毒と、水の魔法
「ハルト!」
ソニアさんの声が聞こえた。悲痛に響く、叫ぶような声音だった。
衝撃を受け流し切れずに体勢を崩して尻餅を突いていた彼女は直ぐ様立ち上がり、キマイラの事を忘れてしまったかのように僕の方へと走り寄っていた。
転がったせいか身体中が痛い。制御が甘くて速度の調整が上手く出来なかったんだ。それでもこの程度で済んだのだから運が良い。
傷は大した事が無いと、何となくわかっている。一番痛いのが、噛まれた場所なんだから。
「ちっ、レベッカ! ミツキ! 一気に決めるぞ!」
「ハルト様によくも……!」
「許さないわ、あたしのハルトちゃんを」
「誰があんたのだ誰が!」
人が怪我してんのに余計なボケ入れやがって……。
ともかく治療だ。毒だからな、慎重にやらないと。
まずは水術で、血液に働きかけてみた。それで右手首から先の血流を止めようと考えたんだ。出来るかどうかわからなかったけど、これは上手くいった。
「大丈夫なのか、ハルト……」
殿、が付かなくなってるね、ソニアさん。動転してるみたいだ。目を大きく開いて、すぐそばに両膝を突いて泣きそうな顔で僕の噛まれた右手首を見ている。声が震えて、普段の彼女とかけ離れた様子だった。
心配させてしまったようだ、面目ないな。でもこんな風に取り乱すなんて、ちょっと意外だ。そして何と言うか、可愛い。いかん、不謹慎だね。
「傷は大した事無いよ。ソニアさんこそ、結構強烈な蹴り食らってたけど大丈夫なの?」
「私は精々尻が痛むくらいだ。何て事は無い。だがハルト、君は毒を流し込まれたのだろう」
その視線は、僕の右手首に注がれていた。そこは現在、水の球に包まれている。袖に付いた毒を取り除いているところだ。そのまま治療に移るわけにはいかないし、切って捨てるのも嫌だった。だから水でしっかり取り除く。毒自体も液体で水分を含んでいるからか、簡単に綺麗になった。
右手首から入った毒も今は血液と一緒に止めている。水分さえあれば水術が干渉出来る事は、血液を止める事で理解した。ならば毒液も例外ではない。毒を取り払う目処は立った。
洗浄の済んだ袖をまくり上げ、右手首を露出させる。そして毒液を水術で傷口から直接排出した。少し混ざってしまった血液も一緒に流して傷口を水で洗浄。後は癒術で塞ぐ。それで治療は完了だ。
手を何度か握って開いてと繰り返し、痛みも妙な感覚も無い事を確認。よし、大丈夫だ。
「これで治療完了っと」
「本当にもう何とも無いのか? 大丈夫なのか?」
僕が庇って怪我した事、そんなにショックだったのかな。キマイラが強力な相手だっただけで、油断していたわけじゃないだろうに。
右手を差し出してみれば、彼女は恐る恐る手を取った。傷痕も無ければ変色もしていない。子供らしい血色のまま、綺麗な肌色だ。そこに触れてよく見て確かめて、やっとソニアさんは深く息を吐いた。
「良かった……!」
そのまま僕の手は、両手に包まれて胸元に引き寄せられた。毒とは言え右手に受けただけだし、ちょっと大袈裟じゃないかな。
ソニアさんが手を解放するには、今しばらくの時間が必要だった。
キマイラはレベッカさんにヘラルドさん、そして加勢に駆け付けたミツキさんの三人に囲まれ、集中攻撃を受けていた。
竜の炎は変わらずレベッカさんを止めていたけれど、獅子と山羊が無くなった事で周りが見辛くなってしまったのだろう。飛び込むミツキさんに気付いたのは、打刀が目前に迫ってからだった。
胴を三角飛びに蹴って閃く刃は硬い鱗の表面で音を立てて弾かれる。ミツキさんはそのまま斬り抜けて離脱する。その口元には、微かな笑み。
斬られた竜の首は、その衝撃によってほんの僅かな時間だけレベッカさんに自由を与えてしまった。そして、それだけで充分だった。上段に構えた大曲剣が振り下ろされる。竜の首は二度と炎を吹き出す事無く、真っ二つとなって自らの内側から火を噴き出した。
キマイラは、首三つを失ってもまだ動きを止めなかった。レベッカさんに爪を振り、その大柄な肉体を剣ごと吹き飛ばす。暴れるように前足も後ろ足も振り回し、ミツキさんやヘラルドさんにまでも迫った。
そこに、静かな声が響く。
「左腕の借り、返してもらいますわ」
直後、雷鳴が轟き紫の稲妻がキマイラを包んだ。激しく瞬く閃光の中、断末魔すら無く灼き焦がされていく。幾条もの稲光に貫かれたキマイラは、嵐が過ぎた静けさの内に倒れ息絶えた。
同時に術者であるエニスさんも膝を突いて、息を上げて喘いだ。
そのキマイラが最後で、この部屋を占拠していた魔物達は殲滅となった。戦士達の歓声が上がる。まずは第一歩、一つ目の目標を達成した。
次は、閉じ込められている戦士達の救出だ。
「後衛がもう一人欲しいのよね」
レベッカさんが休憩中に、そんな事を口にした。
遺跡の床は冷たく、僕らはレベッカさんが出した毛布の上に固まって座っている。水を飲んだりして一息入れて、受けたダメージは僕やレベッカさんが癒術で治療した。
翼のせいで肩や背中を露出させているソニアさんは、ショールのような大きな織物を羽織って肌を隠すように暖を取っていた。大きくはないけど篝火もあって、部屋の中にいる分には思った程寒くはない。でも探索を始めたらその限りではないだろう。サキュバスって、こういう時大変なんだなあ。
「前衛ばっかりだからな、俺らは。ここみてえな広い部屋ならそれでも構わねえんだが」
「そうなのよね。あたしが回復に回ってハルトちゃんに水術で攻撃してもらっても良いんだけど、少し不安があるじゃない? でも、贅沢な話かしらね」
魔法使いを連れずに戦っている戦士もいるだろう事を考えると、確かに贅沢なのかもしれないな。僕とレベッカさんの二人はいるわけだから。
「でも救出した戦士達の怪我や体力の回復までしなきゃならない事を考えると、確かに欲しいね。魔力が温存出来ない可能性があるから」
僕らは戦いながら、救出しなければならないんだ。薬もあるそうなんだけど、治療と言うよりは止血だったり自然回復の補助程度のものらしい。それでは即効性なんて皆無と言って良いだろう。癒術とは比べられない。
また、特に僕らの場合は奥へ行く。遺跡の浅い付近は、他の戦士達に任せる手筈になっている。そして精鋭である僕らレベッカさん一行は、奥にいる戦士達を助けに向かう。
そんな事情もあって、戦力が欲しいのだ。
でも、魔法使いはどのパーティーでも欲しがるよなあ。
「駄目元で、かけ合ってみるわ」
そう言って、レベッカさんは他の戦士達の下を回り始めた。そうすると話題も変わる。最初の一言目は、ヘラルドさんだった。
「ところで坊主。さっきの飛び込みは、ありゃ何だ? お前、実は結構動けるんじゃねえか」
「あれは私も驚かされた。十歩どころでなく離れていたにも関わらず、一度の跳躍で目の前まで飛んで来たからな。その小さな身体で、よくあれだけの事をやったものだ」
「あははは……」
笑って誤魔化すぜ!
「おっと、まだ礼を言っていなかった。ありがとう、ハルト殿。この恩義には必ず報いさせていただく」
あらら、また敬称が付いちゃったか。別に呼び捨ててくれて良いのに。
「気安く呼び捨てで良いんだよ? そっちの方が僕も嬉しいし」
「そうか? では、照れ臭くはあるがそうしようか」
柔らかに微笑んで、ソニアさんは提案を受け入れてくれた。花がふわりと香るように錯覚してしまう程綺麗で、思わず見惚れてしまった。
凛々しくて綺麗で可愛くて、人格も今のところ印象良いし腕は銀級の戦士。ソニアさん、無敵じゃないか? あ、種族サキュバスなんだっけ。何処までサキュバスなんだろ。節操無しには見えないけどな。
「お礼がしたいならよ、ソニア。スキンシップしてやりゃ良いんだよ。どうもませガキらしいからな、喜ぶぜ?」
「酷っ!」
このおっさんは……!
睨み付けても何処吹く風で笑ってやがるし、どうしてくれようか!
「ハルト様は二十歳のハーフリングでしたね。少し早い気もしますが、そろそろ年頃ではありますね」
面白がるように悪戯な笑顔を浮かべて、ミツキさんもそんな事を言う。
あんたまで乗るの、この話?
「スキンシップか。私はサキュバスでありながら、こういう事はよく知らなくてな。ハグでもするか?」
言うなりソニアさんは、ひょいと僕を持ち上げてしまう。そして胸元に顔が埋まる形で抱き締められた。
「待って待って本当にやる? うわ、うわあ……」
「ぶははっ! わかってんじゃねえかよ! おうおう、耳まで赤くしちまって」
ヘラルドさんは大笑いし、ミツキさんもくすくすとしている。
こっちはと言えば、柔らかいやら良い匂いやらで頭がどうにかなりそうですよ……。
「これはいかんな。愛らし過ぎて、こちらまでおかしな気分になって来たぞ」
サキュバスの本能に目覚め始めてるんじゃ……。ちらと目だけで見上げて様子を見ると、目が合った。
見つめ合うと、彼女の笑みが物凄く妖艶な気配に彩られつつあった。
「上目遣いはいかんだろう、何と愛らしい事か……」
まずい、刺激してしまった。何とか止めないと、と手段を考え始めたところで、ソニアさんは自ら頭を振った。そして腕を緩めて、僕を下ろしてくれた。
「今はここまでとしておこうか。私達は仕事に来ているのだ。全て終わったら、また礼をさせてくれ」
「いや、もう充分過ぎるからね!?」
これ以上はこっちが色々駄目だ! 三十路な魔法使いには荷が勝ち過ぎてるって!
ソニアさんは危険だ。やっぱりしっかりサキュバスだよ……。




