26.俺の可愛い弟子
ラプター視点の過去編です。
久しぶりに会った彼女は警戒するように俺を見上げていた。
5歳の時からの知り合いなのに、たった一年半会わないだけでこんなにも警戒されてしまうのかと地味にショックを覚える。
10の彼女は記憶よりも大きく、思わず「大きくなったな」と声を掛けていた。
その声に驚いたのか目を丸くしてしまう。
「覚えてるか? ラプターだよ」
「……覚えてる……」
「良かった。今日から俺が君の魔法の先生になるんだ」
エメリンに手を差し出すと彼女はおずおずと俺の手を握り返した。
「よろしく」
「……よろしく……」
まだ固い表情ながらもエメリンは頷いた。
出会った時から彼女の膨大な魔力に気が付いていた。これは一種の才能だ。
これをコントロールできれば彼女は一流の魔術師になれる……。
彼女は、暫くは俺を警戒していた。だが回数を重ねるごとに徐々に警戒心を解いていき、3ヶ月経つ頃にはもうすっかり俺に懐いて纏わりついてくるようになった。
子供が特別好きというわけではないが、慕ってくれていると思うとやはり可愛く思える。
一年もすればそれは深まっていき、妹のように思うようになっていた。
……彼女は11から俺が好きだったらしい。そう思うとすぐに抱きついてきたり手を握ったりしてきたのは好意の表現だったのか。さすがに11歳の少女に恋愛感情は抱けなかったが。
「ラプター! 見て! 自分で作ったの!」
エメリンは俺に白いハンカチと、そこにされた黒い刺繍を見せてきた。
この頃からエメリンは花嫁修行をさせられていた。彼女の両親は、魔法の使えない娘の将来を心配してのことだったのだろう。
だがエメリンにとってそれが良かったのかは分からない。未だに家に帰ろうとしないところから見ても、あまり両親と会いたくないのだろう。
「刺繍か? すごいな」
「うん。自分の名前と、ラプターの名前!
できるようになったから!」
少し歪んだ俺の名前をエメリンは見せる。
こういう細かい作業が苦手なのに……相当頑張ったのだろう。頭を撫でて褒めると彼女は嬉しそうにはにかんだ。
「……ラプター」
「ん?」
「私、魔法使いになれるかな?」
彼女に魔法を教え始めて2年が経過していた。彼女は未だ魔法が使えない。
だがそれでも俺はエメリンに諦めて欲しくなかった。
「……人を助けることに魔法を使えたら、それだけで魔法使いだ」
「どういうこと?」
「魔法使いは誰かのために魔法を使える人のことを言うんだ。ただ魔法が使える人のことじゃない。
お前は優しいし、人のことを考えられる。素質があるんだ。
必ず魔法使いになれる」
そう言うと彼女は破顔した。嬉しそうに、照れたように、そして少し寂しそうに。
俺の全力を尽くして魔法を教えるも彼女はそれが使えぬまま時は過ぎ、魔法団に入団していた俺は他の子供たちにも魔法を教えることになった。
今にして思えばそんなのやめておけば良かった。エメリンだけと向き合っていれば……。
俺は魔法団の仕事の合間に更に増えた子供たちの面倒を見ることとなり、エメリンに割く時間が減っていた。
彼女は部屋の隅で静かに授業を受けていた……周りの子供は彼女よりも年下だ。打ち解けなかったのだろう。
「悪いな。最近見てやれてなくて」
俺が謝るとエメリンは首を振って微笑む。
「大丈夫。自分でも、なんとかしてみるし」
今にして思えばあの笑顔は、彼女が両親に向けるものと同じだった。
大丈夫じゃない時の笑顔だった。
魔法よりも遊びたい子供たちを適当にあしらいつつエメリンに魔法を教える。
俺が見ているところでなくてはエメリンの魔力が暴走した時に彼女を守ってやれない。
「いたっ」
「どうした?」
「な、なんでもない」
また魔力が暴走して彼女の手を傷付けたのだろう。俺は治療の為に手を取る。
いつのまにか彼女は怪我を隠すようになっていた。
怪我も、悩みも、全て。前は俺に相談してくれていたのに。
平気だからと言ってそそくさと立ち去る。
それが堪らなく嫌だった。
彼女にとって俺はなんなのだろう。かつてのように信頼される存在ではなくなってしまったのだろうか。
更に時が過ぎ、彼女は16歳になった。
まだ幼いところもある。だが時々見せる表情は女性の美しさそのもので、もう子供だったエメリンはいないのかと痛感した。
寂しくも思うがそれ以上に戸惑いがある。
……可愛すぎる。
子供の持つ幼気な可愛さではない。腹の底から何かが沸き起こる可愛さだ。
しかもエメリンは自分の可愛さに気が付いていないらしく、時々無邪気な、無防備な振る舞いをする。
これは良くない。彼女は教え子なのだ。
いくら大人っぽくなったとはいえまだ16歳。
もし彼女に手を出したら自分で自分が許せなくなるだろう。
「ラプター! 今日うちに来ない?
美味しいお菓子を貰ったんだけど1人で食べきれなくて……」
「1人? ご家族は」
「お父さんもお母さんもお出掛け。兄さんも演奏会あって暫く帰って来てないし……ジャガーノートもどっか行ってる」
「そうか……。
生憎だけど、今日はちょっと忙しくてな。
テイラート以外の誰かと一緒に食べてくれ」
2人きりになるわけにはいかない。そう思って断ったがエメリンはシュンとしてしまう。
……悪いとは思っているが距離を置かなくては。
じゃないと、教え子に手を出す人非人になってしまう。
それから俺たちの距離はドンドンと出来てしまった気がする。
もし俺が距離を置こうとしなければ……彼女が剣技に夢中になっていることに早くに気がつけたのだろうか。
結局俺は、エメリンが近所のならず者を相手に剣技を挑んだことで、彼女はもう魔法使いの道を諦めてしまったと気が付いた。
「ラプター! 私、撃退してやった!」
「なに馬鹿なことしてるんだ!」
傷だらけになったエメリンを叱る。
「こんな怪我して……!」
「大したことないよ。それより聞いて、あのね」
「大したことない? 服もボロボロで、全身痣だらけなのに? ふざけるな!
二度とこんなことするなよ。あんな奴ら自治団か騎士に任せておけばいい。お前のやることじゃない」
「……でも、私1人で、撃退できて」
「運が良かっただけだ」
エメリンの細い腕を握り、魔法で怪我を治す。
まだ、良かった。怪我で済んで良かった。
攫われて、酷い目にあわされていたかもしれない。殺されていたかもしれない。
俺は必死で震えを抑える。
もし彼女が、死んだら。
そこまで考えて俺は息を吐いた。深く。
「……危険なことに首を突っ込まないと約束しろ」
エメリンは真っ白な顔で俺を見ていた。
「……やだ」
「はあ!?」
「私……役に立ったのに。初めて自分の力だけで人を助けた」
「それがなんだって言うんだ。
自分の体を顧みないで」
「魔法もそうじゃん」
エメリンがポツリと呟く。
「……指を怪我するのは、まだ魔力のコントロールが出来ないからで」
「いつ出来るようになるの? ……いいよ、もう。
どうせジャガーノートみたいにはなれない。
無意味だよ」
「無意味なんかじゃない」
「……剣は……すぐ上達したよ。魔法よりも勉強した時間は短いのに、大人たちを動けなくさせられるくらい。
私向いてない」
「な、にを」
「魔法使いになれないよ」
諦め切った彼女の、それでもどこか清々しい顔に俺は言葉を失った。
エメリンは自分の才能を見限ってしまった。それはひとえに、俺の力不足からだ。
「そんなことない。お前は本当に才能があるんだ。
……俺がそれを引き出せないだけ……」
もう5年も彼女は燻り続けている。コントロールは以前よりマシになったとは言え指を怪我するし出力も大き過ぎたり小さ過ぎたり。
成長は ゆっくりとしているがエメリンにとってはそれはつまらないのだろう。
もっと彼女に時間をかけてあげるべきだった。教え子になったのだからもっと責任を持つべきだった。
「もっと教え上手な人を紹介する。その人のところに通ってみてくれ」
エメリンは俺の手で魔法使いにさせてあげたかった。幼い頃から彼女を知っているからとか、弟子だからだとかそういうものではなく、単純にエメリンが好きだったからだ。
だけど俺の気持ちが彼女の才能の邪魔をしている。
魔法団の先輩に頼みエメリンのことを頼んだ。彼は快諾してくれたものの、エメリンがその人のところに通うことはなかった。
俺のところに来てくれる。それは嬉しかったが、成長はやはり緩やかで他に教えていた生徒が上級魔法を使える頃にやっとの思いで初級魔法を覚えた。
……本人にやる気が無いのは分かっていた。それでも、来てくれるのは完全に諦めていないからだと思っていた。
いつからか、俺のところにも来なくなる。代わりにならず者を蹴散らす彼女を見かけた。
助け出した相手からお礼を言われ微笑む彼女の、どこか誇らしげな顔に悔しくなる。
遅咲きの魔法使いの例を集めてまとめ彼女に手紙を送った。それからエメリンの才能の素晴らしさと、自分を信じてほしいと。
手紙を彼女が読んだのかは知らない。届いた頃にエメリンは家を出て、騎士団に入団していた。
「……それで? このエメリン・タンジェリンを騎士に採用しろと?
タンジェリンって確か音楽家がいたよな……。そう、魔法使いの家系でもある。騎士の家系じゃ無いだろ」
クアドラス殿下は怪訝な目で俺を見る。
「辛抱強いですよ」
「あー、そう。まあ別に飾りの騎士なんだから誰でもいいけどな……。だが、いくらラプターの頼みとは言え変なのだったら断るから」
「それは勿論。一昨年の夜会の件や先週の件などあなたのやらかしはいくつかありますが、勿論」
「お、脅すなよ……。分かった、会うだけ会う」
彼女が国の騎士団に志望したのはある意味俺にとって都合が良かった。殿下の側なら変なことも起こらない……はずだ。
名の知れた貴族の騎士でもおかしな奴はいる。犯罪に加担させられるかもしれないし、立場を使って彼女を良いように扱うかもしれない。
その点殿下はそんなことはしないと信用ができる。恐らく。それにここならば俺の目が届く。
「……けど珍しい。いつもこんな強引なことしないのに。
エメリン・タンジェリンはどんな奴なんだ?」
「危なっかしいし頑固で人の話を聞かないですけど……才能がありますよ」
未だに俺は彼女を諦めきれない。自分でもこんなに執着しておかしいと思う。
それでも、エメリンに自分の才能に気付いてほしかった。
いや、才能というか価値かもしれない。
昔から続く魔法使いの家系、音楽家として名を馳せている兄、魔法使いとして幼いながらに功績を残している妹。
エメリンを取り巻く環境は、少し息苦しい。その中にいたせいで彼女は自分を過小評価する。人の為に身を投げ出し怪我の肩代わりをする。
もう誰かの身代わりになって怪我を負ってほしくない。
ただ居るだけで幸せと感じてほしい。
そんなこと、魔法使いの道を押し付けた俺が言えることではないが。
願わくばこれ以上彼女が傷つきませんように。




