57黒猫に待ち伏せされました
夜中に、家の前まで帰宅すると、暗闇の中に光る二つの瞳が私を待ち受けていた。
「にゃー」
鳴き声がして、初めてその瞳の持ち主が猫であることがわかった。
「ええと、こんなところで待ち伏せする猫なんて、普通いませんよね。だとすると、あなたは車坂?ですか」
「にゃーにゃー」
私の言葉を肯定するように猫が鳴き声を発する。暗闇にすっかり溶け込んでいるところを見ると、黒猫のようだ。
こんな時間に普通の黒猫が私に家の前で待ち伏せしているはずがない。黒猫の知り合いなどいないので、間違いなく車坂が変身してこの場で私を待っていたのだろう。どんな用事か気になるが、家の前で話し込んでいるわけにもいかず、とりあえず鞄から鍵を取り出し、玄関のドアのカギを開けて家の中に入った。私の後を当然のように黒猫がついてきた。
「ただいま戻りました」
家の中に入り、靴を脱いで上がると、パタパタと音がして、私の家の居候が出迎えてくれた。
「おかえりなさい。おや、黒猫がいますけど、こんな夜更けに失礼な猫ですね」
「全くだ。最近の野良猫はしつけがなっていないな。蒼紗、そんな無礼猫、外に放り出してやれ。何、どうせ野良猫だから、一日外に締め出しておいても死にはしない」
私の後ろの存在に気付いた二人は、途端に顔をしかめ、失礼なことを言っている。彼らはこの猫の正体を知っていて、あえて言っているのだから性質が悪い。黒猫を見ると、二人の言葉にシャーと毛を逆立てて威嚇している。
「ちょっと、この黒猫が車坂かもわからないのに、そんなこと言っていてはダメですよ。それにしても、あなたはどうしてこんな夜中に私を待っているみたいに玄関に座り込んでいたの?」
玄関に上がって来ようとしたので、慌てて足を拭くタオルを持ってきてごしごしと拭いてやる。タオルで足を拭かれてもおとなしくしている黒猫。手を動かしながらも、猫と視線を合わせて質問する。
「にゃー」
『とんだ茶番ですね。私が車坂だとわかってそのような発言をしているのだとしたら、相当嫌な奴です。いや、最初からわかってしましたけど、これだから下等な動物風情が』
突然、猫の鳴き声が人間の声に変化した。頭の中に響き渡る声には心当たりがある。予想通りの相手だった。
「やっぱりあなたは車坂だったんですね」
『夜中に玄関前で律儀に待っている黒猫などおりません。それで、私がここに来た理由ですけど』
「ふああ」
黒猫が車坂だと確定したところで、私は眠気に耐え切れず、あくびが出てしまった。
「こやつは、お主のせいで忙しく働かされておったのだ。少しは人間の身も考えたらどうだ。人間はお前たちにとって、仕事道具みたいなものだろう?大切にしようとは思わないのか?」
『そういうあなたこそ、祀られていなければ存在できないではないですか。人間を大切にすべきはあなた方の方では?」
九尾と車坂が互いにけん制し合って睨み合う。ただし、片方は狐の耳と尻尾を生やしたケモミミ美少年で、もう片方は黒猫だ。睨み合ったところで、緊迫した感じには見えない。
「もう、人間を大切にするのは当たり前のことです。どうでもいいことで喧嘩しないでください。それで、用事は何ですか?」
不毛な争いを止めたのは、翼君だった。用事と聞いて、車坂はようやく本来の目的を思い出したようだ。ゴホンと咳ばらいをする音が脳内に響き、話が再開される。
「私は今、とても気が立っていますので、話はまた明日にしましょう。今すぐに話す必要はないのですが、あなたたちの耳に入れておいた方がいい情報を持ってきました。朔夜さんは、明日、大学の講義はありますか?」
「明日は土曜日で大学は休みですよ」
今日はもう、塾の仕事でへとへとなので、正直、車坂の申し出はありがたかった。こちらからも、犬史君が塾を辞めるという話をしなければならない。私は九尾や翼君、車坂に断りを入れて、風呂に入り、先に寝ることにした。
私が風呂から出てリビングで髪を乾かしている間も、彼らは何やら真剣に話し合っていた。ドライヤーの音で彼らの会話が聞こえないので、少し風量を下げて耳を澄ます。
「それは災難だったな。まあ、犯人が分かっているのなら、彼らを掴ませて真相を吐かせればいいだけだ」
「僕も協力しますよ。だって、そのせいで、かなりの迷惑をこうむったのは間違いないですから」
「仕方ない。出所があそことあれば、われも協力するしかあるまい」
「にゃーにゃー」
何やら不穏な会話が聞こえてきた。しかし、車坂はいまだに黒猫姿だったため、九尾と翼君の脳内に直接話しかけているのだろう。二人の会話に黒猫が相槌を打っているように見えた。そのため、不穏とはいえ、緊張感に欠ける会話だった。私は二階の自室に向かい、部屋に入るとすぐにベッドにダイブし、そのまま寝てしまった。
「猫がいる……」
次の日、ぐっすり寝て疲れが取れた私の顔の上にあったのは、可愛らしく首をかしげている黒猫だった。
『勝手に女性の私室に入るのは気が引けたのですが、あなたの家の居候たちと一緒に過ごすのは嫌だったので、この部屋で一晩過ごさせていただきました』
頭の中に聞き覚えのある成人男性の低い声が寝起きの頭に響き渡る。
「ええと」
ようやく頭が正常に働きだし、徐々に車坂の言っていることが頭に入ってくる。念のため、私は事実確認をすることにした。確認相手はもちろん、私の部屋にいる黒猫である。
「黒猫のままで、この部屋でお過ごしになられたのですよね?」
『当たり前です。そもそも、着替えを忘れてしまったので、この家で僕が元の姿に戻ることはありません』
心外だと言わんばかりに黒猫が目を見開き、力説する。頭の中には車坂の声が聞こえてくるが、見た目だけは黒猫なので、猫が威嚇しているようにしか見えなかった。
「トントン」
「今、起きたところです。ちょっと待ってください。車坂も、少しの間、部屋の外で待っていてもらえますか。ベッドにいつまでもいるわけにもいかないので、一度、着替えます」
『わかりました』
私の言葉に素直に従い、車坂は部屋のドアの前まで歩いていくと、ドアノブに向かってジャンプして、その重みでドアを開けた。
器用に開けるものだと感心してみているうちに、ドアの開いた隙間からするりと黒猫は出ていった。それを見送り、私は急いでドアを閉めて、パジャマから半そで短パンの私服に着替え、気休めばかりに寝癖がはねていないか髪を触って確認する。
一晩寝たら、だいぶ疲れがとれた気がする。今日は、車坂の話を聞かなくてはならない。死神がもたらす情報だ。信用できるかわからないが、きっと、この町で起きていることを知るための手掛かりにはなるだろう。
パンと一度両頬を軽くたたき、気合を入れて、私は部屋を出た。部屋を出る際に、カーテンを開けていなかったことに気付いた私は、今日の天気を確認するために、カーテンを開けた。
「ザーザー」
外は大雨だった。私が起きたときにはまだ雨の音はしていなかったはずだ。今日は雨の予報だっただろうか。今日は特に外出する用事もなかったので、大雨だからといって特に気分を害することなく、今度こそ私は自室を出て、九尾たちが待っているであろう、一階のリビングに向かった。
 




