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第二十一話 ポポロ

 気づけば、紅茶から漏れ出ていた白い湯気は、もうなくなっていた。

 俺は、既にぬるくなったそれを一口ずつ、大切に飲んだ。

 美味しい紅茶は冷えても美味しい。少し酸化が気になってはしまうが、それを差し引いても、茶葉の味が引き締まって、鼻やのどを癒してくれる気がするのだ。


 俺らは部屋で三人、テーブルを囲んでいた。エミリーは、顎を触りながら、聞いてきた。


「――言いたいことはそこじゃないって……あなた、まだ何も言ってないわよ。格好つけたみたいだけど」

「うっ――ええとな、まとめると、俺とおじさんでは、エミリーに対する印象が違うって話だったんだ」

「うむ、そうじゃな」と、おじさんも頷いた。


「でもな、今こうやって三人で話してても分かると思うんだけど、俺とおじさんは、「明らかに同じエミリーと話している」ってことが言いたいんだ」

「え?」と、エミリーは首をかしげる。


「もっと細かく話を砕くと、俺のエミリーに対する印象と、おじさんの君に対する印象は全く違っていたんだ。でも、エミリーを介して、俺らは明らかにエミリーの話をしているし、エミリーの反応を伺っている。つまり、俺らは他の誰でもない「エミリー」とお話ししているってことなんだ」

「おお、わかったぞ。つまりじゃな、わしからみたお嬢さんは、彼からみたお嬢さんとは全然違っているが、でも同じ人と話していることには変わりはないってことじゃな」

「そう、それだ! おじさん――」


 俺は、おじさんにガシッと抱きついた。まさか、この人がこんなに早く、俺の言いたいことに気が付くとは。

 おじさんの服から、先ほどまで漂っていた獣臭さと、ほろ甘い紅茶の匂いが混ざっていた。おじさんは困惑していたが、すぐに抱きつき返してくれた。


 おじさんはただ美味しいご飯を作ってくれるだけじゃなかった。ちょっと心配症だけど、とても優しい。温かみのある包容力を持っていた。


 俺は元の位置に戻ると、


「もう“おじさん”じゃ申し訳ないな。名前はなんていうんだ?」


 そう聞くと、おじさんはちょっと意外そうな顔をしたが、すぐに微笑んで、


「ポポロ――だ。冒険者さんたち」


 と名乗ってくれた。


「私はエミリーよ、それでこいつはレイ。よろしくね、ポポロ」

「ああ、よろしくだ」


 三人は握手を交わした。異世界に来てからの俺の二人目の友達。そしてそれはエミリーにとっても同じだった。エミリーは、少しだけ目が潤んでいた。


「でな? 今、俺らは握手を交わしたんだ。俺らは友達だ。だが、友達になった今でも、俺から見たエミリーと、ポポロから見たエミリーはやっぱり違うんだ。だけど、今友達になったのは、紛れもないエミリー本人だろ?」

「ええ――、そうね」エミリーは袖で顔を拭った。目が真っ赤になっている。


「もっと素朴な話をしよう。俺の角度から見たエミリーと、ポポロから見たエミリーとでは、全然違うんだ。テーブルを挟んで、俺から見て左60度から見たエミリーは、ちょうど右頬が見えるけれど、ポポロから見て右60度から見たエミリーは、左頬しか見えない」

「左……右……?」ポポロは、指で矢印を作りながら聞いていた。


「――複雑なことを言ったけど、簡潔に言えば、俺から見たエミリーと、ポポロから見たエミリーは違った形をしているってことだ」

「なるほど」ポポロは、手を打った。エミリーも頷いている。


「さて、もっと核心に近づこうか。エミリー、君は自分の顔を“生で”見たことがあるか?」

「――え?」


 エミリーは、質問の意図が分からないと言った顔をしていた。


「生でってどういうこと?」

「例えば、鏡も、水も使わずに、自分の顔を見たことがあるかってことだ」

「う――ん、そういえば、考えもしなかったけど……ないわね……」


 これにはポポロも驚いたようで、目を丸くしていた。


 そうだ、人は、自分の顔をじかに見ることができないのだ。人は、自分の顔を、水やガラスや鏡を通して再構成してしか認識することができない。

 だから、こと自分の顔の評価となると、他人の目をすごく気にする。例えば現代的なことを言えば、“いいね”の数とかで。


「だから、エミリーこそが、一番エミリー自身を歪んだ形で見ている、ともいえるね」

「たっ、確かに……。でも――」


 俺はエミリーの反論を、手で制した。


「ふはは、言いたいことは分かるぞ。自分のことは自分が一番知っているってな――俺はそれを否定しない。恐らく、“自分にしか見えない部分”は、多分他人が見たときの“他人にしか見えない部分”よりもずっと多いだろう。だけど、それだけだ。やっぱり、違うんだ。違うけど――言いたいことはそこじゃない」

「ほほう、これが――本題を最後まで教えない論法じゃな?」ポポロが悪ノリした。


「言いたいことは、ここまで認識が三者三様にもかかわらず、みんなが同じ「エミリーのことを話している」ということなんだよね」

「ふむ――やっとわかったわ。そういうことね。見えてるものと、話をしているものが違うってわけ」

「そうなんだ……だけど、それっておかしくないか? 俺ら三人で、エミリーの見え方がこんなに違うっていうのに……どうして、同じ人の話ができるのかな」


 エミリーとポポロは、う――んとうなって考え込んでしまった。


 実際、これはかなり突っ込んだ議論だった。


 デカルトはもちろん、この問題を解決することができなかった。全てを「空間」のメタファーを通して分析してしまったがゆえに、人間はただの機械になり、いわゆる〈哲学的ゾンビ〉という新たな問題を生んでしまうことになったのである(空間を占めない心なんか初めからなかった!)。

 それは同時に、〈独我論〉への準備でもあった。デカルトの旅のエンドは、この「世界には私しかいない」という呪いを後世に残すこととなった。それは、俺のいた現代にまで引き継がれ、今も尚苦戦を強いられている問題だ。


 ほかの人の場所を、どうやって確保するのか――この「ほかの人の場所」はどうやら〈他者性〉とかって呼ばれているらしいのだが――、恐らく、広範囲に拡散してしまう俺らの魔法は、この問題にアプローチする必要があるのだろう。〈誰〉に魔法を当てるのかは、その本質にとって重要な問題だからだ。


 つまり、俺らの魔法は〈他者性〉を追求し、収束し、〈対象〉を貫く必要がある。これが、今の現時点での俺の理想だ。


 エミリーには、その理想に向かって、その道へと歩みを進めてもらう必要があった。――そしてそれは俺も同じ。俺と彼女は、一緒にそこの活路を開かなければならないのだ。


 エミリーがぽつり、と呟いた。


「私って、いったいなんなんだろう――」


 ふふ、ふはは、それだ、それだよエミリー!

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