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~忘れていた感情~

【修正版】

 


「おはようございます。オルカお嬢様、朝です! 早く起きて下さい! 」

「………? 」

「こちらに顔を綺麗にする為のお水とタオルを置いておきますよ! 最後に様子を見に来ますので、それまでにご自身で出来るところまで支度を進めて下さい! 私はエイリーン様のお部屋へ向かいます」


 誰かが何かを捲し立てる耳障りな声と、室内を無遠慮に歩き回る音で目を覚ます。

 用事は済んだのか、返事を待たずに足音が遠ざかってそのまま扉が閉まる音が聞こえた。

 横柄な態度を不快に感じながら、手で目を守りつつ、慣れた様子で普段使っている眼鏡をどうにか探し出す。

 窓からベッドまでは大体、五歩くらい。

 勿論、室内には家具がある。

 窓のすぐ外には日除け屋根もある。

 それでも、陽が直接当らない場所に居たとはいえ、私には十分眩しかった。

 ジンジンと目の奥に痛みを感じながら身体を起こす。

 そこへ、再びあの騒がしい声の主が許可なく部屋に入って、謝罪するどころか不機嫌そうに声を荒げていた。


「いつまで寝ぼけているんですか? 早く支度しといて下さい! 今日は皇太子殿下がお見えになる日なので遅れたらどうなるか、分かってますよね? 」

「……」

「伝えましたからね! 鈍臭くて苛々する……」


 ようやく顔を確認すると、声の主は私の専属侍女だ。

 そこで初めて違和感に気付いて、首を傾げる。

 何故、彼女が地下牢に居るんだ。

 不思議に思いながら室内を改めて見渡せば、そこは幻覚で見る綺麗な部屋でも、拘置された地下牢でもない。

 マゼラン邸にある自室だ。

 寝起きで頭が上手く回らなくても、通りで身体が自然に動くわけだと納得しながら暫く呆ける。

 専属侍女は文句を言い終えると、入る時と同じように、苛立った様子で何も言わずに部屋を出て行った。


「眼鏡を掛ける前にカーテンを全開にするなんて……」


 横柄な態度に呆れつつ、深く考えずに、これもただの夢なんだと安易に結論付けた。

 どうせなら、お母様が生きていた頃の夢を見たい。

 自分にとって気分の良い夢を見たかった。

 そう残念に思いながら身支度の為にカーテンを閉める。

 桶に入った冷水で洗顔してから、用意されていたタオルに手を伸ばすと、嫌な臭いを放っている。

 まただ、と眉間に皺を寄せて溜息を零した。

 使用済みのタオルを洗濯せず、何日も使い回されるのはよくあるので、特に動じることもない。

 綺麗なタオルを取りに行こうと立ち上がったところで、はたと気付く。


「夢の中でまで、我慢する必要ないじゃない……? 」


 仮に現実だとしても、もう殿下とは婚約破棄をしているのだから、噂を気にして大人しく我慢する必要はない。

 侯爵家で過ごした日常そのままの夢の内容に、長年染みついた我慢癖で、専属侍女の態度を当たり前に許そうとしてしまったが、もう無理に許す必要なんて無い。

 それに気付いたら、気持ちが少し軽くなった。

 無気力状態から、” 面倒臭い ” という気持ちが浮かび、負い目を感じる必要はもう無いと思うと、エネルギーが戻ったように ” 怒り ” や ” 嫌悪感 ” も感じた。


「はぁ……私が何をしたっていうの……」


 けど、癇癪を起こして物に当たるような真似はしない。

 気持ちを鎮める為に、深呼吸を繰り返す。

 これは幼い頃、お母様が教えてくれた感情をコントロールする方法で、気持ちが昂る時は、今でも深呼吸をするようにしていた。

 落ち着いてからタオルを床に放り投げて、着ていた衣服で顔を拭いた後、眼鏡を掛け直す。

 勉強机の引き出しにある日記帳を手に取って開くと、前日に起きた出来事やスケジュールが綴られていた。

 そして日付を確認すれば、断罪された一年前のものだと判明する。


「十六歳の頃の夢か……」


 殿下は週に何度かマゼラン邸に訪れる。

 その時に話そうと思った内容も、日記帳の端に幾つか注意点と共に書き留められていた。

 政略結婚とはいえ、伴侶を好きになろうと努力して、話すネタを事前に考えていた当時の自分を嘲笑した。

 頑張って歩み寄ろうとしていたのに、殿下はいつも短い相槌を返すだけで、会話が広がった例は無い。

 逆に会話を振られることもなく、紅茶一杯を飲み終えると、彼はスケジュールを理由にさっさと帰っていた。


 「あんな男を好きになろうなんて……」


 ミライド卿が地下牢で話してくれた濡れ衣の真相を知った今、お父様への寂しさも、殿下への期待も、何もかも全てがどうでもよかった。

 日記帳を遡って読み続けている内に時間が経過し、先程と同じように専属侍女が許可なく寝室に入って来る。

 寝間着のまま、ベッドに腰掛けている姿を確認するや否や、持っていた日記帳を乱暴に取り上げられ、興奮した様子で怒鳴り声を上げていた。


「何で着替えてないんですか!? 今日は殿下がお見えになるって伝えたじゃないですか! もう勘弁してよ……遅れたらアタシが怒られるのにっ! 」

「……」

「何で黙ってるんですか? 見てないでさっさと支度して下さい! ほら! さっさと脱いでってば! あーもう、本当にうざったいなぁっ!! 」


 侍女を無表情で見上げれば、二の腕を痛い程に掴まれ、寝間着を剝ぎ取るように脱がそうとしていた。

 横柄な態度を当時も不快に感じたが、再び体験すると、理不尽な主張だということをより認識させられる。

 身支度を自分で整えろだなんて、何の為の専属侍女だ。   

 今まで聞き返したことは無かったが、何故主人を放ってまでエイリーンの世話を焼くのか。

 目が陽の光に弱いと知っていながら配慮しない。

 スケジュールも管理しない。

 身の回りの備品の管理さえ不十分で不便だ。

 日常的に暴言を吐き、心身共に傷付けられてきた。

 それも理不尽で自分勝手な理由で、だ。

 彼女に限らず、お父様からの関心が薄い為、大半の使用人は私を軽んじている節があった。

 また、社交界に流れている悪評を信じている所為で、使用人の間でも評判は悪く、何か困っても、いつも見て見ぬフリをされて、誰も助けてはくれなかった。

 反対にエイリーンはお父様に可愛がられ、愛らしい見た目と心優しい令嬢として、社交界でも屋敷内でも人気が高く、同じ侯爵令嬢として比較される事も多かった。


「あーもう苛々する! 服は後でいいか……ほら、鏡の前に来て下さい。早くこっちに座って! 皇太子殿下が来るから髪にオイルも塗らなきゃならないのに!! 」

「……」


 不満を零しながら、乱暴に腕を引っ張られる。

 身体が傾いた際、いつの間にか床に落ちた日記帳が視界に入った瞬間、パーティー会場で落とした扇子を踏まれる光景が頭の中に過った。


 “ もう負い目を感じる必要は無い “


 今まで無視していた感情を自覚した途端、引っ張るように髪を解かしていた専属侍女に向かって、出せる精一杯の大きな声で叫んだ。


「やめてっ! 」

「……へ? 」


 手の力が緩んだ隙に立ち上がり、振り返って勢いよく彼女の身体を押しのける。

 バランスを崩して尻もちをついたまま、突然の事態に理解が追い付いてないのか、彼女は目を丸くしていた。

 普段はどんな仕打ちを受けても大人しかったのに、怒りを露わにする主人の姿は予想外だったのだろう。

 そんな侍女に、掴まれた二の腕を見せ付ける。

 痛みは無くても掴まれた箇所は赤く痕になっていた。

 過ちを理解させる為に、静かな口調で問い詰める。


「この痕、どうしてくれるの? 」

「へ? 」

「” へ ”、じゃないわ。この腕でどうやって皇太子殿下にお会いするのかって聞いてるのよ」

「そんなの、長袖を着ればいいじゃないですか……! 」

「長袖なんか着たくない」

「なっ!? だったら羽織で隠すなりして……」

「そもそも痕を付けた事をどう責任取るのかって聞いてるの。それに用意された桶の水は何なの? 冷たいわ。タオルだって臭くて不潔で使いたくない」

「え……何、急に何なの……」

「いつも思ってたけど、朝の支度に限らず貴女ってエイリーンの傍に居たがるよね? どうして? 彼女にも侍女が居るのに、何の為の専属侍女だと思ってるの? 」


 侍女からすればいつも通りの対応で、私が何故ここまで怒っているのか、理解できずに困惑していた。

 刃物で怪我をさせたわけではないのだから、暴行の内に入らないとでも考えているのだろうか。


 ” 腕を掴んで少し痕が残っただけだ ”


 そう言いたげに見上げられ、眉間に皺を寄せた。

 声に出さなくても、表情を見れば考えが手に取るように分かってしまい、苛立ちが込み上げる。

 自分の行動が何に該当するか、全く理解してない。

 どうやら私達の関係性を忘れてしまっているようだ。

 動きの無い見つめ合いを続けたところで時間の無駄だと悟り、寝間着のまま廊下へ出る。

 硬直していた侍女がようやく我に返って、思い通りにならない私に苛立っていた。


「待ってっ! 」

「痛っ……」


 性懲りもなくまた腕を掴まれ、爪が皮膚に食い込む。

 もはや侍女と主人だと思えないやり取りに呆れる。

 再度その身体を押しのけようかと考えていると、予想外な人物の声に、私達はピタリと動きを止めた。


「オルカに何してるの……? 」

「あっ……エ、エイリーン様……! こ、これはその……」


 私の寝室がある同じ廊下の突き当りに、エイリーンの寝室があって、階段とは反対側に位置していた為、支度を整えて出てきたところに、丁度鉢合わせたようだ。

 まだ自分の状況を理解出来ない専属侍女は、誤魔化すような笑顔を浮かべながら、掴んだままの私の腕を引っ張って、部屋の中に戻そうとする。

 エイリーンはそんな侍女を鋭く睨み、真っ白い肌がほんのりピンク色に染まる程、怒りを露わにした。


「オルカを離して……」

「エ、エイリーン様、あの、オルカお嬢様はまだ身支度を整えていないので、ご用件は後で……」

「オルカを離してっ! 貴女ごときが傷つけて良い存在じゃないわ!! 誰か! あの侍女をオルカから引き離して!取り押さえなさい! 」

「え? あ、まっ待ってくだ……ぐっ!? ちょっと! 何するの放してよ! 」


 エイリーンの一声で専属侍女は私から引き剥がされ、あっさり取り押さえられた。

 第三者の加入で話が大きくなり、到底笑って誤魔化せる状況ではないと、ようやく気付いた彼女は、焦った様子で誤解だと主張をした。

 しかし、私達は対等ではない。

 ” 平民と貴族 ” という身分の差と ” 侍女と主人 ” という主従関係をことごとく無視した挙句 ” 掴んだだけ ” と軽く捉えた行動が ” 暴行と貴族を侮辱した罪 ” に値した。

 つまり、私の気分次第で自分が罪に問われる立場であるのだとを思い出して、専属侍女は徐々に青ざめる。

 とはいえ、目撃者が使用人だけなら、助けて貰えたか微妙なところで、エイリーンが居なければ私に有利な状況で事が運ばなかっただろう。

 そんな自分の非力さを滑稽に思いながら、腕を無意識にさすると、心配そうな表情でエイリーンが傍に来るなり、腕を見てわなわなと大袈裟に震え出す。


「オルカ……大丈夫? 他に乱暴されてない? 痛くない? 赤くなってるから冷やした方が良いのかしら? どうしよ……早く誰か主治医を呼んで! 」

「いつものことだから大丈夫」

「いつもこんな酷いことをされていたのっ!? どうして早く言わないのっ! 」

「私の言動一つで、今後どんな陰口が囁かれるか分からないじゃない」

「エイリーン様! 違います! 決していつもやってたわけではありません! 信じて下さい! 」

「つまり、今回が初めてじゃないってことよね? 」

「そ、それは……っ」


 取り押さえられた専属侍女は、被害を受けた私への謝罪も無く、必死に言い訳を並べていた。

 それもエイリーンに向かって、だ。

 マゼラン家の人間ではないものの、家主が実の娘よりエイリーンに対する関心が強いのは周知の事実だ。

 発言力もある為、使用人の大半は彼女に従順だった。

 現に今も場を取り仕切り、侍女や駆けつけた使用人達は当然のようにエイリーンの指示を待ち、マゼランの血を引く私を気に留める者はいない。

 この状況を皮肉に感じながら、毒殺の濡れ衣を着せた加害者が、自分を庇う光景を静かに傍観した。


「執事長に報告して。そのまま連れて行って」

「分かりました」

「そ、そんなっ! エイリーン様! 違います! 誤解です! どうか話を聞いて下さい! 」

「オルカ、もう大丈夫。痛そうね。可哀想に……凄く怖かったでしょ? 」

「……別に」


 断罪された夜に比べれば、全然怖くない。

 ケイプ家はカントリーハウスに滞在中、大きな山崩れに巻き込まれ、エイリーン以外の全員が命を落とした。

 当時、僅か九歳にして、莫大な遺産を全て相続した彼女を心配して、遺産目当ての親族から守る為に、ケイプ侯爵と戦友だったお父様が後見人を申し出た。

 以来、マゼラン邸で共に暮らす家族同然の幼馴染で友人だと思っていた。

 エイリーンは周囲に染まらず、今回のように何かあれば、代わりに怒って守ってくれることが多々あった。

 冷血だと罵られていたけど、実際は反論する勇気も無い臆病な自分にとって、彼女の助けが嬉しくて、心強くて、頼もしかった。

 なのに、そんな誰よりも信じていた人に濡れ衣を着せられるなんて、この頃は全く想像も出来なかった。


「オルカ、部屋で休む? 朝ご飯は食べられそう? ここで一緒に食べる? 」

「……いや」


 過保護なまでに心配するエイリーンの姿も、庇ってくれた時の怒りも、演技には見えない。

 喚き散らす専属侍女に構わず、数人の使用人が何処かへ連れて行ってしまい、その様子を静かに眺めながら、断罪されたパーティー会場から地下牢に連行された時の記憶が蘇る。

 投獄されてから、夢とはいえ意識がハッキリした状態でエイリーンと対面するのは随分と久しぶりだ。

 酷い裏切り行為を受けた所為で、感情任せな行動を取って大喧嘩になるだろうと思っていた。


「オルカ? 」


 ……けれど夢の影響だろうか。

 多少の苛立ちや悔しさは感じても、案外そこまで強い怒りはなく、冷静さを保つことができた。

 私が孤立した原因はエイリーンにあるかもしれない。

 そう頭では理解しても、自分の感情を無視して、以前は味方が居ると思うだけで、精神的に助けられて本当に感謝していた。

 負の感情と正の感情が心の中でぶつかって相殺したように、激しい怒りは感じないけれど、以前のように好意を寄せることも感謝の気持ちも感じない。

 あるのはただ、” 面倒臭い ” という気持ちと、裏切られた事実への落胆だった。


「……部屋で、一人で食べたい」

「オルカ……」

「オルカお嬢様、折角エイリーン様がお嬢様を心配して下さっているのですから、お部屋で一緒に朝食を食べても良いではありませんか」

「そうですよ。お二人分の朝食をご用意するよう、厨房に伝えてきますので、お部屋でお待ち下さい」


 エイリーンの申し出を断れば、傍に居た使用人は見兼ねて強引に朝食の準備を進めようとしていた。

 そんな彼女達も十分失礼だと思いながら、段々とやり取りが面倒臭くなり、口を閉ざす。

 反論するだけ無駄だと思うと、全てがどうでもよくなって、投げやりになってしまっていた。


「オルカ? やっぱり嫌? 」

「………」

「お話中、失礼致します。お嬢様、旦那様がお呼びです」


 会話の途中で執事長が現れ、答えを保留にしたままお父様の執務室へ向かった。

 廊下を歩く際、何人かの使用人に出くわしても、道を開けるだけで誰も頭を下げる様子はない。

 そればかりか、ヒソヒソと小声で何かを話し合って、時々嫌な視線を向けられる始末。

 私が彼女達に何をしたというのだろうか。

 断罪された夜、会場入りする前の光景を思い出して、不愉快な気分で彼等の前を通る。

 執事長も使用人の態度に気付いている筈なのに、注意する様子はなく、ただ静かについて歩くだけだった。


「旦那様、オルカお嬢様をお連れしました」

「入れ」


 執務室の扉を開く音が、やけに煩く聞こえる。

 十六歳といえば、厳格なお父様と面と向かって話すことも、同じ空間に居ることさえ苦手だった。

 自分の意見を口にする勇気がなかったからだ。

 何か失敗して失望させてしまったらどうしようと不安に感じたり、エイリーンと接している時との明らかな違いに寂しさを感じていた。

 それでも、以前は子供ながらに、親から好感を持って貰いたい、家族としての感心が欲しいと切望していた。

 いつもお父様の言葉に従って、完璧に見られるよう意識して努力していたのに、妃教育を頑張ったことも含めて、結局全て水の泡になった。

 殺風景な執務室の中に入った後、形式的な挨拶をしてもお父様は書類から視線を離さず、挨拶に対する返事も無いまま本題に入る。


「侍女から暴行を受けたのは事実か? 」

「はい」

「そうか……お前は将来、皇太子妃になるんだ。情けない姿を晒すな」

「申し訳ございません」

「今後は立場に見合った行動を心掛けなさい。話は以上だ。下がれ」

「はい、わかりました。失礼します」


 短いやり取りを交わして、執務室を出る。

 結局お父様は一度も私に視線を向けなかった。

 専属侍女と何があったか報告を受けているのに、気遣う言葉もなければ、顔色一つ変えることもない。

 ガッカリしながら、ゆっくりと来た道を戻る。

 あんな人から好感を得ようなんて、愛情を欲しがるなんて、間違いだった。

 一人で廊下を歩いていると、やっぱり使用人達は脇に立ったまま、挨拶どころか執事長が居ないからか、今度は聞こえるように陰口を言い始める。

 パーティー会場で見た、好奇の目を連想させるような嫌な視線を向けられ、心がざわついた。


「……はぁ」


 階段に向かう途中の廊下で暫く立ち止まる。

 いつもなら大人しく聞き流していた陰口が、今日は一段と耳障りで不愉快だった。

 根も葉もない噂を何故信じる意味が分からない。

 普段、何を見聞きしているのか問い質したくなる。

 努力を続ければいつか報われると信じて、常に淑女を意識した言動を心掛けても報われず、誹謗中傷で受けた心の傷だけが残った。

 噂を気にして、大人しく耐えた時間を再び体験して気付いたのは、どんな言動を取ろうが関係ない。

 彼等にとって ” 侯爵令嬢 ” で ” 皇太子殿下の婚約者 ” の肩書を持つ攻撃しやすい人物が、私だっただけだ。

 勇気を出して、陰口を言い続ける使用人達に静かな口調で、けれど明らかに怒りを含んだ声で話しかける。


「小さな声で話してないで、不満があるならハッキリと大きな声で話したら? 」

「!?」


 声を掛けられた使用人達の表情が強張る。

 次に驚いたような、苛立ったような、最後には混乱した表情を浮かべたまま、こちらを睨んでいた。

 文句はあるけど、面と向かって伝える勇気は無いのか、使用人達は無言のまま後ずさり、私は声を掛けただけで緊張して手が震えていた分、逃げるならそれ以上、追及するもりはなかった。

 正直なところ、専属侍女との件で朝から疲れてしまい、立ち去ろうとする使用人を視線で追う。

 ただ、彼等の向かった先に執事長とお父様がいつの間にか立っていて、静かにこちらを睨んでいた。

 緊張していた所為で気配に気付かなかったのか。

 何か声を掛けた方が良いかと悩んでいると、お父様は何でもない様子で執事長に使用人の見直しを言いつける。


「オルカの専属侍女といい、この場に居る使用人といい、躾がなってないのではないか? 」

「誠に申し訳ございません。言葉もございません」

「目障りだ。良し悪しの分別も付かん愚かな連中は直ちに屋敷から追い出せ」

「承知致しました。直ちに処理致します」

「そっそんな! 旦那様! どうかお考え直しを……! 」

「お許し下さい! これからは行動を改めますので、どうか! どうかそれだけは……! 」


 突然の解雇宣言に、頭を下げていた使用人達は驚き、必死に許しを請う姿を冷めた表情で見下ろす。

 こんな人達にまで理不尽に侮られていたのかと思うと、先程まで緊張していた自分が馬鹿みたいだ。

 立て込んでいるなら挨拶は無くて良いか、なんて考えながら、踵を返してさっさと自室へ戻る。

 途中、遠くから私の名前を呼んで、謝罪の言葉を叫んでいた使用人も居たけれど、振り返ることはなかった。







「何だか屋敷内が騒がしいみたいだね……? 」

「……そうね」


 結局、エイリーンと部屋で朝食を摂る羽目になってしまったが、大人しく座っていると間も廊下が騒がしい。

 事情を知らないエイリーンは、彼女の侍女が呼出され、出ていった扉を不思議そうに見つめていた。

 朝食が部屋に運び込まれた頃、今度は表が騒がしくなって窓から確認すれば、門の外に大勢の使用人が柵にしがみつき、許しを請う言葉を繰り返し叫んでいる。

 泣きながら縋る姿を見ても、同情することはなかった。


「今日の野菜は甘くて美味しいね! 」

「……そうだね」


 今回の騒動で、彼女の侍女も解雇された。

 事情を聞いてもエイリーンは気にする様子はなく、笑顔でサラダを美味しそうに頬張る。

 あんなに仲良くしていたのに、その切り替えの早さに戸惑いつつ、自分の時もこうして切り捨てたのかと思うと食事が喉を通らない。


「オルカ? 大丈夫? 腕が痛いの? 」

「……ううん」

「もしかして解雇された使用人の心配をしてるの? 」

「……」

「そっか。オルカは優しいね。でもあんな人達の為に気に病む事はないよ。それよりご飯食べよ? ほら、オルカの好きなスープだよ? 」


 解雇された使用人を心配しているわけではなかったが、かと言って正直にエイリーンの本心が分からなくて怖いのだと言える筈もなかった。

 数々の功績を挙げて、皇室から多くの褒美を受け取っている上に、代々受け継がれてきた事業の安定感もある為、マゼラン家は財力があることで有名だ。

 また滅多に入れ替えや募集をしないので、就職できれば生活が安泰すると囁かれているだけあって、使用人の大半が一斉に解雇されても、昼前にはすぐに人数分の穴埋めを確保していた。







 ++++


 新しい使用人に身支度を整えてもらった後、予定通りに殿下が屋敷に訪れた。

 嫌な記憶しかない相手との対面は憂鬱だったが、髪を結って貰えたことが嬉しくて、平然を装いつつ使用人の目を盗んで鏡で何度も確認する。

 身支度は基本的に全て自分一人で行い、髪の結び方もちゃんとは知らなかったので、本当はいつも綺麗に髪を結わいて貰っているエイリーンを羨ましく思っていた。


「オルカお嬢様、皇太子殿下がお見えになりました」

「うん……」


 けど、やっぱり殿下には会いたくない。

 もう負い目を感じる必要もなく、ましてや夢の中だ。

 無視しても問題無いだろうと考えた。

 残念ながら普段と違う慌ただしい屋敷内で、断るタイミングを逃してしまい、感情任せに暴れてまで拒否する勇気も無く、大人しくいつも通りに出迎える。


「皇太子殿下にご挨拶申し上げます。ようこそお越し下さいました」

「……ああ」


 殿下はいつもと同じ態度、同じ返事を返してきた。

 容姿を褒められたいとは思っていなかったけど、やっぱり声を掛けてくれるわけでもなく、そもそも私に関心がないようだった。

 パーティーの夜、冤罪に気付いているにも関わらず酷い言葉を浴びせてきた彼に、何も期待してないからか、寂しさや悲しみは一切感じなかった。

 ただ、以前と同じように歩み寄ろうとも思えないので、顔色を伺いながら日記帳に書き留められていた会話のネタを話すつもりもない。


「今日はこれを持ってきた。受け取って欲しい」


 殿下は訪問の際、私とエイリーンに同じ土産物を一つずつ用意していた。

 言動からして明らかにエイリーンに恋煩いをしているのに、当人同士が友人関係を主張するからって、後ろめたい事はないのだと信じた過去の自分の馬鹿さ加減に、今更気付いてほとほと呆れかえる。

 どんな主張をしようが、そもそも婚約者の前で堂々と他の令嬢に現を抜かすことが問題だというのに、皇族相手だからって、私は一体何をしていたのだろうか。


「季節の変わり目に咲く花が入荷されたらしくてな、今日は花束にしてみたんだ」

「わぁ! 綺麗なお花ですね! ありがとうございます」

「喜んで貰えて良かった。エイリーン嬢を想って一つ一つ花を選んだんだ」

「嬉しいです! 」


 エイリーンと私の花束の内容は全く同じだった。

 彼女を想って花を選んだのなら、私への花束はどういう気持ちで持ってきたのだろうか。

 婚約者を差し置いて、先にエイリーンに花束を渡す殿下の表情は、私に向ける時よりも柔らかい。

 ようやくこちらにも花束が差し出されたが、先のやり取りで喜ぺる筈もなく、冷めた目で花を見下ろす。

 いつものように愛想笑いもしない。

 触りたくもないので、近くに立っていた使用人をわざわざ呼び寄せて、代わりに花束を受け取って貰った。


「……オルカ嬢には気に入って貰えなかったようだな」

「気分を害したのであれば謝罪申し上げます」

「いや、結構だ」


 エイリーンとは違い、嫌な思い出しかない殿下から視線を逸らしたまま、お茶の席に座る。

 どんなに不満を感じても、土産を直接受け取らず、愛想笑いをしなかったことは一度もなかった。

 でも本音を言えば、受け取りたくない。

 堂々と他の女性の為に選んだ花だと言って置きながら、殿下は私の態度に不満を露わにしていた。

 以前は周囲が加害者に同調していた所為で、自分が間違っていると錯覚していたが、今はなんとも感じない。

 濡れ衣を着せた二人と同じ席でお茶を飲むなんて、妙な絵面だと思いながら何処か遠くを見つめる。


「……ゴホン」

「……」


 いつもなら着席してすぐに、私が事前に考えていた話をした後、エイリーンが何かを話すという流れだった。

 今日は私が沈黙していた所為でそんな流れが始まる気配はなく、ただただ風の音と鳥のさえずりだけが響き渡る寂しい時間が過ぎていく。

 耐え切れなかったのか、わざとらしく咳払いをした殿下から鋭い視線を向けられたが、裏切り者を気遣う程お人好しではないので、沈黙を貫いた。


「オルカ……その、今日は何も話してくれないの?」

「ええ」

「……どうやら、オルカ嬢は今日の土産が不服でヘソを曲げているようだ」

「そうですね」


 考え事をしていた所為で、反射的に殿下の嫌味を短く肯定すると、二人共驚いたように目を見開いていた。

 私は庭園を見つめたまま、思い合っているだろう二人が勝手に話せば良い、勝手にお茶を飲んで仲良くすれば良いと投げやりな気持ちで溜息を零す。

 政略結婚に対する負い目を感じていたけれど、改めて考えればおかしな話だ。

 殿下が役目を果たさないのに、何故私だけが我慢しなければならないと思い込んでいたのだろうか。

 皇族相手とはいえ、臆病になり過ぎていた。

 家門の将来を考えれば、不誠実な殿下と婚姻を結べたとしても、名ばかりの皇太子妃になって、利益より不利益を被る方が大きい。

 お父様への褒美だとしても、結果的に苦しむのはマゼラン家ではないか。

 目の前の事で精一杯になり過ぎて、視野が大分狭まっていたのだと気付いても、もう何もかも遅い話だった。

 何度目かの耳障りな咳払いで、ようやく視線を戻す。


「はぁ……忙しい時間の合間を割って来てるのに、その態度はなんだ? 」

「殿下、あの……オルカは今朝、ちょっと色々あって……きっとショックが抜けてないだけなので、どうか寛大なお心で許して下さい」


 黙り込んでいた私に、殿下は随分ご立腹の様子で、エイリーンは私を庇いつつなんとか宥めていた。

 以前、皇室主催のパーティーに参加する為に、ブティックを訪れた時のある出来事を思い出す。

 先に待合室に居た男女が言い争っていたが、口論の末に ” 汚物みたいに気分悪い人! ” と言葉を吐き捨てて女性が店を出て行ってしまったことがあった。

 なんとも気まずい光景を目撃してしまい、当時は女性の過激な言葉の意味が理解出来なかったが、殿下を前にして、今なら彼女の気持ちを十分に理解出来る。


「はぁ……」

「オルカ? 大丈夫? 気分悪いの? 」

「ええ、とても」


 予想以上に殿下への憎しみが強く、声を聞くのも不快で、お父様とは違った意味で同じ空間に居たくなかった。

 解雇された専属侍女と同様に、理不尽で自分勝手な主張を繰り返す彼に、冷ややかな視線を向ける。

 もう負い目を感じる必要はないと思うと、緊張感を感じる前に、今まで無視していた怒りの感情が沸々と湧き上がっていた。


「先に席を立つ無礼をお許し下さい。体調が優れないので、失礼します」

「だったら私も……」

「殿下は ” 忙しい時間の合間を割ってエイリーンに会いに来た ” のだから、私のことは忘れて。二人で心行くまで楽しい時間を過ごして」

「オルカ嬢……無礼だぞ」

「申し訳ございません。しかし、これ以上殿下に袖にされるのはもう耐えられません。然るべき書類をご用意して頂ければ、いつでも喜んでサイン致します」

「……なんだと? 」

「オルカ、ねぇ待って、それって……!? 」

「それでは、どうぞ楽しい時間をお過ごし下さい。これで失礼します。ごきげんよう」


 紅茶を準備していた使用人は会話の内容に驚き、茶葉が入った瓶を芝生の上に落とした。

 妃教育で叩き込まれた愛想笑いのおかげで、怒りを隠してその場を立ち去る。

 二人は呆気に取られたまま硬直しているのか、呼び止められることも、追ってくる気配もなかった。


「……ん? 」


 中庭から出ると、背後の足音に気付いて振り返る。

 そこには、私の専属護衛のミライド卿が立っていた。

 何か声を掛けられることはなく、単純に護衛として後をついて来ているだけで、お茶の席の会話を全く聞いていなかったようだ

 外出する際は常に傍に居た筈なのに、特に話した記憶も無く、声を掛けられた事も数える程度しかない。

 けれど身近に居た分、殿下がそうであるように、私に向けたことのない柔らかな表情で、愛おしそうにエイリーンをいつも目で追っていたことに気付いていた。

 守るべき主を裏切ってまで計画に加担した動機は、恐らく恋煩いの相手に頼まれたからだろう。


「……付いて来ないで」

「そうはまいりません。敷地内とは言え、外に居る際はお嬢様をお守りするのが私の役目です」

「……嘘つき」

「はい……? 」


 ミライド卿を無視して、執事長の元へ向かい、専属護衛の解雇をするよう、お父様への言付けを命じる。

 あの人が娘の突発的な頼みに応じるとは思えなかったが、どうせただの夢だ。

 地下牢で聞いた独りよがりな謝罪は不愉快極まりないものだったが、今思えば真相を知れたのは良かった。

 ただ結果がどうであれ、不服な表情で付いて歩くような護衛を傍に置きたくはない。


※修正箇所※

字下げ、誤字脱字、一部言葉の言い換え、記号の変更。

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