にまいめ
「寝付けねえなら子守歌でもいるか」
「いえ結構です!」
ふすまの向こうのしゃがれ声に慌てて返す。幸いおばあさんは不審がることもなく片付けに戻った。
問題はおたつさんだ。彼女は俺を指して『金太郎』と呼んだ。
「やった、成功したんだ。命を賭けた甲斐があった!」
肝心の本人は綿の着物の下でガッツポーズを作っている。先程までのおたつさんと同一人物とは思えない変貌ぶりだ。仕草も口調も何もかもが違っている。
「あの、どなたですか」
おばあさんに聞こえないよう埃臭い着物を被って小声で尋ねると、目の前の女性はウィスパーボイスで自己紹介を始めた。
「辰野っていいます。たぶんあなたと同じで昔話の中に取り込まれちゃったんですけど『金太郎』で失敗しちゃって、それ以来ずっとこれ」
辰野と名乗る女性は両手を頭にあててぴょこぴょこと動かした。
「ウサギか!」
「そしたらあなたが来て、そのブレスレットが光ったからイチかバチかで袋に飛び込んだの。やっとあの世界から抜け出せた! ずうっとお遊戯会をやらされてるみたいで狂うかと思ったあ」
辰野さんは泣いているらしかった。固い布団にぽたぽたと雫の落ちる音が微かに聞こえる。
「その、つまり、もし俺が物語をちゃんと終わらせられなかったら――」
「私と同じで自力で脱出できなくなるんじゃないかしら」
横になっているのにさぁっと血の気が引いた。
戸が風に吹かれてガタガタと震える。細く甲高い隙間風が無念にも本に閉じ込められた犠牲者たちの悲鳴と怨嗟のように乱れた。
「今度こそ逃げなきゃ。頑張りましょ」
「あ、ああ、はい……」
ゴウとひと際強い風が広間の蝋燭を消した。
何も見えない暗闇の中、ただただ明かりを待つ。金縛りにあったかのように動けない。秋の夜風が入り込んで背筋を冷たく撫でた。
「ああ、あったあった。ったく弱ェ火だ」
ふすまの隙間から一条の光が差し込んでようやく緊張が解ける。ほっと息を吐いたのもつかの間、広間からはごとりと重そうな音に続いて何かを研ぐ音が聞こえてきた。
「にしてもよォ、ヒヒ、若ェ肉なんて久しぶりだァ」
辰野さんと目があった。ジィジィと恐ろしい音が響く。
広間を指してるそれは、まさか覗き見して確認しろってのか。
半泣きで首を横に振る。まだふすまを指す白い指。
ここが暗闇じゃなければこの恐怖に引き攣った顔をお目にかけてやるのに!
頓珍漢な現実逃避をしながら抜き足差し足で、途中からは腰が抜けたので四つん這いになってそっと隙間に目を当てる。
囲炉裏の側で、老婆、いや、山姥が大きな鉈を研いでいた。
や、ま、ん、ば
口パクを読み取った辰野さんに手招きされる。
「今すぐ逃げましょう」
「でも玄関はあっち、山姥の向こうですよ」
「トイレって外にあるわよね」
「なるほど、でもそれじゃすぐにバレて――あ」
懐を探るとお坊さんから貰ったおふだが三枚入っていた。ようやくわかったぞ。
「やっぱり! これ、『三枚のおふだ』ですよ! おふだの力で寺まで逃げるんです。一枚目はたしかトイレに貼って『代わりに返事をしろ』って念じるんだったかな」
説明してから気づく。
これ、二人になったことで難易度も上がってないか?
ジト目を向けたが辰野さんはぷいと顔を背けた。
「い、いやあ、あなたが、ええと」
「ゴトウです。五に藤で五藤」
「五藤さんが思い出してくれたおかげで目標もはっきりしたし、作戦会議よ、作戦会議! まずは――」
山姥の手元から聞こえる音は徐々に鋭さを増し、始めよりも小さくなっている。もう時間がない。
俺たちは持っているものをかき集め、文字通り命がけの勝負を仕掛けることにした。
「おばあさん、親切なおばあさん、俺、しょんべんがしたいんだけど」
「そんくれェ我慢しな」
「もうすぐにでも漏らしそうだ」
俺の後ろでは辰野さんがわざとらしくぐうと鼾をかいた。下手!
大きく舌打ちをした山姥は「また迷子んなってもいけねェ」と俺の腰に縄をくくりつけた。
「すぐそこだ。さっさと済ませろ」
「おばあさん、真っ暗で右も左もわからないんだけど」
土間から動かない俺に痺れを切らした山姥は、食事の準備を中断させられた不機嫌さを隠そうともせず便所へ引っ張った。縄が食い込んで痛い。
「てめェで戻れ」
「ま、待ってくれおばあさん。こっちを向いてください」
「うるせェ餓鬼だ」
心臓が縮みそうになるが、俺は辰野さんがこのボロ屋を抜け出す時間を作らなければならない。
るうちゃんの怖いもの無しなキラキラおめめを思い出し、声が震えないよう自分に喝を入れる。
「ああ、やっぱり俺の祖母に似て美人ですなあ」
「さっさと済ましな!」
山姥は舌打ちで会話を終わらせた。俺たちを食うのがそんなに待ちきれないか、食人主義者め。
るうちゃん、おにいの勇姿はどうだった! 俺は使命を果たしたぞ!
俺は巾着袋から『おむすびころりん』の柴刈鎌を取り出し縄を切った。そのまま柱に固く結びつける。
ウサギ改め辰野さんの言葉を思い出し、主人公ならできると言い聞かせる。
「超賢いAIみたいに、俺の声で山姥に返事しつづけてくれ」
「畏まりました。話しかけてくださればお返事いたします」
目の前の無機物が発した俺の声に背筋が粟立つ。まあ、こいつならうまくやるだろう。
「おい餓鬼! まだか!」
「今踏ん張ってるんだ」
さっそく有言実行を果たした一枚目に安堵し、そっと厠を抜け出す。
よし、あの婆さんはまだ俺たちの脱走に気づいてないぞ。
少し駆けると前方に走りにくそうな背中が見えた。あっという間に追いつく。
並走するがもどかしい。
「もうちょいペース上げられませんか」
「ぐっ、わかった、わかりました」
辰野さんは「見ないでよ」と俺を睨んで着物の裾をたくし上げた。
この非常事態だぞ。自分の体でもないのに照れることないだろ。
賢い俺はぐっと文句を飲み込む。山姥との遭遇前にはどれだけ探しても見つからなかった山道はすぐに目の前へ姿を現した。
「よし、これで――」
「餓鬼ども、逃げやがったなァ!」
山中を震わせる怒声が徐々に大きくなる。
速すぎだろ!
叫び声はもうすぐそこだ。まずいまずいまずい!
ちらりと見れば白髪を振り乱し真っ赤な目を吊り上げた怪物がだったっどと駆けている。
「あ、あいつをどっかへ押し流してくれ!」
二枚目のおふだを天に掲げれば、俺たちのすぐ後ろに出現した濁流が山姥を横から殴った。足をとられた怪物はそのまま連れ去られていく。
「こんなもん、山に食わしてやるわ!」
叫び声が耳に届くと同時に濁流は消え、足元がぬかるみに変化した。
俺も辰野さんも尻もちをつく。木に掴まってなんとか立ち上がったがとても走れたもんじゃない。
「なにこれ、聞いてないんだけど!」
「俺も知らねえよ! 敵、ぜってぇ強化されてんだろ!」
今度は俺たちが叫ぶ番だった。
読んでくださりありがとうございます!
更新が予定より遅れまして申し訳ございません。
次回「さんまいめ」は明日夕方の投稿となります。
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