表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32/35

〜未知の領域〜


◆◆◆◆




「うっ……?! 」


 驚いてすぐに反応できなかったものの、煙に身体を拘束されたわけではなかった。

 特に不調や不快感はない。

 幻覚や幻聴が聞こえるわけでもない。

 大量の煙で火災を連想したが、夢の中では臭覚や痛覚が機能していない分、視覚からの情報を得られなければ、今は異常事態に気付けない。

 ただ、仮に火災が発生していたとしても、現実の身体に火傷を負うことはないだろう。

 夢と夢が繋がるような信じ難い現象が起きているとは言え、流石に夢と現実が繋がる事は無い筈だ。

 何が起きたのかマゼランに尋ねようと、目的の人物を探しつつ、視界を遮る煙を手で扇ぐ。

 しかし、いくら扇いでも周囲は薄暗いままだった。

 何処も燃えている様子はないが、傍に人の気配もない。

 もしや例の煙の中に閉じ込められたか。

 焦る気持ちを抑えて、出来るだけ冷静に対処しようと辺りを見渡した。

 マゼラン家の人間は、ある程度の暗い場所でも通常通り周囲が見える。

 おかげで知らぬ間に、お父様の作業部屋とは別の場所に移動していたことをすぐに理解した。

 けど、その事実を知ったところで安堵する筈もなく、混乱と不安に襲われて項垂れた。


「隣の部屋に繋がってるって言うから、てっきり作業部屋と似たような部屋だと思ってたのに……」


 予期せぬ問題が発生して、頭を抱える。

 確かにマゼランは、” 隣の部屋に繋がっている ” とは言っていたが、見慣れた開かずの部屋と似た場所に繋がってるとは言っていなかった。

 まさか扉を開けた瞬間、妙な煙に別の空間へ連れ去られるなんて誰が想像できただろうか。

 しかし、すぐに自分の落ち度に気付いて溜息を零す。

 不可思議な現象が立て続けに起きていたのだ。

 ましてや、お父様の夢に訪問中だ。

 疑いもせず、軽率な行動を取ったことを後悔しながら、仕方なく戻る方法を探そうと周囲に目を凝らす。

 ふと、自分が床板の上に立っていることに気付いた。

 目線だけで足元から床を辿ると、白っぽい縦線のデザインが入った壁紙が視野に映る。


「煙、の中に閉じ込められた……わけじゃないのね……一応は屋内に居るってこと……なのかな? 」


 急な明るさの変化で若干、視界の見えづらさはあるものの、この空間が何処かの一室であることが判明した。

 ただ、開かずの部屋にこんな場所があっただろうか。

 明らかに不自然な間取りに首を傾げる。

 現在居る場所はお父様の作業部屋よりも広く、マゼランと再会していたソファーのある部屋よりはやや狭い。

 不自然に取り付けられていた両開きの扉のように、この空間も本当は実在しない部屋なのだろうか。

 そもそもこの夢は、自分のものではない。

 ならば、お父様の記憶に反映された別の部屋だろうか。

 

「うーん……何か年代を確認できるものは無いかな? 」


 ランプや蝋燭といった灯りは無く、窓も見当たらない。

 室内全体が薄暗く、気温差で発生する霧のような煙が辺りに漂っているだけで、扉を開けた瞬間に溢れ出た大量の煙はどこかへ消えていた。

 

「中は案外そんなに煙たくないんだ……そこまで暗いわけでもないし……」


 夜中の屋敷内と同程度の仄暗さといったところだ。

 ただここで、また一つ疑問が浮かんだ。

 窓や灯りが一切見当たらない部屋で、何故真っ暗にならないのだろうか。

 間違いなく何処かに灯りがある筈だと探していると、白い布が被せられた家具らしきものを発見する。


「あ……やっぱりソファーか……」


 完全に目が暗さに慣れた頃。

 周囲がハッキリ見えるようになってから、戻る手掛かりを探そうと思い切って室内を歩き回ることにした。

 決して壁紙が破れたり、床板が腐ってるわけではない。

 不衛生で埃が溜まっているわけでもない。

 ただ、薄っすら漂う煙の所為か、どうも気味が悪い。

 廃墟を思い浮かべてしまい、寒いわけでもないのに無意識に腕を擦る。

 けれど、こんなものは序の口だった。

 布を被せられた家具の横を通り過ぎて、大きな棚を越えた先には、想像を絶する光景が広がっていた。 


「え……えっ!? 」


 部屋の手前はともかく、奥に進むに連れて空間を無理やり捻じ曲げたかのように、上下左右が滅茶苦茶だ。

 本来、壁がある場所には、ソファーやテーブルが横向きに固定されていた……否、固定というより床と壁が家具ごと入れ替わっているようだった。

 横向きであるにも関わらず、本棚の本やテーブルの花瓶は地面に落下せず、花瓶の水が零れることもない。

 信じられない、有り得ない。

 思わずそんな言葉が呟いて、口元に手を当てる。

 これは一体どういうことだろうか。

 夢だからって、こんなにも非現実的な光景を見たのは初めてだった。

 気になって近付いた後、恐る恐る本棚に手を伸ばす。


「と、取れた……」


 本はやっぱり固定されていなかった。

 手に取った一冊を確認すれば、背表紙の文字がぼやけてよく見えない。

 表紙も似たようにぼやけていて、開いたところで中身は全て白紙だった。

 実際に自分が知らない本だから読めないのか。

 それとも単純に、お父様が覚えてないから夢に反映されていないだけなのか。

 諦めて元の場所に戻すも、本棚が真横を向いている所為で、仕舞う際はこちらが真上を向く体勢になった。


「はぁ……何で落下しないんだろ……現実だったら身体が下敷きになって大怪我するよ……絶対」


 他にもサイドボードやローテーブル、そして椅子も壁から突き出たように真横を向いて配置されていた。

 生憎、身長が足りず椅子に手が届かなかったが、目視で確認した限りでは特に固定されている様子はない。

 呆けたように暫く真上を向いていると、今度は天井が視界に入った。

 初めは煙でよく見えなかったものの、遠くで微かに光が差し込んでいることに気付いて、注意深く目を凝らす。

 辛抱強く見上げていると、その内ある筈ない窓が煙の隙間から顔を覗かせた。


「一体どうなってるの……? 」


 古い空き家を再建築するにあたって、天井に窓を取り付けてお洒落に仕上げた建物を何件か見たことがある。

 中には温室のように、日光を室内に入れる為に壁や天井を敢えて硝子張りにしている造りもある。

 けれど、今見ている天井に取り付けられた窓は、どう見ても機能性やお洒落さを追求した造りではない。

 加えて本棚の本と同様、カーテンが天井に張り付いているかのように、裾が地面に向かって垂れていなかった。


「どうやってくっ付いてるの……? 」


 部屋の手前で見た家具と比較しようと後ろを振り返れば、元居た場所の側に開いたままの片開きの扉を発見した。

 注意深く確認したつもりだったが、見落としたようだ。

 でもこれで、やっと戻れる。

 ホッと胸を撫でおろして安心したのもほんの束の間。

 すぐに異変に気付いて眉を寄せた。

 初めて見た時と同じように、扉の向こうは白い霧が充満して中がどうなっているのか全く見えない。


「マゼラン……? 」


 名前を呼んでも返事がない。

 近付いて扉の中に入ろうとしたものの、見えない壁にやんわりと押し返されて先へ進めない。

 状況を理解した瞬間、サッと血の気が引く。

 これはまずい。

 自力では戻れない。

 呼んでも返事が無い。

 私だって数日で良いから、お父様のように夢に閉じ籠りたいとは思っていた。

 でも、だからってこんな薄気味悪い夢は嫌だ。

 

「だ、大丈夫……最悪、朝になれば、勝手に目が覚めるんだから。多分、大丈夫……」


 マゼランの言葉を思い出しながら、恐怖心を打ち消そうと都合の良い言葉で自分を納得させる。

 そうでもしないと、不安で押し潰されそうだった。

 何もせず、ただ大人しく待っていても気分が滅入るからと、気晴らしに部屋の中を見物がてら調べて回る。


「大丈夫、大丈夫。目だけが見える人間に囲まれた夢に比べれば、まだこっちの方が……」


 言いかけて、押し黙る。

 こんな薄気味悪い場所が良いわけない。

 部屋全体が歪んでいる所為で、酔いそうだ。

 何度も溜息を零しながら、改めて辺りを見渡す。 

 進めば進むほど足場が悪い。

 手前は広く、奥に向かうに連れて狭い。

 実際に見て体験した事はないが、大きな竜巻の中を歩いているような気分だった。 

 前向きに考えれば、天井や壁を歩ける機会なんてそうそうないだろう。

 ある意味これは貴重な経験だと、自分を納得させてどんどん先へと歩みを進めた。

 チェストやサイドボードを階段代わりに踏み台にするなんて、普段なら決して出来ない体験だ。

 

「面白くは無いけど、貴重な体験……わっ!? 」


 椅子の背もたれに足を掛けた瞬間、大きな音を立てて倒れてしまった。

 棚と違って、子供の体重を支えきれなかったようだ。

 不思議なことに椅子は地面に落下せず、壁に張り付いたように横向きに倒れている。


「倒れる時も壁に付いたままなんだ……いや、この椅子の角度的に、もはや壁が地面の役割を果たしてるってことなのね」


 背もたれに遮られていた場所が露わになったことで、棚の隙間から漏れる僅かな光に気付いた。

 妙な色合いではあったけど、明るい場所に移動すれば心細さも紛れるだろう。

 明らかにランプや蝋燭の灯りとは全く違っていた。

 とすれば、床と天井が入れ替わっているのだろうか。

 そう思いながら棚の裏を覗いた瞬間、予想外な物が視界に飛び込んで小さく悲鳴を上げる。


「ひぃっ!? な……なにこれ……!? 」


 すぐ目の前に、こちらを向いた人形が置かれていた。

 なんて心臓に悪い。

 厄介なのは、人形劇で使用されるような人間を模した作りになっていて、薄暗い空間と相まって不気味さを倍増させた。


「ビッ……クリしたぁ……」


 胸元を握りしめたまま、深呼吸を繰り返す。

 例の光を囲むように、何体も人形が四方八方から突き出ている光景は恐怖でしかない。

 考えたくないのに、意に反して頭の中では更なる怖い状況を思い浮かべて、身体を震わす。

 人形の首が一斉に動き出してしまったらどうしよう。

 突然、自分の方に向かって来たらどうしよう。

 怖い怖い、と怯えて気を逸らそうとしても、状況的に中々考えを切り替えることが出来なかった。

 これが現実なら、どう想像しようが何も問題はない。

 けれど夢の中では、強く思い描いたものが反映される可能性が高い為、無理にでも恐怖心を抑えて頭の中を切り替える必要があった。

 人形に襲われる夢なんて冗談じゃない。

 ” 大丈夫、大丈夫 ” と呟きつつ自分では冷静に行動しているつもりでも、” 引き返す ” という選択肢が頭から抜けている時点で、私の判断力は大幅に低下していた。


「ちょっと光だけ確認させてね……」


 顔を背けたまま人形を優しく退かす。

 するとそこには、色とりどりの光る球体が浮いていた。

 赤やピンク、青色、緑、黄色。

 大きさは均一で、どれも鳥の卵ほどしかない。

 光を放つ原理を確かめようと身を乗り出して覗き込めば、球体の中で人や風景、建物等が次々に映し出された。


「凄い……! 」


 それぞれ違った内容が映し出され、球体の中で動く様子は不思議で興味深いものだった。

 代わる代わる変化する景色は、角度からして恐らく誰かの目を通して見ているのだろう。

 しかし、その後に映る見覚えのある人物や建物によって、胸が躍るような楽しい気持ちにはなれなかった。


「これ……まさか……」


 背筋を伸ばして、他に浮いていた球体を順々に確かめてから、もう一度映し出されたものを確認する。

 音や声は聞こえなかったが、視覚で得た情報だけでも十分その状況を察することができた。

 そしてある法則に気付く。

 ピンクや黄色そして緑は、穏やかで平和な内容が映し出され、反対に青や赤は悲しみや怒りを連想させる内容が映し出されている。

 また、複数の球体で同一人物の若い姿から年老いた姿が映し出され、建物や植物の変化も見られた。

 つまり、その場限りではなく、時間が経過している。


「この球体は……持ち主の思い出や感情を管理してるものって事、なのかな……? 」


 疑問に思うまでもなく、誰の記憶なのかは明白だった。

 あくまで持ち主の視点から見た景色なので、本人が映し出されるのは鏡の前に立った時だけだ。

 それでも、当時の心境を知るには十分だ。

 裏切りや死別、孤独に苛まれている場面が幾つも映し出され、それなりに苦労してしていたことは分かった。

 罪悪感に囚われ、問題を抱えていたことも理解した。

 だけど同じくらい、幸せな時間を過ごしている様子を目の当たりにして、虚しさが込み上げた。


「私にとって、今まで穏やかだと思える時間はどのくらいあったかな……」


 球体から離れて、傍にあった棚に腰掛ける。

 もう人形を見ても恐怖心に襲われることはなかった。

 手に取ってじっくり観察すると、個性豊かで髪型や服装に見覚えがあることに気付く。

 王冠を被った人形。

 明るい髪色と可愛らしい顔の人形。

 使用人の服を着た沢山の人形。

 手を繋ぐ男女の人形。

 そして、パレットと筆を持った人形の隣には、長い黒髪と黒い服に身を包んだ小さな人形が座っていた。

 瞬間、その人形が誰を模しているのかを理解して溜息を零す。


「はぁ……あの頃、私が黒い服ばっかり着ていた事にはちゃんと気付いてたんだね」


 誰に言うでもなく、皮肉じみた言葉を呟く。

 何故、似たり寄ったりの服を着回す娘に疑問を抱かなかったのだろうか。

 浪費癖なんて、少し調べれば真相が分かりそうなものを、どうして気付かず放置したのだろうか。

 考えるだけ時間の無駄だと悟って、自分を模した人形を遠くに放り投げた。

 夢の中に居るとは言え、少なからずこの空間は父親にとって何か特別な場所なのだろう。

 説明を受けるまでもなく、球体と同様、人形にも何か大事な意味が込められていることは容易に想像できる。

 今回の行動が、お父様の感情に何かしらの変化をもたらす可能性は十分にあった。

 けど、今更そんなものはどうでも良かった。

 恐怖心とは違った居心地の悪さを感じて、来た道を戻ろうと腰を上げる。

 いくら初代当主と話したからと言って、関係を修復したいとはとても思えない。

 無責任な言動を繰り返すなら尚更だ。

 恨むなと言われても、そもそも強い憎悪の念を抱いたわけではない。

 悲しくて悔しくて許せないけど、見返して報復をしたいとは思っていなかった。

 ただもう関りを持つことに疲れて、どうでも良いのだ。

 スカートの裾を直していると、放り投げた人形の胴体から新たな球体が浮かび上がる。


「今度はなに……? 」


 父親の記憶を見たって、虚しくなるだけだ。

 けれど、自分を模した人形から浮かび上がった灰色の球体がなんとなく気になって、少しだけ確認しようと近くに移動する。

 灰色に属する感情とはなんだろうか。

 厄介で、目障りといった鬱々とした感情だろうか。

 そんな後ろ向きなことばかりを考えながら、少し見てすぐに戻ろうと思っていた矢先に、全く予想もしていなかった内容が映し出されて困惑する。

 

「地下牢……? でも、この前のとは違うような……」


 図書館にある地下牢に似ていたが、明らかに違う。

 同じ石造りでも、映し出された牢屋はドーム型になっていて、使用されている石の形も異なっていた。

 かと言って、マゼラン邸の地下牢とも奥行きが違う。

 いつ、何処の地下牢を歩いている時の記憶なのかと疑問に思っていると、前方に数人の兵と殿下の姿が映し出された。

 声や音が聞こえないもどかしさを感じながら、食い入るように球体を凝視していた次の瞬間、殿下から牢屋の中に視点が移ってハッと息を飲む。

 鉄格子を挟んだ向こう側に、ドレス姿の私がこちらを見上げたまま大人しく座っていた。


「何で……これがあるの……? 」


 地下牢に入った記憶は二回。

 別荘を襲撃された後と、断罪された夜だけだ。

 ドレスのデザインなんてすっかり忘れてしまったが、綺麗に着飾った姿で投獄されている状況から、間違いなく過去に戻る前の十七歳の自分だった。

 これは一体どういうことだ。

 記憶を持って時間を遡ったのは私だけではないのか。

 過去に戻る前と変わらず、現在もお父様と顔を合わせる機会が少なかった。

 当然、会話なんて十分に交わした記憶もないが、少なからず時間を遡る前の出来事を覚えているような素振りはなかった筈だ。

 それとも単に隠していただけなのだろうか。


「ただの夢だって気付いてなかったのかな……? 」


 記憶を保持した状態で今まで通りに接していたのだとしたら、それはそれで腹立たしい。

 罪悪感を感じなかったのだろうか。

 仮に夢だと気付かなかったとしても、こんな不吉な内容を見てなんとも思わなかったのか。


「あの夜以降、どうなったんだっけ……? 」


 投獄後の記憶が曖昧で、自分がどういう風に扱われて餓死したのかは今でもちゃんと思い出せない。

 もう、出来れば思い出したくもない。

 お父様は過去を知っても尚、考えを改める気にならなかったのかと憤りを感じた。

 ただ、すぐに別の可能性も頭に浮かんだ。

 

「でも待って。確かマゼランにも記憶が無いんだよね? あ、いや……そっか。起きてる間の出来事は共有してないんだっけ? 本当に気付かなかったのかな……」


 何がなんだか分からずに混乱していると、映し出された視点が上下に揺れ始める。

 時々、視界の端に腕が映って、何かを強く非難している様子が伺えた。

 恐らくこれは、お父様が罵詈雑言を私に浴びせてから絶縁宣言をした場面だ。

 ” 情けない、みっともない、家門の恥 ”

 他にも会場で聞いたような暴言を浴びせられ、当時の状況を思い出して胸が苦しいくなる。

 以前の私は、夜でも奇抜な眼鏡を外さなかった。

 単純に見慣れた景色を変える勇気が無く、また他者に向ける表情を作りやすいからだ。

 球体の中に映る自分は、無表情で姿勢良く座っていた。

 レイキッド様の言葉を借りるなら、教科書通りの姿だ。

 けれど、礼儀正しさや淑女を意識し過ぎるあまり、球体に映った自分に人間らしさが感じられない。

 不気味で空っぽの人形のようだった。


「こんな顔をしてたのね……」


 まるで近衛兵のように微動だにしない自分を、伯爵夫妻が誤解するのも無理はない。

 当時は上手くやっていたつもりでも、実際に自分の姿を客観的に見ると良い印象を持てなかった。

 今思い返せば、以前は鏡を極力避けていた。

 だから、自分が普段どんな顔で過ごしていたのか。

 どんな風に笑っていたのかを、実際に目にする機会が少なかった。

 特にこれと言った決定的な理由はない。

 ただ、エイリーンと違って、好きな髪型や服を着れない自分をなんとなく見たくなかっただけだ。


「この場面をもう一度見るなんて思わなかった……声が聞こえなくて正解ね」


 絶縁宣言が終わったのか。

 球体の景色は、私が居た牢屋からどんどん遠ざかる。

 そのまま階段を上って会場の廊下に出ると、何人かがお父様に近付いて口をパクパクと動かしていた。

 しかし、そんな彼等に構うことなく馬車に乗り込んで真っすぐにマゼラン邸へ戻る。

 屋敷に到着して早々、出迎える執事長や使用人を気にも留めず向かった先は執務室だった。

 何をするのかと思えば、母方の親戚宛に娘の身を案じて養子縁組で引き取るよう懇願する書信を作成している。

 また、必要に応じて金銭的な援助を惜しまないとも書き綴られていた。


「国外に送り出すつもりだったのね……でも、何で? 」


 母は他国出身で、母方の親戚も国外に在住している。

 ミライド卿の懺悔を思い出しながら、父の行動を理解できずに首を傾げた。

 濡れ衣の計画に加担したのではないか。

 厄介払いをしたいから、娘を裏切ったのではないのか。

 計画を知らなかったにしては、行動が不自然だ。

 絶縁までの流れが速すぎる。

 こちらに有無を言わさず責め立てる様子も、当時の態度を改めて振り返ると違和感が多かった。

 殿下の言葉を鵜呑みにして娘を疑うにしたって、貴族令嬢が地下牢に投獄されている状況に、疑問を抱いてもおかしくない。

 帝国法では、身分によって罪に問われた時の対処法がそれぞれ異なる。

 そして裁判が判決を下すまでは、如何なる内容で拘束されたとしても、あくまで容疑者であって罪人ではない。

 だから、偽の証拠や証言が揃っていたとしても、裁判にかける前の段階なのだから、あの断罪の流れは普通ではあり得なかった。

 平民であれば、疑いをかけられた段階で地下牢に拘置されるケースは決して珍しくない。

 けど貴族であれば、本来は正式に判決を下されるまで、身分に相応しい部屋に監禁されるのが一般的だ。


「あの時、会場で誰も抗議をしなかったのは、単純に悪評の所為かな……」


 一度は収まった幼馴染への怒りが再び込み上げる。

 よくも余計な噂を流してくれたものだ。

 眉間を押さえたまま何度か深呼吸を繰り返す内に、いつの間にか球体は真っ暗になっていた。

 何だ、あれで終わりなのか。

 そう思いながら手を伸ばすと、今度は水中で目を開けた時のように不鮮明な場面が映し出された。

 もしや人形を投げた所為で損傷を与えてしまったか。

 球体に異変が起きたから、灰色になったのだろうか。

 そんな不安が脳裏を過ったが、机に水滴が落ちたことで、単純にお父様が泣いているのだと気付いて呆れたように溜息を零す。

 球体を冷めた目で見つめていると、また場面が切り替わって謁見の間が映し出された。


「これも断罪後の続きなの……? 」


 お父様は何かを両陛下に強く訴えていた。

 興奮状態なのか、落ち着かない様子で視界が揺れている上に身振り手振りが多い。

 残念ながら申し入れを断られているようで、両陛下の表情は硬く、何度か首を左右に振っていた。

 私を他国へ移住させる為の手続きに難色を示しているのだろうか。

 結局お父様はつまみ出される形で謁見の間を追い出されてしまい、そのまま廊下を歩き出す。

 途中、すれ違った人物に反応して自然と背筋が伸びた。


「リクレット様! 何だか雰囲気が違うような……? 」


 リクレット様の姿はすぐに見えなくなってしまったが、硬い表情とその装いが何処か引っかかる。

 違和感の正体を突き止めたかったものの、再びその姿が映し出されるとはなく、場面もすぐに切り替わった。

 執務室で勉強をしていた彼の姿を思い出しながら、一体何があったのだろうかと首を傾げる。

 もしや、あのタイミングで横領事件が明るみに出たか。


「なんか違う感じがするけど、単純に年齢的な問題だったのかな? というか、今度は何が起きてるの? 」

 

 球体に映る場面は、どれも不穏な空気が漂っていた。

 周囲が忙しなく、それでいて表情が険しい。

 何か大きな問題が生じているのは明白で、今度は父方と母方の両方の親戚に詰め寄られている場面が映った。

 相変わらず何も聞こえなかったが、動作だけで彼等がお父様を批難している様子が伺える。

 中には涙を流し、何かを強く訴える人も居た。

 当時の私に何かが起きて、事情を聞いた親戚が抗議してくれたのだろうか。

 断罪後の出来事をお父様の視点で見ている内に、ある疑問が浮かぶ。


「……エイリーンが一度も映ってないのは何で? 」


 ケイプ邸に戻った後か。

 それとも殿下と結ばれて王宮に入ったのか。

 マゼラン邸の使用人は暗示が解けた影響なのか、挙動不審で常に何かに怯えているように見える。

 その後も何度か謁見の間と屋敷の様子が交互に映し出されたが、エイリーンと同様に私の姿も再び映し出されることはなかった。

 

「過去に戻って来る直前の記憶は、確か地下牢と綺麗な部屋を交互に見ただけで、そう言えばマゼラン邸に戻った記憶はないなぁ……」


 地下牢の記憶と言えば、殿下を連れて何度かエイリーンが訪ねて来たことがあった。

 あの時にはもう完全に自暴自棄になって、何を話しかけられても全く聞いてなかったので覚えてない。

 仮に心身共に正常であったとしても、裏切り者の二人の言葉なんて、聞くに堪えない戯言だろうと端から耳を傾けるつもりはなかった。

 灰色の球体が他と違っている点は、その色合いと映し出された場面が切り替わる速さ、そして時間通りの順番で流れていることだった。

 断罪後からどのくらい経過しただろうか。

 お父様は私の寝室を訪れて、室内を歩き回っていた。


「……何してるの? 」


 時折、家具に触れたかと思えば、引き出しを開けて中身を確認している。

 ただ、ドレッサーに置いてあった宝石箱を開けた時だ。

 ゆっくりだった視線は急に慌ただしく揺れて、各収納箱の中身を次々に確認し始めた。

 いくら家族でも、父親が娘の私物を無断で漁るのは流石に無神経ではないだろうか。

 呆れながら球体を見つめていると、お父様はとうとうドレスルームの中に入り、衣装棚を次々に開けた。

 そして、普段着に使用できないパーティー用のドレスが球体に映った直後、急に視点が低くなる。

 その場に座り込んでいるのだろう。

 保管されたドレスの裾を握りしめたまま、景色が不鮮明になって手元に水滴が垂れる。


「何で泣いてるの……? 」


 エイリーンの能力に惑わされた元専属侍女が、パーティー用のドレスが全て滅茶苦茶にした事を思い出す。

 ならば、自らデザインを手掛けたドレスに手を出されて、悔しくて泣いているのだろうか。


「大人になっても、泣き虫なのは変わらないのね」


 子供の姿で泣き喚いても感情が全く動かなかったのだ。

 大人なら尚更、同情できない。

 強いて言えば、厳格で威圧的な態度ばかり取る人の意外な一面に少し驚いたくらいだ。


「ん? 」


 直後に球体が何度も暗転して、再び真っ暗になる。

 その後は、どこかの部屋の天井が見えるだけで、ドレスを確認してからどうなったのは分からない。

 そもそも断罪後から大分時間が経過していたが、これは一体いつの出来事なのだろうか。

 まだか、まだかと待っていると、次に映し出されたのは、多くの使用人が門の外で泣いている姿だった。


「この光景も、また見れるなんて思わなかった……」


 一体何をやらかしてそんな事態に陥ったのか。

 もしやドレスを滅茶苦茶にされて許せなかったか。

 音や声が含まれていれば、印象が違っただろう。

 何を思って行動していたのか。

 そして濡れ衣だと知った上で絶縁を言い渡したのか。

 一連の流れを改めて目にしても、やっぱり計画を知らなかったようにはどうしても思えない。

 むしろ、絶縁までの流れが速かったことから、加担している可能性が高かった。

 だからこそ、何を考えているのか理解できない。

 謁見の間で何を訴えていたのか。

 何を考えて娘の私物を漁っていたのか。


「何なの本当……うわっ!? 」


 中途半端に得た情報に頭を抱えながら感傷に浸っていると、突然背後から身体を強く引っ張られて仰け反る。

 油断していた所為で体勢を崩してしまい、何かに掴まろうと腕を伸ばした。

 しかし、引っ張る力が強すぎて間に合わず、地面に落下する寸前できつく目を閉じた。




◆◆◆◆


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ