いします」

「急なことで驚かせてごめんね」

「いえ、とんでもないです。私こそ、気持ちの整理が出来て心が軽くなりました。ありがとうございます」


 自然と笑みが溢れて夫人と笑い合う。

 過去を基準にすることは止めても、完全には手放せずに自分を追い込んでいたのだと気付いて苦笑する。

 

「はぁ……私って本当に頭が固いですね。皇太子妃なんて絶対に無理です」

「経験の問題よ。それに真面目過ぎるから、常に完璧を求めようとしちゃうんじゃないかしら? 」

「そんなことありません……ただ、未熟なんです」

「忠告や助言を素直に受け入れる柔軟性があるんだし、自覚もして改善してるんだから良いじゃない」

「そう……でしょうか? 」

「赤ん坊が生まれた瞬間に完璧な自己紹介をしたら、物凄く不気味だと思わない? 」


 予想外な例えに、思わず吹き出して笑う。

 口にした本人も想像したのか。

 一緒になって笑いながら、その後は他愛もない話に花を咲かせて室内には笑い声が絶えなかった。


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