あえてとびこむ すっとんとん
「ふざけんな!」
三つ目のおにぎりで聞こえた歌を思い出す。
――娘、楽しむ。話半ばで本が閉じれば、二度と出られぬ。
つまりあれか、この世界はやっぱり『おむすびころりん』の本の中で、これを読んで楽しんでるやつがいるってのか。んで、そいつが読み終わるまでに物語をきっちり終わらせないと俺は本の世界から出られなくなると。
「ふざけんな!」
再び空に吠えた。山々に木霊して輪唱のように響く。
俺をこんな目に遭わせてる犯人がどんな「娘」か知らないが、とにかくここに閉じ込められちゃまずい。詰む前に物語を進めなければ。
『おむすびころりん』はたしかこの後、お爺さんがネズミ達に接待されて土産片手に帰るんだ。
「……ここに落ちるのか」
両手を突いて覗き込む。
穴からはうっすらと楽しそうな笑い声が聞こえるが、暗闇が続くばかりで先に何があるのかも底までの深さもわからない。こうして見ているだけで腰が抜けそうだ。
「落下死もありえるのか?」
よくわからないネズミどもの歌に惑わされて飛び込むなんてあまりにも危険じゃないか。罠かもしれないし。このまま下山して信頼できそうな人を探した方が――
左腕のブレスレットがキラリと光った。巾着袋にはまったく見覚えがないがこの腕輪は誰かに貰った大切な物だったような気がする。そして俺はきっと、その「誰か」の下へ帰らねばならない。そんな予感が湧き上がる。
「くそ、行くしかないか」
俺はありったけの勇気を振り絞って、ちょっぴり腰が引けたまま穴へと踏み出した。
*
浮遊感に包まれたのはものの数秒で、俺はころころと坂道を転がり落ちる羽目になった。体のあちこちが痛い。やっぱりこれ、夢じゃないよな。舌を噛まないよう歯を食いしばり、手足を縮め、土埃に涙を流しながら重力に従う。
ドスン。
坂道は突如終わりを告げ、俺は背中から地面に投げ出された。頭をぶつけずに済んだのは不幸中の幸いか? それ以外は最悪だが。
放られた先は明るく広々とした空間だった。異物と急な光にズキズキと痛む目で見渡せば予想通りネズミが宴会を開いている。ご立派にも赤いチョッキを着てどんちゃん騒ぎの真っ最中だ。
「やあやあ、これは、おむすびをくだすったごおんじんじゃありませんか!」
中でも大柄で真っ白なネズミが進み出て口上を述べる。たしかにチューチューと鳴いているはずなのに俺の脳はその音を言葉として認識していた。頭がおかしくなりそうだ。
「せっかくおいでなすったんです。さあさ、こちらへ」
こんな状況を楽しめるなんて『おむすびころりん』のお爺さんはどうかしている。
俺はなんとか笑みを浮かべながら勧められた席へ着いた。ミニチュアのような料理や徳利が運ばれてくる。
「ささ、どうぞどうぞ」
「ありがたいけど遠慮させてもらいます。腹を空かせて帰らないと」
「そうですか……」
強引に口角を上げたせいで頬の筋肉がぴくぴくと痙攣している。
俺はブレスレットを摩りながらもう一度配膳されたものを見た。やはり食べる気にはなれない。
「そうだ、もてなしならさっきの歌が聞きたい。歌ってもらえますか」
「もちろんですとも!」
ネズミの表情がわかるだなんて少し前の自分が聞いたら一笑に付すだろうな。
そんなことを思いながら歌を聞く。十匹ほどのネズミがチューチューと節を付けて鳴く様はまさしく夢のようだ。夢なら夢でさっさと目覚めてくれればそれでいい。
くって すすめば とんとんと
ときが すすむよ とんとんと
はなし すすめて とんとんと
しまい みるため とんとんと
結末を思い出そうと頭をひねってもハッピーエンドだったことしか浮かんでこない。
『おむすびころりん』のお爺さんは何をして「めでたしめでたし」になったんだ?
三度目の歌には踊りが付いた。手拍子をしたら四度目には何やら打楽器を渡された。あと何回繰り返せば終わるのだろうか。時間制限があるとわかった今、もたもたしてはいられない。
「ああ、楽しいなあ。でも奥さんが家で寂しく待ってるかもしれないなあ」
わざとらしく聞かせれば、隣でやんややんやと囃し立てていたネズミは「なんと、それはいけません」と飛び上がり、赤チョッキ達に号令をかけた。チューチューと走り回って数匹で大小の木箱を運んでくる。
「ごおんじん、どうかおすきなほうをおもちかえりください」
「では小さい方を」
昔話で土産を持って帰るとなれば欲をかいてはいけないと相場が決まっている。
俺は迷わず答えて小さな箱を受け取った。両手に収まるサイズだが重さを感じる。
「おむすびのごおんはわすれません」
どうもこのリーダー格のネズミは涙ぐんでいるらしい。
今日初めて会った、それもたった三つおにぎりを転がした俺との別れをそこまで惜しむなんてよほど心が清いのか物語の都合に支配されているのか。俺はネズミに倣って寂しそうな顔を作った。
「こちらこそ、素敵なおもてなしをありがとう」
ネズミが「さようなら」と鳴く声に囲まれて、瞬き一つした次の瞬間、俺は家まで続く道の途中にぽつんと立っていた。耳の奥には洞窟内に響くネズミの合唱が残っている。
「これを、開ければいいのか」
手の中には朱色に塗られた小箱が確かにある。
俺はおっとりとした、しかし心なしかのっぺりしている女の下へ重い足を引きずった。
空の端は茜色に染まりつつある。俺は深呼吸を一つして「ただいま」と立てつけの悪い戸を開けた。
「おかえりなさい」
微笑む女の顔と手はやはり不自然に白い。とても野良仕事をする手とは思えない。
俺は物語の進行を妨げないよう精一杯の笑みを作った。
「今日は不思議なことがあったんだ」
囲炉裏の側に向かい合って正座する。これで合ってるよなと緊張しながら木箱を開ければ、中にはぎっしりと黄金色の小判が詰められていた。
一枚取り出して火にかざせばしっとりと揺れる光が壁に映る。おとぎ話の褒美としては定番の小判だが、こうして本物を前にするとその怪しい光に吸い込まれそうになる。
「まあ、これは一体」
「それが、山で親切なネズミ達が……」
目を丸くする仮の女房に教えてやる。外でガタリと音がした。
見なくてもわかる。昔話ではお馴染みの「欲張りな隣人」だろう。どうやらまだ物語は続いているらしい。俺は少し安堵した。
雑炊を辞して一足先に床へ入る。作り物のようなのっぺりした女だが、太い眉も優しげな垂れ目もぷっくりとした唇も、柔和な笑みの似合う整った顔立ちだ。囲炉裏の火に照らされてちろちろと揺れる。
あの女は今、俺の妻なのだ。
こんな状況だが緊張してしまうのは男の性ってやつだろう。
女がふうっと火を消した。
「あら、あなた、今日はお早いですね」
「んん、そう、だな」
考えてもみろ、おとぎ話だぞ。
ムフフな展開になんてなりっこない。
女が囲炉裏に火を入れて昨晩俺が残した雑炊を温める。意味不明な世界の登場人物でさえなかったらなあ。
瞬きのあいだに終わった夜に心の中でハンカチを振りつつ「ちょっと出てくる」と戸を引いた。遠くには誰かが山へ走っていく後ろ姿が見える。あれが昨日の欲張り爺さんに違いない。
また唐突に場面が変わった。どうも物語の主人公に関係のないところはスキップされるらしい。
「ひええ、これからは質素に生きます」
今度はさっきの爺さんが泥だらけになって帰ってきた。少ないおにぎりで宝をせびるんだか大きな木箱を選ぶんだかしたんだろう。
まったく、余所者の俺でも選択を間違えなかったというのにおとぎ話の住人がそれじゃあ同じような結末の話が世に溢れるわけだ。
視界の端にピンク色が映ったので目を遣ればブレスレットが、いや、ブレスレットの飾りである欠けたハートが光っている。穴の側で見たときはちょうど縦に割れていたが、いつの間にかハートの先端部分が修復されていた。
桃色の光が段々と強まる。
「あなた、気をつけていってらっしゃいな」
あまりに眩しくて、俺はついに目を瞑った。
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次話は本日17時半に投稿予定です。
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