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わらしべ はじまり

 ああ、どうにかして貧乏から抜け出したい。

 観音堂で祈っていると、頭の中に男とも女ともつかぬ神秘的な声が響いた。


「ここを出て初めに手にした物を大切にしなさい」


 これは観音様の声に違いない! ありがたや、ありがたや。

 俺は木彫りの観音様へ手を合わせ、額を床に打ち付けた。


 これで俺はひもじい暮らしから解放される。観音様のお告げに従って最初に手にした物を大切にしよう。普段は食いたくて仕方がない供え物の饅頭も先が見えればどうということはない。豊かになったらきっとここへ参ってもっと美味いもんをお供えしようと考えながら開け放しの観音堂を出る。

 浮かれたせいで段差を踏み外した俺は、うっかり前へこけてしまった。

 いてててて。


「……あ」


 右手に何かを掴んだ感触がある。恐る恐る見てみると、そこには一本の藁があった。


「藁かあ」


 観音様のお告げだ。藁は藁でもこれは特別な藁に違いない。

 そう思った俺は藁を持って通りへ向かった。真昼間から藁一本振り回して歩くなんざ恰好のつくもんじゃない。早く金持ちになりたいもんだ。


 ブゥンブゥン


「ちっ、ハエか。うっとおしい」


 ブゥンブゥン


 なんだよ、畜生。俺の周りをブンブン飛びやがって。

 テメエなんざこうしてやる。


「へへ、ざまみろ」


 俺はハエを藁の先に括り付けてやった。耳障りな音も消えて愉快なこった。

 ふんふんと鼻を鳴らしながら大股で歩いていると、少し先で赤ん坊がはちきれんばかりに泣いていた。あんなにギャアギャア言うんじゃ抱えてる女も一苦労だな。


 俺が横を通り過ぎると赤子はピタリと泣き止んだ。なんだなんだと思って見れば、ハエの重さに垂れた藁に夢中になっているようだ。


「もし、そこのお方」


 赤子を抱く女が声を掛けてきた。世話疲れか声に力はなく、やつれた頬に幾筋かの髪がかかっている。髪のまとめ方も適当なものだった。

 ははあ、俺の妻も色白だがこの女はさらに酷い。旦那はきちんと食わせてやってるのか?

 あれ、俺に妻なんていただろうか。


「よければそのおもちゃ、譲ってはいただけませんか」

「そうしてやりたいがこれは大事なもんだからなあ」


 この藁を大切にすれば俺は貧乏生活から抜け出せるんだ。ごねられたって手放すもんか。


「ではこのミカンと交換というのはどうでしょう」


 女が懐から出したのは濃いオレンジ色の艶やかな肌を晒す美味そうなミカンだった。

 たしかにコイツは上等だ。しかし観音様のお告げがある。


「そうだなあ……」

「ふ……ふ……」


 俺が女の手元を覗き込んだので赤ん坊から藁の()()()()が見えなくなったらしく、この我がまま坊主はまたぐずり始めた。慌てて女があやすが、顔はくしゃりと歪められている。

 仕方ないなあ。

 俺はこの女が憐れに思えて「いいよ」と交換を承諾した。女の顔がぱあと輝く。


「ありがとうございます」


 観音様だったらきっとこの親子を助けただろう。

 俺は内心で涙を流しながら二人と別れた。食べる気にもなれずにミカンを高く放りながら通りを行く。


 って、おいおい、道端で誰か倒れてるじゃないか。


「商人さん、大丈夫かい」

「ああ、喉が渇いて仕方ないんだ」


 商人は俺じゃお目にかかることもない上等な品物を売っているようだったが、これで商売下手なのか水がなくて苦しんでいるようだった。

 まあ近頃は雨が少なくてどこもかしこも干上がってるからなあ。


「じゃあこいつを食うといい」


 俺はミカンをくれてやった。商人は貪り食って目から涙を流している。

 貴重な水をそう流しちゃいけねえよ。


「あんたは命の恩人だ。ほら、これを持って行ってくれ。役に立つかもしれない」


 恩人? 俺が?

 貧乏人の俺が上等な商人から恩人呼ばわりたあ不思議なもんだ。

 それにしても「恩人」か。前にもそう呼ばれたことがあったような……。


 商人が差し出したのは無地だが手触りのいい反物だった。上品な練色だ。


「くれるってんなら貰うよ。ありがとな」


 商人がもう大丈夫だと言うので後ろ髪を引かれつつねぐらへ帰るため通りをまた歩き出す。

 それにしても奇妙な縁だ。観音様がくだすったとはいえ藁がミカンに変わって、今度はミカンが反物になった。


「こりゃまるで『わらしべ長者』だなあ」


 立ち止まる。

 そうだ、これ、『わらしべ長者』じゃないか。


 ついさっきまで『おむすびころりん』の世界に閉じ込められていたことを思い出す。脱出に成功したのか、それとも失敗してまた本に閉じ込められたのか。恐ろしくなって俺は体中を叩いて検分した。

 胸元にはあの変な巾着袋がぶら下がり、左腕には相変わらず世界観に馴染まないラブリーなブレスレットが嵌められている。どうやら一緒に本の間を超えて来たらしい。


 前を見遣ると侍が何やら家来に言いつけて走っていった。馬と共に残された家来はおたおたと困るばかりで頼りない。


 どう見たって物語が進行している。


 ひとまず置いていかれないようにしなくては。

 『おむすびころりん』と違って『わらしべ長者』は間の()()が重要なんだ。


「何かお困りですか」


 声を掛ければ家来風の男はパッと振り向いて俺を見、次いで腕の中の反物を見て叫んだ。


「ちょうどいい、あんた、その反物とこの馬を交換しちゃくれねえか。急がなきゃならねえのに馬がへばっちまってよ」

「もちろん」


 男は手綱を俺の手に握らせると反物を抱えて主人の後を追った。忙しい奴だな。

 ひょっとして()()()()()()()()()んだろうか。


「来たことないのにこの町のことを薄っすら知ってるんだよな」


 あるはずのない記憶が頭の中にあるというなんとも言えない気持ち悪さを抱えながら、ぜえぜえと喘ぐ馬に「すぐに水を飲ませてやるからな」と励ましの言葉を掛ける。

 こんなになるまで働かせるなんて、愛護団体が助走をつけて蹴りかかるレベルの非道だ。


 ぽてぽてと大人しく従う馬を水辺へ連れて行く。馬はごくごくと水を飲むと元気に嘶いた。

 そうか、うまかったか。よかったなあ。ここは穴場なんだ。俺は初めて来たけどな。


 馬を引いて歩きながら不思議なブレスレットを見る。

 たしか『おむすびころりん』の最後にこれが光って、気づいたら『わらしべ長者』が始まってたんだ。


――おそろい、あげる。


 脳内に幼い女の子の声が響く。とても愛らしくて聞き覚えのある声だ。一体誰の声だったか……。

 もう少しで思い出せそうだとブレスレットを凝視する。


――おにい、ぷえぜんと!


 思い出した、これをくれたのはまだ四歳の可愛い可愛い姪っ子だ!

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