コカトリス
自重せねばならない。昨日の一件により、僕はそう己を戒めた。
閣下のあの顔。既に、僕は見た目からかけ離れた者であると認識しているのだろう。ただの個人であれば、これは然程問題にならない。けれど閣下は貴族であり、この領地を治めるリヴァース侯だ。
レヴィニア・サラダン。代々リヴァース侯爵領を治める海竜の一族、サラダン家の当主。鮮やかな青の髪、光輝くようなシアンの瞳、白く滑らかな玉の肌、鋭利に凛々しく美しい顔立ち。そんな閣下が何事か考え込むようにして、その眼光を僕に向けていた。
正直どきどきした。だってお綺麗なんだもの。
それはともかくとして。彼女が何を思ったのであれ、僕にとって良くない結果をもたらす。そんな気がした。
それはまさに憶測。予感とも言えない漠然とした不安。抱かれた相手からすれば難癖に過ぎないような、あまりにも根拠の薄い焦燥感だ。
だから、しばらくは自重しようと考えた。ただの戦士として、ごく普通に日々を送る。それはそもそも僕が望んでいた生活のはずで、そしてそうするだけの金銭も今は手に入れている。のんびり過ごしていれば良い。
そんな風に緩く考えながら、少し遅い朝食に舌鼓を打った。
戦士組合に顔を出すと相変わらずの盛況っぷりだ。ただ今日は、敷地内に幌付きの馬車が五台も停まっていた。赤い布地に金の糸で獅子を描いた旗を掲げていて、何らかの団体なのだろうと推察出来た。
「あれは赤獅子の馬車だよ」
そんな声に振り返れば、そこには黒ずくめの姿があった。
丈の長いタイトなワンピースが起伏に富んだ肢体を露わにし、首には温かそうなマフラー、手には手袋。ワンピースの裾からはブーツを覗かせ、コートを着込んでいる。
視線を上げてまず目に留まるのはさらりと風に流れる艶々の長い黒髪。少し垂れ気味の優しげな紅い眼差しが微笑みかけていた。その紅と同じくらいに紅い唇は笑みの形で白い肌に際立って見える。
そして手に持つのは、エメラルドグリーンのハンドバッグ。
「マリエラ、久しぶりだね」
「うん! 会いたかったよ!」
早速抱き締められ、そのまま持ち上げられた。ワンピースを押し上げているものを押し付けられ、意識してしまって赤面する。彼女はあまり気にしないよな。ずるい。
しかもこちらのそんな心情に気付いたのか、悪戯っぽく笑ってぐりぐりとより強く押し付けてくる。どうしてくれようか……。
その状態のまま、マリエラは赤獅子について教えてくれた。赤獅子とは戦士達が集まって結成された集団の内の一つらしい。
戦士組合は、このような集団を戦士隊と名付けて推奨しているそうだ。数人で組んで活動するよりも大規模な動きを可能とするため、戦士の本分である魔物への戦力としての役割を果たすには好都合なのだ。
戦士隊はその結成や所属などを届け出る必要は無い。ただ、届け出ておいた方が便利な事が多いため、ほとんどの隊はそうしているという。これには当然隊員である戦士の中でもその権利を付与された者の同伴が必須だった。
組合では管理のために推奨していて、戦士の証の首飾りのような物の作成を請け負っていた。それを所持している事が、戦士隊への所属の証となる。
「やっぱりあるんだね、そういうの」
「魔物は基本的に群れで行動してるからね。こっちも数を用意しないと負けちゃうし」
遺跡のような閉じた場所であれば、少人数でも戦えない事は無い。けれどほとんどの魔物は野外で生活している。それを討伐するのなら、やはり数が必要なんだ。そう考えれば、こうした集まりが出来上がるのも必然と言える。
マリエラも実は何処かに所属していたりするのだろうか?
「マリエラは戦士隊に入ってるの?」
「私は入ってないよ。父さんや母さんの仕事を手伝ったりするし、戦士隊はどうしても束縛があるから」
「必要な戦力が必要な時に整わないんじゃ、意味無いしね。ある程度縛られたりはするか」
これがデメリットとなる部分だな。隊員となってしまっては、自由に動く事なんて望めなくなると容易に想像出来る。それがマリエラには不都合なんだろう。
束縛があって避けているなら、今後もこうして一人で行動するのかな。マリエラなら心配なんて要らないんだと思うけど、寂しくならないんだろうか。
「ハルト君、今日暇?」
「大丈夫だよ」
「それじゃ、デートしよっか」
唐突に耳元で囁かれ、心臓が跳び上がる。こんなん反則だ、動揺するに決まってるじゃないか。
触れた頬は張り付くような柔らかさと瑞々しさを持ち、ぴったりと密着した身体は寒空の下に熱を伝える。静かに声は潜められ、そして唇が首筋に吸い付くように這わされた。
それだけで体温が二度も三度も上昇したようになってしまい、ぞくぞくとした感覚に僕は顔色を真っ赤に染めていた。
「こ、子供だと思ってからかってるでしょ!」
「本気だよー?」
嘘臭い言い方しおって……。
そんな時だ。組合の建物からたくさんの戦士達が出て来た。彼らは赤獅子の馬車へ次々に乗り込んで行く。隊員なんだろう。
彼らの表情は一様に厳しい。厩舎で休ませていたらしい馬も急いで連れて来て、次々繋いでいる。
「隊長、支度は整いました!」
後から追って出て来た二人の方に声がかけられる。その二人は男女で、男性の方は額から角が一対生えている。鈍い金の角は上に向かって伸び、緩く後ろへ反る形だ。真っ赤な髪は全て後ろに流れ、切れ長の目には朱色が見える。細面の肌は白く、細身らしい体格の身体には赤のロングコートを纏う。
その特徴からレナードさんと同じように悪魔だと推測出来る彼は、身の内に輝く朱色の雷光を秘めている。その強さはマリエラに匹敵しており、凄腕の魔法使いだろう事が想像に容易い。
一方、女性はエルフだ。腰に届く程の金髪に青緑の目を持つ。引き締められた表情の顔立ちは種族的特徴そのままに細く、それは体型においても同様だった。スレンダーな身体を守るのは金属製の胸当てと革の篭手、革のロングブーツ。腰の左には細身の剣を帯び、羽織った腰までのショートマントの陰に、ちらりと短剣も覗いた。
彼女の魔力はあまり強くない。魔法は使えないだろう。その装いから判断すれば、剣士か。
そんな二人の戦士は、ふと気付いたというようにこちらを、厳密にはマリエラを見た。
「マリエラじゃないか」
「久しぶりだね、二人共」
マリエラは、ばつが悪そうに苦笑いしている。
「紹介するね。赤い悪魔の方がカーツィアル・グラン。エルフはユーリマーナ・ウルグニル。赤獅子の隊長と副長だよ」
僕を下ろさず抱き上げたまま紹介してくれる。恥ずかしいから、下ろして欲しかった……。
二人は呆れたような表情を見せたけれどすぐに戻し、マリエラへ視線を向けた。
「ちょうど良かった、マリエラ。俺達に手を貸してくれないか? アルグリッドにコカトリスが出たんだ」
「え、本当に? 私、エルドロードから帰ったばかりなんだけど」
「早馬で情報が来たからな。確認されたのは一昨日だそうだ」
コカトリスか。物語やゲームなんかでは定番の魔物だ。鶏と竜を合わせたような姿で、石化の毒を持つはず。それは嘴だったり液体として吐いたり、竜の息吹のように吹くパターンもあった。何れにしても厄介な相手だろうな。
石化なんて治療出来るだろうか。犠牲者が出てなければ良いんだけど。
「ごめんね、ハルト君。私、行ってくる」
「僕も行くよ」
普通に置いて行こうとしたね。まあ子供だしさ、仕方ないのかもしれないけどさ。
「帰ったばかりなら、魔法組合の発表会で公開された新しい魔法もまだ知らないでしょ? それも教えたいから」
「危ないけど……、ハルト君なら大丈夫かな? 私から離れちゃ駄目だからね」
「支援は任せて」
腕の中から下ろしてもらって、レストを出すべくバッグへ手を突っ込んだ。でも、出す前に鞍の形を変えてマリエラが乗り易くしよう。前後に少し伸ばして、後ろ側に背もたれと肘掛けを作った。ワンピースを着てるマリエラは跨がって座れないから、これなら安全だろう。
調整が完了したところで、レストを引っ張り出す。
「ハルト君、バッグに馬を入れてたの!?」
「何て惨い事をするんだ!」
「魔物とは言え、馬は魔族の友だ。もっと大切にしなさい」
言われるような気はしてた。
「レスト、口の中見せてやって」
ミリヘルド様達にした説明をここでも聞かせた。遺跡で見つけたゴーレムだという、あれだ。それで納得してくれて、事無きを得た。
便利だけど、人前で出すと面倒臭い事になるね。
カーツィアルさんとユーリマーナさんは隊員が連れて来た二頭の馬にそれぞれ乗る。僕らはレストに二人で乗った。
マリエラが楽しそうにしている。乗り心地は悪くないようだ。
馬車は五台全て四頭立てで、騎馬に守られる形で次々に出発した。騎馬はレストを抜いて十二。馬車一台を二騎が守る。この二騎は見張りのようなものだ。周りを警戒し、脅威をいち早く見つける。それが役目であるようだ。
隊長と副長の二騎は、今は最後尾の僕らのところにいる。そこで、依頼の内容について話してくれていた。
「エルドロードの北にある村、ミードから報告があったそうだよ」
西に山岳、東に森林と挟まれた土地に、その村はあるという。エルドロードから数えて三つ目で、現在開拓中の新しい村なのだそうだ。
西側の山岳地帯が緩やかな斜面で、そこに田畑を作りつつ森の木々で林業も行う予定だったのだけど、その東の森の中でコカトリスが目撃された。急ぎでエルドロードの戦士組合まで報告され、その情報がレヴァーレストまで伝わって来たわけだ。
「マリエラはわかってると思うけど、二人は一時的な隊員扱いになる。だが、ペアで動いてもらって構わない。こちらからの指示にだけ従ってもらえればね」
「二人への指示は、私と隊長で出す事にしよう。その方が余計なトラブルを避けられる。他の者の指示には従う必要は無い。そこは明確にしておこう」
そこまではっきりさせるのか。僕らとしてはわかり易くて助かるけど。
「命令系統を単純にした方が、動きも速くなるからね。皆にもそう伝達しておくよ」
二百や三百という規模になったら難しいのだろうけど、赤獅子は三十人を少し超える程の人数らしいからまだまだ指示するのに困る事は無いだろうね。
ともあれ快諾しておいて、僕らは二人の指揮下に入る事となった。それから道中で一度野宿して、翌日の昼過ぎにはエルドロードへと到着した。ここで一旦領主の軍と合流し、方針を決めて連携を取るそうだ。
この世界へ来てから二つ目の大きな街。治めるのは子爵位を持つアールガルド家だ。ミリファ様が帰って来てるはずだけど、元気だろうか。夫が凶行に走り、そのために娘は家を出た。その心労は相当なものだろう。
僕に出来る事なんて無いけども、せめてコカトリス討伐の一助となって悩みの一つでも減らしておきたいね。




