第四話 不可視の穴
「その星は……貴方の持ち物ですか? タラオン教の守護星ですね」
「守護星……? これは、あの……ポケットに入ってたんです」
「なるほど。と、すると……」
カドルホスさんは首をかしげながら言った。
「貴方は物見の洞に祈りを捧げに来たのかもしれませんね」
水差しを机に置き、カドルホスさんは俺から席を一つあけて椅子に座った。
グビラさんは俺の足元にしゃがみ込み、
「ちょいと失礼しますよ」
そう言って俺の足を洗い始めた。熱い湯が心地いいが、洗う手が少しくすぐったい。裸足が汚れてるから洗ってくれてるらしい。
「見せてもらえますか、その守護星」
「はい、どうぞ」
足を洗われるまま、俺はさっき作った星をカドルホスさんに渡す。どうも落ち着かない。
「この大きさは……持ち歩くには大きいですね。表面はとてもきれいでよく磨かれているし、リングも細い。上等な細工です。それに重いかな? 真鍮ではなく鉛……金という事はないでしょうが……貴方は身分の高い人だったのかもしれませんね。お返しします」
さっき適当に作ったんです、とはとても言えない。しかしごまかせてよかった。
「もう一度さっきの場所に行ってみますかね? 何か手がかりが落ちているかもしれません」
俺の足を洗いながらグビラさんが言った。右足を洗って拭き終えて、今度は左足だ。
「そうですね。靴も……木靴ならどこかにあったのではないですか? ちょうどいい大きさであればいいのですが」
「そうですね。物置にあったと思います。ちょっと見てきます。……よし、と。これで綺麗になった」
「ありがとうございます……」
「なんのなんの。しかし柔らかい足ですな。まず農民ではないでしょうな。一体リンタールはどこの人なんだろう……」
グビラさんは呟きながら湯桶と一緒に部屋を出ていった。
「繰り返しになりますが、自分の名前以外は何も覚えていないのですか?」
教師が幼い子供に言うような優しい口調で、カドルホスさんが聞いてきた。
「はい。名前以外は何も……ただ……ジャパンという言葉は覚えています。知っていますか?」
「ジャパン? ジャパン……聞いたことがないですね? 人の名前ですか?」
一応聞いてみたが駄目だな。
「多分場所の名前だと思います。他には……覚えていません」
「となると、貴方の持ち物とその服装から探してみるしかありませんね。その服は……普段着ですか? 正装ですか?」
ジャージに正装はないよな。大体着古したよれよれだし。
「普段着のような気がします」
「他に持ち物は? ポケットに他に入っていませんか?」
「他には……」
一応探してみるが何もない。綿くずだけだ。
「無いですね」
「ふむ……あとは貴方が倒れていた場所を探すしかありませんね。氏素性を示す物が見つかればよいのですが」
「はい、そうですね」
といいつつ罪悪感が募る。探したって見つかるわけがない。そもそも俺が倒れていたのはあの黒い空間なのだから。
だが、あの黒い空間はどうだろうか。洞窟の奥に続くあの空間を見てもらえば、司祭なら何か知っているかもしれない。物見の洞と言っていたし、何かの神様の力とか、そういうことが分かるかもしれない。
「リンタール、ありましたよ。木靴!」
グビラさんが木靴を掲げて入ってくる。木靴? 木の靴? そんなものがあるのか。
「足が入るかな? 結構大きめなんだけれど」
足元に置かれた木靴に足を入れてみる。ちょっと大きいが、重いスリッパみたいな感じで履けなくはない。すごい厚底だし感触も堅い。
グビラさんとカドルホスさんは普通の皮の靴を履いているが、この木靴は来客用なのだろうか。あるいはお金がない人が履くものなのか。
「割と大丈夫そうです。歩けます」
カポカポとその場で足踏みをしてみる。なんだか自分がロボットになった気分だ。
「では早速ですが、倒れていた場所に行ってみますか」
「はい、分かりました」
グビラさんが戸を開けてくれて、俺とカドルホスさんは部屋を出た。二人が先に歩き、俺は慣れない靴で後をついていった。これ、ちょっと動くだけならいいけど、ずっと歩いてたら絶対血豆ができる。しかし裸足になるのも申し訳ないので、我慢することにした。大した距離でもない。
「リンタール、この茂みの中か? あんたが倒れてたのは?」
「いや、あれは起きた後に入ったんです。最初は……この洞窟の中に倒れてました。あの一番奥の、穴の中」
「奥の穴?」
カドルホスさんとグビラさんが顔を見合わせる。
「この洞窟はすぐそこで行き止まりです。穴なんて……誰か掘ったのかな」
「えっ。穴が……ありましたけど」
俺は物見の洞に入る。奥に進むにつれ段々狭くなって、一番奥は黒いあの空間に続いている。
「ほら、ちゃんと穴があるじゃないですか」
「穴……? どれですか?」
二人が覗き込むが、どうも気づいていないようだ。どう考えてもおかしい。それとも言葉がうまく伝わっていないのだろうか?
「この……この奥ですよ! ほら、ここ。暗くなってるでしょ?」
身を乗り出すようにして、穴に肩くらいまで腕を入れる。黒い空間に入るとどうも途端に暗くなるらしく、この距離でも腕があまり見えないほどだ。
「は……」
「なん……じゃ……」
二人とも口を開けたまま止まってしまった。
「穴が……あるでしょ? なんで見えないんだろ?」
何か特殊な魔法でもかかっているのだろうか?
「リンタール……お前、腕が……くっついてるのか?」
グビラさんが両目を見開いている。しかし変なことを聞くな。
「腕はついてますよ。ほら」
腕を元気に振ってみる。
「私たちは今、貴方の腕が岩の中に……入るのを見ました。一体どういう……」
カドルホスさんは驚きを通り越して、白い顔がさらに白くなっていた。
「岩の中に……えっ? そういうことか」
この二人にはこの黒い空間は見えず、普通の岩肌に見えているようだ。だから黒い空間に腕を突っ込んだのが、岩に突っ込んだように見えているらしい。
「……ためしに、二人で岩に触ってもらっていいですか?」
「えっ……グビラ、お願いします」
「ええっ……そんな……ええ?」
と言いつつもグビラさんは恐る恐る岩肌に手を触れようとする。その様子を、カドルホスさんは口を手で覆い心配そうな目で見ていた。
「ほぉぉ……どうなってるの~……」
グビラさんの手が岩肌に触れる。しかし黒い空間には入らないようだ。押しているが、境界の辺りで止まっている。やはりか。
「グビラさん、そのままで」
「ひょ?!」
グビラさんの手の隣に俺の手を突っ込む。何の抵抗もなく入っていく。
「何なんじゃこれはぁ……」
グビラさんがおののいて尻餅をつく。
「ちょっと待っててください」
俺はそのまま黒い空間に入り込む。平面はまだすぐそこにあって、乗ることができた。
振り返ると二人がまた口を開けて止まっていた。
内部の黒い空間はさっきのままだった。カーソルも呼ぶと飛んでくる。下の方にはぼんやりと、さっき出したトーラスとかがそのままになっているのが見える。
この空間も現実だ。しかし俺にしか知覚できず、他の人は入り込むこともできない。いわば俺のための空間だ。しかし目的が分からない。まるでチュートリアルのために用意された空間のようだ。
神がいて、ここで練習しなさいとか言ったのなら分かる。しかし放置だ。自分で勝手にしろという事か? 一体何が目的なんだ?
これ以上ここにいてもしょうがない。外の二人が卒倒する前に外に戻ろう。
「ひゃあああ!」
黒い空間から戻ると、二人は仲良く一緒に尻餅をついた。
「はぁ……岩の中から……出たり入ったり……どうなっとるんじゃ……」
「こ、こんなことが起きるなんて、こ、これは……神の御業なのですか」
神か。いるのなら見てみたいものだ。立方体を投げつけてやる。
「本当のことを言います。俺はこの洞窟の先にある、二人には見えない黒い空間に倒れていたんです。そして出てきて、グビラさんに会ったんです」
「そう……だったの?」
「はい。そして俺には……物を生み出す力があります」
「物を生み出す力?」
カドルホスさんが目を白黒させる。
「二分くらいちょっと待っててください。リンゴを出します」
「リンゴ?」
俺はさっき作ったリンゴを同じ工程で作る。一度作ったから速い。形を整えて、色を付けて、これで完成だ。レンダリング。
俺の手の中にリンゴが落ちてきた。
「……は? リンゴが……出てきた……!」
「これは……!」
カドルホスさんが立ち上がり、震える手で俺の両肩をつかむ。
「貴方は……ヴォータル神のみ使いに間違いありません……」
カドルホスさんは蒼白な顔でそう言った。絞り出されたその声には、何か言い知れぬ雰囲気があった。
ヴォータル神? それが、俺をこの世界に導いた奴の名前なのか?