45深くかかわらないことです
「ぐうう」
話をしていたら、急にお腹が減ってきた。そういえば、彼女の家に行って、気を失ってから、どれくらい経ったのだろうか。ベッドわきに置かれた目覚まし時計を確認すると、すでにお昼の時間を過ぎ、夕方になっていた。
どうりでお腹が空腹を訴えているわけだ。昼食を食べていないなら当然である。窓の外を見ると、薄暗くなり始めている。私は結構な時間、寝てしまっていたようだ。
「これは、ええと、そう、昼食をとっていないから、当然の生理現象です!」
空腹の音を正当化するため、言い訳をするが、彼らは特に私の空腹の音を気にしていなかった。
「われはまだ何も言っておらん。翼も何も口に出していない」
「トントン」
ちょうどいいタイミングで、私の部屋がノックされた。これ幸いにとドアに向かって返事をする。
「起きていますから、入ってもいいですよ」
ガチャリと無言で部屋に入ってきたのは、意外にも狼貴君一人だけだった。てっきり、犬史君と二人で部屋に来たのだと思っていた。狼貴君は、話は済んだとばかりに、九尾に犬史君への対処を口にする。
「話は済んだ。あいつには、オレが死んだという記憶を上書きしてくれ」
「上書き?お前に関する記憶を消すんではないのか?」
九尾の残酷な問いに、狼貴君は首を振って否定した。
「オレの記憶は持っていたいと泣かれてしまった。忘れるのは嫌だと駄々をこねられて。それに」
「人の記憶に残るっていいよね」
狼貴君の言葉を遮り、翼君が寂しそうにつぶやいた。翼君は元カノが持っている翼君の記憶をすべて消去してしまった。大事な人から自分の記憶がなくなる悲しさや寂しさがわかるからこその発言だろう。
「ふむ。そういう考えもあるか。われは、お前が我とともに生きる覚悟を決めたのなら、何でもいい。では、面倒事はさっさと終わらせることにしよう」
「オレは、この部屋にいる。九尾たちがやってくれて構わない。オレは立ち会わない」
「それもそうだね。じゃあ、僕と九尾で行ってくるよ」
狼貴君の願いを果たすため、二人は私の部屋から出ていこうとする。自らの手で記憶を改ざんするのは気が引けるのか、その場に居合わせたくないのか、狼貴君は私の部屋に残るようだ。
「私は」
『この部屋で待つこと』
私も犬史君の元に向かった方がいいのか尋ねようとしたが、三人に却下されてしまい、おとなしく狼貴君と自分の部屋で待つことになった。
「それで、お前はどうだったんだ?」
九尾たちは部屋を出ていき、部屋に残されたのは、私と狼貴君の二人。そういえば、彼とは二人きりでゆっくりと話す機会がなかった。
「どうだったとは。ええと」
「お前は年を取らないと言っていた。今までどうやって親しい奴と別れを告げて、それを乗り越えてきた?」
狼貴君がじっと私の目を見ながら問いかける。私の場合と言われても、どう答えたらいいかわからない。すでに別れは数えきれないほど経験してきた。それら一つ一つを思い出そうとしても、頭の中に靄がかかったようになり、明確に思い出すことができない。
「深くかかわらないことです」
今まさに別れを告げようとしている人間に伝える言葉ではないが、それでも私の意見を聞きたいのなら、聞いてもらうまで。人それぞれ考え方、生き方は異なるのだ。
「深くかかわらないことにしました。まあ、家族に対してはそんなことを言っていられないので、彼らが亡くなり、葬式にも参加できなかったことは心残りでもあります。でも、それは仕方のないことだと割り切ることにしました。だって、私が葬式に参加したとして、どうして彼らの娘だといえるでしょう?」
私の話に口をはさむことなく、狼貴君は真剣に耳を傾けている。私はそのまま自分の思いを語ることにした。
「両親が亡くなった時は、とても悲しかったです。ですが、それも今となっては一つの悲しい思い出としか残っていない。人生そんなものですよ。何せ、私はなんの因果か、この姿で永遠を生きなければならないようですから」
ふうと一つ深呼吸する。ここからが、私が心平穏に生きていくために心がけていたことだ。
「両親が亡くなり、私は心に大きな穴が開いてしまいました。もともと、感情が欠落しているといわれていた私でしたが、それでも今よりは昔の方が感情豊かだったと記憶しています。私はそう、人間と深くかかわらないことで、別れの時の痛みを軽減させてきました」
「それが、お前の別れの対処法か。寂しいものだな」
「そうでしょうか?狼貴君はまだ、生きている年数が少ないからそう言えるのだと思います。これから、あなたは悠久の時を彼らと生きていくことになる。そうなったとき、私と同じにならないといえますか?」
「わからないな。だが、そうだな。一つ、お前とは決定的に違う点がある。それは」
『終わったぞ。狼貴』
ガチャリとノックもせずに入ってきたのは、九尾だった。翼君が後ろから申し訳なさそうに立っている。狼貴君は彼らを一瞥すると、そのまま私に言葉を続ける。
「それは、オレは一人ではないということで、お前もこれからはひとりで生きていく必要はなくなったことだ。だいぶ違うだろう?」
私に向けて放たれたその言葉は、彼の吹っ切れたような表情で、すぐには理解できなかった。彼は、いつも不機嫌そうな顔をしていたが、今はとてもきれいな笑みを浮かべている。
「ああ、なんだかとても気分がいい。身体も軽いようだ。今ならどこへでも行けそうな気がする」
どうにも、死亡フラグ的なことを言い放つ狼貴君の身体は、なぜかどんどん透明になり、姿がどんどん薄くなる。
『狼貴(君)!』
そして、数分後、部屋には狼貴君の姿は跡形もなくなってしまった。
 




