15翼君の元同棲相手との再会
「私、翼のこと、好きだったのよ。死んだと思ってあきらめたのに、どうしてまだ、生きてるの!」
「僕は……」
「うるさい。翼の声で悲しそうにしないで。話さないで。私は、あなたのいない世界で生きていくことにやっと決心したの。それなのに、どうして、いまさら、私の目の前に現れるの!」
二人の男女が言い争いをしていた。一人は、私がいつも目にしている男性で、もう一人の女性も、私と直接面識はないが、見たことがある女性だった。
「話を聞いてよ。○○。僕は、確かにもう、死んでいるんだ。でも、生きたいと願ったら、叶えてくれる神様に出会った。今の僕は、宇佐美翼ではない。ただの翼なんだ。僕はもう、君に会うつもりはなかった。僕の方からは絶対に会わないつもりだった。それなのに、僕を追いかけてきたのは君の方だ!」
「そんなことを言って欲しいわけじゃない!私は、もうあなたのことを忘れて、新しい男性との道を歩み始めていたところなの。結婚の話も出てきて、幸せ絶頂期というところで!」
「結婚、ね。おめでとう。結婚式に出ることは叶わないけど、お祝いの言葉を述べることは許して欲しい」
「いやいやいやいやよ。私はもう、あなたのことは忘れた。あなたは実体のない亡霊。そう、亡霊なの。だから……」
女性は、突然、言葉を止めた。がくりと身体から力が抜けて、その場に崩れ落ちる。翼君は、突然倒れこんだ女性を心配して、女性のそばに駆け寄る。
「そう、昔から、あなたは、倒れこんだ女性を放っておけない、優しい人だったわね」
「○○!」
倒れこんでいた女性は、翼君が腕を貸そうとした瞬間、がしっと翼君の腕をつかんだ。力を込めて掴んでいるため、手の爪が翼君の腕に食い込んでいる。
「捕まえた。そう、最初からこうしておけば良かった。やっぱり、私はあなたを忘れることはできない。それなら、一緒になるのは、この方法しかないでしょう?」
女性は、正気を失った、濁った瞳をしていた。その瞳が翼君を捉え、にたあと笑い出す。きっと、普段は美人で可愛らしいのだろうが、今はただ、口が裂けたように笑う彼女に、恐怖しか覚えなかった。
「は、なせ。おまえ、手に何をもって」
「これ?あなたと一緒になるための大事なアイテムよ。傷みは与えないわ。一気に殺ってあげる。でも、安心して。私もすぐ、追いかけるから」
女性の手には、きらりと光る何かがあった。
「翼君!あぶない!」
女性は、手に持った凶器、刃渡り20センチほどの包丁を翼君の腹に突き刺そうとした。腕を掴まれているため、後ろに下がれない翼君は絶体絶命のピンチだった。
『やれやれ。翼、お前は、そこの女との縁を切ったと言っていたではないか。まったく、世話の焼ける奴だ』
包丁が翼君の腹を突き刺さる。私は声を上げたが、その場から動くことができなかった。金縛りにでもあったかのように、身体が思うように動かせず、その場で翼君が刺されるところを見守るしかできないのか。そう思っていたら、のんきな声が頭上から聞こえた。
『世話の焼けるのは、お主も同じか。退屈しないでちょうどいいが、ほどほどにしろよ』
「あれ、僕、さされていな、い」
翼君がどうなったのか。気になって様子を見ると、女性が刺したと思われる腹に、包丁は刺さっていなかった。
「か、からだが」
『こやつの昔の恋人だかなんだか知らないが、こいつは、今はわれのものだ。われのものを傷つけるというのなら、相当な覚悟を持っているのだろうな』
声の主は、九尾だった。ケモミミ少年姿の狐の神様が、翼君の窮地を救ったのだ。女性は、包丁を翼君に向けたまま、動けないでいた。いや、動きたくても動けないのだろう。九尾の冷たい視線に身動きが取れないようだ。もしかしたら、九尾が動けないよう、力を使っているのかもしれない。
「それで、翼。これは一体どういうことなのだ。われがやってこなくても、お主は死ぬことはないだろうが」
「ええと、話せば長くなるのですが……」
私は、自分が今いる場所がどこか、周囲を見渡し確認する。見たことのある景色に、私は今、自分の家の二階の部屋から翼君たちを見下ろしていることがわかった。ちょうど私の家の前で、二人は騒動を起こしていた。そこに、九尾が帰ってきて、翼君は大怪我をせずに済んだらしい。
翼君が話している声が聞こえてくるが、なんだか急に眠たくなってきた。
「大丈夫か?」
眠たい頭の中に聞こえたのは、居候である、三人目の少年だった。狼の耳と尻尾が付いたケモミミ美少年の姿を見届けると、私は意識を失った。
「ジリジリジリ」
目覚ましの音で目が覚める。目覚まし時計の音を止めて、辺りを見渡す。私は、自分の部屋のベッドで寝ていた。
「夢だったのか」
私には普通の人間とは違う点がいくつかある。そのうちの一つに、予知夢を見るということがある。一昨年まで、つまり昨年、大学に入るまでは、夢に見たことがたまに現実になるなと軽く思っていた。しかし、九尾たちと出会い、それは予知夢だと知らされた。私が見た夢は現実になるということだ。
つまり、今回私が見た夢が、近々現実に起こるということだ。
「近い将来、翼君が女性に包丁で刺されるという、物騒な事件が……」
想像すると、ぞっとする。人間ではないとはいえ、身内のような存在が包丁で刺されて気持ちが良いわけがない。夢では九尾が助けに入っていたが、現実には起こってほしくない夢だ。
変な夢を見たせいで、朝から気分が落ち込んでいたが、大学の授業は私の気分で休講になることはない。私はしぶしぶ、大学に行く準備を始めた。
一階のリビングに下りても、九尾たちはおらず、まだ私の家に戻ってきてはいないようだった。一人で寂しい朝食を食べた。一人での生活がこれから続いて、私の精神は持つだろうか。
「行ってきます」
もはや習慣となっている、誰もいない家に向かっての挨拶。私の声は、住宅街の静かな道に響き渡った。




