55いつもの日常に戻ると思っていましたが
鬼崎さんが妙な雰囲気を壊してくれたおかげで、私たちは正気に戻り、今後の話を少ししてから解散となった。ジャスミンと綾崎さん、鬼崎さん、雨水君はそれぞれの家に帰り、家には九尾と翼君、私だけが残った。
「今日はいろいろ大変な日でしたね。今日は早めに休んだ方がよさそうです」
「確かに人間には刺激が多い一日となったな」
全員が帰り、ふと私は思い出したように二人に疑問を投げかける。
「あ、あの、結局、狼貴君は本当に成仏してしまったのでしょうか?」
ごたごたが続いて、すっかり忘れていた。彼がいなくても、世の中は普通に進んでいく。もともとすでに瀧によって命を奪われた存在であるが、私にとっては、一緒に同じ家で過ごしてきた家族同然の仲だと私は思っていた。
「アレ?言っていませんでしたか?九尾、狼貴は別に成仏などしていませんよね。僕、すでにあれから彼に会っていますけど」
「まあ、成仏しかけたのは確かだから、今頃、面倒な死神どもからの攻撃を逃れるために奔走しているころだ。ほとぼりが冷めたら戻ってくる。なんせ、あいつもわれの眷属の一人だからな」
「この世からいなくなったのでは」
「眷属の誓いを交わした奴に、安らかな成仏など存在しないし、勝手に死ぬことは許されない。まあ、自分の弟みたいな存在としっかりと別れを告げることができて、この世に未練がなくなったから、ふわりと魂が成仏しかけたのだろう」
じっと見つめる九尾に居心地悪く視線を逸らす。とはいえ、九尾には私の考えはお見通しなので、わかっていて私に言わせたいのだろう。
「私は、いきなり狼貴君がいなくなって驚いたし、悲しかったんですよ!だから、生きているというのなら、さっさと呼び寄せてください!今後、家主の許可なくいなくなるのは禁止です。彼の主でもある九尾が何とか呼び戻してください!」
自分の本音を九尾に伝えると、面白いことを聞いたと今度はにやにやこちらを見て笑い出す。何か、悪だくみを考えていそうな顔である。翼君はと言うと、名案とばかりに九尾に私の案を勧めていた。
「僕も彼がいなくて、九尾の相手を僕だけがしているのは、疲れました。蒼紗さんも寂しがっているので、さっさと呼び戻してはどうでしょうか?仮にも僕たちの主であるなら、余裕でできますよね」
「余裕も何も、別にわれが言わなくても、用事が済んだら帰ってくる。われが主である限り、契約は絶対で。お前たちの帰る場所はわれの元のみだ。それに、翼はわかっていると思うが、あいつはわれが与えた仕事をしている最中だ。戻せと言われて、戻せるものか」
「うっ。ですが、あんなものは、狼貴がやるべき仕事ではありません。死神と交渉するなど……」
「死神?いったいどういうことですか?」
九尾と翼君はどうやら、狼貴君が今何をしているのか知っているらしい。知っているというか、九尾が頼んだ仕事を彼は行っているため、家に帰って来ないようだ。死神という単語を聞いてしまった以上、聞かなかったふりはできない。私にとって、彼らの存在はすでに、この世に存在するものという認識となっている。
翼君はうっかり、秘密にしていたことを漏らしてしまったようで、慌てて口元を覆っているが、時すでに遅し。
「テレビでもニュースになっている、死体が動くとかいう事件についてだ。われたちの家にやってくる、あの死神から情報を得るだけでは不十分だと思い、他の死神に状況を聞くよう命じておいた。ちょうどいいだろう、狼貴は成仏しかけたから、奴らの恰好の餌食だ」
「僕は危険が伴うから止めたんですよ。ですが、狼貴の奴、蒼紗さんの家にお世話になる身だから、心配事はさっさと排除したいと言い出して」
得意げに話す九尾だが、翼君はこの件に反対していたようだ。止められませんでした、と悲しそうにつぶやく翼君に、かける言葉が見つからない。
「心配するでない。もしものことがあったら、われの名を呼ぶように伝えている。われと翼、狼貴は一蓮托生。契約で結ばれている。名を呼ばれれば助けに行くことになっている」
話はこれで終わりとなった。今日はもう遅いので、私たちは風呂に入り、寝ることにした。狼貴君は成仏せずに生きていると知ることができた私は、心配事が一つ減り、疲れも相まって、ベッドに横になると、すぐに眠気に襲われ、寝てしまった。
鬼崎さんの家に行ったところで、大学の授業が休みになるわけではない。次の日の朝、私は重い腰を上げ、大学に行く用意を始めた。部屋の窓からは、太陽が覗いていて、昨日の雨が嘘のようだった。まあ、昨日の雨は雨水君の力の生徒も言えるが。
「おはよう、蒼紗。昨日の今日で元気がないのはわかるけど、その格好はだいぶカラ元気が回っているわよ」
「おはようございます!蒼紗さん!どうしたんですか、その格好!」
大学に着くと、いつものようにジャスミンと綾崎さんと遭遇して、お互いに挨拶を交わす。今日の服装に驚いた二人に、私は苦笑する。
「なんとなくですよ。どうにも、落ち着かなくて。少し、精神統一をした方がいいと思ったんです。安心してください。別に髪を剃っているわけではなくて、頭巾で隠しているだけですから」
頭をすっぽりと覆った頭巾で髪が見えなくなっているが、しっかりと髪を中に入れているだけで、髪型はいじっていない。頭巾に袈裟を着て尼の格好である。
私の服装に驚かれたものの、それ以外に特に会話はなく、私たちは授業に向かい、今日も大学の授業を時間割通りに受講するのだった。今日は駒沢の授業は入っておらず、私たちは彼に会うことなく大学を後にした。
「おはようございます」
「おはようございます。本部から派遣された渡辺です」
大学の授業が終わり、私は塾に向かっていた。GW中は塾が休みで、今日がGW明け初めての仕事である。今日は翼君とは一緒ではないので、塾には一人で向かった。塾にはすでに人がいて、私を出迎えてくれた。
「車坂、先生は今日から休み、でしたよね?」
「はい。5月からと聞いておりまして。代わりに私がこの塾をしばらく見ることになります。よろしくお願いします」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
塾に来るまで、すっかり車坂が休みを取っていたことを忘れていた。私は慌てて、新しく車坂の代わりに来た渡辺という女性に挨拶した。
「車坂先生とは、どんな感じでしたか?彼、定期報告はきちんとくれるのですが、あまり個人的なやり取りはなかったもので、いつも機械的というか、感情がないというか。彼のことはよくわからないのです」
生徒が来る前の仕事、塾の掃除をしたり、カリキュラムの確認作業を行ったりしていると、手を動かしながら、彼女が私に質問する。
「私も車坂、先生とは一緒に働いているのに、彼のことはよく知りません。でも、気にすることはないですよ。仕事はしっかりとこなしているのなら、問題はないでしょう?」
まさか、『彼は人外の存在「死神」であるから、わからなくて当然だ』とは言えず、無難に答えておく。
「それもそうですよね。すいません。なんだか、朔夜先生って、不思議な雰囲気を持っていますよね。なんていうか、人生の先輩?みたいな感じがします!あれ、でも、朔夜先生って、私より年下ですよね」
渡辺という女性は、この塾に正社員として入り、5年ほど塾の講師として各地の塾を回り、今は本部で仕事をしているらしい。現在28歳ほどの若い社員だ。そんな彼女に人生の先輩と言われてしまった。精神年齢的には間違ってはいないが、私の今の外見は大学生の時と変わっていないはずだ。なんだか複雑な気持ちである。
「あははは。私は今年で大学二年ですよ。今年やっと20歳ですけど、私って老けて見えるってことですか?」
「すいません。変なことを言ってしまいましたね。女性に対して年齢のことを言うのは失礼でした。今のはなしで。忘れてください」
失言したと気づいた彼女は、顔を真っ青に死ながら私に謝ってきた。私もそこまで子供ではない、そもそも彼女よりも長く生きているので、軽くあしらうだけにとどめた。
「女性の前で年齢のことは控えた方がいいですよ。これは年齢関係なく、大事なことです」
その後は少々、気まずい位雰囲気になってしまったが、二人で塾に生徒を迎える準備を黙々と進めていった。
 




