22.狂人と魔物
「ささ、タンジェリンさん!行きますよ!」
レイオレピスが私の腕をぐいぐい引っ張り、魔法団基地から神殿へ向かおうとする。
ラプターはそこにいるらしい。
そして、レイオレピスはとっとと私に告白させたいようだ。
「いや、あの、何も今すぐじゃなくても。」
「でも、早くなんでキスされたか知りたいでしょ?」
……それは、そうだが。
でもどうせ理由はどうでもいいことだろう。パッとは思いつかないが……。
いつも勝手に期待しては勝手に裏切られてきたのだ。あまり、期待はしたくない。
そんなことを考えていたら前を見ていなかったらしい。
思い切り柱にぶつかった。
「キャア!タンジェリンさん!?」
「……痛い、」
「あ、血、血が……」
レイオレピスが私のおでこを指差した。
出血したらしい。通りで痛いわけだ。
「あちゃー……。」
「治療しますね!」
慌てふためきながら彼女は私のおでこに手を当てる。
触れられた部分が不意に暖かくなる。
「……治りました。
びっくりしました。大丈夫ですか?」
「……うん?」
今、レイオレピスは魔法の詠唱した?
「レイオレピス……どうして……」
レイオレピスはキョトンとしていた。
私の勘違い?
その時、耳に風切り音が聞こえてきた。
そのあとガシャガシャという鎧の音。
「やっと見つけた……」
青い目の男、カロテス様だ。
彼は我々を、いやレイオレピスを見据えていた。
何故彼がここに?
「カロテス様?」
「エメリンさん、下がって。
その女は魔物です。」
「何を」
言っているの、と続けようとしたがそのまま言葉は途切れる。
レイオレピスは真っ青になってカロテス様を見つめていた。
全身が震えている。
そうだ、カロテス様が怖いんだった。
「レイオレピス……」
「う……あ……」
カロテス様は鬼の形相でレイオレピスに近付いてくる。
一体、何が起こっている。
「カロテス様!落ち着いてください!」
「ずっと探していたんです。城内に隠れている魔物を……。
今その女は詠唱を無しに魔法を使いました。
そんなことができるのはラプターさんと……魔物だけです。」
「それだけで決めつけるのは早いです!」
「アノールに頼んで城内の捜査してもらったんですよ。怪しいのはその女くらいです。」
アノール。
まさかここで彼の名前を聞くことになるとは。
彼は勇者様もお得意らしい。金を積めばなんでもやるから、きっと城内に怪しい人物がいないか探させていたのだ。
「レイオレピスのどこが怪しいんですか!」
「いきなり現れて急に神殿長の助手。
孤児というのに読み書きができる。
そして詠唱無しでの魔法の使用。」
カロテス様は淡々と答えながらレイオレピスの前に立ちふさがった。
私はその間に入ろうとするが、カロテス様はそれを避けてレイオレピスの腕を掴んだ。
「お前、魔物だな?」
目が怖い。
カロテス様の目は青くギラギラ光って、レイオレピスを今すぐにでも殺してしまいそうだ。
「わた、わたし……ちが……」
「違う?
まあいい。服を剥けば分かることだ。」
カロテス様がレイオレピスのスカートを脱がそうとする。
「何やってるんですか!やめてください!」
「魔物は両性具有なんだ。見たら一発でわかるよ。」
……両性具有……?
私はレイオレピスの体の秘密を知っている。
じゃあ、本当にレイオレピスは魔物……?
いや、両性具有の人間だっているはずだ。彼女は魔物じゃない。
私はスカートを弄るカロテス様を止める。
「カロテス様、やめてください!」
「ほらやっぱり。魔物だ。」
彼の腕をレイオレピスから引き剥がそうとした。
レイオレピスは泣いている。カロテス様の恐ろしさと、触られたのがショックだったことも重なったのだろう。
カロテス様の青い目が私を見る。
恐ろしい目だ。
彼は空いてる手で私の顎を持った。
「大丈夫、サレア。もうあんな目に遭わせない。魔物は全部俺が殺すからね。」
……ダメだ。目がイッちゃってる。
「カロテス様……」
「父さんも母さんも村の人も皆俺が守るから。大丈夫だよ。」
彼は私の頬を愛おしそうに撫でる。
サレアって、誰だ。
私を誰だと思っている?
「まずこいつから殺そうね。」
カロテス様は微笑むと、私から手を離し腰に下げていた剣に手を掛けた。
「ダメ!待って!カロテス様!」
「殺さなきゃ。魔物は、全部。殲滅させなくちゃ。わかるだろ?
じゃないとみんな殺される。」
カロテス様の力が強い。
なんとか剣を振るわせまいとその腕を抑えるが、彼は私の右腕をいとも簡単にどかしてしまう。
私はカロテス様から離れ、小刻みに震えるレイオレピスの体を抱き締めた。
「退くんだ、サレア。お前は騙されてる。」
「お願いだから、話を……」
「魔物との対話なんて無理なんだよ。
さあ、こっちへ。じゃないとお前ごと切ってしまう。」
正気じゃない。
カロテス様の目は焦点が合わず、なのに確実にレイオレピスを殺そうとギラついている。
彼は剣を構える。
仕方がない、こうなったら私も……
「エメリン!?カロテス様!?」
その声にハッとなった。
この声は、タワ様!
「……カロテス様、剣を下げてください。
聖女様に血を見せる気ですか!?」
「そんなの関係ない。」
ダメだ。
この人は何があろうと魔物を殺したいのだ。
でもレイオレピスは違う。魔物じゃない。
だって、ずっと一緒にいた。
魔物らしいところなんてどこもないじゃないか。
「古の支配者の娘よ、孤独に増えろ、亜熱帯に舞え」
男の声がした。
呪文の詠唱だ。
それが唱え終わると、カロテス様の動きが止まる。
「な、んで……」
「動きを止める魔法です。」
男はスキンク様だった。
スキンク様とタワ様は我々に駆け寄ってくる。
よかった、助かった。
「スキンク様!」
レイオレピスは泣きじゃくりながらスキンク様に縋り付く。
「レイオレピス……。
……一体何があったんです?」
スキンク様の冷ややかな目線がカロテス様、そして私に向けられる。
怒っているようだ。
「神殿長、その女は魔物です!今すぐ殺さないと!」
カロテス様が興奮したように叫ぶ。
体が動かなくて良かった。動いていたら今頃レイオレピスの命は……。
「魔物じゃありませんよ。
……魔物と人間の子供です。」
その言葉に、魔法を使われていない私まで動けなくなった。
魔物と、人間の、子供?
「それは、」
「よく聞く話でしょう。
魔物が人間を襲い、子を孕んだり孕ませたり。
大体は産まれた時に殺されますが、彼女は生きていた。なんとか生き延びたんです。」
「魔物と人間の子供……?そんなわけがない。
アレはもっと醜い。人の形も成していなかった。母親の腹を食い破って出てくる、悍ましい奴らだ。」
カロテス様の体が震え、苦しそうに顔を歪めた。
「どういう魔物と交配したかで変わってきますから。」
スキンク様の冷静な声に、カロテス様は一層苦しそうに呻いた。
「魔物は……そいつは両性具有だ……。また誰かを孕ませ不幸にする……。」
スキンク様の顔が僅かに顰められる。
「……なんでそれを?触ったんですか。」
「そうですよ。」
カロテス様の返事はお気に召さなかったようで、彼をキツく睨むとレイオレピスの背中を摩る。
「安心してください。男は孕めませんから。」
「は?」
「ごめんなさい、ちょっといいですか!」
タワ様が睨み合うスキンク様とカロテス様の間に割って入った。
「あの、魔物って両性具有なんですか?」
「そうですが……?」
「……あ!
わかった!わかりましたよ、城内にいる魔物が!
スキンク様、カロテス様の魔法を解いて!」
「ダメですよ。まだ興奮してます。
我々が殺されるかも。」
「大丈夫、ね?カロテス様!」
「……多分?」
「ほら!」
何がほら、なのかわからない。
絶対離したらダメでしょう。
というか城内にいる魔物って誰のこと?
「わかりました。
死なないでくださいね?」
スキンク様が魔法を解くと、その瞬間タワ様がカロテス様と私の腕を掴んで走り出した。
「ちょ、ちょっと!?」
「はーやーく!!」
いきなりなんのことか、説明してください!
*
タワの命を狙ったのは何者だろうか。
俺は呪いのナイフを見つめた。
こんな……こんな物まで使って何を。
「殿下、お客様です。」
こんな時に。
苛立ちながら入るよう指示すると、そこにいたのはヒロズだった。
もう彼女との婚約候補は解消したというのに、未だにこちらに訪れる。
婚約候補をこちらで紹介するべきか。
「お忙しいところ申し訳ありません。
……あの、大事な話があります。聖女様のことで……」
「なに?」
俺は目線で護衛騎士を下がらせた。
それを見たヒロズがゆっくり口を開く。
「……どうも聖女様は他の方と……姦通してるみたいなんですの。」
ヒロズの言葉に目の前が赤くなった。
姦通だと?
いや、落ち着け。
この女が騙そうとしているだけだ。
「……何が言いたい。」
「神殿で、講義をするだなんて言っておきながら騎士の男と淫らに腰を」
「黙れ!」
全身からよくわからない汗が出てくる。
タワは確かに体を使って男を操ろうとする。
だがそれも、俺と体を重ねるようになるまでの話だ。
信じない。こんな女の話……
「聖女様のことを信じてらっしゃるのですね……ですが、今回だけの話ではありませんよ。
彼女が複数の男と肉体関係にあること、ご存知でしょう?」
「うるさいぞ、黙れと言ったんだ。」
「ああ、お可哀想な殿下。聖女様のことをこんなに信じておられるのに……」
ヒロズが憐れみながら俺に抱きついてきた。それに腹が立つ。
憐れむな!タワはそんなことしていない!
「殿下……お慰めしたいです……」
ヒロズの悲しげな声により苛立ちを増していく。
誰がお前なんか……!
「もういい!帰れ!」
「ふふ、お断りしますわ。」
ヒロズは憐れみの表情から一変、蔑んだ表情を浮かべると俺の体を押し倒した。
「頑固な方ね。仕方ない……」
なぜだ?体が動かない。
ヒロズが俺の顔を撫でる。
「油断しすぎですよ、殿下。」
彼女はにっこり微笑むと、あの、呪いのナイフを手に取った。
そしてそれを振りかざす……
「殿下!!」
「なっ!?」
飛び込んできたのはタワと、エメリン、カロテスだった。
どういう面子だ?
「あんた、ヒロズとか言ったっけ!?
離れなさいよ!」
「飛んで火に入る夏の虫、ね!」
ヒロズは素早く飛び出すと、一気にタワとの間合いを詰める。
あいつは、タワの名前の書かれたナイフを持ってる!
「エメリン!」
「はい!」
エメリンは片手でヒロズのナイフを受けるが、力が強いらしい。
押されていた。
まずい。魔法を使うか……
俺が詠唱しようとすると、カロテスがゆらりと動いた。
「こいつが、魔物……」
青い目がギラつく。
その顔には興奮したような笑みが浮かんでいた。
魔物に対して異常なまでに攻撃的になる、いつものやつだ。
彼はヒロズの頭を鷲掴むと床に叩きつけ、その頭を踏んだ。
「お前が、城内に隠れていた魔物か!?なァ!?」
「ひっ、怖。悪魔かよ。」
「タワ様、下がって。」
ヒロズは床に伏せられたまま、笑い声をあげる。
「く、ハハ、バレちゃったわけ?」
「そうなんだな!?魔物なんだな!?」
カロテスの興奮は増していく。
こいつ、こうなるの本当どうにかならないのか?
「カロテス様、殺さないでくださいよ?生け捕りですからね?」
「わかってるよサレア。」
「わかってないでしょ。」
エメリンはタワと共にこちらにジリジリと寄ってくる。
「殿下、ご無事で?」
「ああ、魔法を使われていて動けないがそれ以外は大丈夫だ。」
「わりかしピンチだったんですね。
間に合ってよかった。」
ヒロズの悲鳴が聞こえてきた。
見ると、床に腕が落ちている。
カロテスが切り落としたらしい。
「カロテス様!? 話聞いてました!?」
「死んでないから……でもこのまま……殺したい……」
「ダメダメ!ストップ!
あ、タワ様見ちゃダメですよ!」
エメリンは無理やりタワの腕を掴むと俺に押し付けた。
タワは見ないよう必死で俺の胸に顔を寄せている。可愛い。
「仲間がいるか確認しないと。」
「わかってる。でもほら、首を切らなければ死なない……」
「ここで拷問しないでもらえます!?」
その時、ヒロズの切り落とされた腕がビタンと跳ねた。
えっと思う間も無くそれはこちらに飛んでくる……あの呪いのナイフを持って。
「タワ!」
「えっ!?」
「タワ様!」
ナイフはタワの肩に刺さった。
ああ、そんな。
「やってやった!やってやった!聖女様を殺してやったぞ!アハ、アハハ!」
「テメエ!」
ヒロズの背中に剣が突き刺さる。
俺にかかっていた魔法が解けた。魔法を俺に向ける余裕がなくなったらしい。
タワの体を抱き締める。
「タワ……タワ……あ……」
「いた……」
どうしたらいいんだ。この呪いのナイフの対処法は?
「そのナイフは……刺したら絶対死ぬ……!」
ヒロズの息も絶え絶えな、恐ろしい言葉に耳を塞ぎたくなる。
タワが。タワ……。
「殿下、大丈夫。」
「大丈夫なものか!」
「いや、本当に。ちょっとしか刺さってないし。」
タワは落ち着いた様子でナイフを引き抜く。
それから立ち上がるとヒロズに近づいていった。
慌てて彼女を追う。
そんな奴に近づいてくれるな。
「ヒロズ、この呪いのナイフは正しく名前を書かないと作用しないのよ。」
「知ってるわよ、だから、書いたじゃない、家名にミナミ、名前にタワ……」
「馬鹿ねえ。
私の名前はミナミ タワじゃなくて、多和 美波よ。
家名がタワで、名前がミナミ。逆よ逆。」
タワ……多和?
多和 美波?
タワはヒロズの鼻の先にナイフを突き出した。
「これでこんなちょっと刺されたくらいじゃ私は死なない。だって、名前間違ってたらただのナイフだし。
残念だったわね。」
「な、なによ、それ!なんでよ!」
「最初に名前言ったらどっかの誰かさんが勘違いしたみたいよ。
ね、エメリン。」
「私ですか?」
「あなたよ。このおバカさん。
お陰で助かったわ。」
タワは……ミナミはにっこり笑った。
つられて俺も笑う。エメリンも恥ずかしそうに笑う。
そして、カロテスもにっこり笑うと「じゃ、死ね!」とヒロズの頭を刎ねた。
あの時のミナミの悲鳴は忘れられそうにない。




