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第八話 空間

 エミリーは飛び跳ねて喜んでいた。鎧がガチャリ、ガチャリと音を立てて、森の中に響いた。

 木々の間を爽やかな風が通り抜ける。とても威勢のいい風だ。


「やったわ! 抽象ってそういう意味なのね! 〈ない〉が〈ある〉!」

「おめでとう!」


 俺も、素直に拍手を送った。相手が女でなければ、頭を撫でていたところだ。

 結構頭を使ったな。教えてて体温が上がったから、途中で炎が噴き出すんじゃないかとひやひやした。でも――


「これでやっと前提条件がクリアしたんだ」

「ハァ――? え、まだ話が続くの? 早く魔法の練習したいんだけど」

「したいったって、まだ「抽象」って言葉しか理解してないだろ!」


 と、俺は突っ込んだ。エミリーは頬を膨らませたが、きちんと座った。素直な子だ。多分、先生であれば、こういう子を教えるのが一番楽しいに違いない。


「で、いいかな」


 と、俺はエミリーのさっき掘った穴をもう一回指さす。


「この穴、さっきまでエミリーは、実際に何かがあるものだと考えていたんだ」

「うん。あると思ってた。でも、〈ない〉からこそ〈ある〉んだよね」

「そうそう、本当に理解したんだな。これを、「抽象的理解」と言った」

「うん」

「「穴」って名前だと、なにかがあるものみたいに考えちゃうから、違う名前にしよう。エミリー、「空間」って言葉を知ってるか?」


 エミリーは一瞬考えたが、すぐにパァッとした顔になって、


「知ってるわ! 空間って、お部屋とか、そういうことを言うんでしょ?」

「そうだ! それが分かってんなら、話が早い。空間は実は、「お部屋」のような具体的なものに限った言葉じゃないんだ。さっきの〈ない〉を〈ある〉、つまり「抽象」を思い出してくれ」

「うん、大丈夫だわ」

「例えば「お部屋」って言葉も、ある意味じゃ、壁に囲まれた空洞のことを意味するでしょ?」


 俺は、ジェスチャーを交えながら、慎重に言葉を選んだ。エミリーは、「うんうん」と頷いている。どうやら、聞きながら〈考えて〉くれているようだ。


「つまり、「穴」も「お部屋」もその意味では、〈ない〉ものを指して〈ある〉と言っていることになる。すなわち、抽象的なんだ」

「確かに! それもそうね」

「この、抽象的な空洞のことを、「空間」と言うんだ」


 エミリーは、「なるほど!」と、ポンと手を叩いた。

 俺は、この理解の波を逃さないよう、色んな空間を指さした。エミリーと俺の間にある空間、手のひらで囲んで作った空間、木々が揺れている空間、動物のいない広葉樹林の厳粛な空間、この国の、この星の空間(もっとも、エミリーは「惑星」を知らなかった)。


 エミリーは、目を輝かせた。新しい知の冒険に、知的好奇心をたくさん湧かせていると言った顔をしている。


「私たちって、考えてみれば色んな空間に囲まれて生きているのね!」

「そう! それが分かったら、第二段階に移行できる」

「まだ第二段階……」

「この石と、この石」と、俺は先ほどエミリーが掘った穴に入れた大小二つの石を取り出して彼女に見せた。


「さっきエミリーは、こっちの石の方が大きいということを説明するときに、地面に穴を掘ったんだよね」

「うん、全然言葉にできなかったからね」

「でもね、今の君は、もっと簡単に、俺に説明できるはずだ」


 と、俺は、エミリーに石を渡した。彼女は、豆鉄砲を食らった鳩みたいな顔をして、受け取った。


「え……どういうこと」

「簡単だよ、さっきは「穴」を使って比べたんだろ? 穴の別名を使えばいいんだ」


 簡単に答えを上げるのも癪なので、頭を抱えるエミリーを放置して、俺は立ち上がり、深呼吸をした。


 ちょっと哲学チックなことをしているのかな。分からない。ただ、俺はデカルトの有名な『方法序説』を思い出していた。

 中学生の頃、斜に構えて生きていた俺がハマった本だ。特別なことをするのが好きだったあの時期。生前の俺は、あの時代を「黒歴史」と呼んでいたけど、ちょっと考えを改めなきゃな。ああいう本は、読みたいときに読むのが正解だったんだ。


 “我思う、故に我あり”。ぶっちゃけ言えば、この言葉の意味は、あの時には、よく理解できなかったんだ。

 でも、こうやって死んで、洞穴で生き返ったあと、「考える」ことで自分の身体に炎が燃え広がるという体験をした。その体験をした今、その意味を少し、理解できるようになった気がする。


 死んでから意識が戻ったときは、まだ生きた心地がしなかったけど、炎を燃やして、「考える」ことに意識を集中し始めたときに初めて、俺は「存在が与えられた」のだろう。


 そう考えると、転生は、ただ生き返るんじゃなくて、〈もう一回考える機会が与えられること〉なのかもしれない。

 デカルトが、それまでの既存の伝統のほとんどを全て拒否して、自分探しの旅に出かけたのも、きっと〈転生〉がしたかったからなんだ。

 事実、デカルトは、一人で〈考えて〉自分だけの、新しい哲学体系を練り上げた。


「――分かったァ!」


 と、後ろでエミリーの声が聞こえた。俺は、急いで近くに駆け寄った。


「さっき、私は穴を使って石の大きさを説明した。で、穴は「空間」なんだよね。ということは、この石の方が大きいことを説明するには――」

「うん、うん!」と、俺は期待が高まった。


「この石の方が、より多くの「空間」を占めているからってことね!」

「正解!」


 俺は拍手をした。これでもう、エミリーは「空間」という概念を理解したということになる。これで、デカルトのところまで、彼女の文明レベルが達した。

 しかし、ここからが本題なのだ。空間の隠喩(メタファー)だけでは、やがて思惟(こころ)延長(からだ)は分離する。それではダメなのだ。この魔法の本質は――「運動」だ。


「ようやく、これで最終段階だね」

「はぁっ! やっと! やっとこの頭の勉強から脱せるのね……!」


 と、エミリーは涙を流して喜んだ。

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