第二十九話 エミリーの苦悩
思えばずっと――私は魔法が好きだった。
魔法陣を書いて、魔法名を唱えて、相手をやっつける。
幼いころから本が好きだった私は、絵本で活躍する魔法士のことを見ては、いつか私もこうなりたいと思っていた。
――が、私は魔法が使えなかった。
才能がなかった。才能というのは残酷だ。
私の姉は、今将来を有望視されている魔法士だった。王である父は言わずもがな。王位につく前は、優秀な魔法士として大きなクエストで陣頭指揮を取っていた。
母も卓越した回復魔法を使って名を馳せていたし、遺伝的には問題なかった。
なのに――どうして。
私は魔法が使えないの?
でも、才能がないと分かっても、決して諦めることはしなかった。
魔法関連の図書は、新刊が出ればすぐに読み込んだし、現場に忍び込んでは戦っている魔法士の姿を間近で見た。
そして、周囲の反対を押し切って魔法学校を受験した。名を騙ったのは、最初は父の命令だった。エミリー・ヘルメス――のヘルメスを隠せ――を聞くと、なんだか人格を否定された気になって私は落ち込んだ。落ち込んだけど――
それでも魔法が使いたかったのだ。
授業は本当に辛かった。
4年分の卒業単位のうち、最初の1、2年はひたすら魔法の感覚を育てるカリキュラムが集中していた。
魔法陣の方法論よりも、もっと応用的な――魔法のイメージを感覚で掴ませるような授業だ。
「考えるな、感じろ型」の授業は、私にはすごくしんどかった。
私よりも勉強していない生徒たちが、次々と魔法の感覚を掴んで、能力を発揮させていく一方で、そもそも才能のない私は、魔法のイメージが何なのかが全然わからなかった。
一生懸命本を読んでも、魔法陣の性質を理解しても、魔法のイメージは一向に明確にならない。いつまでたっても、私は魔法を使えるようにならなかったのだ。
でも、そのときはまだマシだった。
「エミリーさん、大丈夫よ。こんなに勉強しているあなたなら、いつかきっと魔法が使えるようになるわ」
先生はいつも私を励ましてくれた。だから私は先生の言葉を信じて、更に勉強を重ねた。
勉強して、勉強して、勉強して。――依然として、魔法が使えるようにはならなかったが、二年の終わりを迎えた頃、私の魔法陣の理解は、この学校の卒業生のレベルをはるかに超えてしまっていた。
というのも、私の書いたレポートが、とある魔法陣研究を行っている教授の目に留まったのだ。
「エミリーさん、ちょっときなさい」
「はい」
教授に呼ばれ、とうとう自主退学を勧められるのかと訝りながらついていった私は、研究室で、思わぬ言葉を聞いたのだった。
「エミリーさん、いやエミリー・ヴァルキューレ女史。私の助手になってくれないか」
「は?」
後で聞けば、私の書いたそのレポートは、現行の魔法陣研究の理論を別の観点から説明しうるような射程を持った論文になるかもしれないということだったのだ。
教授は興奮した様子で色々聞いてきた。このレポートをどうやって仕上げたのかとか、二年生の現行のカリキュラムじゃ誰も教えてないんじゃないかとか、どの本を読んでこの発想を思いついたのかとか――それは参考文献に載せた気がするんだけど……。
他にもいろんなことを聞いてくるので、私は教授に言い放った。
「私、まだ魔法が使えないんです」
「え? 魔法理論をこんなに理解してるのにか?」
「ええ、私には魔法の才能がないんです」
そういうと、教授はう――ンと考え込んでしまった。目の前に置かれた、大きな本をパラパラとめくりながら、唸っている。あの本は私も読んだことがあった。『魔法学におけるパラダイム変換について』――魔法の理論を根底から覆す新しい理論が現代で要請されつつある、ということが書かれた野心的な本だ。
教授は、おもむろに顔を上げて、私の方を見て言った。
「もしかしたらヴァルキューレ女史――君は、魔法が使えないからこそ、このレポートに辿り着いたのかもしれんな……」
そして私は、断る理由もなかったので、教授の下で働きながら学業に専念することになった。
このおかげで、実技で落第点を取ってしまった三年生への進級試験も、教授の進言により無事合格することができた。
三年生が上がれば、実技の比重が上がる。休んだり、適当にやり過ごしながら、なんとかカリキュラムに食らいついた。でも、ごまかしきれなくなってきたのか、徐々にクラスメイトの言葉がきつくなってきた。
「エミリーって、なんでまだこの学校にいんの?」
「なんか、先生のオキニって噂もあるみたいよ」
「え、だってただの頭でっかちじゃん――」
クラスに居心地の悪さを覚えつつも、私は必死に魔法を勉強した。
アホっぽくて嫌いなクラスメイトの拙い魔法陣を見て勉強する傍ら、私は魔法陣の基礎にどんどん遡った。遡っては、魔法陣の表記の法則を見つけては再構築を進めていた。
なぜあのバカに魔法が使えて、私に使えないのか。分からない、分からないからこそ、追求した。そして、それを教授に見せた。教授は、私がレポートを見せるたびに喜んだ。喜んで、論文を発表した。教授は私の名前を連ねてくれた。それがとても嬉しかった。嬉しかったけど――
その頃にはある疑念もわいていたのだ。
「ここまで理解してても発動することができない魔法って――何?」
しかし、教授に聞いても何も答えてくれない。
「女史、それは私にも分からないのだ。それが理解できるのは神だけだ。神だけが、魔法の理法を知っている。我々人間は、その神の教えをただ素直に聞くだけなんだ。そして、私たち研究者は、それを解釈し、魔法士に技術として伝える」
「私は――研究者じゃありません」
「……ヴァルキューレ女史……悪いことは言わんが、魔法士は諦めた方が……」
「なんで! どうして! 魔法が使えないことも、神の教えだとでも言うんですか! 私は、私は魔法が使いたくて、それで魔法を勉強しているんです!」
「そうか……」
「ええ、私は――」
魔法が使いたいのよ!
どうして――どうして私に魔法は使えないの。
教授でもわからない、魔法の権威の教授でも。私になぜ魔法が使えないのか。神なんてどうだっていい。私が、他でもない私がなぜ、魔法が使えないのか。あの子が使えて、どうして私が使えないの。ねえ、なんで? なんで? なんで? なんで?
――ふと、私の頬に、冷たい風が吹いた。
そうだ、私は決闘の最中だったのだ。
目の前には、私の開発した魔法を使おうとしている魔術師がいる。
ソニア・ウィンブルドン。魔術学校を首席で卒業した魔術師。
私にとって、一番の敵。
「――完成しました」
ソニアは杖をかざし、赤、黄色、白の光を纏っていた。
あの魔法陣は、三色の干渉を精緻な記述によって調和し、無属性へと昇華させた極大魔法――私が学校を辞めるとき、教授に投げつけた論文に書いた私の魔法陣だった。
「あなたの魔法の威力に敬意を服して、私も最大の魔法をあなたに送るとしましょう」
何が送るとしましょう、よ。
「無属性魔法――」
――私の魔法なのに。
「食らいなさい! トライアングルカノン!」
――うるさいッッッッッッ!!
突如、放射状に広い光が広がった。
大地がえぐられ、爆風が巻き起こり、岩石が砕け散った音が辺りに広がる。
――なるほど、そうだったのね。あの魔法――トライアングルカノンは、そんな姿をしていたのか。
本当は、私が使いたかった。数値は頭に入っていた。発動時間、攻撃速度、範囲――でも、流石に色までは分からなかったわ。ホント――いやになっちゃう。
ほんと、なんで私は――
「魔法を使えなかったのかしら」
***
瞬間、エミリーの身体から、大爆発が起こった。
だけど――いつもの彼女とは違う、何かをピンポイントで狙った、精緻な分子の移動――まるで、彼女はソニアの放った魔法を知りつくしているような攻撃だった。
「なんで、どうして。私の魔法が効かないんですか!」
ソニアは慌てて杖を上下に振っている。無属性魔法、トライアングルカノンは空虚なまでに、エミリーの風に打ち消され、次第に掻き消え、消滅した。
「どうして、どうして私の魔法がこうも簡単に消えてしまったのですか。あなたは動けなかったはずじゃ――」
「――動けなくったって、魔法の発動くらいできるわよ」
エミリーは木に縛られたまま、思考を巡らせて、ソニアの攻撃を打ち消したようだ。
にしても、気になる。どうして、彼女はソニアの攻撃を消せたのか。
俺は彼女に近づいて、問い正した。
「なあ、エミリー、今の魔法は何だ? 防御魔法?」
「ばかね、そんなの使えるわけないじゃないのよ」
「え、じゃあ何――」
「あの魔法、私が開発したんだわ」
遠くで、「え!」と大声が聞こえた。
ソニアが目を丸くして震えていた。
「で、でも、あの魔法は、あの教授が発表した論文だったはずじゃ――」
「ふふ、あなたともあろう人が、参考文献もちゃんと読めなかったの?」
「あ――」
ソニアに心当たりがあったようだ。ヴァルキューレ、ヴァルキューレ……と呟いている。
エミリーは勝ち誇った顔をして、遠くのソニアを眺めていた。無論彼女はまだ縛られていたままだったが。
まあ、でもこれは、勝負あったでしょ。あんなの防がれたら、ソニアだって戦う気は起きないに違いない。
「さ、じゃあ勝敗を決めようか――勝者は――」
「まだよ」エミリーは言った。
「まだ、私は魔法を防いだだけだわ。やっぱり、やるんなら最後までやらないと」
「え、まじ?」
「マジよ」
そういうと、エミリーは俺に向かって風を投げた。俺は急な圧力に吹き飛ばされた。
「お、おい、何する気だ――」
エミリーの方を見ると、彼女は目をつぶり、瞑想を始めていた。
これは止められない――そう思った。




