第十七話 アンデルセン
結論から言おう。昨日、掲示板にギルド募集の紙を張ったんだが、その日は誰も来なかった。
その理由は、掲示板の周りで、ひそひそとしていたおばちゃん集団の話から容易に推測できた。
俺らは浮いている――
そりゃあそうだ。
「――いきなり無資格無免許でやってきて、試験官を半殺しにして、一級魔法士になったと思ったら、ギルド開設! ってそりゃ、良く思わないよね……」
と、エミリーはため息をつく。改めて聞くと、酷い話だ。
「どこから漏れたんだろうな……」
「う――ん、分かんないけど、この国、結構セキュリティがガバガバなのよね。父様もずっと嘆いていたわ」
「なるほどなぁ。防犯カメラが設置できないってのも、大変なんだな」
「カメ――?」
「あ、いや、こっちの話。そうそう、後さ、ギルドの名前。あれ、どうにかなんないか」
俺は募集要項に大きく書かれた文字を見た。
ま、ほ、う、せ、ん、た、い……
魔法戦隊ってなんだ?
「だって! 思いつかなかったんだもん! 他に良いギルド名ある?」
「んん――、他のギルドはどうなってんだ?」
俺は、おびただしく貼られた募集要項の紙を左からざっと眺める。
この国の言葉は、話し言葉こそ日本語と同じだが、書き言葉はアルファベットに似た変な記号がローマ字で並んでいるだけで、読みにくい。
俺は必死に頭を使って、読まなければならなかった。
「“オリーブの丘”、“ザナルカンド”、“ハーメルンの笛吹”……なんかどれもかっこいいぞ。ん? この、“はーげるんべん”ってのはおもしろいな。はげる?」
「“ニーベルンゲン”よ……」
「……」
俺たちは同時にため息をついた。とにかく、昨日から何にもできていない。これはまずい。エミリーのお金ももうじき尽きてしまうだろう。
「じゃあ、“マッチ売りのギルド”なんかはどうだ?」
「マッチ売り? 何それ」
それは、“マッチ売りの少女”という童話から取ったものだった。
実は、俺は最近、ことあるごとにこの話を思い出していて、ずっと頭の中に引っかかっていたのだ。
ギルド名に仕えたりしないだろうか。
「知らないか? マッチを売っていた女の子の話」
「マッチを売る女の子? それ、売れるの?」
「そうなんだよ、それがな、売れないんだ……」
「へぇ……それ、どんな話なの? ちょっと教えてよ」
「ああ――」
冬の厳しい寒さの中、貧乏な家庭の少女が、マッチを一生懸命売っていたんだ。だけど、そう、察しの通り全然売れないんだ。
でもな、じゃあ帰ってもいいかっていうとそうじゃない。稼ぎがないと、父親に叱られるんだ。
「――は!? 何それ? 酷すぎじゃない?」
「ああ、だから、少女はマッチが売れるまで外で頑張んなきゃいけないんだ」
でも、冬の夜は、本当にきつくて、冷たくて、痛くて、年端もいかない少女には過酷過ぎたんだ。だから、耐えられなくなって、少女は持っていたマッチを一本ずつ燃やして、温まろうと思ったんだ。
稼ぎが減っても、それくらいきつかったんだと思う。
そしたら、その炎の中に、幻影が現れたんだ。
「――例えば、ストーブとか、ガチョウの丸焼きとか、きれいに飾られたツリーとか……」
「ちょっと分かんないのもあるけど、つまり少女の欲しいものってわけね」
「そうだ。少し訂正すると、少女の意志に関係なく、目の前に現れたって感じだな」
で、少女はマッチを一本ずつ燃やして、その幻影を一つずつ眺めていたんだ。
――そのとき、少女は空に流れ星が流れるのを見た。そのとき、可愛がってくれたおばあちゃんの言葉を思い出したんだ。
――星が一つ落ちるとき、一つのたましいが神様のところへのぼっていく――
つまり、どこかで人が一人死んだのだった。
夜も更け、ますます寒さが厳しくなって、少女はおばあちゃんの言葉を噛みしめながら、また一本マッチを燃やす。そうしたら――
「お、おばあちゃんが現れたのね……」と、エミリーは半べそをかいている。
「ああ、そうだ。おばあちゃんが目の前に出てきたんだ……」
少女はおばあちゃんに会えたのを喜んでいると、やはりマッチの炎が消えかかる。少女は、
――待って、いかないで。私どこにも行くところがないの。
と、残りのマッチも全て燃やしてしまう――
「それで、どうなったの? まさか――」
「……そうさ、翌日の朝、燃えきったマッチとともに、少女が倒れていたところが発見されたんだ……おばあちゃんと一緒に天国へ行ったんじゃないかな」
「……」
「エミリー?」
「……却下よ」
エミリーは断定した。顔が、涙でボロボロになっている。意外と、涙もろいところがあるらしい。
「――といいたいところだけれど、お話、とっても良かったわ。多分、ずっと忘れないと思う」
「そうだよな。俺もこの国に来てからもなぜかずっと覚えてるんだ」
「そうだったのね……。さすがに、“マッチ売りのギルド”はセンスがないけど、それにちなんだ言葉でも、いいわね」
「そういえば、この話の作者は、アンデルセンって名前だったな。知ってるか?」
エミリーは横に首を振った。そうだよな。そういえば、この国の文化って一体どうなってるんだろう。異世界は、まだまだよく分からないことだらけだ。なんだか、おとぎ話の世界に来た気分。
「いいじゃない、アンデルセン。なんだか、素敵な名前だわ。この人は何をした人なの?」
「本名は、ハンス・クリスチャン・アンデルセン。さっき話したような童話をたくさん残している人だよ。みにくいアヒルの子、裸の王様、親指姫……」
「へぇ~、おもしろそう! また今度聞かせてもらいたいわ」
「ああ、もちろんだ」
アンデルセンの童話は、この世界にはないから、俺が唯一の文化継承者ということになる。なんだか不思議な気分だ。こんなことなら、もっと親しんでおけばよかった――と思う。
俺は童話が小さい頃から好きだった。短い文章で、分かりやすい単語で、とても人間の本質を突くようなお話しばかりで、読んでいてワクワクした。
マッチ売りの少女は――命が、炎のように暖かくて、切ないということが素直に書かれた作品だと思う。命は儚い――一回死んだ俺は、それをよく分かっていた。
「――レイったら、またそのモードなのね」
「モード?」
「うん。時々、心ここにあらずって感じの顔をするのよ。すごく寂しそう……」
「ははっ、いやだな。ちょっと昔を思い出してただけ」
俺は頭を掻いてごまかした。エミリーは、じっと俺を見てから、
「いいよ、“アンデルセン”にしよう。ギルド受付に、報告に行ってくるわ」
「え、いいの?」
彼女は、俺の確認に応えず、さっと席を立って、ギルド会館に向かった。
掲示板の近くに取り残された俺は、もう一回、「マッチ売りの少女」を復唱した。




