第一話 転生
結論から言うと、俺は交通事故で死んだ。
いや、正確には死んだかどうかは分からない。
でも、車に轢かれて、薄れゆく意識の中で、自分の身体がどんどん冷たくなって、深い眠りについた後、気が付いたらこの洞穴にいたのだ。
18歳の夏――つまり、あのバースデイパーティの三か月後だった。
目を覚ました後、すぐはこの事態を受け入れることはできなかった。
目の前に、見慣れたビルや、道路や人がいないと気が付いたとき、俺の頭は錯乱状態になっていた。
すごく泣いた。
すごく傷ついた。
もちろん、この「すごく」は、もっと具体的にしようと思ったらできるのだ。でも、言葉にした瞬間、またあの錯乱状態になるのだろう。それは怖い。
錯乱状態だったときは、何日――その間、日が登ったり沈んだりしていた――も壁を蹴ったり、石を拾って投げたり、そこらへんを走ったりしていた。
本当に酷かった。岩壁を殴ったせいで、指先の爪は剥がれかけて、血がにじんでいる。
落ち着いた今、もはやなにもすることもない。
――お父さん、お母さん、ごめんね、親不孝者で。
高校も卒業できなかったよ。
高い授業料を払って、私立高校を通っていたというのに。
っていうか、もっと素朴に、お父さんお母さんに会いたい。
会って、「洞穴に行ったよ」って思い出話を話したい。
だけど、無理なんだろう。
見渡す限り、人間はいないし、更に言えば、生き物すらほとんどいないんだから。
動くものを見つけたと思っても、小さな虫けらだけ。
見えるのは、洞穴の岩肌か、外に広がる森林だけ。――生き物のいない森林なんて、普通あるのか。
ここは地獄なんだ。
俺は死んだ。
同じ世界線に、お父さんとお母さんはいない――
友達だって、先生だって、みんな、みんな、いない。
見知った場所は全て闇の中へ消えてしまった。毎日行ってた学校。良く通っていた喫茶店、独りになるために行った図書館、散歩するのが好きだった公園。もう、二度と行くことはできない。
あるのは一枚のTシャツと、ジーパンのみ。休日だからってラフな格好をしてただけだ。好きな格好でも何でもない。俺のお気に入りのシャツ。高かったなあ、あのシャツ――。それももう着れない。
なんで、なんで俺が、なんで俺が死んだんだ。なんで他の誰でもなく俺が。俺がこんな目に遭わなきゃいけなかったんだ。だって、俺が何か悪いことしたか? 俺が、俺はだって、俺は、俺は悪くない。俺は本当にいい人間だったんだ。
なあ、誰か教えてくれ。教えてくれよ、先生、かっちゃん、父さん、母さん、なあ、誰か、ダレデモイイカラオシエテクレヨ――
というか、誰かいるのこの世界、なあ、誰かいる? いるの、いる、いるの、いるのだ、ろう、か、か、か、かかかかカカカカカkakakaka――――
あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!
もういやだかえりたいかえりたいかえりたいかえりたいかえりたい
ちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうちくしょうあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ハァハァハァハァ……
――またやってしまった。
何度目だ。
もう、いいじゃないか。――俺の手は、もうボロボロだ。
あぁ――、痛い。
死んでいるのに、痛いとはどういう了見なのか。
頬をつねって痛ければ夢じゃないって、誰かが言ってたじゃないか。
あぁ、夢じゃないのか。
俺は本当に死んだのか?
――生きて、いるのか?
俺は、再び血が固まってカピカピになった右手の指を見た。
親指、人差し指、中指、薬指、小指。
この指は何だろう。
死んでるし、生きている指。
俺は、ゆっくりと握ってみた。そして、またゆっくりと開いてみた。
ぐっぱー、ぐっぱー、ぐっぱー。
――動いてる。
なぜ動いているのか。
俺の意識が、この指を動かしているのか。
俺の意識は〈在る〉のか。
俺は、今度は神経を集中させて、人差し指を見た。
この指は、俺の指だ。
この爪は、俺の爪だ。
すると、少し指先が熱くなった。
きっと力が入って、血液が先端に集中したからだろう。
俺はもっと力を入れてみた。
そういえば昔、ある漫画を見て、「俺にもチャクラが宿っているかもしれない」とかなんとか言って、指先に精神を集中させては、落胆していた日々を思い出した。
今考えれば、ばかばかしいって思うけど、当時は、友達と一緒に、本気でやってたよな……。
友達か――かっちゃん――
いや、ダメだダメだ。何してるんだ、玲。
もう、精神錯乱はしないって決めただろ。
俺は郷愁を振り払うと、指先を見た。
童心に帰ってみたい。――もうどうせ、ここには誰もいないんだ。
地獄の底で、俺は精神修行をするのだ。
そうしてあわよくば、我欲を捨てることができれば、もしかしたら蜘蛛の糸を伝って、天国に行けるのかもしれない。
俺は更に指先を見た。
血液が流れて、熱くなる。
……。
……。
……。
――ハハッ、流石に何にも起きないか。
と、俺は立ち上がって、洞穴の外を見た。
相変わらず、森がどこまでも広がっている。
奇妙な森だ。鳥一匹だって飛んでない。
聞こえるはずの鳥の声が、一切聞こえない。ここは、無の世界――
まったく、この先、俺は一体どうすればいいんだ。いつまでここにいればいいのか。
ハァ――
と、俺はふと右手を見た。
指先に――炎が灯っていた。