冬柊の宮②(オオオカサバキ? 何だそれ?)
「説明を。シャンシェイ」
「あ、あの、そ、こ、これは」
チェファシュ様の気迫に、問い詰められている中級妃はもちろん、席を同じくしている他の妃たちも真っ青な顔で震えている。
「シャンシェイ、答えなさい」
「……」
(あ~ぁ、人を蹴落とそうとするれば、自分がこけるだけのに)
チェファシュ様が座っていた場所に顔を向けたまま、目だけを動かしそちらの様子を伺い見る。
先ほどまでにやにやと私の事を見下して笑っていた者達が問い詰められ、今にも《《ちびりそうな》》顔をしているのは、性格が悪いと言われようが胸がスカッとする。
(しかし、ちゃんとは解らないけれど、調べにあったとおりの人柄のようだ)
それは、タンラン様より頂いた大きな箪笥の秘密の一つ。
あの箪笥は五つの引き出しが付いており、一番上の引き出しには、この後宮に住むすべての妃の家系図から生育環境、好んで食べる物、嫌いなものなどの個人的なことから、対象の実家の家族や商い、交友関係や今まで受けた刑罰に至るまで、その人のこれまでの人生というものが、詳細が事細かに書かれた巻物が入っていた。
あの箪笥の鍵を持つのは私とタンラン様のみ。
そして中身を見てよいのは私とタンラン様、そして主上様のみ。
もし、何か不手際で他者にそれが見られるようなことがあった場合『他者のふりをして後宮に潜入した間者』という汚名を着て処刑されろとタンラン様に言われている。
(しかも「子飼いの情けとして、拷問にはかけず、その場首をはねてやる」って。そりゃ情けって言わず、トカゲの尻尾切っていうんだけど、偉いお方には何を言っても無駄だしねぇ)
そんなことを考えながら、六人の冬の宮の妃の様子を伺い見る。
(チェファシュ様は御年19歳。御実家は財務を司る官吏。ゆえに教育は厳しく、出来上がったチェファシュ様は清廉潔白……しかしそれ以上に厳しい教育の賜物か、その点に関しては身内にも厳しく、融通のきかないところがあり、苛烈、と。まさにそんな感じか)
表情が乏しいのか、現在も明らかに怒っている、と言った表情ではないし、声を荒げたりもしていない。
しかしわずかに眉や目元の動きとあの気迫から、心底怒っている事だけは窺い知れる。
(十九歳であれだけの感情を抑え込むことが出来るのはやはり御実家の教育の賜物か……? 年頃の娘としては憐れだが、主上様の正妻になるには必要な力でもある)
「シャンシェイ、答えなさい」
「……わ、私がやったと言う証拠などありませんわ! 私を陥れるために、蟲の宮の方がやったのかもしれません! そうよ、そうだわ! だって、蟲の宮の方なのですから! 百足を持ち込み、茶に入れたのです! きっとそうです!」
中級妃は追い詰められ、とうとう開き直る事にしたらしい。
そしてそれに同意する下級妃と、さらに青い顔になって止めようとするもう一人の中級妃。
(悪手だな。自分がやったと言っているに等しい。……それにしても、面倒な茶会になったな。このまま膠着状態が続くなら、帰って胃の中の物を吐きたいんだけど……)
ぞろりとした《《アイツ》》が漬かっていた茶である。足の一本や日本も飲み込んだかもしれないと思うと、吐瀉薬でも飲んでさっさとすべて吐き出したいところである。
「《《ホンニャン》》様」
そんなことを考えながらも、彼らの事を見ていることを悟られないように静かにしていた私は、チェファシュ様は名を呼ばれ、失礼のないようにそちらに体ごと動かした。
「はい、なにか?」
「当方の者がこう言っているが、いかがか?」
その言葉に、その内容で手打ちにし、自分の妃を助けるつもりか? と思ったが、目の前の妃は凛とした表情で《《初めて名を呼んで来た》》ことから、そのつもりはなく、ただ相手の言質を取りたかったのだろうと推察し、私はしっかりと顔を上げ、言葉を選んで口にした。
「茶会に招待された身の私に、そのような事が出来ますでしょうか? ましてや皆様の前で茶にあのような大きな蟲を入れることは困難の極み。それにしても、茶に漬かりこと切れていましたがあの百足、足がないところもありました。捕まえて茶に入れるときに、それなりに暴れたのかもしれませんね」
ここで、にっこりと笑うと、青い顔の中級妃を見る。
「百足は人を噛みます。噛まれた人間の皮膚は赤く腫れあがり、時にはただれて皮膚が潰瘍になることもある、とか」
一呼吸。
おいてから私は頬に手を当て、こてんと首を傾げた。
「あぁ、茶を用意してくれた方が噛まれていないと良いのですが……心配ですわ」
その言葉に、中級妃はさらに青くなり、この様子を見ていたチェファシュ様が侍女頭に命じる。
「茶を用意した者をここへ」
「畏まりました」
頭を下げた侍女頭が、数名の侍女を連れて部屋を出ていく。
その後、ほんのひととき。
すぐに二名の宦官に引きずられるようにして、後ろ手を縛られた一人の侍女を伴った侍女頭が戻り、その侍女の顔を見た中級妃の顔色が、さらに悪くなった。
「チェファシュ様、連れてきました」
「噛み傷は?」
「ございました」
その言葉を裏付けるかのように、宦官が縛られた手の袖をあげれば、真っ赤に腫れ上がった手が見えた。
「……なるほど。ホンニャン様の言うとおりだったか」
さらりと衣を翻し、私の方を見たチェファシュ様は、静かに首を下げた。
「私の茶会で、このような不始末を起こしたこと、被害者である貴方に教養がないと申し上げたこと、お詫び申し上げる。この者の処罰はこちらに任せていただいて構わないだろうか?」
「お任せいたします」
椅子から立ち上がり、首を下げそう告げた私に、頷き、席に座るよう促してくれたチェファシュ様。
「シェイシェン様!」
そんな中、処罰と聞き、真っ青な顔で全身を恐怖に震わせながら、後ろ手を縛られた侍女は、先程の中級妃にすがるように声を上げた。
「お助けください、シェイシェン様! 私は、シェイシェン様のおっしゃったとおりに……」
「黙りなさい! 私はそのような事は頼んでおりません! 蟲の宮の方どころか、私まで陥れようとするとは……チェファシュ様、申し訳ございません! 身分を弁えぬこの者に、しっかりと罰をお与えください!」
侍女の言葉を遮り、椅子から立ち上がった中級妃はチェファシュ様の前に駆け寄り、膝をついて頭を下げた。
(随分口が軽い。そして命じた側はやはり尻尾を切る事を選択した。さて、チェファシュ様はどのような判断をするかな?)
と、チェファシュ様の判断を待っていた時だった。
「……そう、それが貴女の言い分か……ホンニャン様」
「なにか?」
「この場合、貴方ならどう処分をどう考えられる」
凛とした表情のまま、そう問われた彼女の言葉に少々がっかりした気持ちになる。
(こちらに判断を任せる、私が行ったと落ちに刑罰を行うのならば、二人の恨みは私に向くだろう。なるほど、食えない人だ。狡猾だな。高潔とは程遠い……)
そう思いながら、私は最良の言葉を探し、明確に口にする。
「気高き冬柊の宮で起きたこと。私のようなものにはわかりかねます。……ただ、百足は滋養強壮の生薬と聞きます。生のまま茶にするという面白い趣向は初めて拝見しましたが、病弱な私の事を思ってしてくださった事なのでしょう。先ほどの百足は直前まで生きていたようですし、それをお持ちという事は、その方は百足を飼い、時に黒焼きをお飲みにならねばならぬほどの大病がおありなのだと思います。ですから、私であれば、でございますが、その者の体が心配ですので、実家で静養させたいと思います」
そこまで言ってにっこりと笑うと、チェファシュ様は僅かに眉尻を上げ、それから口の端をわずかに上げた。
「慈悲深い方だ。参考にさせていただきたこう。シャンシェイ、その侍女を伴って西の庵へ下がりなさい」
「チェファシュ様! お待ちください!」
「下がりなさい、シャンシェイ。誰か付き添いを。貴方達も下がってよいわ。リンイ」
「御意」
命じられた侍女頭が手を叩くと、部屋の外に控えていたらしい宦官が、何やらわめく中級妃と、真っ青の顔で気を失ってしまいそうな侍女を引きずるようにして部屋から出て行き、それからそれぞれ青い顔をした下級妃・中級妃も自身の侍女を伴って出て行った。
「では、私も失礼させていただきます」
「ホンニャン様」
皆がいなくなり、静まり返った部屋。茶会を続ける雰囲気ではすでになく、私もこのまま辞そうと思い、しかし下級妃からそれを言い出すのもまずいと思い、跪礼を取ろうとしたところで、チェファシュ様に呼ばれた。
「はい」
不意に、チェファシュ様に手を取られた私は、跪くのを止められた。
「見苦しいものをお見せしたこと、お詫び申し上げる。先ほどの貴女の温情の言葉は大変有難いが、あの者は正しく処分するとお約束申し上げる」
(恩情……? あぁ実家に返す奴か)
チェファシュ様の言葉を考え、私は失礼と知りながら問うてみた。
「何故、私にあのような質問を?」
それには、目の前の人は酷く冷たい顔をした。
「貴女はきっと、厳しい処分は言い渡さないと思ったからです。私がどう処分しても、あの者達は貴女を恨むでしょう。自業自得とはいえ、それはよろしくない。ですから、まず貴女から甘い処分を下していただき、私が正しく言い聞かせ処罰する。己のやったことを解らせるために必要だと判断したのです」
そこまで言うと、チェファシュ様はそれまで表情の乏しく冷たい印象だけでしかなかった彼女からは想像できない、穏やかな顔をした。
「後で金鳳花の宮に、解毒の薬と、今日お出しするはずだった茶と菓子を届けさせます。宮を預かる者として心からお詫び申し上げます。これに懲りず、また来てくださると嬉しい」
そうして彼女は一つ、柔らかく笑った。
「あの茶器を褒められたのは、実は本当に嬉しかったのです。あれに気付くものはそうそうおりませんから」
「……お誘い、お待ち申し上げておりますわ」
たしかに高潔な人であった、と、私は先ほどの自分の感想を訂正するのであった。
お読みいただきありがとうございます。
気合のもとになりますので、いいね、評価、ブックマーク等、していただけると大変に嬉しいです!




