10.魔法使いの弟子
大きな衝撃音が鳴り響く。
なんだ。これは。
窓から外を覗くと人が右往左往している。
警報の鐘が鳴る。
遠くに魔物の群が見えた。
「殿下!タワ様!」
「何事だ!」
「魔物です!襲撃してきました!」
ここにいては危ない。
私はもう一人の護衛騎士に伝達を頼むと、安全なところまで案内することにした。
騎士団のところに行くべきだろう。
守りが固い。
「こちらです!」
二人の先頭に立ち、城内を駆けた。
*
二人を騎士団のところに連れて行こうとするも、前方から魔物が現れる。
もう城内に侵入したのか!?
「エメリン、こっちだ!」
殿下に腕を引かれる。
「どちらに!?」
「言っただろ?隠し通路があるって。」
殿下は従者の控え室に入ると、本棚をどかす。そこには扉があった。
「城外に続いている。」
「ですが城外は魔物が溢れています!」
「ここにいたら徒らに死んでくだけだ!
外から騎士団の元に行く。それまでは頑張れるな。」
殿下はタワ様の方を掴んだ。彼女は真っ白な顔で頷いた。
魔物を見るのは初めてなのだ。しかもこんな大量に……。
殿下が隠し通路に入って行くのにタワ様は続く。私もその後を追った。
通路をひた走る。
明かりもないので真っ暗で、自分がどこにいるかわからなくなる。
デコボコした土壁が体に擦れるが止まっていられない。
「タワ様、大丈夫ですから。」
「うん……。」
何分走っただろうか。
長い間土壁を見ていた。
ふいに細い明かりが漏れていることに気付く。
どうやらここが出口のようだ。
「着いた。
……魔物はいないな。」
殿下は素早く扉を開け、剣を構える。
それから辺りを見渡し安全を確認した。
出た先はどうやら城の裏側だった。
ここからなら騎士団基地も近い。
「よし、あっちだ。
タワ。」
彼女はもうフラフラだった。
まだ騎士団の基地にも辿り着いていないというのに。
「歩けるか?」
タワ様は返事をしない。
顔は青ざめ、汗がダラダラ伝っていた。
「わ、たし……」
なんとか絞り出すような声が聞こえたが、そこから言葉が続かない。
彼女を恐怖が支配している。
「大丈夫だ。」
殿下は彼女を担ぎ上げた。
タワ様は殿下の首に縋り付く。
「エメリン、後ろは頼んだぞ。」
「はい。」
殿下の後ろにつき、辺りを警戒する。
怒号が鳴り、悲鳴が響く。
城は高い位置にあるので、城下の様子がよく見えた。
魔物が蔓延り、それを騎士たちや魔法使いたちが追い払っている。
今のところ拮抗しているようだ。
「なんでこんな……」
タワ様が呟いた。
彼女は震えていた。
「……もう少しだ。」
城下から遠吠えのような怒号が聞こえた。
見ると、カロテス様だった。
彼は見るからに興奮していて、魔物を切り捨てるたび笑っていた。
魔物の血を浴び真っ青に染まる彼はなるほど、青の勇者という通り名に相応しい。
魔王を倒した勇者ともなると余裕が違う。
*
騎士団の元へ駆け抜ける。
魔物に会うこともなくなんとかここまで来れた。
「もう基地が見えてきましたからね。」
タワ様に声をかける。
……油断していたのだろう。
ここまでは魔物が来てないのではと。
殿下が急に立ち止まった。
「殿下?」
「……エメリン、後退だ。」
「え」
「なに……」
「見るな。」
殿下はタワ様の頭を押さえつけた。
何事だ。
私は彼の体の間からそれを見た。
そこにあったのは、殺された騎士の死体、それに埋め込まれた魔物の卵。
「……早く行きましょう。孵化しますよ。」
「いや……もう遅い。」
殿下の言葉に被さるように、一匹の魔物が孵化した。
金属音のような不愉快な鳴き声をあげる。
「早くっ、」
戻ろうと振り返ると、黒いヌメヌメとしたトカゲの魔物がいた。
此奴が母体だ。
私は魔物が動くよりも早くそれに剣を突き立て切り裂く。
全身に青い血を浴びた。
魔物の後ろに、別の魔物の影が見えた。
「まずい、もう一匹いる……」
「仕方ない。ここを突っ切るぞ。」
殿下は剣を片手に孵化したばかりの魔物を切り捨てながら進む。
背後の魔物は、先ほどの魔物よりもずっと大きかった。
……大き過ぎる。なんだこいつは。
「キャア!!」
タワ様の悲鳴が聞こえた。
彼女は卵を植え付けられた騎士の死体や、魔物の幼生を見てしまったのだろう。
慣れないうちはそのグロテスクさに恐怖を抱くものだ。
「タワ様……」
背後の魔物が、ものすごい勢いで私の横を通り過ぎた。
悲鳴を聞いて殺す目標をタワ様に移したらしい。
「このっ!」
魔物の背中を切りつけるが止まらない。
「殿下!!タワ様!!」
ぶつかる音がした。
見ると、殿下とタワ様が倒れていた。
魔物が突進したのだ。
「起きてください!!」
「わ、かってる!」
魔物は殿下に目もくれずタワ様を狙う。
「クソが!」
殿下が魔物の喉を切りつける。しかしやはり魔物は動きを止めない。
丈夫過ぎる!
「エメリン、避けろよ!!」
殿下がタワ様に覆い被さった。
私はなんのことか察知し、近くの壁に身を寄せる。
「古の竜の果てなき名残よ、その肚に宿る怒りを吐き出せ」
殿下は魔物に手をかざす。
手から炎が溢れた。
私の目の前で魔物が燃える。
さすがに魔物も丸焦げにされてはたまらないだろう、と思ったのがいけなかった。
それの顎はピクピクと痙攣していた。
「っ、殿下!!」
私が魔物に深く剣を突き立てたのと、魔物が殿下に噛み付いたのは同時だった。
「ぐッ……」
「ひっ、あっ、で、殿下!」
魔物の背中に刺した剣を振り下ろし真っ二つにする。
動かなくなるまで刺した。
「殿下!」
殿下は右胸から背中にかけて大量に血を吹き出していた。
「ち、治癒の魔法、は」
殿下は苦しそうに呻く。
殿下はもう魔法を使えないのだ。
私は……私は治癒の魔法を知らない。
愚かな少女だった自分が憎い。
ラプターの授業をきちんと受けていれば!それがどんなに辛くても、逃げ出すべきでなかった!!
「殿下……」
「エ、メリン、後ろ……!」
ハッとして振り返ると、まだ魔物の幼生は残っていた。
それも成長して。
こいつら、もう大きくなってやがる。
騎士の死体、そして自分の親の肉を食ったのだ。
「え、エメリン。」
「タワ様……」
自分が情けない。
彼女を守れない自分が。
「私は、殿下の処置をする。
あなたはそいつらを……!」
タワ様の涙の溜まった、強い眼差しを受ける。
しっかりしなくては。
この方たちを誰が守るというのだ。
「はい!」
私は切った。
切って切って切りまくる。
辺りは魔物の青い血で染まるが、まるで湧き出るかのように魔物は現れる。
ノロノロと、しかし確実に魔物は我々を狙っていた。
数が多い……!
これではキリがない。
「エメリン……」
「殿下……」
タワ様はブラウスを破いて殿下にグルグル巻いていた。
自分の服を包帯代わりにしたのだろう。
私はタワ様に青く染まったジャケットを渡しながら、殿下に跪く。
「そいつらは、火で殺さないと、無限に湧くぞ……」
火。
……魔法を使わないとならないようだ。
「畏まり……」
「いや、いい。お前は、魔法を使えない。
基地内に……タワを連れていけ。」
「な、なにを!」
「エメリン、わかれ。
なにを優先、するべきか。俺か?違うだろ。
この世界の、救世主を……守るんだ」
「何言ってるの!
止血はしました、ここから抜け出せば……!」
「俺を、庇ってどこまでいける……。」
……殿下をタワ様が担ぐのは無理だろう。
となると私が担ぐしかあるまい。
魔物を凌ぎながら、殿下を担ぎ、さらにタワ様を守るとなると……難しい。
「私も戦う!」
タワ様は殿下の裾を握るが、その手は赤い血に染まり震えている。
「……エメリン。」
殿下は私を睨んだ。
ゼエゼエと息は荒く、顔色も灰色だというのに目は力強かった。
早く行けとその目は語る。
でも私は殿下を置いてこの場から去る……そんなこと出来ない。
「私は……魔法が使えます。」
「……ダメだ、この数を凌げるものか。
魔力が、尽きるぞ。
タワを連れて逃げろ。それが、一番……現実的だ。」
「ご安心ください。コントロールは出来ませんが、魔力の量には自信があります。
タワ様、もし何かあったら……殿下の言う通りに。」
私は二人の前に立ち、魔物に立ちふさがった。
「古の竜の果てなき名残よ、その肚に宿る怒りを吐き出せ」
指先が熱くなり、炎がまるで血のように噴き出る。
実際血も噴き出ていた。
しかし構っていられない。
私は呪文を詠唱し、魔物を焼き殺していく。
辺りは魔物の血と、炎に包まれた。
「……ひきつけてる、ぞ……。逃げろ。」
気がつくと、他の魔物までもがこちらに向かっていた。
……なぜ我々を狙う。派手な動きはカロテス様の方がしている。なぜ……。
いや、タワ様だ。彼らはタワ様を狙っているのだ。
「いえ、逃げてはなりません!
あいつらタワ様を狙っています。
ここを凌ぎます……それまで動かないでくださいませ。」
手のひらをかざし、炎を発現させる。
「エメリン、手が……!」
私の手は既に指が裂け落ち、肘にまで深い傷が走っていた。
まあ殿下に比べればマシだろう。
「私は一介の騎士ですから、あなた方をお守り出来るなら何があろうと本望です。」
「何言ってるの!もうやめて!」
「大丈夫です。
タワ様は殿下の側に。」
そう言った瞬間、右手が弾け飛んだ。
パンが落ちてきたのかと思ってビックリしたが、自分の腕でさらにビックリした。
「エメリン!!」
今度は左手だ。
私は手をかざし直し、魔物と対峙する。
こんなに燃やしているのに、魔物は尽きない。無尽蔵に湧いてくる。
「エメリン!やめて!死んじゃう!」
「大丈夫です。痛くありませんし。」
「今は痛くないのはアドレナリンが出てるからよ!」
アドレナリン?なんだそれは。
左手が黒ずんできた。
内側から燃えているらしい。
もう少し……もう少し時間を稼がねば。
必ず誰かがここに来るはずだ。
第2殿下と救世主を助けに。魔物は尽きないが、それでも……。
指先から炭となって崩れていく。
なんとか私が死ぬまでに来てくれ……!
この二人はここにいる!
「エメ、リン……」
「殿下、大丈夫です。必ず助けが来ます。
それまでは凌いで見せますから。」
「死ぬ気か、お前も」
「それが騎士の務めですから。」
「タワを誰が、守るんだ」
「助けが来るまでは死にませんよ。」
とは言ったが、手首から先は炭になって消えた。
このままではこの身が炭化するのはあと僅かな時間しかない。
「ハユルミも、勝手に死んだ、」
久しぶりにハユルミ殿下の名前を聞いた。
意図的に皆彼の名を出さなかった。
「私はちゃんと宣言したでしょう。」
バキンと音がした。
見ると肘から先がない。どこに消えた。
「私がこうして、魔法で誰かを助けられるなんて嬉しいんです。
私は満足してますから。ハユルミ殿下の時のように悲しまないでくださいね。」
腕が消えていく。もう少ししたら肩もなくなる。
もうどこで魔法を使っているのかわからない。
それでも魔法を止めるわけにはいかなかった。
「何が満足してる、だ。」
炎が巻き上がる。
魔物たちのキイキイとした悲鳴が克明に聞こえた。
「あれだけ魔法を使うなと言ったのに……!」
炎はまるで意志を持ったかのように魔物を焼き殺していく。
「ラプター……」
炎の先にはラプターが私を睨んでいた。
魔法団の制服はヨレヨレになっている。体中擦り傷だらけだ。
それでも来てくれたのだ。彼が。
「エメリン、もう止めろ!」
魔法は止まらない。
もう自分が何をしているのかもわからない。
彼は私の側まで駆け寄ると背中をさすった。
「落ち着いて、息を吸って、吐いて。」
言われた通りにする。
徐々に炎が弱まるのがわかった。
「いい子だ。」
魔法は止まった。
その途端、腕が激しく痛んだ。
「いっ!あ……!」
崩れ落ちる体をラプターが抱きとめてくれる。
「こんな体になってまで……」
彼が私の肩に手を置いた。
そうされると、不思議と痛みが消えていく。
「今治してやるからな。」
「ら、ラプター……」
「ん?」
「私、魔法で二人を守った……。
誰かを助けるために魔法使ったら、魔法使いなんでしょ……?」
何年も前、ラプターはそう言っていた。
魔法使いとはただ魔法を使える人のことではない。誰かの為に魔法を使える人のことだと。
彼は苦しげに笑う。
「だから言っただろ、お前は魔法使いになれるって。」
そうか、そういえば散々言われてたな。
私は目を閉じた。
とにかく、殿下との約束は果たせた。




