15.側に
いつになったら私はラプターへの想いを断ち切れるのだろうか。
昨日はメソメソ泣いてしまったし、今日は既に三回ミスをして怒られている。
このままではいかん。
なんとかせねば。
「タンジェリンさん……あの……」
「レイオレピス。私少し出掛けてくる。
戸締りはしっかりね。」
「あ……」
私はレイオレピスの頭を撫でてから引き出しから札束を取り出し、部屋を後にした。
騎士団の基地に向かう。
果たして、目的の人物はそこにいた。
彼はボンヤリした表情で廊下の窓から人の行き交う様を見ていた。
「アノール」
「……タンジェリン?どうしたの〜?」
私が声をかけると、彼はフラフラとした足取りでこちらに寄ってきた。
彼の茶色の瞳がゆらゆら揺れていた。
「……大丈夫?」
「なにが〜?」
「なんでもない。
一緒にご飯食べない?おごるから。」
「おごってくれるならなんでもいいよ。」
アノールの褐色の体が私に縋り付くようにしてもたれかかってくる。
「歩きにくいな。」
「そう?みんなこうすると喜ぶんだけどな。」
アノールはヘラっと笑った。
櫛で梳かしていなさそうな黒い髪がピョンと跳ねる。
「せめて左側にしてもらえる?」
「ああ、腕無くなっちゃったんだっけ〜?
義手とかいる〜?」
彼は金を払えば人殺し以外なんでもやってくれる男だ。
人殺しは騎士の仕事でやってるからやらない、と言っていた。
そして、人殺し以外なんでも、というのは本当になんでもだった。
怪しげな品の調達、探偵まがいのこと、マッサージ、占い……。
何者なのかよく知らないが、なんでもやるしなんでも出来る。
「取り敢えずは平気だよ。」
「ふうん、ならどーしたの?オレとヤりたくなった〜?」
「違うよ……。」
「そう?またしたくなったら言ってね。」
アノールはヘラヘラ笑う。
五年前、入団する少し前に私はこの男と寝た。
処女を捨てれば魔法が使えるようになるという迷信を信じたからだ。
残念ながら迷信は迷信に過ぎなかったが。
それと早くラプターの想いを断ち切りたかったのもある。
いつまでも縋り付いてみっともないと思い、彼に断ち切れるよう手伝ってもらった。
こちらも失敗に終わっている。
「もしかしてまだあの人のこと好きなの?」
「…………いや。」
「すごいね〜。12年間だっけ。
おとこみょうりに尽きるね〜。」
「……あのさ、前に洗脳の魔法使えるって言ってたじゃん。」
「うん。なあに、使いたいの?」
そういうことだ。
私が頷くとアノールは首を傾げて低い声で笑う。
彼の目が金色に輝き、髪が金髪に変わる。
「可哀想だ。
洗脳の魔法がいかに怖いか知ってるのに使いたがるだなんて。」
そう、あれは失敗したら全部の記憶が飛ぶらしい。
それは御免だが……ただこのままではいけない。まともに仕事が出来ない。
私のラプターへの想いを無理矢理断ち切るしかあるまい。
「そこまでお前の心を支配しているんだな。」
「私が身勝手に想ってるだけだよ。」
「そうかもね〜。でも、そうじゃないと思うよ〜。」
アノールが手を差し出した。黒髪に茶色の目に戻っている。
やってくれるらしい。
私はポケットからお金を取り出そうとして……無い。
「あれ!?」
「落としたの〜?」
「いやそんなはず……!?ど、どうしよう!暫くの食費が!」
服をパタパタ叩くが、どこにも無い。
「探す〜?」
「……探す分のお金取る?」
「サービスしてあげるよ。」
サービスしてお金を取らないという意味か、お金は取るけど安くなるのかどっちかわからなかったがお願いすることにした。
「うーん、あ、騎士団基地の前の廊下にあるよ〜。」
魔法で探してくれたらしい。
いつの間に。
「ありがとう!」
私は盗られる前に走って戻る。
アノールはその後をフラフラ追っていた。
「あった!」
私が札束を取ろうとした、それよりも早く別の手が札束を取り上げる。
「あっ!」
「タンジェリン。」
ラプターだ。
何故……あ、そういえば騎士団長に用があると言っていた。
「あの、そのお金は私ので。」
「随分な大金を持ち歩いているな。」
彼は札束を見ると、私に投げてよこす。
……彼の想いを断ち切る為のお金を、彼に触られるのはなんともいえない気持ちになった。
「タンジェリン〜、見つかった〜?」
アノールがフラフラと私の後ろから顔を覗かせる。
「ああ、うん、」
「あれ〜?魔法団団長様。こんにちは〜。」
ヘラヘラした様子でアノールが挨拶をする。
ラプターは顔を顰めながら「どうも」とぶっきらぼうに返事をした。
「じゃあ行こっか。
失礼します〜。」
アノールが私の腕を掴んで基地に連れて行こうとした。
「……タンジェリン。なんだそいつは。」
私も出会った時は同じことを思った。
慣れた今はなんとも思わないが。
「ええっと……元同僚です。」
「それは見ればわかる。」
ラプターの鋭い視線が私を貫く。
「なんでそんな大金を持って元同僚のところに行っているんだ。」
「そ、れは……」
「オレたち元恋人同士なんですよ。
色々拗れちゃって、お金で解決を測ってるところです。ね?エメリン。」
アノールが繋いでいた手を解いて私の腰に手を回した。
……何がしたいんだろう。元恋人じゃないし。
「どういう意味だ。」
「あれ、彼女と師弟関係なのに御存知無いんですか。
エメリン何も話してないの?」
「う、うん?」
話を合わせるべきなのかどうかわからず曖昧な返事をする。
「そう。まあ話せないよね。
じゃあオレたち失礼します。」
アノールに腰を引かれ歩き出そうとすると、ラプターが私の右腕を掴んだ。
ギリっと力を込めて握られ腕が痛む。
「……彼女と何があったが知らないが、俺は彼女の師だ。きちんと説明しろ。」
アノールは真面目くさった顔でラプターを見ていたが、急にヘラっと笑うと私をドンと押した。
「冗談ですよ〜。元恋人じゃありませんし、ただの同僚です。まあ処女はもらいましたけど〜。」
「はあ?」
「処女捨てれば魔法が使えるなんて迷信を信じて、可哀想だ。
何が彼女をそこまで追い詰めたんだろうな。」
アノールは金色の目でただ笑う。
や、やめてくれ。何も話さないで。
「もう追いつめないであげてくださいね〜。
じゃあね、タンジェリン。」
彼は呆然としているラプターにクルッと背を向けると基地に戻ろうとする。
「ま、待ってアノール!」
彼の腕を掴む。
私の洗脳の魔法は!?
「オレ、タンジェリンには幸せになって欲しいんだよね〜。オレの昔の恋人に似ててさ〜。
だから魔法はかけないよ〜。」
「どういうこと、」
「君に幸あれ。」
アノールがそう言って手をかざすとフワッと花びらが舞った。
「なにこれ!?
アノール、あれ?」
彼はいなくなっていた。
残されたのは私とラプターと、花びら。
誰が片付けるんだ。
「……魔法?」
「魔法じゃないだろ。詠唱してなかったし。」
ならなんだ?
「……あいつはなんなんだ。
二重人格か?」
私にもよくわからない。
ただそういう呪いだかなんだかにかかっているらしい。
本音で語るときは金色に、それ以外は黒色に輝いている。
「……俺は騎士団長に用がある。
お前が花びら片付けろよ。」
「……このままじゃダメですかね?」
城の廊下がロマンチックになった。
これでいいんじゃないだろうか。
「…………ダメかな。」
城にロマンスはいらない。
そういうことのようだ。
*
「……ということで、よろしくお願いします。」
「こちらこそ。
エンバー殿の選んだ者たちとなら心強いですよ。」
鋼鉄の女、ブランフォードと握手をする。
魔物の調査のため、王の騎士団と魔法団で隊を組むことにしたのだ。
この付近の魔物を退治もついでにやってしまいたい。
「これで平和になればいいんですがね。」
彼女は悲しげに目を伏せた。
此度の襲撃で部下を失ったことを嘆いているのだろう。
「そうだ、タンジェリンはあなたの元で元気にやってますか?」
不意にエメリンの名前が出てきたので動揺する。
「……ええ。」
「あの子は殿下の元で一筋にやっていたので、エンバー殿の弟子になると言った時は驚きましたよ。」
「魔法を覚えて、また騎士団に戻るつもりですよ。」
「そうなんですか?」
「ええ。」
腹立たしいことだが事実だ。
もう騎士なんか辞めて欲しいのに。
あの襲撃の時、彼女が二人を庇って炎を振りかざし続けていた姿が目に焼き付いて離れない。
右腕は既に失われていた。左腕もドンドンと炭化して……。
炭化は魔法では中々治せない。少しなら治せるがあんな……腕を丸ごととなると。
絶対に彼女は無茶をすると思った。
昔からそうなのだ。
魔法を使うとお前の体は傷つくと繰り返し説明したのに魔法を使う。剣技を覚えたばかりで盗賊に立ち向かってボロボロになったこともある。
騎士になんかなったら、もっとひどい目に遭うと思った。
散々反対してが、彼女は頑として騎士になると言って聞かなかった。実際騎士になった。
せめて、せめて殿下の騎士にさせればやることは見張りだけだ。怪我をしないだろうと思って彼に頼んで直属の騎士にしたというのに……こんなことになるなんて。
こんなことなら魔法を一切封じてしまえば良かった。
いっそ強引にでも魔法使いにしてしまえば良かった。
「左手を失った、それの補助のために魔法を覚えるそうです。」
「へえ。
ま、それでなんとかなるなら覚えた方が良いですよね。」
ブランフォードはうんうんと頷く。
冗談じゃない。なんとかさせるものか。
もう二度と騎士になどさせない。
「私は反対です。魔法を覚えたら腕だけじゃ済まなくなるかもしれない。」
「エンバー殿。
私はね、腕も足も無くなったことありますよ。でもこうして五体満足で騎士団長の座にいる。
それどころか臓器の一部が無いんです。だけど元気そうでしょ?実際元気です。
……案外丈夫なもんですよ。ま、死ぬときゃ死にますけど。」
彼女は豪胆に笑った。
例えこの鋼鉄の女が無事でもエメリンは無事じゃないだろう。
そんな俺の考えが透けていたのか、ブランフォードは苦笑する。
「そんなに心配ですか。気持ちは分からなくもありませんが……
タンジェリンはもう大人なのに、まだ子供のように思っているんですね。」
「そんなこと」
ない、とは言い切れない。
俺の中で幼かった頃のエメリンの姿がチラつく。
あの時から彼女は頑固で俺の言うことに耳を傾けなかった。
父親に、10になっても魔法が使えないから面倒をみてくれと言われ会いに行った。
その時俺は21で、大分魔法についてわかるようになっていた。
そして、エメリンに宿る膨大な魔力も。
この子が魔法使いになれば、今まで誰も到達出来なかった所まで行ける。
俺は彼女に魔法使いになるよう説得した。
魔法の使い方さえ覚えれば彼女は化けると。
しかしいつまで経ってもあの子は魔力をコントロール出来ずその膨大な魔力によって身を傷つけていた。
勉強のアプローチを変えても同様だ。
彼女は魔法が嫌いになっていった。
それでも、俺は彼女に魔法使いになってほしかった。
ここを乗り越えれば彼女はもう二度と誰からも蔑まれることはない。
必死で魔法を教えた。
他に生徒のようなものは抱えていたが、彼女に特別目をかけていた。
彼女だけが俺の弟子だった。
剣技に興味を持ち始めた時不安はあった。
魔法の勉強を辞めてしまうのではないかと。
だが、彼女は授業に来てくれていたのでまだ魔法使いを諦めていないんだと思った。
それは俺の思い違いだった。
彼女は騎士になった。
*
騎士団長の部屋を出るとエメリンがいた。
俺の姿を見ると駆け寄ってくる。
「どうした。」
「待っていました。
何か、手伝えることはないですか。」
「あの花びらは片付けたか?」
「ええ。」
「なら無い。」
あの、アノールとかいう奴。
髪の色がコロコロ変わって、喋り方も変わって、捉えどころのない男だった。
あれが彼女を抱いたと思うと腹立たしい。
あんなのが。
……いや、彼女は処女を捨てれば魔法が使えるという迷信を信じただけだ。アノールの言葉を信じるならば。
そんなことしないで、俺の所で学んでいた方がまだ有意義だと思うのだが。
やっぱり苛つく。
「ラプター様?」
エメリンが俺の顔を覗き込んだ。
この、様付けで呼ばれるのも未だ慣れない。
自分は一介の騎士だから魔法団団長を呼び捨てになど出来ないと言っていたがそんな身分なんて気にするような仲じゃない……と俺は思っていた。
彼女は違ったようだが。
それが悔しくて、俺も彼女を家名で呼んだ。
いつまでも彼女はいるわけじゃない。
また、俺の所から離れていく。
それが成長だというならずっと子供のままでいればいいのに。




