~マゼラン親子~
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初めての謁見を済ませた夜。
久しぶりに開かずの部屋の夢を見ていた。
問題続きで疲弊しているからこそ、余計にマゼランとの再会が嬉しくて、現実と隔離されたこの空間に居るだけで安心感すら覚える。
淑女を意識した行動を取る必要はない。
気持ちの赴くままに、好きなことが出来る。
今度はどんな興味深い話が聞けるだろうか。
どんな面白いことをしようか。
そんな期待に胸を膨らませながら軽快な足取りでソファーへ向かうと、目的の人物が座っていた。
「やっぱりこっちのマゼランの方が落ち着……く? 」
しかし、何故か今夜のマゼランはいつもと雰囲気が違う。
明るい表情でカラカラ笑う姿はどこにもない。
笑顔どころか眉間に皺まで寄せている。
部屋の奥を見つめたまま溜息を繰り返すばかりで、私に気付いている様子もない。
初めて対面した日以来、開かずの部屋の夢でマゼランが私に全く気付かないなんて初めてだった。
彼の視線は、片開きの小さな部屋に向けられている。
「マゼラン……? 」
「ん? やぁ、おチビちゃん。久しぶりだね」
「お久しぶりです……あの、どうかしましたか? 」
「うーん……」
声を掛けてようやく笑顔を見せるも、マゼランはすぐに困惑した表情で溜息を零していた。
まるで以前の私達と真逆の反応に首を傾げる。
初代当主と対面したことで、夢に何かしらの影響を与えたのだろうか。
一抹の不安を抱えたまま、例の小部屋に近付く。
「……ここ、気になるんですか? 」
開かずの部屋の奥にある、用具入れのような小部屋。
幼い頃に中を覗いた事があっただろうけど、画材道具が収納されている以外、あまり覚えていない。
どんな間取りで奥行きがどの程度あるかも思い出せない。
初めてマゼランと対面した時に中を覗いても、霧が充満しただけの何もない空間だった。
そして今もそれは変わらない。
片開きの扉を開けても、やっぱり中は濃い霧が充満しているだけで、他には何も見えない。
手を伸ばしたところで、何かにあたる感触も無い。
ただ不思議なことに、手首から先には入れず、中から見えない力に押し返されてしまう。
例えるなら透明な羽毛布団に近い、柔らかい何かに阻まれているような、そんな不思議な壁に通せん坊をされて先へ進むことができない。
夢の中では臭覚や味覚、痛覚が機能しない分、霧に触れても温度さえ私には分からなかった。
ただ、マゼランは違うのか。
何か見えているようで小部屋の前に立つと、落ち着きなくソワソワし始める。
「……私には白い霧があるようにしか見えませんが、この部屋の中に何かあるんですか? 」
「霧? 君にはそんな風に見えるんだね? 」
「はい。母が好きでこの部屋によく来ていましたが、画材道具から漂う薬品の臭いが苦手で、特にここは臭いが強い分、避けていたんです。なので、記憶が薄い所為か夢に反映されないんだと思うんですけど……」
「そっか……前に、他のマゼラン家の人が保持してる魔力と、記憶を共有してるって話したの覚えてる? 」
「はい」
マゼランは私の言葉に少し驚いた後、小さく唸る。
見える景色が違う事に好奇心を刺激され、無意識に口角が上がった。
「実は数日前から、ずっとこの中で泣きながら籠ってる子が一人居てね……その子が心配なんだ」
「……この開かずの部屋の中に、ですか? 」
「うん」
夢の登場人物が室内に現れたのは初めてだった。
それも、白い霧に包まれて中が見えない小部屋に、だ。
そんなこともあり得るのか。
いつもなら目を輝かせて質問をしていただろう。
しかし、数日の間に現れた謎の登場人物に、何故だか嫌な予感を覚えた。
気持ちも徐々に沈み、それに比例して口角も下がる。
マゼランには泣き声も聞こえているようで、小部屋の中を心配そうに見つめていた。
「特に何も聞こえませんけど……? 」
「え? こんなに声が響いてるのに? 」
「はい」
マゼランの反応を不思議に思いながら首を傾げる。
同時に現在、昏睡状態の人物の顔が頭の中に浮かんだ。
違う、そんな筈ないと否定して首を左右に振る。
勘弁してほしい。
夢の中でまで登場しないで欲しい。
きっとただの思い過ごしだ。
そう思って背を向けようとした瞬間、初代当主との会話を思い出して動きを止める。
「はぁ……休みたいのにな……」
「どうかしたの? 」
「いえ、あー……えっと、一応、お尋ねしますが……マゼランの見える景色を共有するなんて無理ですよね? 」
ここは私の夢の中だ。
自分の記憶を元に作られた世界だ。
無理なものは無理で、私には霧の先が見えないのだから仕方ない。
初代当主も納得してくれるだろう。
そんな自分に都合の良い結果を期待したが、マゼランからは無慈悲な返事が返ってきた。
「出来るよ? というか僕が君を抱っこした状態で中に入れば、多分この子の夢に訪問できるよ? 」
「え?! あ、いやそれは別にしなくても……」
「君も説得してくれるの? ありがとう! 助かるよ! 」
「え? いやいや、そんなこと言ってな……」
「僕がいくら説得しても駄目で困ってたんだ! 」
いつもなら面白そうな話に胸が躍ったが、今回は違う。
不可能であって欲しかった。
何故こうなるのか。
返事も聞かずに満面の笑みを浮かべたマゼランは、私を抱えてそのまま小部屋へ入る。
霧を抜けた先には、イーゼルやパレット、絵具と言った画材道具は一切ない。
代わりに、衣類の型紙や採寸の時に使用する計り。
壁際にはマネキンと反物が数多く並べられている。
仕立て屋のような室内の中心には、開いたままのスケッチブックと文具に囲まれた子供が蹲って泣いていた。
私は、やっぱり……なんて思いながら溜息を零す。
「……夢の中では、誰でも子供の姿に戻ってしまうものなんですか? 」
「ん? うーん、まぁ……そうだね。皆、何年経っても子供の姿のままだね」
「はぁ……」
「ぐすっ……ぐすっ……」
マゼランは私の身体を降ろすと、子供に駆け寄って背中を撫で摩る。
二人は面識が無いと思っていたが、接し方から察するに顔見知りのようだった。
「マシュー? ずっとこの部屋に居るけど、起きなくていいの?君が起きなくて皆ビックリしてるんじゃない?」
「ぐすっ……いいもん。もう、起きる意味ないもん」
見た目通りの幼い口調を聞いて、パチクリと目を瞬く。
寡黙で厳格な姿を思い浮かべながら、普段とは違う高い声にも違和感を感じて眉間を寄せた。
もしかして別人なのだろうか。
いや、屋敷の何処かに飾られた肖像画で見たことがあるので、見間違う筈がない。
「扉を開けられなくなる前に早く起きた方が良いよ? 魔力が身体を守ってくれてるとは言え、いつまで続くか分からないんだから……」
「ひぐっ……いーの! もう、知らないもんね! 」
「皆、困ってるんじゃないの? 」
「知らない知らない知らない! うぇええぇ〜んっ」
「ごめんごめん。ほら、泣かないで? 」
その泣き方はなんだ。
そもそも泣きたいのはこっちだ。
好感を持ってもらおうと努力していた頃が嘘のように、今では顔を合わせたら文句を言ってやろうと思っていた。
どれだけ大変な目に遭ったか。
どれだけ苦労しているか。
病み上がりの身体に鞭を打って後始末をしているというのに、当事者は一体何をやっているんだ。
殿下に非がある為、両陛下から許しを得たものの、エイリーンだけが問題を起こしていたなら話は違った筈だ。
今回の事でケイプ卿も生きた心地がしなかっただろう。
捜索隊をすぐに要請しなかったことも、拉致に気付けない私兵への教育もどうなっているんだ。
人の苦労も知らないで、発せられた無責任な言葉の数々に沸々と怒りが込み上げる。
「ぐすっ……戻ったって、独りぼっちだもん。マリッサも、オルカも居ないもん。皆、死んでしまったんだもん」
「マシュー……」
「独りぼっちなのに何の為に仕事を頑張ればいいの? 父様も母様も居ないし、誰も居な……」
「私、死んでませんけど」
勝手に殺すな、と言わんばかりに口を挟む。
突然、声を発した私にマゼランが驚いて振り返り、どういうことかと尋ねられた。
思い返せば彼に名乗った覚えが無い。
散々欲しい情報を聞き出しておいて不誠実だったと反省しながら、改めて自己紹介をする。
「申し遅れました。オルカ・マゼランです」
「え!? おチビちゃんが “ オルカ “ だったの!? 」
「はい。今まで自己紹介をきちんとしていなくて、ごめんなさい。マゼラン」
「じゃ……君が言ってた、問題のお父さんって……マシューだったのかい!? 」
「はい……そうですね」
夢の中でしか会ったことが無いなら、普段のお父様の言動を信じて貰うのは難しいだろう。
一方、お父様はというと、私を単なる夢の登場人物だと思い込んだのか。
近付いてくるなり、嬉しそうに笑顔を浮かべていた。
「オルカ! うぅぅ……そっか、夢に出て来たんだ! 」
「出たというより、来ました」
「だったら尚更、もう起きなくていいや! もしかしてマリッサも居るの? マリッサ? マリッサ! 」
「いえ、お母様は居ません。私だけです」
「うーん……そっか! ボクが強く念じればマリッサも出て来てくれるよね? 」
「多分、出て来ません」
「君、ボクの娘にそっくりなのに、態度が凄く冷たいね? オルカは良い子で、特に小さい頃はよく笑う子だったのに」
「容姿に反して、中身は成人間近ですからね」
「何を言ってるか全然わかんない! 」
「そうですか。残念です」
お父様は納得していないのか。
マゼランの服を掴んでグイグイ引っ張りながら、どうしたらお母様も夢に登場するか尋ねている。
しかし、外ならともかく室内では無理だと言われると、聞き分けの無い子供の様に地団駄を踏んで駄々を捏ねた。
何度マゼランが無理だと説明しても納得せず、段々と主張が激しくなり、仕舞いには床に寝転がって手足をバタつかせながら泣き喚き始める始末。
「どうしてボクの夢なのに、オルカが冷たいの!? どうしてマリッサは出て来てくれないのっ!? 」
「あー……この子は夢の登場人物じゃなくて……」
「やだやだやだやだ!! うえぇぇ〜んっ! マリッサに会いたいよ! オルカに会いたいよ! うえぇぇ〜ん! 」
「マ、マシュー落ち着いてよ。この子は本物のオルカで、死んでなんていなかったんだよ? 」
「嘘つくな! オルカは……オルカまで……ぐすっ……うぇええぇぇぇ〜んっ! 」
駄々を捏ねるお父様をジッと見下ろす。
どうしても現実の姿が重なって、全然可愛くない。
子供の姿で泣いても同情できない。
記憶まで幼少期に戻っているのだろうか。
だとしたら、私やお母様を覚えているのは何故だ。
マゼランは何度も子育てを経験しているだけあって、駄々っ子の扱いも手慣れていた。
何処から取り出したのか。
お父様の涙と鼻水をタオルで拭いてやっている。
「マシュー、ちょっと鼻かんで。ほらチーンして? 」
「うぅ……」
執務室での威圧的な態度。
食堂で向けられた冷めた表情。
拉致事件の前日に見た怒った姿。
それらが次々に頭の中に浮かび、理性の糸が切れないように、何度も深呼吸をして気持ちを落ち着かせる。
眉間を押さえながら必死に楽しいことを思い浮かべて、なんとか怒りを緩和させた。
元はと言えば、久しぶりに開かずの部屋の夢を見れただけで、決して悩みの種に会いに来たわけではない。
早くこの場を離れたい気持ちと、会えたからには見て見ぬふりも出来ず、説得するしかない現状に嫌気が差す。
その上、本人は一向に泣き止む気配が無い。
仕方なくそのまま無視して、目覚めてもらう為に駄目元で事件後の出来事を矢継ぎ早に説明する。
どれ程周囲に迷惑を掛けているか。
本来、まだ安静にしなければならない私の体調面も合わせて伝えたところで、お父様は何を言われたのか理解できず、困惑した表情を浮かべて同じ質問を繰り返すばかりだった。
「全然わかんないよ! 」
「ですから、当主として正式に皇室からの縁談を断って欲しいので、早く起きて下さい。侯爵様には申し訳ありませんが、私は皇太子妃になりたくありません」
「何を言ってるの? ボクはオル……ー……ー」
「今度は何ですか? 」
「あ、これは多分止まってるね」
「止まる……? 」
「うん。今は普通に動いてるけど、君も初めの頃はこうして時々止まったり、動きが遅くなったりしてたんだよ」
「そう言えば、そんな話がありましたね……いつまた動いてくれますか? 」
「分からないなぁ……待つしかないね」
夢の中で問題が発生するなんて予想外だ。
安全だと思っていたのに、何故こうなった。
事情を尋ねれば、お父様が幼少期の頃に会って以来、二人が約数十年ぶりに再会したのは最近のことだった。
会えない期間が長すぎる場合、大抵は二度と接触できないようで、初めはマゼランも再会を喜んでいた。
ところが、いくら時間が止まった夢の世界とはいえ、流石に滞在時間が長過ぎる事に気付き、日を追うごとに不安が勝って、マゼランはお父様に起きるように伝えた。
けれど、当の本人は駄々を捏ねてぐすぐすと泣くばかりでで、説得に応じる気配はない。
「何があったのか聞いても、家族が居なくなって独りぼっちが嫌だって泣くばかりでさ……」
「いや、私は生きてるんですけどね」
この空間では、閉じ籠ることもできたのか。
なんて場違いなことを考えつつ、椅子に腰かける。
成人間近の私と違って、幼い子供が魔力や代償なんて言葉を理解できる筈もなく。
お父様は今でもマゼランを夢の中に居る、空想の友人だと思い込んでいたようだった。
「他の子達も会えるとしたら子供の頃だね~? だから、君みたいに魔力だとか昔の話を聞きたがる子は滅多に居なかったんだよね」
「なるほど。侯爵様が魔力について正しい知識が無いことに納得です。というか、何であんな見た目通りの言動を取ってるんですか? 」
「恐らく僕と会ってた頃の精神年齢に戻ったんじゃないかな? ほら、記憶はあるのに幼少期の夢を見ると言動も子供っぽくなる時とかない? 」
「ありますけど……正直しっかりして欲しいです。あれじゃ、文句を言いたくても言えませんから」
思えば、幼少期から苦労の連続だった。
少なからず自分にも原因があったけれど、お父様が使用人たちの不満を煽らなければ、エイリーンの能力に惑わされなかった可能性が高い。
冷めた態度もそうだ。
屋敷の内情をよく確認せず、使用人任せで娘を放置しておいて何が子煩悩だ。
ドレスのデザインについても、そんなのお父様がやりたかっただけで単なる自己満足なのではないだろうか。
貴族令嬢として、家門の繁栄の為に政略結婚を結ぶのは決して珍しくないので、お父様の独断で知らぬ間に殿下と婚約した点を指摘するつもりはない。
ただ、その後の婚約騒動の最中でも、私に何の説明も無く色んな話を進めたのはどうなんだ。
せめて何がどう決まったのか。
共に対策を考えて欲しいとまでは言わない。
けれど、今後はどういう流れになるかくらい、共有してくれても良かったのではないだろうか。
追い詰められて大変なのは理解できるけど、ところどころ私への説明がなかったこと。
一切話しを聞いてくれなかったこと。
そして、問題から逃げて無責任に夢に閉じ籠った行動全てが腹立たしくて仕方なかった。
「当主が聞いて呆れる……自分勝手すぎる」
「おチビちゃんの怒りは相当強いね? そんなに普段と様子が違うの? このマシューしか知らないからビックリだよ」
「全然違います。どなたですか? って感じです。いつもは寡黙で不愛想で厳格で威圧的です」
「信じられないけど、あの泣き虫なマシューがそんな大人に成長してたとはね~……なんだか複雑だよ」
その後、ようやく動き出したお父様は、やっぱり幼稚な言動を繰り返すばかりで会話ができる状態ではなかった。
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