第二十三話 志向性
君は、夕方の鳥を見たことがあるだろうか。
あれは、お父さんとレストランに行ったときのことだった。
――見て、お父さん!
――ん?
窓の外を俺は指を指すと、そこには電信柱に大量の鳥の影がびっしりとへばりついていた。へばりついていた――は誇張表現などではない。俺は、それが最初電信柱だと分からなかったくらいだ。
なぜ鳥が、その電信柱に集まっていたのかは知らなかったが、凄く気持ち悪かったことを覚えている。
――
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャアアアアアア――――!!
「うわっ、マジやべえ! 気持ち悪い!!」
「あの数のロック鳥――本当に50はいるわね……」
「ああ、わしも驚いたよ! あんな数を見たのは、生まれて初めてじゃ!」
ポポロは玄関から、俺とエミリーは外に出てから、空に無数に飛び回るロック鳥の影を見ていた。
ロック鳥は群を成していた。一匹一匹は、どす黒くみえる。一番低いのは、ちょうど平屋の屋根のすぐ上、最も高いのは雲に届くくらいの高さで飛んでいる。屋根の近くを飛ぶその鳥は、全長が……一本の樹木くらい大きい。
こんな大きな鳥、コカトリス以来だ――それが50匹……一番上でカラスみたいな大きさで飛んでるのも、この大きさなのかと思うと肩が震えた。
外はまだ日の入りを迎えていなかったが、大量のロック鳥が影になって、この辺りは暗くなっていた。鳴き声は大地中に響き渡り、鼓膜が痛くなるほどだった。
やつらはぐるぐると円を描いて飛び回っている。どうやら、ここの家畜を狙っているようだ。
――そうはさせない。
俺は、この家を絶対に守りたい。この景色を、このごちそうを、そして――ポポロの笑顔を。
「エミリー!」
「なあに?」
俺は、大声を出してエミリーを呼んだ。エミリーは足が震えていた。
無理もない、あんなに大きな鳥の大軍を目の当たりにしているのだから。
――俺だって、怖い。てか、情けないことに、多分、俺の方が怖がってるかも。足腰が震えて、立っているのがやっとだ。――でも。
俺は俺のやれることをやるだけだ。
「さっきの〈対象〉の話は分かったか――!」
「〈印象〉と〈印象じゃない〉がぐちゃぐちゃしてて、私たちはそれを〈対象〉と呼んでいるんだったわね――!」
エミリーはジェスチャーを交えて大声で言った。そのとき、彼女の足の震えが止まっていた。
「そうだ、その〈対象〉を捉えるその仕方を、更に〈志向性〉っていうんだ――!」
「しこーせー――??」
「ごめん、わからないなら大丈夫だ――! とりあえず、俺らはあの鳥に意識を向けて――ンン――あれだ、矢印! 矢印を向けて、それを串刺しにするイメージだ!」
「矢印で串刺しね――!!」
エミリーは、両手を握り、手で矢印を作って、ちょうど銃の形にして、頭上を飛び回るロック鳥に向けた。
〈志向性〉は、現象学という学問が大事にした一つの概念で、意識の全てが「~についての意識」であることを表現するために使われた言葉だ。
つまり、俺たちは、常に何かに「ついて」経験してる、この「ついて性(aboutness)」が、〈志向性〉なのだ。
これが何に使えるのか――。
簡単に言えば、〈運動〉である魔法を、そのまま矢印にして、〈対象〉を串刺しにする、という俺の魔法の言葉――
つまり、俺の思い付きだ。
成功するかは――分からない。だが、
「思いっきり、放て――――――――――!!」
俺は叫んだ。
「いよっしゃああああああ――」
――スパーンッッ!
刹那、一瞬の銃声とともに、エミリーの指先から、バチバチと雷鳴が鳴った。
まばゆく光ったと思ったら、その光は、一匹のロック鳥の胸に大きく穴をあけていた。
ロック鳥はグギャギャグゲ――と気味の悪い声を上げて墜落した。
「おい、エミリー今のは……?」
「すごいわっ、レイ! 今の雷よね!? 指先から閃光みたいなのが出て、狙ったら真っすぐ飛んでったわ! 成功、成功よ!!」
辺りには焦げ臭いにおいが充満した。人間が雷を打つところを目撃するとは。
と、そのとき――
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャアアアアアア――――!!
ロック鳥が一斉に叫び声を上げた。
反射的に俺は耳を両手でふさぐ。しかし、鳴き声は手を通り抜けてうるさく聞こえた。
どうやら今の一撃で怒ったらしい。ロック鳥は今にも飛びかかってきそうだった。
「やばい、やばいぞエミリー!」俺は慌てて腰を抜かしそうになった。
「レイ! あなたはもっと、そのとびっきりの魔法を打ちなさい! 私よりもしっかりとした知識があるんだから――」
「ああ――やってみる!!」
――エミリー、激励ありがとう。
俺も、手で銃を作って、精神を統一した。今度は、目はつぶらない。ロック鳥を見据えて、ゆっくりと、精神に沈思していく。
――ロック鳥は依然として轟音を上げていたが、ふと、その声は俺の頭に届かなくなった。自分の中が、静寂で満たされた。空気の振動、大地の地鳴り、友達の歓声。全ての波が、俺の指先に収斂していく。
よく見れば、ロック鳥は白い鳥だった。逆光になっていたのと、カラスっぽいイメージが先行していたのとで、それを黒く見せていたのかもしれない。
俺のいた世界で、真っ白な鳥と言えば、シロエナガ、伝書バト、白鳥と、美しいと呼ばれる鳥ばかり。指先で捉えたロック鳥も、その毛が美しく色を放っていた。
だが、奴らはやはり敵だ。家畜を狙う敵だ。
そして、俺から見えた〈印象〉は、やはり黒い鳥だったのだ。逆光のせいだろうが、なんだろうが黒だ。
途端に、俺の目に、白と黒が二重に重なったロック鳥が姿を現した。〈印象〉と〈印象じゃないもの〉の混然一体――これこそが〈対象〉だ。ロック鳥を〈対象化〉する。――イメージは〈志向性〉だ。
――ロック・オン。
「レイ! 危ない――!」
エミリーの叫び声が聞こえる。ロック鳥の群れの一匹が、襲い掛かってきたようだ。しかし、もう遅い。
俺は、銃の形を作った指先に力を込めた。狙いは、ロック鳥50匹――
俺の〈志向性〉は、既にお前を把捉した!!
「貫けッッ! フレイムガンッッ!!」
気づけば、指先から、青い炎が噴き出した。青い炎――それは高熱を極めていた。
ものすごい速さで、炎は天を穿つ。瞬間、カーテンのようなロック鳥の群れに甚大な穴をあけた。
ビシャァァ――と音を立てて、次々とロック鳥が墜落する。辺りには血の雨が降った。俺は、一心にそれを受けた。
ギャギャギャギャギャ、ギャギャ、ギャギャギギャギャギャギャアアアアアア――――!!
――残るロック鳥は十数匹。仲間を大量に殺されて怒ったのか、ひとしきり大声を上げて、こちらに向かってきた。
猛スピードだ。恐らく決死の覚悟だろう。床に激突するのを省みない速度だった。くそっ、道連れにする気か。――しかし、先の魔法の反動か、俺の足は動かなかった。
そのとき、甲高い声が、光のごとく、閃いた。
「――射殺せッ! レールガンッッッ!!」
くらえええええええええ!
エミリーは叫びが大地を震わす。轟音が響き、火花を散らした。
風魔法と言うより、雷魔法だ。雷が、向かってくるロック鳥の何匹かの頭蓋骨を砕き、墜落させた。
しかし、範囲が狭く、数匹を捉えるのみだった。
「エミリー――! レイ――! 後、8匹だ――!」
遠くで、ポポロの叫ぶ声がする。逃げずにずっと見守っていてくれていたのか。そんなことしなくても――安全なところに逃げて欲しい。
が、ふと、ある感情が蘇ってきた。
ポポロの、俺らを心配するあの顔。ポポロの顔は――友達の顔だった。
わずか半日だが、俺たちは哲学を語り合った盟友なのだ。俺がポポロの立場だったら――
やっぱり逃げ出さないと思う。
瞬間、疲労の溜まって動かない俺の足に、筋肉が戻ってきた。筋肉か? ――わからん。んなことどうだっていい。
とりあえず、俺は再び立ち上がった。そして、もう一回手を銃の形にして、迫る鳥に標準を定める。
「俺は――この風景を、この文化を、そして、友達を――守るって決めたんだ! やるしかねえ。くっそおおおおおおおおおおおおおお!」
指先に精神を集中させ、ロック鳥の羽ばたく気流を掴んだ。
ギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャアアアアアア――――!!
と、ロック鳥は泣き叫ぶ。
羽をバタつかせ、急降下してきた。後、コンマ一秒――
お願いだ、当たってくれ。
「フレイムガンッッッ!!」
「レールガンッッッ!!」
俺とエミリーは同時に魔法を放った。
まばゆい光に視界を奪われる。高熱と電撃が放射され、辺りに大きな音を轟かせた。
ロック鳥の頭蓋骨は砕け、羽は捥がれ、肉は割かれた。
ビチャビチャと血がまき散らされ、地面を濡らす。
鳥は地面に這いつくばり、うごめき、そして動かなくなった。
――ボトッ。
最後の一匹が墜落した音が聞こえた。
俺たちは、その場に倒れた。
「やった――――――――――!!」
ポポロの声が、意識を失いかけた俺の脳髄に響いた。




