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第三十三話 数学のお勉強

 喫茶店には木が焼けたような香ばしい香りが漂っていた。

 俺たちは、三人が全員同じコーヒーを飲み、喉を温めていた。異世界のコーヒーもなかなか――流通経路はどうなっているんだろう? 異世界ってなんなんだ……。


「レイ、どうしたの、あなたの話は」エミリーが、(ハヤクハナシヲセヨ)と暗黙の裡に命令している顔をした。


「あ、ごめん、コーヒーがちょっとおいしくて……」

「レイさんって、本当に変わってますよね」と、ソニア。


「そうか? あんまり変わってはいない気がするが――いやいや、そこのところの話を掘り下げると、脱線しそうだ。速やかに俺の話をする」


 変わっている――なんて初めて言われた。まあ、当たり前かもしれない。だって、俺、異世界からきてるんだからな!


「さて――もう一回言うと、ソニアが〈ある〉を〈ある〉としてそのまま突き詰め、エミリーが〈ない〉を〈ある〉としてどんどん思考を開拓していった。じゃあ俺はどういう道を取るか。――結論から言えば、俺は、〈ある〉はあるともないとも言えるし、〈ない〉もあるともないとも言えるって道を取ったんだ」

「は?」

「なんですかそれ?」


 わかる、わかるよ。意味わかんないだろう。俺も正直意味わかんない。

 ――でも、こう言うしかないんだ。なぜなら、


「俺には、エミリーの側にも、ソニアの側にも、どっちの立場にも立てない――ただ単純に決められないんだ」

「決められない――そんな優柔不断なのに、あの火力なの? 呆れた……」

「ふはは、“なのに”じゃない。優柔不断“だから”あの火力なんだ。俺の立場のその的確さは、あの火力で証明されている」

「どういうことですか!」


 ソニアが机をバンと叩いて、立ち上がった。よしよし、いいぞソニア。もっと熱を上げるのだ!


「今の話を考えれば、あなたは神がいるともいえるし、いないともいえるって曖昧な態度を取っているように見えます。すごく不誠実です! まだ、神がいないと言って、逆説的に神の存在を考えるエミリーの方が誠実です! レイさん、もしやあなた、浮気性ですか?」

「え、浮気性? なんで?」

「優柔不断な男はすぐ浮気をする――と本に書いてありました」

「なんて本を読んでんの。そんなわけないだろ。俺は、好きと決めた女には一筋なんだい!」


 俺も、ソニアのまねをして、机をバンと叩いた。ソニアは――怯えるかと思いきや、なぜかホッとしている。え、なんだこいつ。

 エミリーは、いい加減退屈そうな顔をしていった。


「レイはどう見ても、浮気性でしょ。――まあ、それは置いておいて、優柔不断だから火力が上がるってどういうこと? どう考えても、理論はとがってて突き詰めた方が強いでしょ」

「そうだな。ただ優柔不断になるだけじゃ火力は中途半端になって弱くなる。――俺が優柔不断な立場を取るのは、“ある考え方”を否定するためなんだ」

「ある考え方?」二人は声を揃えて言った。


「でも、ちょっと「神」という言葉を使って議論するのは、さすがにもう危ないから、別の例え話をしようと思う。二人とも、1+1はいくつだ?」

「2ですね。今度は随分簡単な質問です……」

「さて、この「1」という数字だけど、これはどういう意味?」

「は?」


 ――静寂が流れた。二人は頭の中をフル回転しているようだ。エミリーは、親指を顎に当てているし、ソニアは、人差し指をこめかみに抑えている。この子たち、おもしろいな(笑)

 俺は、おいしすぎたので、コーヒーをもういっぱい頼んだ。マスターから、元気な声が返ってくる。

 先に口を開いたのはソニアだった。


「1は、1じゃないんですか?」

「ああ、そうだな。ソニアなら、そう言うと思っていた」

「それ以外になにかあるんですか?」

「エミリーなら、どう答える?」

「う――ン」


 エミリーは鞄からリンゴをいくつか取り出した。それは、ゴロゴロと音を立てて、テーブルの上を転がった。


「え、何そのリンゴ。なんでそんなものもってんだよ」

「今朝、なんかリンゴが安く売ってたから、アップルパイでも作ろうと思って」

「マジ!? それ、俺も食べられたりするの?」

「……いいわよ、それくらい。味は保証しないけど」


 うおっしゃあ! と、俺は雄たけびを上げる。まさか、あのエミリーが、料理なんかできると思わなかったぜ!

 と、ソニアがそわそわした顔をして、俺を睨む。


「レイさん、エミリーの話を遮らないでください」

「あ、悪い、そうだったな。ええと、リンゴを使って説明してくれるのか?」

「ええ」エミリーは、二つのリンゴを両方の手に持った。


「ここに、二つのりんごがあるわ。これを半分に分けたら、一つになる。――つまり、2を分割したものが1だね」

「ええ、それは変です。わざわざそんな説明しなくても、ここに一つのリンゴがあれば、それを1と呼んでもいいでしょう。数学者はそうやって1を定義しているはずです」ソニアが反論する。


「でも、それはおかしいわ。例えば――」


 エミリーは、カウンター席の方へ向かって、店主に話しかけた。しばらく話し合って、戻ってきたとき、彼女の手には包丁が握られていた。

 借りてきたのか――マジで異世界何でもありだな。――でも、なにすんだ?


「リンゴを包丁で切ると――」


 といって、エミリーはリンゴの頭頂部に刃を当て、すとんとおろした。包丁の切れ味が良いのか、エミリーの腕がいいのか、テーブルを傷つけることなく、リンゴはきれいに二つに割れた。――二つ? あぁ、なるほど。そういうことか。


「ね! 二つに割れたでしょう。これは紛れもなく、2よ。そして、できた半分のリンゴを、一つと数えられる。ソニアの説明だと、この現象に説明がつかないよね。1を半分にしたら、普通0.5だもん。でも、この半分のリンゴを、りんご0.5個とは呼ばないわ」

「いえ、その反論はおかしいですよ。その場合は、「半分のリンゴ」が1個と呼ぶことができます。エミリーは、半分のリンゴと、切られていないリンゴを両方一緒くたに「リンゴ」と読んでしまっている時点で間違っています」


「数字に戻ろう。エミリーは、2を半分に割ったものが1だと定義している。けれど、ソニアは1は1だ、それ以上の定義もそれ以外の定義はないというわけだね」


 早くも二人の間に明確な違いが出てきた。やっぱり、二人とも勉強の鬼だから、こうやって議論が盛り上がるのだ。すごい、これ、俺も楽しい。


「――さて、じゃあ二人の立場の違いをもっと分かりやすくしよう。今度は、1-1を考えてみよう。答えは?」

「ゼロ!」二人は同時に答えた。


「さて、このゼロはある? それともない?」

「え? ない? 質問の意味が分かりません……」と、ソニアは言う。


「あるわ! ゼロがある!」

「ゼロがある?」ソニアは、エミリーが言った言葉に首をかしげた。

「あるわ。じゃなきゃ、ゼロって何?」

「たっ、たしかに――」


「計算を続けて見れば分かるわ。ゼロがなきゃ、例えば、0-1ができないわ。その答えがなんなのか分からなくなっちゃう。0は、1と-1の通過点よ」

「で、でも!」


 ソニアはさっき使ったリンゴを持ち出す。机の上に置いて――とった!


「ほら、1個のりんごから、一つとったら、机の上には何も残ってません! これが、何かあると言うなら、ここには0個の金の延べ棒がありますし、ここには0個の焼き鳥がある――と無限に言えちゃいます。それって、おかしくないですか?」

「……確かにおかしいわね」


 なんだこれ。おもしろすぎる。すごい、この人たちなんでこんな楽しく議論できるの?

 お題を投げればするすると考えが出てくる。こんな理想的なカフェがあるか――?

 しかし、そろそろ――時間切れみたいだ。しびれを切らした二人がこちらをじっと見ている。


「レイ、正解は何なの?」

「ええ、そうです。そろそろ聞きたいですね……」

「正解? 二人とも正解だろ、どう考えても」

「は? なんなの?」エミリーがキレだした。怖い、怖すぎる!


「ゼロがあるかないかだろ? どっちも正解だし。1だってそう。2を割ったものが1。正解! 1は元々1。正解! ――大事なのはそこじゃないんだ」

「なるほど――これが本題は最後に言う論法ですか……」ソニアは勝手に納得していた。


「大事なのは、二人のゼロの理解が全く違う――ということだ。そして、どっちにも優劣はない。エミリーはエミリーで、ソニアはソニアでそれぞれ正解している。――そして、俺は二人のどちらにも賛成するし、どちらにも反対するって立場を取ろうって話なんだよね」

「でた、優柔不断。ええと? どっちの立場にも加担するという立場を何かを否定したかったんだっけ?」

「そう、それは――」


 ごくり――と、俺はコーヒーを飲み干す。


「万物、だ」

「え?」


 エミリーはずっこけた。

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